暫く会わないうちに、危うく別の世界に行きかけていたフレンを『こっち』に引き戻したオレは、ソディアと一緒にフレンの前に座っている。
ソディア?あの後、鍵を開けて中に入れたよ。オレの仕事内容を記したヨーデルからの手紙、というか命令書はこいつが持ってる。こいつがいないとフレンに今回の事を説明しきれないからな。オレの口から全部言ってやるのは面倒だ。

フレンはソディアがあれこれ説明している間も、殴られた腹を押さえながらずっとオレを睨みつけていた。

見つめていた、じゃない。
そりゃあもう、不機嫌極まりないといった様子だが、それはオレも同じだった。


「…という事で、明日から一週間、彼が団長のお仕事を手伝い………」

「…………」

「…………」

「……あの、団長?」

ソディアがフレンとオレを交互に見ながら、おろおろと視線を彷徨わせている。話を聞いているのかいないのか、相槌一つ打たないフレンの様子に不安を感じたようだ。
…呆けてるより、今のこの状態のほうが恐ろしいに違いない。
仕方ない。オレは溜め息を吐きつつ、フレンに声を掛けた。


「…おい、フレン」

「……何だい」

「何だ、じゃねえよ。こいつの話、聞いてんのか」

「聞いてるよ」

「だったら返事ぐらいしてやれよ。…言いたい事があるなら、後で聞いてやる。こいつは関係ねえだろ」

関係ない、のところでソディアが微かに肩を揺らした。
フレンは一瞬それに目をやったが、大きく息を吐き出すと居住まいを正してソディアに向き直り、にっこりと微笑んで見せた。

「ソディア」

「は、はい!」

「色々と迷惑を掛けてしまったね。申し訳ない」

「いえ、そんな!これしきの事、何でもありません!!」

「……よく言うぜ……」

思わず呟いたオレだったが、ソディアとフレン、両方から睨まれて口をつぐんだ。何か…納得いかねえが、原因の一端が自分にあるのは一応理解しているので黙っておく。

「団長、こちらを」

ソディアが例の封筒を取り出し、フレンに渡す。

「これは?」

「陛下よりお預かりして参りました。今回の件についての詳細は、全てその中に」

フレンが神妙な面持ちで封筒を受け取り、ペーパーナイフで丁寧に封を切る。

どうでもいいが、二人がくそ真面目な面して話してるのはオレがメイドの格好してこれからやる事について、だからな。
まるで重要任務であるかのような雰囲気だが、間違ってもそんな話ではない。
…オレが何やらされるのか、って事については非常に気になるが。封筒から中身を取り出し、フレンがそれを読んでいる間、落ち着かなくて仕方なかった。

やがて全てを読み終えたのか、フレンは手紙を置くと再びソディアに笑顔を向けた。またそれが、何だか気に食わない。
…てめえらだけで話、進めてんじゃねえぞ…ったく。

「ソディア、ありがとう。事情は理解した。陛下にはお詫びとお礼を申し上げなければならないな」

「…何が礼だよ…」

「ユーリは黙っててくれ」

「……………」

「ソディア」

「はい」

笑顔のまま、フレンが立ち上がる。ソディアも立ち上がったが、オレはソファに座ったまま、動く気もなかった。
両手を頭の後ろにやり、背もたれに踏ん反り返って足を組む。普段と変わらない、リラックスポーズだ。スカートがひらひらして鬱陶しいが、気にするのはとっくにやめた。
そんなオレをフレンはちらりと見たが、すぐに視線をソディアに戻した。


「団長、どうされましたか?」

「ああ…すまない。それでは、僕は仕事に戻らせてもらうよ。今までの分を、しっかり取り戻さなくてはね。…ソディア、迷惑を掛けて本当に済まなかった」

「団長……!!」

ソディアは今にも泣き出しそうだ。顔を赤くして、ふるふると震えている。
苦労したのは確かだろうし、これで多少なりとも報われたのかもしれない。

…嬉しそうな顔しやがって…


「では、悪いんだが僕はユーリと話があるから」


「……は、い?」

「二人きりにしてくれないかな」

「え…しかし、『仕事』は明日からで」

「ソディア」

フレンは笑顔のまま、何気なく…しかしわざとらしく入り口の扉へ体を向けた。
…さっきまでの浮かれた様子が一転、今度はなんか泣き出しそうだぞ。さすがに気の毒になってくんな、これ…。

「本当にありがとう。ご苦労だった」

「…はい…。失礼、致します…」


入り口までソディアを見送って、フレンが扉を閉めた。…しっかり鍵を掛けたのは、取り敢えず見なかった事にしておく。

はあ……。
何、言われんのかねえ……。








扉を閉めて振り返ったフレンは、つかつかとオレの前までやって来るとそのまま身を屈め、立ったまま覆い被さるようにしてソファに手を突いた。先程までの笑顔はどこへやら、どんよりした瞳で見下ろして来る。

ある程度覚悟はしてたが…いざとなると迫力あるなあ…。


「…ユーリ」

普段よりも大分低い声で呼ばれて、思わず身体が震えた。
努めて平静を保とうとはするものの、動揺を隠しきれた自信は全くない。
更に顔を近付けてフレンが続けた。

「…さっきはきつい一撃をありがとう」

「…目、覚めただろ」

「おかげさまで。その姿もなかなかに強烈だったけどね」

「うるせえ!!言う事聞かねえと、エステルにオレらの事バラすって言われて仕方なく……!!」

「…相変わらずそんな事言ってるのか。まあいいけど」

「相変わらず、ってなあ」

「そんな事より」

ソファに片足を乗り上げて、更にフレンが身体を近付けて来る。
額と額を擦り付けられて、堪らず顔を背けたらそのまま耳元で囁かれた言葉に、一気に顔に熱が集まるのが分かる。


「三ヶ月も放っておいた恋人に、お詫びのキスぐらいしてくれないか」



のろのろと顔を戻したらすぐにフレンの鼻先が触れて、仕方なしに少し顔を寄せただけで唇も触れた。
次の瞬間、フレンが強く顔を押し付けてきたせいでオレは呼吸もままならずに、暫くソファとフレンの間に挟まれて身動きが取れなかった。


…どうでもいいが、傍から見たらこれ、騎士団長が使用人を襲ってる以外の何物でもないよなあ…

恥ずかしさの方が勝って、不機嫌な感情はどっかに吹っ飛んで行った。





「…それにしても、まさかメイドさんとはね…」

「言うな。オレが一番信じられねえ」

「似合ってるよ」

「嬉しくも何ともねえな。…大体おまえ、さっきの言い種は何なんだよ。こっちはおまえの正気ってか、やる気を取り戻させる為とか言ってこんな格好させられたってのに」

「やる気なら取り戻し……っ痛あ!?」

オレは無言でフレンの耳を摘み上げた。
ちなみに今、オレは普通にソファに座っているが、フレンの頭はオレの太股の上にある。
…膝枕ってやつだな。
どうしても、って言うから仕方なくやってやってんだが…こんな姿、他の奴らが見たら卒倒すんじゃねえか。色々言いたい事はあるが、三ヶ月放置したのは事実なんでいまいち逆らえない。これ、仕事のうちに入ってねえんだよな?

「ちょっ…と!いい加減離してくれ!」

「ったくよ…そっちこそ、いい加減どけよ。脚、痺れて来たんだけど」

「嫌だ」

「…………」

フレンはオレの腹に顔を押し付けて、腰に回した腕にさっきより力を入れた。

『正気』に戻さないほうがマシだったんじゃないか。
そんな事を考えながら顔を上げたら、テーブルに置かれた封筒が目についた。
手を伸ばしてそれを取ろうとしたら、折り曲げたオレの身体に挟まれたフレンが呻き声を上げた。

「…だからどけっつっただろ」

「もう少し優しく扱ってくれてもいいんじゃないか?三ヶ月も放…」

「はいはい分かったよ!!しつこいぞおまえ!こっちも大変だったんだって言ってんだろ!?こんな格好してやってるだけでも感謝しろ!!」

「…随分と態度の大きなメイドもいたもんだな」

渋々身体を起こしたフレンが隣に座り、オレの手に握られた封筒に目をやる。奪い返そうとする動きがないので、オレはそのまま中身を取り出して読んでみた。


「ユーリ、何をするかは聞いてないんだろう?」

「…ああ…だけどおまえ、これ…」

「僕は陛下を相当、怒らせてしまったようだね」

「…はあ…そう、なのか…?」

「そうだよ。そんなの…全然癒しじゃない。寧ろ拷問だ」

困ったように笑うフレンに何と言っていいかわからず、オレは再び手元の手紙に視線を落とした。
そこには確かに、明日からオレがする『仕事』が書いてあった。


まず、今までの書類仕事についてだが、内容の関係でソディア以外の奴に直接行ったもののうち、ヨーデルのところに持ち込まれたものをしっかり作り直して再び適切に処理する事。

…まあ…さぞびっくりしただろうな、あんな書類見た奴は…。よくまあ、大事にならずに済んだもんだ。
で、量がかなりあるらしいんで、それをオレにも手伝わせろ、とある。

「いいのか、これ。オレが見たらマズいもんとかあるんじゃねえの」

「どうせ内容なんか理解できないだろ。判を押すのも一苦労だから、それをやってくれればいいよ」

「……」

腹は立つがその通りなんで、取り敢えずスルーだ、スルー。

あとは何やら細々と…やれ部屋の掃除だの食事の世話だの、まるで本当のメイドがやるような仕事がつらつら書いてある。ただ箇条書でしかなく、具体的に何をどう、とは書かれていない。

…これか、フレンの受け取り方次第、ってのは。まあ、その辺りは実際作業する時に確認するとして、だ。

オレが寝泊まりするのは、フレンの私室。それも、ご丁寧に寝室、との指定つきだ。しかし問題はそこじゃない。
最後の一文にはこう書いてある。


『使用人の、勤務時間外における部屋への出入りを誰にも見られてはならない。また、使用人には一切、手を触れないこと』


オレは顔を上げ、もう一度フレンを見た。


「…拷問だろ?」

「…オレの口からは、何とも…」


この場合の使用人、ってのは間違いなくオレの事なんだろうが、何なんだこの…どっかの酒場の、『女の子にはお手を触れないようにお願いします』的な文章は。
…別に何かされたいワケじゃねえけど、矛盾してないか。ヨーデルの奴、オレにフレンのことを癒せ、って言ったよな。
まあだから、癒しってのは必ずしもソレばっかじゃないとは思うけどな?
ただ……なあ。


「…出入りを見られないようにって…どうすんだよ」

「…そんなの、どうだっていい」

「よくねえだろ。そういや聞くの忘れてたが、オレが城の中うろついて平気なのか?ここに来るまでにも何人かに見られちまってるけど」

「知らないよ。僕だって、そこに書いてある以上の事は何も聞いてないんだ」

「仕方ねぇなあ、服取り戻すついでにソディアにでも…」

「ユーリ」

「おわ!?」


いきなり腕を引かれて、そのまま抱き締められる。背中に回されたフレンの両腕はさらにきつく交差され、結い上げた髪の先が巻き込まれて痛みにのけ反ると、それに気付いたのか少しだけ力が緩んだ。

軽く頭を振って見上げたフレンは、今にも泣き出しそうな情けない顔をしている。


「傍にいるのに、指一本触れるな、なんて…酷いよ」

「…あいつ、この三ヶ月大変だった、って言ってたからなあ」

「だとしても、とんでもない嫌がらせだ。僕だって辛かったのに…」

フレンが恨めしそうにオレを見る。全く…しょうがねえな。

「悪かったって。…なあ、オレの『仕事』ってのは、明日からなんだな?」

「…ああ」

「だったら今日はセーフな訳だ」

「ユーリ、自分の言ってる意味、分かってるのか?」

「……どうせハナからそのつもりだったんだろうが」

手紙を読んだ後、フレンはすぐにソディアを部屋から追い出した。扉には鍵まで掛けて、その後はずっとオレにべったりだ。
もっと文句や嫌味を言われるもんだと思っていたオレは正直、拍子抜けした。

それもこのせいなんだと思うと、何故か妙に優越感を覚えていた。



「…今日のうちに、好きなだけ触っとけ」



何であんな事言ったのか。翌日になって、オレは激しく後悔する事になった。



ーーーー
続く