来賓用玄関に飾られた、大きな笹が風に揺れている。

大小様々な飾りに、色取りどりの短冊が吊されたそれを、ユーリはぼんやりと眺めていた。

隣にはもう一本、同様の笹飾りが揺れている。その尖った葉が時々頬を掠めるのが擽ったくて、寄り掛かっていた棚から背を離し、さらに数歩下がって正面からそれを見上げた。

生徒会と美術部が共同で企画した、と言っていたか。
ユーリは短冊を一枚ずつ手に取って、書かれた願い事を読んでみた。

あと5キロやせられますように

先輩と両想いになれますように

第一志望に受かりますように――――


実に現実的な、だからこそ切実と言えなくもない願い事ばかりだ。
目当ての人物のものと思われる短冊はない。ユーリはもう一本の、校舎内に近いほうの笹に歩み寄る。同じようにして短冊をめくるが、やはり、ない。

「…っかしーな。書いてないのか、あいつ」

何を書いたか知りたかったのだが。暫く笹を眺めていたら、ふいにその葉の隙間から明るい金色が揺らめいた。

「ユーリ、お待たせ」

「おう。用事、済んだのか?」

「ああ、待たせてごめん。ちょっと先生に捕まってしまって。…それと、これ」

フレンの手には、一本の小さめな笹の枝が握られていた。

「なんだそれ、…これの余りか?」

ユーリがすぐ横の笹を顎で指すと、フレンは軽く微笑んだ。

「うん。生徒会室に余ってたから、貰って来たんだ。僕の部屋で、一緒に短冊書こう」

「いいけど…七夕、明日だろ」

一週間ほど前から、あちこちで七夕飾りを見るようになっていた。現に今、この場所にも笹がある。短冊が吊されて重そうに先端をしならせる笹が。

フレンが二人で七夕をやりたいと言うのは何となく予想していたが、今日はまだ、その日ではない。
そう思ってユーリはフレンに聞き返したのだが、フレンは少しばかりむっとしたように頬を膨らませた。常日頃、フレンはユーリの事を『可愛い』と言うが、こういう表情は余程フレンのほうが可愛くて幼い、とユーリは思っていた。


「明日は、神社の七夕祭りに行こう、って言っただろ」

「…そういやそうだったか」

やっぱり忘れてたね、と言われて、ユーリはそんな話もしたな、と思い出していた。
学校の裏手にある神社では、毎年七夕に奉納祭を行う。願い事を記した短冊を持ちより、神社の笹やぶに結んで願を掛ける。結んだ短冊はその後、神社で清められて奉納、つまり燃やされる。
普通に短冊を飾るよりも願い事が叶いそうだということで、最近では若い女性や恋人達に人気のイベントとなりつつあった。

フレンはもちろんこの祭りには行きたいが、その前に自分達だけで七夕をやりたい、とユーリに言っていた。当日は、帰宅してすぐ着替えて出ないと祭りに間に合わないからだ。
翌日は平日だし、何と言っても今はテスト期間中だ。祭りの後にフレンの部屋に戻って二人で過ごすのにも時間が足りない。
だから前日に、という話だった。

ユーリはと言えば、あまり祭りには興味がなかった。というより、男二人でそのような祭りに行く事に抵抗があった。
何より神社は学校に近い。誰に会うか分からないし、見られたら気まずい事になるのは間違いない。そう思っていた。

「ユーリは気にしすぎだよ。屋台なんかも出るんだし、普通に来る同級生もいると思うよ」

「そういう奴らは大体ナンパ目的だろ。それにおまえは目立つからな」

「…ユーリも人の事は言えないと思うけど」

「んな事ねえよ。おまえは目立つ上にナンパ目的にゃ見られねえだろうし、そしたら何でオレとつるんでるのかとかツっ込まれるだろうが」

「別に気にしないけど」

「何度も言うけどな、少しは気にしろよ…」

大事なところで開放的と言うか無頓着なフレンに、ユーリは項垂れて溜め息を吐いた。

「…とりあえず、さっさとおまえん家、行くか」


楽しげに笹を揺らすフレンの横顔を眺めながら、ユーリはやれやれ、と再び溜め息をこぼすのだった。











「……で、おまえは何を見てんだよ」


フレンの部屋に着いて上着と荷物を置き、途中の自販機で買ったペットボトルのジュースを飲んでいたら短冊を渡されたユーリだったが、さて何と書こうかと思ってペンを取ったまま、暫くフレンと睨み合っている。

正確に言えば睨んでいるのはユーリだけで、フレンはにこにこしながらユーリを『見つめて』いるのだが。

「ユーリが何て書くのかなあ、と思って」

「…普通、そんな見るもんじゃないだろ」

「そう?ユーリの願い事、知りたいな」

いい加減にしろ、こんな状況で書けるか。
そう思ったユーリだったが、ふと学校の七夕飾りの事を思い出した。
そういえば、あの中にフレンのものらしき短冊は無かった。こいつは何を書くつもりなのか。人のを知りたがるんだから、自分の願い事を教えるのに抵抗はないだろう。
つか教えなかったら殴る。

そんな事を考えながら、ユーリは逆にフレンに聞いてみた。

「そういうおまえはどうなんだよ。人のばっか見ようとして、自分のは教えねえ、とか言うんじゃねえだろうな」

「教えてもいいけど…ユーリ、怒りそうだからな」

「ほお。オレが見たら怒りそうな願い事を、わざわざ人目につくとこに飾るつもりだったと?」

「名前書かなくてもいいんだし、わからないよ」

「飾ってるとこを誰かに見られたらどうすんだよ!…いいから書け。そしてオレに見せろ!!」

仕方ないなあ、と言いながらフレンが短冊にペンを走らせ、ユーリに差し出す。
その『願い事』に、ユーリはたっぷり30秒は固まった。


“ユーリが一生、僕のモノでありますように“



「………………」

「ユーリ?」

「……てめっ……ふざけんな!!」


ユーリは立ち上がると短冊を握り潰してフレンの顔面目掛けて投げ付け、肩をぶるぶると震わせながらフレンを怒鳴りつけた。

「ああっ!何するんだ!?」

「何考えてんだてめえは!何だよこの変態くさい書き方!!ってか思い切り人の名前書いてんじゃねえよ!!」

「別に誰の願い事かわからないんだからいいじゃないか」

「だから……!…いや、もういい」

再び座ると乱れた呼吸を落ち着かせるように深呼吸し、ユーリは短冊を手に取って言った。

「……オレが、おまえの願い事を代わりに書いてやる」

「は!?何だよそれ!」

ローテーブルに身を乗り出して抗議するフレンを無視し、ユーリは何か書くとそれをフレンに突き付けた。

「ほれ」


“変態がバレませんように”


「…………………」

「バレたら色々困るからな、お互いに」

「……変態、っていうのは……」

「おまえに決まってんだろうが」


神妙な面持ちで短冊を手にしてじっと見つめているフレンを横目に、ユーリはもう一枚短冊を書くと、再びそれをフレンの目の前に突き付けた。

「これがオレの願い事な」


“携帯ほしい”


シンプルな一言が、なんだかフレンには物哀しく感じられた。

「…えーと…」

「こないだ、誰かさんに携帯買え買えうるさく言われたからな。願い事が叶ったら、持ってやってもいいぜ」

「その気持ちの変化は嬉しいんだけど…。でもいくらなんでもこれはちょっと…」

「うるせえな、おまえに言われたくねえよ。ほら、ちゃんと飾っとけ」

「ええ……!?」

本当に飾るのか、と目で訴えるフレンを無視してユーリが帰り支度を始めたので、フレンが慌ててその腕を取る。

「ち、ちょっと!もう帰るのか?」

「たかが短冊一枚書くのにつまんねぇ時間使っちまったからな。そろそろ腹も減ったし」

「え、だってまだ何もしてな」

「だからてめえは変態だってんだよ!!」

手にした鞄をフレンの頭に叩き付け、掴まれた腕を振り解くとユーリはさっさと玄関に向かう。
毎回毎回、いやらしい事をしたい気分になるわけではない。

頭を押さえてしゃがみ込むフレンを一瞬だけ見遣って、ユーリは部屋を出ると玄関の扉を乱暴に閉めた。



「全く……」


「「ちゃんとした短冊、用意しないとな」」


部屋の中と外で、同時に同じ言葉を呟いた事は誰も知らない。




ーーーーー
続く
▼追記