SWEET&BITTER LIFE
第五話









ユーリに会いたい。

会って、話がしたかった。





会社に戻った僕は、とりあえずの事務的な作業を片付け、早々に退社していた。

営業で外に出ている事のほうが多く、仕事が終わったら直帰するのも少なくないけど、デスクワークだってないわけじゃない。
それでも普段あまり定時で退社することなんかない僕に、同僚は驚いてるみたいだった。

そんなに急いで、何か大切な用事でもあるのか、と声を掛ける人もいた。

大切な用事、か。
そんなの、特にない…筈だ。
ただ無性に、ユーリの顔が見たかった。
それは昼食のために入ったカフェで、彼と、彼の店の噂話を耳にしたからだ。

女の子達が話すのはユーリのことばかりで、彼女達が言うようなユーリの姿を僕はまだ、見た事がなかった。

でもそんなの当たり前だ。
まだ二回しか会ってない。
しかもちゃんと話をしてもらえるようになったばっかりだ。
それなのに、彼女達がどれくらいあの店に行った事があって、何回ユーリを見掛けて、どんなふうに会話したのか、そればかり気にしてる。

ユーリに彼女がいるのか、という、実に女の子らしいなんてことのない話題にさえ、過剰に反応してる自分がいる。
しかもそれがあの、レジにいた女の子かもなんて、分かり易い想像じゃないか。
でも僕は、そんなたわいない会話にすら、胸がざわつくのを感じていた。


だから、ユーリに会いたいと思ったんだ。

会ったらきっと、何でこんなに彼女達の会話に心乱す思いになるのかが分かる気がした。


……そう、思っていた。







大急ぎでユーリの店のある住宅街までやって来た時、既に時刻は閉店の五分前だった。この住宅街の入り口から、ユーリの店まで十分ほどかかる。
お客さんがいれば、多少閉店時間を過ぎても開いてる筈だけど…。

長い坂道を早足で抜けて店が見えて来たのと、入り口に置かれた小さな看板の明かりが消えたのはほとんど同時だった。

店内から誰か出て来るのが見えて、僕は駆け出していた。




「…ゆ、ユーリ…!」

「あれ、おまえ…」


息を切らして膝に手をついている僕を、ユーリは何事かと言った様子で見ている。
シャッターを降ろしに出て来たのか、その為の引っ掻け棒を手にしたまま、まじまじと僕を見つめて……そして、信じられない事を言った。


「……誰だっけ?」

「……………!!」


…そんな。
やっぱり、たった二回来ただけの僕の事なんて、覚えてないのか。

「あ、ちょっと?…おーい?」

そうだよ…あの女の子達も言ってたじゃないか、『どうせ覚えてない』って。
よっぽど常連でもなければ、いちいちそんな…

「おいってば!…またかよ…おい、フレン!」

…うるさいな、誰だよ、僕の事を呼んだりするのは。
ユーリなんて、すっかり僕を忘れて

「フレン!!返事しろって!!」

「何だようるさいな!!」

「な……っ!?」

「…え、あれ……?」


思わず怒鳴ってしまった先には、真っ白いコックコート姿のユーリがいる。
というか、ユーリしかいない。
呆然と僕を見るその瞳が、徐々に細くなる。

…ええと、まさか…。

全身にじんわりと嫌な汗が滲むのを感じながら恐る恐るユーリの顔を窺ってみる…と、僕に背を向けて恐ろしい早さでシャッターを降ろし、さっさと店の中へ戻って行こうとして…


「あああ!!ち、ちょっと待ってくれ!!」


慌ててユーリの腕を掴んだものの、物凄い勢いで振りほどかれた。
細身なのに、結構力はあるんだな…。
と、悠長にそんなこと考えてる場合じゃないんだってば!


「ユーリ!!」

「…何だよ」

振り返ったユーリは、それはもう不機嫌そうに腕を組んで僕を睨みつけている。

「あ…の、ごめん、ちょっと考え事してて!」

「考え事ね…。おまえ、冗談も通じねえのな」

「え、じょ、冗談…?」

「そうだよ!ったく、いちいちマジに取ってんじゃねえよ…」

「そんな…!タチが悪過ぎるよ…」

この前ここに来てからまだ一週間経ってないっていうのに、もうユーリに忘れられてしまったのかと思って、僕は本気でショックを受けたのに…

「だから…何そんな、マジになってんだよ。悪かったって。忘れてねえから」

どうやらいきなり怒鳴られた怒りは収まったらしいユーリだけど、その代わりに何だか呆れて…というか、若干引き気味だ。

どうも僕は、ユーリの事になると冷静さを失うみたいで…どうしたんだ、僕は…。
とにかく、間に合って良かった。…いや、もうシャッターを閉めてしまったし、間に合ってはない、か。

「こちらこそ、いきなり怒鳴ったりしてごめん。それで…あの、やっぱりもう閉店してしまったよね」

「ん?ああまあ、そうだけど。何だ、なんか買いに来たんだったら別にいいぞ」

そう言うとユーリは僕を店内に案内してくれた。



レジではあの女の子…エステルさんが清算をしていたんだけど、僕が来たので作業を中断して待ってくれている。

「すいません、こんな時間に来てしまって…」

「そんなの気にしないで下さい!こちらこそ、あまり種類が残ってなくて……あ、それと」

「?」

エステルさんは手を胸の前で組んで、僕のことをじっと見ている。…何だろう?

「わたしにも、ユーリと同じようにお話しして下さい!」

「…はい?」

「だって、ユーリのお友達なら、わたしもお友達になりたいです。ね、いいですよね?」

「え、いや、そういうわけには…ああその、友達が嫌とかではなくて」

何…というか、大人しそうに見えるんだけど、妙に強引な子だな。
それにいきなり友達、って…大体、ユーリとも友達と言えるほどじゃないと思うけど。

どう答えたらいいか悩んでいる僕に、隣にいるユーリが助け船を出してくれた。

「エステル、その辺にしとけ。困ってんだろ、こいつ」

「ユーリ…でも」

「いいから。ほらフレン、おまえも早くしろよ」

しゅんとしてしまったエステルさんの頭をぽんと叩いて、ユーリが僕を振り返る。
やっぱり、仲は良さそうだよなあ…。

とはいえ、確かにあまり種類は残ってない。

「えっと…」

「…あー、おまえが好きそうなやつ、ないかもだな」

「え?」

ショーケースを覗いたユーリが僕を見る。
…僕の好きそうなもの?

「おまえ、あんま甘いの食わないんだろ?今日はチーズ系も売り切れちまったし…」


その時、僕はこの前ユーリが選んでくれたケーキの事を思い出した。
入っていたのは三種類。
ふわふわのココアシフォンケーキと、スティックタイプのチーズケーキ、それにレモンのムース…だったかな。どれも、甘さは控え目だった。

「…僕、チーズが好きとか言ったっけ?」

「いや?でも最初に渡したやつ、大丈夫だったんだろ。だったらまあ、いけるんじゃねえかと思ったんだが…もしかして、違ったか?」

「いや、別にチーズは嫌いじゃないよ。でも、なんでチーズケーキなんだ?」

「うちのチーズ系は割とどれも甘さを抑えてあるんだよ。だからとりあえずそれは入れとくか、と思ってさ」

「そうなんだ…」

「残ってんのは…結構濃いめのやつばっかだな。どうする?あ、でもこっちのタルトならいけるか?グレープフルーツだからあっさりしてるし」


…昼間、カフェで女の子達が言っていた。ちゃんと好みを聞いてから選んでくれる、と。
ユーリは、僕が日頃それほどケーキを食べないと言っていたのをちゃんと聞いていて、それを考えて選んでくれていたんだ。
やっぱり、こういうところが人を惹き付けるんだな…。

「…ありがとう。でもそんなに気にしてくれなくて大丈夫だよ。色々、食べてみたいし」

「そうか?まあ、確かに食ってみないと分かんねえしな」


じゃあ好きに選んでくれ、と言われていくつかのケーキを選ぶと、エステルさんが会計をして持ち帰りの用意をする間に、ユーリが話し掛けてきた。

「そういやおまえ、今日は休みだったのか?」

「休みなら明日だけど…どうして?」

「いや、単にこないだは休みの日に来たって言ってたからってだけだけど。だったら仕事終わってから来たのか」

「ああ。…それがどうかした?」

「なんか物凄い急いで来たろ。目当てのもんでもあったのか?」

「目当て…」

強いて言うならユーリと会いたかった、というか…ケーキより、そっちがメインだったような気がする。
でもこんな事を言ったら、絶対また変に思われる。たたでさえ、ちょっと引かれてしまったのに。

「…昼間、お店の噂を耳にしたんだ。それで気になって。ほんとは明日、来ようと思ってたんだけど」

ユーリの噂、とは言えなかった。
簡単に話をしたら、ユーリは何だか複雑な表情をした。

「そんなの当たり前だと思うがな。それに、オレに彼女とかどうでもいいだろ…」

「女の子は気になるんだよ、そういうの。随分人気あるみたいだったよ?」

「はあ。大体、エステルは…」

その時、丁度エステルさんがケーキの箱を持って僕達の前に出てきた。

「すみません、お待たせしました!」

「あ、どうもありがとうございます」

「あの、ユーリ、わたし…」

エステルさんがレジの後ろの壁に掛かった時計をちらりと振り返ると、ユーリはああ、と頷いた。

「悪かったな、上がっていいぞ。気をつけて帰れよ」

「はい、ごめんなさい…。あの、フレンさん」

「はい」

「また来て下さいね。お待ちしてます」

「あ、はい。ありがとうございます」


ぱたぱたと軽い足音を立てて、エステルさんはレジ裏の扉の向こうへと急いで行ってしまった。
それを見送ってユーリが僕に説明してくれる。

「あいつ、明日ちょっと用事があって休みなんだ。今日も少し早めに上がらせてくれ、って言われててさ」

「あ…それなのに僕が来たから…」

「気にしなくていい。それより、明日は店も休みだから。良かったんじゃねえか、今日来て」

「え、そうなのか?」

「レジと接客できるの、エステルだけだからな。あいつがいないと、ちょっと厳しいんだ。まあどうせ、明後日あたり休みにするつもりだったから問題はねえけど」

「そうだったんだ」

明日は店休だったのか。まあもともと不定休だし、確かに今日来て良かったと思う。

「さて、オレはまだ少し片付けが残ってんだ。そろそろそっちに戻っていいか?」

「あ、ごめん…ほんと、迷惑かけてばかりだな」

「気にすんなっつったろ」

「でも…」

閉店ギリギリに来て、迷惑をかけたのは事実だ。なんだかここに来る度にこんな感じのような気がして、申し訳ないと思う。

するとユーリがため息を吐いて、俯く僕の顔を覗き込み、上目遣いで見上げてくる。
…少し悪戯っぽいその表情に、何故か胸が落ち着かない。

「ゆ、ユーリ?」

「…そんなに気になる?」

「え…な、何が」

「迷惑かけたなー、とか」

………そっちか。

「…まあ、それは」

だったらさ、と言ってユーリが離れる。

「明日、オレに付き合えよ」

「……はい?」

「おまえも休みなんだろ?」

「あ、ああ。でも付き合うって、何を…」

「行きたいとこがあんだけど、一人じゃちょっとな。だからさ、一緒に来てくれねえか。それで迷惑だなんだはチャラにしてやるよ。どうだ?」

「…どこに付き合わされるのかな」

「別に変なとこじゃねえよ。おまえじゃなかったらエステル連れてくしな」

あの子を連れて行けるようなところならまあ、大丈夫…かな。

「わかった。僕でよければ」

「マジ?やりぃ」


小さくガッツポーズをするユーリを見ながら、僕の胸には様々な感情がぐるぐると渦巻いていた。

ユーリに会えば、会って話しをすれば、何故こんなにユーリのことが気になるのか分かると思って来たけど、ますますわからなくなるばかりだ。

それにいきなり、自分の用事に付き合え、とか。



……とりあえず、どこに連れて行かれるんだろう、僕……





ーーーーー
続く