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想いの行き先・8


フレンの言った意味を量りかね、ユーリもつい語調が乱暴になる。


「おい、フレン!どうにかってどういう意味だよ?いちいち黙るな!!」

しかし、フレンは動じない。


「先に、君の事が知りたい」

「…オレ?何の話だ」

「君には好きな人はいないの?」

ユーリの眉間に深々と皺が刻まれる。聞いてどうする、と言わんばかりだ。
黙ったままのユーリにフレンは続けて言った。

「悩みの相談に乗ってくれるんだろう?僕の悩みを君はもう知ったんだから、何かアドバイスの一つもしてくれるんだと思ったんだけど」

「おまえ、言ってる事がおかしいぞ。おまえに好きな女がいるのはともかく、何が問題なのかちっともわかんねえままだし、そんなんじゃどうしようもねえだろうが。第一、オレに好きな女がいようがいまいが、何の関係があるんだよ」

「…ユーリは悩んだ事がないのか?」

「……とりあえず、今はそういう話に興味はない」

それは特に意中の相手はいないという事か、と念を押すフレンにユーリが胡乱げな眼差しを向けた。
さすがにこれ以上は聞けそうにない。

「おまえさ、いい加減にしろよ」

ユーリの声に険しさが増した。

「オレは、おまえが一人で何か抱え込んで、それを吐き出して楽になってくれりゃいいと思った。…思ってもない方向の話じゃあったけどな」

フレンが押し黙る。

「結局おまえ、そいつに告白するつもりはあるのか?」

「……え……」

「言うつもりがないなら、『そうか』としかオレは言える事がない。そうじゃないなら…」

頭をがしがしと掻きながら、仕方なさげにユーリが言った。

「そうじゃないなら、…おまえが本気なら、応援はしてやる」

「応援……」

「おまえが惚れてそこまでマジになるんなら、まあそれなりの女なんだろ…オレがどうこう言えることじゃねえよ」

突き放すような言い方に、フレンは胸の奥底がちりちりと痛むのを感じていた。どこを否定して、どう説明すればいいのか。全てと言われてしまえばそうなのだが、ではそれを知ってなお、ユーリは自分を『応援』すると言うだろうか。

「応援、ね…具体的には何をしてくれるの」

「はあ…?」

「その人に僕の事を売り込んでくれるとでも?ただ頑張れ、って言うだけじゃないだろうね。そもそも、頑張ってどうにかなるならもっと早く伝えてる。それが出来ないから苦しんでるんじゃないか!!」

声を荒げるフレンに、ユーリは驚きを隠せない。唖然とした後、口を開きかけたところで更にフレンが畳み掛けた。

「まず、根本から違う。その人は女性じゃない。女性だったらまだ、こんなに悩んだりしなかった…!」

「は…はあ!?おま、…え、マジ…?」

「冗談でこんな事が言えると思ってるのか」

う、と小さく唸って目を逸らしたユーリの口元が何やらもごもごと動いている。必死で言葉を探している様子だが、表情が心なしか引き攣っていた。無理もない。

「あー…まあ、そりゃ確かに障害ってか何つーか…悩むわな…」

「…否定はしないんだね」

「否定?何を…ああ、相手が女じゃないってことか?…そういう事もあるんだろ、オレにゃよくわからねえが…ていうか、オレも知ってる奴なんだよな…」

「詮索する必要はないから」

「いや、別に知りたくねえし。本人に会った時に複雑だからな」

「君もよく知ってる人なんだ」

「…いや、だから」

「知りたくないのか?」

「詮索すんなって言ったの、おまえだろ?…何が言いたいんだ、フレン」

ユーリの瞳が眇められた。
筋の通らない事を言っているのは理解している。
だが、苛立ちを抑えられなかった。
ほんの数時間前まで、ユーリ本人に自分の気持ちを知ってもらおう等とは思っていなかった筈なのに、どうしてこんなことに。

言えばどうなるか、散々考えたじゃないか――

そう、まず受け入れられないだろう。
先程のユーリの言葉は、あくまでも自分が対象だとは考えていない『第三者』としての考えだ。同性に恋愛感情を抱くこと、それそのものを否定はしない。だが、果たして『理解』しているのかどうかと考えれば疑問を感じる。
動揺し、フレンへの返答に詰まったのがいい証拠だ。

では、受け入れられなかった場合に自分は本当に諦められるのか。

これもまた、つい先程まではそのつもりだったのだ。だが本当かどうかは別にして、とりあえずユーリには想う相手はいないらしい。
勿論ユーリが対象とするのは女性なのだろうが、フレンが『自分が好きな相手は男性だ』と告げてもユーリはそれを頭ごなしに否定はしなかった。当惑してはいるようだが、嫌悪するまでではないように思えた。

なら、可能性はあるのではないか。
フレンの想う『対象』を知っても、理解だけはしてくれるかもしれない。そう思ってしまった。
何も、今すぐ受け入れられなくてもいい。ほんの僅かな可能性だとしても、それを見付けてしまった以上今すぐに諦めたくはない、という気持ちが産まれてしまっていた。
頭の片隅で、心の奥底で今だに『やめておけ』と訴える声を押さえ込んで唇を噛み締め、フレンはユーリを真正面から見返した。

「…なんだよ、フレン」

「僕の、好きな人は」

「おい…」


目の前で困っている誰かを放っておけない、とても優しい人で

「……フレン」

そのせいで誤解されることも多いのに、本人はそんなことはおくびにも出さなくて

「……」


フレンの言葉を、ユーリは黙って聞いている。一つ一つ、確かめるように綴られるのは紛れも無く真実の想いだ。

まだ足りない。
まだ、気付いてくれない。

どれだけ自分がユーリを見続けて来たのか、どんな思いで今ここにいるのか。
いつになったら、わかってくれるのか。
それがいかに自分勝手な考えであるのかと言う事など、とうに頭の中にはない。
熱が上がっていく。もう、止まらなかった。


「ずっと一緒だと思ってた。一緒にいたかったんだ。でも、それを望んでないんだ。だから、別の場所から力になれたらいいと思ってた。離れていても、それで構わないと…大丈夫だと思ってたのに……!!」

「お…おい、ちょっと落ち着けよ」

主語のない、一方的なフレンの語りを制止しようとユーリが手を伸ばした。辛そうに顔を伏せてしまったフレンの肩にその手が触れ、顔を上げたフレンと目が合った瞬間、自分を見るフレンの瞳の中に感じた何か―――違和感とでも言えばいいのか。
とにかく、反射的にユーリはフレンの肩に置いた手を引いた。

正確には、引こうとした。

「…………!?」

ところが戻しかけた手首をしっかりと掴まれ、ややつんのめりながらもユーリは何とかテーブルにもう片方の手をつき、倒れ込むのだけは耐えた。
自分の左手首を握るフレンの右手を見遣り、何事かとフレンに視線を戻せば相変わらずの瞳にユーリは思わず息を呑んだ。
澄んだ青空のようだと思っていた輝きは薄らと曇り、今にも泣き出しそうにも見えて、言葉が出なかった。

「…ユーリ」

「な…何だよ」

「僕の好きな人は」

「い…いや、言わなくていいって…!」

慌てて腕を振り解こうとするユーリを、フレンは力任せに引き寄せた。ユーリが小さく声を上げたような気もしたが、テーブルの上でぶつかり合った食器がやかましい音を立てたせいでそれは掻き消された。

目の前には、驚きに目を見張るユーリの顔がある。
あとほんの少しだけ身を乗り出せば鼻先が触れ、そして次に触れるものは何かを考えた瞬間、心臓が大きく跳ね上がるのを感じた。


「…僕の好きな人はね、ユーリ」

「う…近ぇな、離れろよ!」

「嫌だよ」

「なんで…!!」

「好きな人には、近くで触れていたいから」


ユーリが顔色を変えた。
この状況で、フレンの台詞を理解出来ない訳がない。

「僕の好きな人は、今、僕の目の前にいる」

「……………!!」


振り上げられようとしたユーリの右手も捕らえた。
恐らくは、フレンを突き飛ばして逃れる為だったのだろう。その手首も勢い良く引くと、思った通り鼻先が触れるか触れないかというところまで距離が縮んだ。

咄嗟に顔を引いたユーリを追うように、フレンは最後の一歩を踏み出し、言った。


「…好きだ」


そのまま唇を重ね、ユーリが発しようとした声ごと奪うかのように強く、深く口づけていた。



ーーーーー
続く
▼追記

想いの行き先・7

再び訪れた沈黙に、しかし今度はユーリのほうが居た堪れない気持ちになっていた。

あまりにも予想外の答えに上手い切り返しが出来なかったのだ。
言葉を返すタイミングを逸してしまい、どうしたものか、と考えてフレンを見る。フレンの表情は真剣そのもので、真っすぐに自分を見つめ返す瞳を正視することが何故か辛かった。

何故か。

それは、ここが酒の席でもなく、かと言ってどちらかの部屋で寛いでいるという訳でもない、という状況のせいに他ならない。好いた相手がどうだなどという話が出るとは、想像だにしなかった。
気の置けない友人達と酒を酌み交わしながら話が艶っぽい方向に行くとか、何も考えずただ思い出話に花が咲いたとか、そういう流れで派生するのならまだ理解できた。揶揄うことも、興味がなければ聞き流すことも可能だ。だが、今はそのどちらもとても出来そうにない。

それでも、どうにも話の内容が場にそぐわないという感じしかしないからユーリは困惑しているのだった。

もしかして、騎士団の内部で問題でもあるのか。それとも、実は討伐に赴くにあたって何か気掛かりでもあるのか―――
聞いたところで、自分が解決出来ることではないかもしれない。むしろ、手助け出来ない可能性のほうが高いだろう。だが、話せば心が軽くなることだってある。自分にはわからずとも、フレンなりに解決の糸口を見つけ出すきっかけになればそれでいいと思った。

『立場』が邪魔をして、腹を割って話せる相手がいない――とまでは言わないが、愚痴というものは丸っきり違う場所にいる相手にだからこそ言えるものではないか。同じ枠組みの中にいる人間同士で愚痴を言い合ったところで、傷の舐め合いにしかならないと考えていた。
誰かに愚痴をこぼしたくともそれは出来ず、一人で溜め込むぐらいなら吐き出して気楽になって欲しい。そのほうが良い結果になると思ったからこそ、強引とも取れる勢いでフレンに迫った……のだったが。


(……失敗したかな、こりゃ……)


もう一度、上目遣いに見遣ったフレンはやはり真剣な眼差しのままだった。




「…どうしたんだい、ユーリ。話せと言ったのは君だろう。聞いてくれるんじゃなかったのか?」

「え、あ、ああ」

顔を上げたユーリが、曖昧に返事をした。
思ったよりも冷静に言うことができたのは、ユーリが自分の言葉を茶化さなかったからだろうか、とフレンは思っていた。

『はあ?』とか『何を言い出すかと思えば…』などと呆れ顔で言いながら肩を竦めるユーリを想像していたが、どうやらユーリは自分の『告白』を一応は真面目に聞いてくれるつもりらしい。軽口を叩いて来ないのは、困惑もあるのだろうが自分の真剣さが伝わったからだろう。

とは言え、ここからどうやって話を進めればいいのかわからないという意味では、フレンのほうもユーリと大して変わらない。話すとは言ったが、『どこまで』話したものかとまだ迷っていた。目の前のユーリが、落ち着かない様子でこちらを見る度に心が揺れる。もし本当に最後まで気持ちを伝えてしまったら、ユーリがどんな目で自分を見るのか。考えたら少し、怖くなった。


「好きな人、か。んで、なんだってそんなに悩んでんだ。何か問題でもあんのかよ」

不意に問われて、思わずフレンは眉を寄せた。問題ならある。大ありだ。明らかにフレンの表情が変わったのを見たユーリが、ばつが悪そうに頬を掻いた。


「ああ…その、悪かった。問題ありだから悩んでんだよな…あー…なんだ、何が問題なんだよ?」

「…何でそんな、歯切れが悪いんだ」

「いや、まさかおまえの口からそういう話が出るとは思わねえし、意外っつうか何つうか」

「意外?僕が誰かを好きになるのがそんなに意外だって言うのか」

「そうは言ってねえだろ。…何イラついてんだよ」

「……………」


自分を怪訝そうに見ているユーリから視線を外し、フレンは軽く唇を噛んだ。
ユーリは、想われているのがまさか自分だとは露ほども思っていない。当然の事だし、フレン自身ユーリに知られたいと思っていた訳ではなかった。だが、いざ話す気になってしまうと今度は『気付いてほしい』という思いが生まれてしまって、どうしようもない。


(…なんて我儘なんだ、僕は…)


膝の上で握り締めた掌がじっとりと汗ばんで不快だった。部屋を満たす重苦しい空気も、未だに核心を切り出す事の出来ない自分も、それを強要したユーリのことさえ、何もかもが。


「ユーリ…」

思わず呟いた名前に、ユーリ本人は返事をせずにフレンを見て、深々と息を吐いた。


「…で、好きな女がいるのはわかった。それの何がそんなに問題なんだ?今のおまえを蹴るような女もいないだろ」

「そんな事はないよ。それに…多分、迷惑だと…思う」

「立場の違いとかか?…相手、貴族かよ…まあ、それでもおまえが惚れるぐらいなら」

「違うよ。立場は…どうだろうな、わからない…」

「ん…?貴族じゃないのか?だったら尚更、気にする事なんかねえだろ。立場って、おまえより上っつったら」

言葉を切ったユーリが神妙な面持ちで身を乗り出し、何事かと首を傾げたフレンにやや硬い口調である人物の名前を告げた。
一瞬、意味が理解出来ずに硬直したフレンだったが、見る間にその顔を赤くすると勢いよく立ち上がり…


「違う!!!」

「うぉ」

全力で以ってユーリの言葉を否定した。
とんでもない。よりによって。どうして。
言いたい事は色々とあったがすぐに出て来ない。フレンが両手を叩きつけたテーブルの上で賑やかな音を立てた食器を慌てて押さえながら自分を見上げるユーリの表情が、何とも言えず気まずかった。


「な…なんで、そこで彼女の名前が出て来るんだ!!」

「いや、立場云々でぱっと出たのがエステルだってだけで」

「それにしたって彼女じゃないだろう!!」

「他に思い付かなかったんだから仕方ねぇだろ!何ムキになってんだよ!わかったから座れ!」

「全く……」

「こっちのセリフだろ…」


やや乱暴に座り直したフレンがグラスの水を呷り、ユーリはもう何度目か知れない溜め息を零す。
遅々として進まない『本題』に焦れているのは、二人とも同じだった。


「ったく…エステルじゃないなら誰なんだよ?ていうか、もしかしてそもそもオレの知ってる奴なんじゃないのか」

「エステリーゼ様は……!」

「…エステルがどうした」

「何でも、ない」

「………」


自分ではなくて、むしろ。

言いかけてフレンはその言葉を飲み込み、『先』を考えないようにした。考えてしまえば、何も言えなくなってしまう。

「…それより」

「あ?」

「どうして、君が知ってる相手だと思うんだ」

「オレの知らないやつなら、そんなに言いにくそうにしないんじゃないかって思ったんだが…違うか?」

「……なるほどね。確かに、君が『よく知っている』人ではあるかな…」

「はあ…やっぱそうなのか。だったら話は別だ。言いたくなきゃ無理に相手のことまで聞かねえよ」

「…え?」

ユーリの言葉にフレンは少しばかり間の抜けた返事をしてしまった。
あれだけ話せと言っておいて、なぜ今更そんなことを。
フレンの表情から、言いたい事を察したのだろう。ユーリが腕を組み直し、やや疲れたように答えた。


「誰か、ってことまで言わなくていいって意味だ。聞いたところで多分、どうしようもねえし」

「さんざん話せって言っておいて、その言い草はどうなんだ」

「だから!何で悩んでんのかだけ言えっての!話が進まねえだろ!!」

「……言ったらどうにかしてくれるのか」

ユーリの瞳が微かに揺れる。
それはフレン自身も驚くほど、低い声だった。


話が進まずに苛立っているのは、やはりフレンのほうなのかも知れない。
そもそも話すつもりではなかった。
それでも決意した以上、どうやって想いを伝えればいいかと真剣に考えていたのに、どうも話が横道に逸れてばかりで調子が狂いっぱなしだ。
ユーリが色恋沙汰の話を敢えて避けているようにすら感じられる。実際、好んでするような話でもないのだろう。

ふと、ユーリには誰か、想う相手はいないのかと思った。

よくよく考えてみれば、今までユーリとそういった話をしたことはなかったように思う。特にフレンがユーリへの、単なる友情を越えた『想い』を自覚してからはとにかくそれを隠す事に必死で、普通ならまず気になるであろう相手――ユーリの気持ちを確かめようなどとは思いもしなかった。

だが一度気になってしまうと、もう駄目だった。
ユーリへの想いを自覚した時と同様、今度はユーリが自分をどう思うか、その事が一気にフレンの思考を侵食してゆく。いや、自分をどう思うかはとりあえず置いておくとして、まずはユーリにこそ『想い人』がいるのかどうか、それが知りたい。
自分の気持ちを伝えるのはそれからでいい。
もし、ユーリに誰か好きな人がいるなら、その時は…


(その時は、この想いはずっと、秘めたままで)


余計な事を言って関係が気まずくなるより、そのほうが耐えられる気がした。




ーーーーー
続く
▼追記

想いの行き先・6





沈黙が痛い、というのはこういう状況なんだろうか。


ユーリと二人で部屋にいる、ただそれだけの事が落ち着かず、話題を探しては口に出すのをやめる。フレンは先程からそんなことを繰り返していた。



帰ろうとしたユーリを思わず引き留めてしまったが、実際のところ討伐の話に関しては現段階で話せることは話してしまっている。ダングレストへ赴いて細かな調整を詰める必要はあるが、その許可が下りるのは早くて明日だ。日程等についてもそれからの話になる。

依頼の話にしても、ユーリのギルドの首領はカロルだ。彼には改めて話をしなければ、とは思うが、これもまた詳しいことはダングレストへ行った時に、という事になるだろう。

つまり、はっきりと言える事が見つからないのだ。
あまり憶測で話をしては、余計な先入観のせいで現場での動きに迷いが生じる。それが騎士団を率いる立場としての、フレンの考えだった。

加えて、ジュディスの言葉に少なからず動揺していた。深い意味はなかったのかもしれないが、どうしても勘繰ってしまう。
ユーリに対する気持ちがもしジュディスにばれていたところで、彼女がそれをユーリに言いはしないだろう。からかわれることはあるかもしれないが、取り繕う自信はある。

問題は、何故それがジュディスに伝わってしまったのか、という事だった。
ジュディスはユーリとはまた別の意味で他人の心の機微に聡い。ユーリ達に比べれば彼女と共に過ごした時間は短いフレンだったが、それを思わせる事は旅の最中にも度々見受けられた。
主には気遣いといった意味での事が多かったが、知られたくない本心までをも見透かされているかのように思える事もなかったわけではない。

そこで、今回の発言だ。

何の気無しに言った、とはどうしても思えない。
だがフレンはユーリ達と違い、そう頻繁にジュディスとは会っていない。殆どが城での公務で、たまに他の街へ行ったとしてもそこに凛々の明星がいた、などという幸運には残念ながら巡り会えた事はなかった。

今回、ユーリも含めメンバーと会うのは本当に久しぶりだったのだ。
だというのに、ほんの数時間で自分の心を見抜かれてしまったのか。
そんなにわかりやすい何かが出ていたとでも言うのか?

考え出したら止まらなくなっていた。


だから、目の前のユーリがいい加減本気で切れそうになっている事にすら気付かなかった。


「……そろそろ、我慢の限界なんだが……」


低い声に、冷たい空気を感じて漸くフレンは顔を上げた。見ると、ユーリはソファーに踏ん反り返って腕組みをし、フレンに鋭い視線を向けている。
己が考え込んでいる間、ずっとユーリを無視したままだった事に今更ながら気付く。

もっと言えば、その前から会話は途切れていたのだ。


食事を始めた直後はまだ何か適当に話をしていた。

『おまえ、いいもん食ってるなあ』だの『普段の部屋、ただの寝室にしちゃ広いと思ってたけどこっちも相当だな』といった他愛のない話をユーリが振り、それにフレンが『そんな事ない』などと答えるだけだったが、それがフレンに本題を促す為のユーリの気遣いだという事は充分に分かっていた。

だからこそ『本題』を話す訳にはいかず、かといって他にユーリを納得させる話題も見つけられず、フレンが一人で延々と悩み続けている間、完全にユーリの事は放ったらかしで、ユーリが怒るのも当然の事だった。


「おまえ、オレに何か話があったんじゃないのか?」

「え…と、まあ…」

「さっさと話せ、って何べん言わす気だよ!?…いや、それよりオレの言葉、ちゃんと聞こえてたか?」

「す…すまない、考え事を、していて…」

「そんなのは見りゃ分かる。でも、そんな悩むような話なのか?大体、その為にオレの事引き留めたんじゃねえのかよ」

「…そう、なんだけど」


歯切れの悪いフレンの返答に、ユーリが益々苛立ちを募らせる。
食事は半分程残っている。どうやら、途中から手をつけていないようだ。その事にすら気付いていなかった。

「はぁ………ったく」

渋い表情のまま、ユーリがフレンを見据えて言った。

「今回の魔物に関係してる事なんだと思ってたんだが…違うのか?」

フレンの肩が僅かに動いたのを、ユーリが見逃す筈もない。
やっぱりな、と小さく呟く声が聴こえて、フレンはユーリから思わず目を逸らしていた。



『本当に話したい事』の内容など、伝えられる筈がない。

だが、時々無性にそれが辛くて、いっそ言ってしまおうかという衝動に襲われる。言った後でどうなるか、ということは勿論日頃考えてはいるが、そこで抑制している反動なのかユーリ本人を前にすると理性とは裏腹に体が動いてしまう。
今日もまさにそれだった。

「…まただんまりかよ」


再び黙り込んだフレンに、半ば呆れたような口調でユーリが言った。


「オレにしか聞かせられないような話だったんじゃないのか?あんまりにも言いにくそうにしてっから様子見ようかと思ってりゃ、マジでいつまで経っても話し始める気配もねぇし」

「…話そうかと思ったけど、いざとなったら色々と考えてしまったんだ」

「どうして」

「………今言うのはやめたほうがいいかな、と思ったから」


嘘ではなかった。
明日、ヨーデルからの許可が下りればすぐにでも準備を整え、ユーリやジュディスと共にダングレストへと向かうつもりだ。エステリーゼも同行するだろう。

今ユーリに想いを告白したところで、どう考えても良い状況にはならない気がしていた。
受け入れてもらえても、断られても、ユーリの前で平静でいられるかわからない。それをまたジュディスに悟られるのも嫌だし、エステリーゼから質問攻めに遭うのも遠慮したいところだ。
特に後者の場合、本人は心から心配しての態度な上、フレンとしては立場上強く出られないのが厄介だった。

このような事で仲間同士の空気を悪くする訳にはいかないし、後にはもっと重要な話し合いの予定が控えている。仕事に個人の感情を持ち込むつもりはないが、こと今回に関しては自制できる自信が全くもってない、というのが本当のところだった。


ユーリは相変わらず怪訝そうな顔でフレンを見ている。
ややあって、ユーリが口を開いた。


「…今、ってのはどういう意味だ」

「今は今、だよ。もう少し落ち着いたら言える…かもしれない」

「よく分からねえけど、急を要するような事じゃないんだな?」

「…そうだね」

「何なんだよ、一体……!」

身を乗り出すようにしてフレンに質問を重ねていたユーリだったが、どうやらこれ以上は無駄だ、と判断したようだった。
ソファーに勢いよく座り直すとぐったりと手足を投げ出し、わざとらしく溜め息を吐くと恨めしげな視線をフレンに投げかけている。
以前ならだらしない、と叱ったその姿さえ魅力的に見え、相当重症だ、とフレンは思っていた。


ユーリもギルドの仕事から戻ったばかりで疲れている筈なのに、こちらの話に付き合ってもらっている。討伐の話もそうだが、今もそうだ。文句を言える立場ではない、という事もあったが、ユーリが自分の前でだけ見せる姿、というものにこれ程の愛しさを感じるようになるとは思いもしなかった。


フレンもユーリも、互いの前では良くも悪くも気が緩む。仲間の前以上にリラックスした姿を見せる事のあるユーリをフレンはよく嗜めていたが、フレンもユーリと一緒だと普段からは想像し難い幼さを見せた。


フレンにとって、ユーリのそのような姿を見るのはある意味当たり前の事でこれまで意識した事はなかった筈だったのに、一度自覚してしまうと丸っきり見方が変わってしまっていた。

相変わらず大きく広げた胸元は、ユーリがソファーに深く腰掛けて身体を前方にくの字に曲げるようにしているせいで布地が弛み、素肌がいつもより奥まで見えてしまっている。

ちらちらと視界の端に映る薄紅の小さな突起に慌てて顔を逸らすと、俯いていたユーリがゆっくり身体を起こすのが分かった。


「…何やってんだ、おまえ」

「何も…してない」

「いや、そうじゃなくて。何でそんな、明後日のほう向いてんだよ」

身体はユーリに向けたまま、首だけを真横に向けている姿は何とも不自然極まりない。誰でも不審に思うだろう。

理由など言える筈もないので、フレンは黙るしかない。

「……………」

「おい…大丈夫か?顔も赤いし、どっか具合でも…」

「っ…な、なんでもない!!こっちに来ないでくれ!!」


立ち上がってフレンに近付こうとしたユーリが動きを止めた。
フレンの制止の声が思った以上に強かったのか、片足を踏み出したまま固まっている。

「フレン…?」

「あ、ご、ごめん!こんな事言うつもりじゃ」

「…………」

無言のままユーリはゆっくりとフレンに近付くと、困ったような、怒ったような表情でじっとフレンを見下ろした。


「ゆ、ユーリ?」

「やっぱり話せ」

「…何を」

「何、じゃねえだろ!おまえ、挙動不審過ぎるんだよ。夕方、話が終わった時もなんかおかしいとは思ったが…、どうしたってんだ一体!」

「だから、どうもしな」

「いい加減にしろ!!」


ユーリの左手がフレンの胸倉へ伸び、そのまま無理矢理立ち上がらせるとこれでもかという至近距離に顔が近付けられて、思わずフレンは息を呑んだ。

力一杯締め上げられた首元が苦しい。だがそれ以上に、怒りに満ちたユーリの眼差しが苦しかった。


「何するんだ……!離してくれ!!」

「うるせえ!言いたい事があんならさっさと言えってんだよ!!」

「だから、今は……!」

「何悩んでんだか知らねえが、そうやって一人でうじうじされたら気になるだろうが!」

「話せるようになったら話す、って言っただろう!!」

「そもそもオレに話すつもりでここに呼んだんだろうが!今更何言ってんだ」


ユーリの手から、僅かに力が抜ける。声も若干落ち着いたものへと変わっていた。

「…もっと頼れ、って言ったよな」

「ユーリ、これは」

「オレだってな、一応おまえの事が心配なんだよ」

「……ユーリ……」

「ヨーデルもソディアもいるかも知れねぇが、あいつらに言えない事だってあんだろ」

「…………」

「それがオレ…達にまで話せなくなったら、おまえはどうするんだ?今もそうみてえだけど、そうやって一人で煮詰まって、良いことなんか一つもないだろうが!!」

「そう…だけど…」


真っすぐに見つめるユーリの瞳を受け止めるのが辛い。
ユーリにしか話せない、だがユーリにだけは話せない事でもあるのだ。


しかし、ここまで来てしまってはもう黙ったままでいるのは不可能だった。例えこの場で頑なに拒んでも、余計ユーリに気を回させるだけだろう。ぶっきらぼうでぞんざいな態度から誤解される事も多いが、ユーリは人一倍『仲間』の様子を気に掛ける性質だ。

『仲間』よりも近い存在であるフレンに対してなら、尚更だ。
自惚れでも何でもない。それが真実であるという事は、誰よりフレン自身が理解していた。


今からユーリに伝えようとしていることは、もしかしたら長い年月をかけて培ってきた信頼関係を粉々に打ち砕くものかもしれない。

だが、話さないままで気まずくなるぐらいなら、話してしまったほうがいいのかもしれない。



相反する気持ちを抱えて自問自答を繰り返し、とうとうフレンは覚悟を決めた。



「わかった、話すよ」



だから君も座って、と言うと、ユーリはやや乱暴にフレンの胸倉から手を離し、再び向かいのソファーに腰を下ろした。

腕と脚を組み、『さあ話せ』と言わんばかりのユーリの表情に苦笑しながら、フレンはゆっくり、しかしはっきりと、『本題』へと向かう為の言葉を口にした。



「好きなひとが、いるんだ」


ユーリの双眸が見開かれ、息を呑む様子を見つめながら、もう戻る事は出来ないのだ、とフレンは心の中で呟いていた。




ーーーーー
続く
▼追記

想いの行き先・5

ジュディスが戻ったのはそれから二日後の昼過ぎだった。

普段の彼女からは感じることがあまりない、どこか張り詰めた様子に、ユーリは少し不安を感じていた。


「ジュディ、どうだったんだ?」

「ここでは、ちょっと…。長くなりそうだし、あなたのお友達にも一緒に聞いてもらいたいわ」

「…わかった」

報告を受けるために落ち合った市民街を後にし、二人は城へと向かった。





「いやー、正面から城に入るのは緊張すんなー」

案内された応接室の豪奢なソファにふん反り返りながらユーリが言う。
とても緊張しているようには見えない。

「あなた、いつもはどうしているの?」

「ん?まあ適当に抜け道通って、窓から直接フレンとこに」

「あきれたものね。あなたらしいけれど」


魔物の調査の件で、と告げると、二人はすぐに城内へと通された。どうやらフレンから話をされているらしい。
それでもさすがにいきなり私室には入れてもらえず、こうしてフレンがやって来るのを待っていたのだった。


「それで、お友達はいつ来てくれるのかしら?」

「一応、今日あたりに報告する、とは言っといたけど、またいきなり来ちまったからなあ…」

ちらりと窓の外を見れば既に太陽は傾き、良く手入れされた庭に植えられた木々が長い影を落としている。

「まあ、いつもなら仕事も終わる頃だ。そろそろ来るだろ」

「いつも、ね。あなたたち、本当に仲が良いわね」

「?そりゃ、長い付き合いだしな」

意味ありげに微笑むジュディスにユーリが何事か言おうとしたその時、漸く扉が開くと、二人の人物が表れた。

「ようフレン、遅かったな……っ、と…」

「…あら」

「待たせてすまない。でも、連絡もなしにいきなりやって来る君が悪いんだろう?」

穏やかな笑みを浮かべながら近づいて来るフレンの後ろから、もう一人。

「…お久しぶり、です。…ユーリ、ローウェル…殿」

「…ああ。あんたも元気そうで何よりだ。」



フレンが騎士団長になる以前から彼の副官として務めていたソディアは、今でも部下として信頼されている。
そのこと自体はユーリにとっても喜ばしいことだったが、個人的にはあまり得意ではない。
というより、ぶっちゃけ苦手と言っていい。
ユーリがフレンを訪ねる際に正式な手順を踏まないのは、ひとえに彼女と出会うのを避けるために他ならなかった。

「そちらの部下の方もいるとは聞いていないわ」

「おい、ジュディ…」

フレンの顔から笑みが消える。

「彼女は僕の、信頼に足る部下だ。それとも、彼女がいたら困る話でもあるのかな」

「いいえ。ただ私は、あなたほど彼女を信じていないもの」

ジュディスはどこか冷たい瞳でソディアを見ている。
と、ソディアがはっきりとした口調でフレンに告げた。

「団長、彼女の言うことはもっともです。私が同席することで、団長が彼らの信頼を損なうというのであれば、私はこの場を下がらせて頂きたく思います」

これにはユーリも目を丸くした。フレンも驚いているようだ。
以前の彼女であればジュディスに食ってかかり、険悪な雰囲気になっていただろう。

「別に構わねえだろ、ジュディ。オレ達、やましい話しに来たわけじゃねぇんだし」

「…そうね。優先順位がわかるようになっているみたいだし、あなたがいいなら私も構わないわ」

「オレは何も…」

フレンは二人のやり取りを黙って見ていたが、やがて一つ息を吐き、自分はユーリの向かいに座ると、ソディアにも隣に座るよう促した。

「いえ、私は」

「長くなりそうだからね。ではジュディス、話を聞かせてもらえるかな」

ジュディスは黙って頷き、ソディアが座ったのを見届けると、南の森の様子を話し始めた。





魔物は確かに増えていた。
いくつかの群れが確認できたが、それぞれに同じ種族同士で集まっているという訳ではなく、何故か統一性が見られない。

しかも不思議なことに、狂暴性もさほど感じられず、むしろ以前よりも大人しいように見えた。

エアルクレーネも安定しており、魔物が暴走するような理由もない。


「…よく、わかんねえな」

「ああ。数が増えてエサが足りなくなったからこちらを襲う、というのではないのか?」

「私にはそうは見えなかったわ。森の中で充分に生きていけているようだった。ただ…」

ジュディスの眉がひそめられる。

「本来なら補食するものとされるものの関係であるはずの魔物が同じ群れで生活していて、その群れのうちの一つが、急に姿を消したの」

「姿を消した?どういうことだよ」

「そのままよ。森に着いた日に確認したとある群れが、次の日にはいなかった。周囲を確認したけれど、森の外でも見つけられなかったわ」

ジュディスの話を受けて、フレンが神妙な顔で言う。

「この二日間、魔物による新たな被害の報告は受けていない。だとすればまだ、森の中にいるんじゃないか?」

「ごめんなさい、私も一人きりだし、あまり奥へは行っていないの。ユーリにも無茶するな、って釘を刺されてしまったし」

「…君が言うんだね、それを」

「あのな…。まあとりあえず、魔物が増えてるってのは確実なわけだ。だが…」

ユーリの視線を受けてフレンが頷く。

「ああ。その魔物が確実に被害を与えているものかわからない以上、やたらと討伐に動く訳にもいかない。森で大人しくしているなら、わざわざこちらから手を出すこともないんだけど」

「だよなあ。ってことは、街を襲ったりしてんのは別の魔物、ってことになるのか?」

「…僕としては、消えた群れ、というのが気になる」

その場にいる全員が頷いた。

「そうね。私が見つけられなかっただけで、何処かに潜んでいるのかもしれないわ」

「もしかしたら、そいつらは街を襲いに来る準備中かもしれない、ってことだな」

「ああ。…ソディア」

フレンに呼ばれ、それまで黙って話を聞いていたソディアが静かに立ち上がった。

「はい、団長」

「例の件、陛下に許可を頂く必要がある。話を進めておいてくれ」

「わかりました。では、私は失礼させて頂きます」


一礼して退室するソディアを見送って、ユーリが口を開いた。

「例の件?」

「討伐隊の編成について、だ。今回は騎士団とギルドの混成部隊を考えている。そのためにダングレストに赴いて、ユニオンと調整をしたいんだ。僕が直接、あちらへ行って話をしたいから、その許可を取ってきてもらう」

「ふうん…。ま、いいけど。おまえがわざわざ行く必要あんのか?」

「もちろん、ユーリにも協力してもらうよ。本格的な共同戦線になるかもしれないし、きちんと打ち合わせしたいからね。君達がいるとなれば、ユニオンも安心して話ができるだろうし」

「そういうもんかね」

「…君はもう少し、自分が周りに与える影響力を自覚したほうがいいな」

「話がまとまったのなら、私は行くわ」

ジュディスが立ち上がる。

「ギルドの依頼として受けるのでしょう?私達の首領に話しておかないと」

「これは別に、オレ達のギルドだけの話じゃないだろ。帝国とユニオンの話だ。違うか?」

「いや、君達には僕から直接、依頼をしたい」

「はあ?」

「ギルド『凛々の明星』には、エステリーゼ様の護衛をお願いする」

フレンの言葉に、ユーリは若干渋い表情になった。
その討伐に、エステルも連れて行くつもりなのだと悟ったからだ。

「…そういうことかよ」

「そういうことね。では、私は先にハルルへエステルを迎えに行って来るわ。明日、また戻って来る、ということでいいかしら」

「ああ、頼むよ。もう外も暗い。ジュディスも気をつけてくれ」

「ありがとう。…あなたはごゆっくり、ね?」

「…………え」

フレンに向かってにっこりと笑って、ジュディスも部屋から出て行った。





広い応接室にはフレンとユーリの二人が取り残されていた。

フレンは先程から、何やら落ち着かない様子で黙りこんでしまっている。

「おい、フレン」

「あ、な、何だい?」

「いや、何って…。どうしたんだ、ボケっとして」


フレンは先程のジュディスの言葉の真意を計りかねていた。
彼女は間違いなく、自分に向かって「ごゆっくり」と言った。そして今、ここには自分とユーリしかいない。

(まさか、ね…)


冷や汗が流れる。
彼女はいろいろと鋭いから、もしかして。
いやでも、自分だってこの気持ちに気付いたのは最近だし、旅の最中にそんな素振りを見せた覚えもないし、いやでも知らず知らずのうちに…いや、まさか。


「どうしたんだよ、フレン!」

「うわぁ!」

いつの間にかユーリはフレンの真横に立ち、フレンを見下ろしていた。
心配している、というよりは不審者を見るような目つきだ。
ユーリの動きに全く気付かなかったフレンは、思わず大きな声を出してしまった。

「どうしたってんだ、マジで」

「あ、いや、何でもないよ」

「嘘くせえなあ…。まあ、いいけどさ。オレも帰るわ」

「え、もっとゆっくりしていけばいいのに」

「もう外、真っ暗じゃねえか。腹も減ったし」

「じゃあ、僕の部屋で食べて行かないか?」

「なんだよ、今日はやけにしつこいな。…まだ何か話でもあんの?」

少し考えて、フレンはユーリに頷いた。

「うん、まあそんなところかな。部屋まで誰かに案内させるから、先に行って待っててくれないか?」

「はあ…仕方ねえなあ」

ユーリは怠そうに言うと部屋の外に向かって歩き出した。

フレンは扉の外で待機していた騎士にユーリを案内するよう頼むと、再び部屋の中に戻り、頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。


「何やってるんだ、僕は…」

引き止めてどうしようというのか。
話すことなどあっただろうか。

「…とりあえず、食事をどうするかな…」

フレンは暫し、その場から動けなかった。





ーーーーー
続く
▼追記

想いの行き先・4

一日の執務を終えて自分の部屋に戻ってみれば、何やら人の気配がする。

警戒しつつ扉を開けて素早く室内の様子を伺うと、そこにはベッドに大の字になって寝転ぶ親友の姿があった。


「ユーリ?」

声を掛けるが反応がない。近付いて見下ろしてみると、ユーリは絶賛爆睡中であった。


「勝手に入り込んだ上に人のベッドで熟睡、か」

屈み込んで間近に顔を寄せてみるが、起きる気配がない。
周囲の気配に聡いユーリにしては妙だと思った。
もう一度名前を呼んでみると、煩さそうに顔をしかめて僅かに身じろぎこそしたものの、やはり目を覚ます様子はない。


疲れているのだろうか。

ギルドの仕事が相当忙しいのか、帝都に戻って来たのも半年ぶりだ。昨日は帰ってすぐ休むと言っていたが、下町の皆と久しぶりに盛り上がったのかもしれない。
それとも、魔物の被害の話で悩ませてしまったか。

フレンはそっとベッドに腰掛け、ユーリの顔をしげしげと眺めた。
薄く開いた唇の端に涎の跡を見つけて、思わず吹き出してしまう。

こんなユーリの寝顔を見るのは何年振りだろう。子供の頃以来か。
何だか可愛くて堪らなくなり、頬を指でつついてみる。

「んー―…」

まだ起きない。そのまま頬を撫で、髪を一房つまんで、鼻先を擽ってみたりする。
冷静に考えてみると、傍から見るとどうなんだ、という状況である。
寝起きの悪い恋人に悪戯をする馬鹿な男みたいだ、と思って、フレンは自分で自分の考えたことに赤面した。

――恋人。

フレンはそういう意味で、―いわゆる「恋愛対象」として自分がユーリを想っていることを、自覚したばかりだった。
気付いてしまえば想いは膨らむ一方であり、いつの間にかユーリのことばかりを考えている自分を嘲笑ってしまった。
ユーリに伝えれば、きっと深く悩ませてしまうだろう。彼はとても優しいから、なんとか自分を傷付けないような言い訳を考えるだろう。
もしくは逆に、思い切り突き放すフリをして諦めさせようとするかもしれない。
そこまで理解してなお、ユーリにも自分を愛してもらうにはどうしたらいいんだろう、などと考え、肉体的な繋がりまで欲している浅ましさに吐き気すら覚えた。

「ユーリ…起きなよ。でないと我慢、できなくなる…」

互いの鼻先が触れそうなほどに顔を寄せて呟くと、突然ユーリの腕が伸びて来てそのまま抱き締められ、フレンは驚きのあまり両の瞳を大きく見開いて硬直した。

「ゆっ、ユーリ!?起きてるのか!?」

慌てて声をかけるが、ユーリはフレンの髪に顔を埋めたまま小さく唸っただけだ。
その可愛らしい声に腰が砕けそうになりながらも、フレンは必死で耐えた。

まずい。まずいまずいまずい!!

「ユーリ、いい加減に起きろ、ユーリ!!」

「んん…あれ、ここ…?」


首に回されたユーリの腕が緩んだので身体を起こせば、真正面から目が合ってしまった。相変わらず、距離は近い。
必死で冷静を装って声を絞り出した。


「…やあ。目、覚めたかい?」

「え、フレ…、う、おわああぁぁぁっっ!!」


物凄い勢いで飛び起きたユーリに突き飛ばされそうになりながらもなんとかそれを避け、肩で息をするユーリの少し離れたところから声を掛ける。愛しい時間の終わりは寂しいが、仕方ない。


「あれだけ熱烈に迫っておいて、随分と色気のない悲鳴だな」

「な、何言ってんだ、おまえ!」

「そんなに寝心地が良かったんなら、毎日来てもらっても構わないけど」

「来ねえよ!!」


来てたんならさっさと起こせ、と文句を言うユーリに苦笑しつつ、フレンは気持ちを切り替えてユーリに本題を話すよう促す。

「まさか昼寝しに来た訳じゃないだろう?」

「…ああ」

ユーリは自らが得た情報をフレンに話し始めた。





「っつーわけだ。どうも南の森に、何かありそうだな」

「そうか…。ジュディスの情報待ちだな。彼女はいつ頃戻るんだ?」

「はっきり日にち決めた訳じゃねえけど、二日かそこらで戻ると思うぜ。報告待ってからのが良かったかとも思ったが、とりあえず、な」

「いや、助かったよ。実は今日、陛下には話をさせて頂いたんだ」

「さっすが。仕事が早いな」

「茶化すな。それで近々調査隊を編成して、周囲に派遣するつもりだったんだ。手間が省けたよ。ありがとう」

「別に構わねえよ。まあ、ジュディが何を見つけてくるかわかんねえけどな」

「そうだな…。場合によっては、調査隊ではなく討伐隊を編成する必要があるかもしれない」

「いきなりか?騎士団でもちゃんと調査したほうがいいんじゃねえの」

「自分達を頼れ、と言ったのはユーリだろ?信じてるよ」


そう言って微笑むフレンに、ユーリは少し驚いていた。
昨日はもっと追い詰められたような感じだったが、今日は随分と雰囲気が柔らかい。

「なんか良い事でもあったか?」

「…どうしてだい?」

「いや、昨日と随分違うと思ってさ。」

「良い事……か。まあ、なかったとは言わないよ」

「なんだよ、それ。…ま、いいけど。んじゃ、そろそろ帰るわ、オレ」

「あ、ちょっと」

ずっと腰掛けていたベッドから立ち上がったユーリに、フレンは何故そこで寝ていたのか尋ねてみた。どうせ大した理由ではないだろうが、何となく気になっていたのだ。
するとユーリは己の醜態を思い出したのか、ばつの悪そうな様子だ。

「…少し朝が早かっただけだよ。いろいろ聞いて回るつもりだったからな。寝っ転がって考え事してたら、あんまりにも気持ち良くてつい寝ちまった。さすが騎士団長のベッドは違うよなあ」

「誰かに見つかったらどうするつもりだったんだ…。それより、考え事?」

「魔物の事とか、下町の事とか、な。そういやハンクスじいさん、相変わらずオレのことはガキ扱いだぜ。たまんねーよな」

それでも嬉しそうなユーリの様子に、フレンも笑顔になる。
ともすれば抱き締めたくなる衝動を堪えながらも、フレンはユーリの顔に手を伸ばしていた。

口元に指を添えると、さすがにユーリが怪訝な表情になって身を引いた。

「なんだよ?」

「…ヨダレ。跡、ついてるよ」

「ば…!早く言え!!」

今まで放置か、馬鹿みたいだと喚くユーリが可笑しい。

「子供扱いが嫌なら、ちゃんと拭いたほうがいいと思うよ」

「うるせえ!…ったく。んじゃ、ジュディが戻ったらまた来るから、それまで大人しくしてろよ?」

「君もね」





一人きりの部屋で、フレンは先程ユーリに触れた指で自分の唇を軽くなぞってみた。

跡などとうになかった。ただ触れたかっただけだ。

日毎に増してゆく衝動にいつまで耐えられるか。

空色の瞳に仄暗い陰が宿っていた。




ーーーーー
続きます
▼追記
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