スキ、キライ





色恋沙汰に、興味はない。

そんな暇、ない。









「…ユーリ、後で少しいいか?」

んあ?と気の抜けた返事をしながらユーリが顔を上げた。

傍らの潅木に腰を下ろし、愛刀の手入れをしていたユーリの前に立ってその姿を見下ろすフレンの表情は、ユーリからは陰になってよく見えない。
だがきつく握り締められた両の拳と、何よりもその声音からただならぬ真剣さを感じ取ったユーリが表情を引き締める。

「…何だよ。なんかあったのか」

「ここでは、ちょっと…」

フレンがちらりと動かした視線の先には、思い思いの姿勢で仲間達が寛いでいる。フレンも先程までは、彼等と談笑していた。楽しげに話しているように思っていたのだが、よくよく見れば仲間達の視線はどこか鋭く、フレンの背中を突き刺している。

「あいつらに関係する事か?」

「いや……だからここでは…その」

ユーリは立ち上がると、俯いて口ごもるフレンの肩を軽く叩いてすれ違い様に言った。

「分かった。んじゃ、後でな。…待ってる」

手をひらひらと振りながら、散歩してくる、と行ってしまったユーリの背中を見つめながら、フレンは深い溜め息を吐いた。








「よ、遅かったな」

焚火を前に、片膝を立てて座るユーリを見つけてフレンが傍へ近付くと、フレンより先にユーリが声を掛けた。

「…捜したよ。何もこんな奥まで来る事、ないだろう」

「安全のためにちゃんと火は焚いてるぜ。あいつらに聞かれちゃマズい話なんだろ?」

「う…ん、まあ…」

「……?…何だよ、はっきりしねえな」

とりあえず座れ、と促され、フレンが焚火を挟んでユーリの正面に腰を下ろす。そのまま暫く待つが、フレンは俯いたままなかなか口を開かない。
いい加減痺れを切らしたユーリが声を掛けようとしたところでやっとフレンが顔を上げ、ユーリの瞳を見据えて僅かに身を乗り出した。
声を搾り出すようにして問い掛けられたその『質問』に、ユーリは何故か異様に身体が重くなるのを感じた。




「ユーリには、好きな人はいないのか?」




真剣な面持ちで問うフレンに思い切り剣呑な眼差しを向けたまま、ユーリはひたすら口を閉ざしていた。


「…………………」

「ゆ、ユーリ?」

「…帰っていいか、オレ」

「そ、それは困る!」

やたらと焦るフレンに不審なものを感じ、ユーリは一応の確認をしてみる事にした。

「…誰かに言われたのか、オレにそういうの聞いて来いって」

「え!?い、いやそういうわけじゃ」

「例えばエステルあたりに」

「エ、エステリーゼ様っ!?な、なんで彼女の名前が…あ、いや、違うよ!!」

無茶振りされてもフレンが逆らえない相手なんて一人しかいない。既に確信を持ったユーリだったが、何故こんな話になっているのか分からない。もう少し、フレンを問い詰めてやろうと思った。

「何でそんな話になってんだ」

「だから違うんだ!エステリーゼ様は関係ない!!ええと…その、ぼ、僕が個人的に知りたいだけだ!!」

「…余計面倒臭いんだが、それ…」

声を裏返しながらも必死なフレンの姿が哀れになる。と同時に、こんな心底どうでもいい質問のために時間を取らされた事と、誰に言われたのか等の事情はともかく、それを断りもせずに引き受けたという事に腹が立った。

「え…と、いるいないを言うのが嫌だったら、好みのタイプだけでもいいって言……じゃ、なくて!そ、それだけでも教えて、貰え…たら」

まだ言うか。

だらだらと額から汗を流すフレンを一瞥し、ユーリは周囲の気配へと神経を集中させる。
案の定、少し離れた場所から複数の人の気配がした。

…何の罰ゲームなんだか。

そう思って再びフレンを見ると、可哀相なぐらい小さくなって固まっている。
普段の様子で自然に聞けばまだいいものを、ここまで緊張しているのはエステルの名を出されてしまったからか、それとも『監視』があるのを知っているからか。

それならば、どうせ聞かれているなら盛大にからかってやろう。
ユーリがにやりと口元を歪ませたのを、俯くフレンは気付く事がなかった。




「好きなやつ、ねえ……」

「…ユーリ?」

フレンが顔を上げる。

「いるような、いないような…そんな感じ?」

「え…そうなのか?」

「何だよ、聞いたのおまえだろ」

「まあ、そうだけど…。え、本当に誰か好きな人、いるのか?」

フレンは意外そうな様子で目を見開いている。答が返ってきたのが意外なのか、好きな人がいるのが意外なのかは分からないが。

「さあ、な…。おまえはどう思う?」

わざと悪戯っぽく聞き返してみると、フレンは困ったように眉を寄せてしまった。

「そんなの、僕に分かるわけないだろう」

「つれないねえ、長年の付き合いだってのに」

「ユーリ…?」

「仕方ねえなあ、じゃあまず好みのタイプから教えてやるよ。そうだな……髪は金髪がいい」

小首を傾げて、フレンが考える素振りをする。

「金髪?…パティとか?」

「…おまえはオレを性犯罪者にするつもりか。違うよ」

「はあ」

「あとは…うーん、そうだな、瞳は青。晴れた日の空みたいな、キレイな青がいいかな」

フレンの顔を見つめながら言うも、またしてもフレンは思案顔だ。

「…青い瞳…?それってやっぱりパティじゃ」

「違うっつってんだろこの馬鹿!!」

「ば、馬鹿!?何なんだいきなり!!」

「はあ…。ちょっとそっち、いいか」

フレンの返事を待たずにユーリは立ち上がると、さっさとその隣に座った。

わざと、肩が触れ合うぐらい近くに。

「何だかやけに近い気がするけど…寒いのか?」

「…そういう事でいいわ。あと、もう一つ条件がある」

「好みのタイプに?意外にそういう事にうるさいんだな、君は」

「……。もう一つは、オレよりも強いこと。これは絶対だな」

「はあ!?」

フレンは口を開いたまま、驚愕の眼差しでユーリの顔を見た。だが思った以上に近かったためか、慌てて視線を逸らす様子が面白くてユーリは喉の奥で小さく笑ってしまった。

「なんでそんな驚くんだよ?」

「それは…。君より強い女性なんて、そういるものじゃないだろう」

「…女とは限らねえぜ」

「……何だって?」

ユーリがわざとらしく身体を寄せ、フレンの肩に頬擦りしながら上目遣いでその顔を見上げると、びしり、と音がしそうな勢いで身体が硬直するのが分かった。

そりゃそうだ。オレだっていきなり野郎にこんなことされたら固まる。
いやその前に殴り飛ばすかな。

そんな事を考えるユーリをよそに、フレンは有り得ないぐらい狼狽し、視線をあちこちに彷徨わせている。

「ゆゆゆっ、ユーリ!?きき、君はその、ま、まさか男がす、好きなのかっっ!!?」

いちいちお約束な反応を示す様子がおかしくてたまらない。
笑い出したいのを必死で堪え、ユーリはトドメとばかりにフレンの首へと両腕を回した。
正直、親友とはいえ男相手にここまで出来る自分にも驚いたが、まあいい、とにかくこの慌てっぷりをもっと見たい、とユーリは思っていた。

そのまま伸び上がるようにして顔を近付けると、反射的にフレンが身体を引く。おかげで余計、フレンの胸に乗り上げるような姿勢になってしまった。
さすがにくっつきすぎかな、と思ったが、止めるつもりはなかった。

「…フレン?」

「な、何?ユーリ、悪いけど僕はその、そういうのは」

「オレだって…別に男が好きなわけじゃねえぜ?」

「…え?」

「まだ分かんねえ?好きなタイプも教えたろ?」

「……………」

「オレが好きなの……誰だと思う……?」

息がかかるほど近くに唇を寄せてユーリが耳元に囁くと、フレンが喉を鳴らすのが聞こえた。

「ユー、リ」

「フレ……え?」

フレンの予想外の行動に、今度はユーリが固まる番だった。
所在無さげにさ迷っていたフレンの腕が背中と腰に回されて、ユーリの身体はフレンにきつく抱き締められていた。




「…あの、ちょっと、フレンさん?」

「…ごめんね、ユーリ…」

「えっと…何が?」

「僕は…君の気持ちも知らずに…」

長い黒髪に顔を埋め、掠れた声で呟くフレンの様子に、ユーリは慌てた。一気に気分が冷め、嫌な汗がこめかみを伝う。

しまった、やりすぎたか。

洒落にならない状況になりそうだったので、とにかくユーリはフレンから身体を離そうと考えた。

「ちょ…っ、フレン、苦しい!離せ!!」

フレンの首に回していた腕を胸元に入れて突っ張ると、弾かれたようにフレンが身体を離した。
その顔は耳まで真っ赤に染まり、一瞬ユーリと目が合うと勢い良く立ち上がったので、ユーリは思わず尻餅をついてしまった。
呆気に取られてフレンを見上げるが、フレンは顔を背けたまま全くユーリを見ようとしない。

「ふ、フレン?」

「……ごめん!!」

「あ、おい!?ちょっと!!」


フレンはマントを翻して立ち去ってしまい、一人取り残されたユーリはその場に座り込んだまま、何ともバツの悪い思いで頭をがり、と掻いた。

馬鹿なことを言うな、冗談はよせ。

そう言って怒るか呆れるかのどちらかだと思っていた。そうしたらネタばらしをして、ついでに後ろで聞き耳を立てている奴らにもひと事言ってやる。
それだけのはずだったのに。

「やべーかな、こりゃ……おい、てめぇら」

振り向かずに背後に声を掛けると、気配が揺れる。

「分かってると思うが……。もう二度と、あいつに余計なことさせようとすんじゃねえぞ」

『…………………』

返事は返って来なかったが、気配はそのまま戻って行ったようだった。




「悪ふざけが、過ぎたかな……」


ぼんやりとしながらユーリが呟いた言葉は、そのまま夜空へと吸い込まれていった。
▼追記

光射す庭・2






フレンがユーリと出逢ったのは、今から十日ほど前だった。



先帝が崩御してから数日、国民には服喪令が発せられていた。バザールは一週間の開催自粛となり、多くの店が臨時休業の看板と半旗を掲げていた。

その日も仕事のなかったフレンは何か下町で出来ることはないかと思い、ハンクスの元へ向かっていた。
この辺りの自治を任されているハンクスは、早くに両親を亡くしたフレンにとっては育ての親とも言うべき存在だった。優しくも厳しく自分に接してくれるハンクスの事がフレンは大好きで、こうして一人で暮らすようになっても毎日彼の元を訪れ、時に彼の手伝いをするようにしていた。


そもそも、今フレンが一人で住んでいる家もハンクスが世話をしてくれたものだった。
自分の存在が負担になっているのではないかと考え始めたフレンに、ハンクスは子供がそんなことを気にするな、と言った。だが、気にするなと言われれば益々気に病む性質であるフレンに、ハンクスは驚くべき提案をした。
下町の一角に、古い家がある。居間と寝室だけの小さな家で、もう十年以上空き家になっているその家を、好きに使っていい。ただし、毎日必ず自分に顔を見せに来ること――――

まだやっと十一になったばかりのフレンに一人暮らしをさせることを心配する大人達も少なくなかったが、なによりもフレンがこの提案に大いに乗り気だった。

こうしてフレンはその家に住むようになり、約束通り毎日ハンクスの元へ通っている。
仕事があればそのまま彼の家を後にするが、今日もそのような予定はなかった。顔見せついでに何か手伝えそうなことでもあればと思っていたのだが、噴水広場が見えて来たあたりから、何やら周囲が騒がしいのに気が付いた。

数名の大人達が不安げに眉を寄せ、落ち着かない様子で話をしている。
何かあったのだろうか。
そう思って辺りを見回すと、見慣れない女性と共にいるハンクスの姿を見付けた。ハンクスは目の前の女性を落ち着かせるかのように優しく肩を叩き、何か話し掛けている。フレンはハンクスの元に駆け寄ると、何があったのかを尋ねていた。


「おお、フレンか」

フレンの姿に老人は笑みを浮かべたが、すぐに困ったように息を吐いて女性の顔を見た。つられてフレンもその女性を見上げる。
見た事のない女性だった。
美しい黒髪のその女性は、胸の前で両手をしっかりと握り締めている。よく見ると、その手は小刻みに震えていた。


「あの…どうしたんですか?」

「ん?おお、この人は昨日、下町に越して来たんじゃ。といっても、昔住んでおったから戻って来た、と言ったほうがいいかの」

「そうなんですか。あの、僕はフレンと言います。よろしくお願いします」

律儀に挨拶をしたフレンを女性はちらりと見ると、ぎこちない笑みを浮かべた。どうやら泣いていたようで、フレンもそれ以上何も言えなくなってしまった。

「…えっと、あの…」

「実はの…こちらの息子さんの姿が見当たらんのじゃよ」

「息子さん?」

「うむ。…そうじゃの、確かおまえさんと同い年じゃったか」

この親子は、昨晩遅くに下町へと越して来たらしい。それが、朝になったら子供の姿が見えない。今まで探していたのだが、未だ見付けられずにいるという事だった。

「少しばかり人見知りのきらいがあるようじゃからのう、あちこち逃げ回っとるのかもしれん」

「ハンクスさん、僕もその子を捜すの、手伝います」

ハンクスはフレンを見ると顎に手をやって暫し考え、それからひとつ頷いて言った。

「…そうじゃの。年の近いおまえさんなら、向こうもあるいは…」

ハンクスから子供の名前と特徴を聞き、フレンは考えつく限りの心当たりを捜すことにしたのだった。


それからフレンは、下町中を走り回って子供の姿を捜した。
隠れんぼをした路地裏や、空き家の中。
危ないから近付くな、と言われていた川岸の辺りも念入りに捜した。そんな所で見付けたくはなかったが、大人の目線では分からない事もあるかもしれない、と思ったからだ。幸いにして子供の姿も、川に落ちたような形跡もなかった。

隠れることが出来そうな場所はあらかた捜したつもりだったが、子供は見つからない。朝早くに家を出たのに、気が付けば既に太陽は中天に差し掛かっていた。



「…お腹すいたな」

朝食に少しばかりのパンをミルクで流し込んだだけで走り回ったため、フレンはいつもより強い空腹感を感じて立ち止まった。
一度、家に帰って食事をしようか。
そう思ったが、まだ見つからない子供の事を考えるとそういうわけにはいかない、とも思う。

(でも…、その子も何も食べてないんじゃないのかな)

ふと、そんな事を考えた。昨晩遅くにやって来て、朝にはいなくなっていたのだ。少なくとも、朝から何も食べてはいない筈だ。

何故、姿を隠しているのかは分からない。だが、空腹は余計に人を不安にさせる。人見知りで、頼る相手が誰もいないなら尚更なのではないか。
それなのに、母親の元を抜け出してまで何がしたかったのだろう。どこか行きたい場所でもあったのだろうか。
考え出したら止まらなくなって、フレンはまだ見たこともないその子供の事が気になって仕方がなくなっていた。捜して見つけ出す、というより、会いたい、と思う。会って、色々と聞いてみたい。
それなら、少しでも早く打ち解けるにはどうすればいいだろう。
そうするとやはり、何か食べる物を用意したほうが良いように思われた。自分が空腹だったからかもしれないが、他に話し掛けるきっかけが思い付かなかった。
一度思い込んだらもう、それが最善の方法としか考えられなくて、フレンは急いで家に帰る事にした。



自宅に戻ったフレンはパンを一つ持って、再び子供を捜すために家を出た。

「うわっっ!?」

扉を締めて振り返った足元に何かが触れ、思わず声を上げてしまう。
声に驚いたのか、『何か』が勢い良く離れていく。見ると、それは黒い毛並みの子猫だった。
長い尻尾を揺らし、翠色の瞳がじっとフレンを見つめている。フレンが一歩踏み出すと、子猫は背を向けて逃げて行ってしまった。

黒く艶やかな毛並みが、泣いていたあの女の人の髪の毛みたいだ、と思った。
子供も同じ黒髪だと聞いている。何か不思議なものを感じつつも敷地の外に出たフレンは、そこでまた足を止めた。

先程の子猫が、道の真ん中に座ってこちらをじっと見ていたのだ。

子猫はフレンが姿を現すと、再び背を向けて逃げる。しかし、少し走ると立ち止まり、振り返ってまたフレンを見る。

「…僕に、何か教えたいの…?」

何故かそんな気がして、フレンは子猫を追いかけていた。






「ま、待って……!!」

いつの間にか全力で逃げる子猫を追って辿り着いたのは、フレンの家がある辺りからさらに街外れの空き地だった。
昔は家屋が何軒かあったらしいその辺りには、今は家の基礎と崩れた瓦礫しかない。
雑草が生い茂るその空き地に、一本の楡の木が生えている。もっと幼かった頃、フレンもその木に登って遊んだ記憶があった。

全力で走ったために今だ乱れた呼吸のまま、辺りを見回してみるが、子猫の姿は見当たらない。


「ねえ、どこにいるの!!」

大声で呼んでみる。すると、楡の木のほうから微かな鳴き声が聞こえた気がした。
木の下まで歩いて行くと、上に向かいもう一度声を掛ける。

「そこにいるの?」

今度は鳴き声はしなかった。その代わり、葉陰に何か黒いものが揺れる。真昼の太陽が逆光になって良く見えず、額に手を翳して目を細めたその時、再び子猫の鳴き声がした。

「やっぱり、そこにいるんだね。…おいで?」

手に持っていたパンを置き、両手を木の上に向かって伸ばす。
がさり、と葉擦れの音がした。

「どうしたの?…もしかして、降りられなくなっちゃったのかな」

背の高い木ではない。それでも一番低い枝は、フレンの伸ばした手の少し先にある。相変わらず逆光で眩しいその先に、フレンは声を掛け続けた。

「大丈夫、君ぐらいなら受け止めてあげるから。だから、こっちにおいで?」

黒い影が揺れ、先程よりも葉擦れが騒がしくなる。飛び下りるかどうか迷っているように感じて、フレンは目一杯背伸びをし、両手を更に大きく広げ、木の上の影に向かって笑いかけた。

「僕がちゃんと、受け止める!だから心配しないで、降りておいで!!」


一瞬の静寂の後、葉陰から姿を現した『影』が勢い良くフレンに向かって飛び付いて来て、その予想外の質量を支えきれずにフレンは『影』を抱き締めたまま、思いきり後ろにひっくり返っていた。



「い…ったあー…」

背中やら尻餅をついたあたりやらを強く地面で打ってしまい、痛くて涙が出そうになる。衝撃で強く閉じてしまったままの瞼をそろそろと開けて、目に映ったものに更に強い衝撃を受けた。
驚きのあまり、声も出ない。

フレンが胸に抱いていたのは、子猫ではなかった。






自分と同じぐらいの年頃の子供が、顔だけを上げてじっとこちらを見つめている。
肩の辺りまである艶やかな黒髪が微かな風に揺れて顔にかかるのを、フレンはただ息を詰めて見ていた。

透き通るように白いその顔に、形の良い鼻がちょこんと乗っている。きゅっと結ばれた薄い唇を見た瞬間に何故か胸が苦しくなって、慌てて視線を上げた先にある瞳と視線がかち合った。

子猫とは違う、薄紫色をした、意志の強そうな瞳。 少し吊り気味の目はやはり猫を思わせたが、腕の中の存在は確かに人間だった。


猫が、人に?


そんな有り得ない事まで考えて、身じろぎ一つできないままじっと見つめるフレンの視線に耐えられなくなったのか、その子供が恐る恐ると言った感じで口を開き、漸くフレンは我に返ったのだった。



「…なあ、大丈夫か?」

「…え、う、うん」

「大丈夫だって言うから飛び降りたんだけど…」

「あ、いや、まさか人だとは思わなくて…」

「はあ?…どういうこと?」

その時、子猫が木から飛び降りて来た。
フレンの頬をひと舐めし、背を向けて去っていく。

「…あの子猫だと思って…」

小さく呟かれたフレンの言葉に、黒髪の子供の瞳が大きく見開かれる。と、次の瞬間には声を上げて笑い出したので、フレンは急に恥ずかしくなって思わず声を荒げてしまった。

「わ、笑うな!!」

「だっておまえ、猫が人に、とか……あ、あるわけないだろ!はは、あははは!」

「も、もう…!」

あまりの恥ずかしさに耐えられなくなり、胸の上の存在の肩を掴んで引き離す。起き上がって横に座り、落ち着いてその子供を見てみると、フレンはやっとある事を思い出した。

ハンクスから聞いていた特徴と、同じだ。


「ねえ…君、もしかして、ユーリ…?」

「…え?」

笑い続けていた子供が、きょとんとした様子でフレンに聞き返した。

「確かに、オレの名前はユーリだけど……。なんで知ってんの?…おまえ、誰?」

「僕?僕はフレン。フレン・シーフォ。良かった、ずっと君を捜してたんだよ…!!」

「え!?ちょっ、ちょっと!!」


良かった、と繰り返すフレンに再び抱き締められて、ユーリは訳が分からずにその腕の中で固まるばかりだった。




ーーーーー
続く
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