SWEET&BITTER LIFE・12(拍手文)

その日、僕は結局ユーリとなんだか気まずいままだった。

喧嘩…したわけじゃ、ない。ただ、確実に浮かれてたんだと思う。それが無意識のうちに態度に出まくっていたみたいだ。『誤解』を解くのに必死だった。

だって当然だろう?

一度は嫌われたと思ったユーリと友人になれた。
意外にも、ユーリから遊びに誘われた。
…まあ、遊びにと言うよりは彼の趣味に付き合わされた、と言ったほうが近いのかもしれないけど。

出掛けた先で話をして、また少しだけ彼を知る事ができた。偶然にも彼の仕事を見る機会までできて、更に彼の思いを知った。
もっとユーリの事を知りたいと思った。

ユーリに惹かれていることは自覚したけど、それでもまだその感情が『友人』としてなのか、『それ以上』の存在としてなのかは曖昧なままだったと思う。

…今となってはもう、いつからその境界が曖昧だったのかさえよくわからない。

でもそんな僕の態度というか言動というか…そういうのをユーリに不審がられて、作業を終えたユーリにあれこれ問い詰められる羽目になったんだ。


そして、その中でとうとう、はっきりと気付いてしまった。
自分自身が、ユーリのことをどう思っているのかを…


僕は、ユーリの事が好きだ。


エステルさんが彼女かもとか、そうじゃなくても恋人はいるのかとか、自分で思う以上に気にしてたみたいだ。
一気に押し寄せた様々な感情に自分のことながら混乱したけど、でも『やっぱり』と思った。
…僕はユーリのことをもっと知りたいし、もっと…踏み込みたいんだ、きっと。それは単なる友人に対する感情なんかじゃない。今まで、誰に対してもこんな気持ちになったことはなかった。

だけどユーリがそれを理解してくれるかなんてわからない。
少なくとも、自分が僕から『そういう意味で』好意を持たれてると知って喜んでくれるとは到底考えられなかった。
…それまでの会話で、なんとなくわかるじゃないか。まあ、当然と言えば当然だ。

だから僕は、現時点でこれ以上ユーリに警戒されたくなくてその場を取り繕うことだけ考えてた。
言い訳をしてごまかして、多分『誤解』は解けた…はずなんだ。
ユーリは、もっとゆっくり親しくなればいいという感じのことを言ってくれた。また今度、一緒に飲みに行くことだってあるかも、って。

そう…そう、なんだよな。それが普通だ。
友人だって、恋人…だって。焦ったって何もいいことはない。とりあえずユーリが僕との友達付き合いをやめたいと思うんじゃなければ、まだまだこれから、なんだ。
ユーリに対して、どうも僕は上手く感情を抑えられない。我ながら少し不安になるな…今までだって、何度かそのあたりをユーリに突っ込まれてるし。

結局、なんとか僕の本心は気付かれずに済んだもののやっぱり微妙な雰囲気は拭いきれなくて、これからどうしよう、と思っていたところで店の電話が鳴ったんだ。

不意を突かれて驚く僕を呆れたように見ながらユーリが電話に出ると、相手はその日、娘さんのバースデーケーキをお願いしてきた人だった。
もうケーキは出来てたし、少ししたらその人がお店に来ると聞いて僕はそこで帰ることにした。
ユーリも何も言わなかったよ。まだ夕方前だったし、どこかに行こうと思えば行けたかもしれない。だけど、さすがにそんな気持ちにはなれなかった。


店を後にして自宅に帰り着いた途端、どっと疲れが押し寄せた。疲れの原因のほとんどは自分にあるんだけど、着替えもせずベッドに突っ伏してたらなんだかやるせないというか…そんな気持ちだった。

当然だけど、ユーリは僕に友人以上の感情を持ってはいないし、親しくなりたいと言ってもそれは僕が望むような関係じゃないんだ。
……この先、僕はどうやって彼との距離感を計ったらいいんだろう。
下手な事をして嫌われたくない、でももっと近付きたい。
焦ることはないと思う反面、自分の取るべき行動がよくわからなくなっていた。

ふと、床に放り投げたままの鞄が目について携帯を取り出す。待受画面には何の通知もない。メールの着信も、電話の着信も。

(…ユーリから連絡来ることって、あるのかな)

何となく、そういうことにマメじゃないような気がした。そう思って、その日のお礼とか次の予定とかメールしようか…と考えたものの、指が動いてくれなかった。

(明日、冷静になってからにしよう…)

携帯を握り締めたまま枕に顔を埋めて、いつの間にか眠っていた。
翌朝シャワーを浴びて、鏡に映し出された自分の顔に思わず溜め息が出たな…。ユーリと出掛けたこと、それ自体はとても楽しくて有意義だったのに。


出勤した僕は同僚に『体調でも悪いのか』と心配されたり、疲れた様子を邪推した奴にからかわれたり、散々で…なんだかんだ仕事も忙しく、ユーリに連絡するきっかけを掴めないまま、一緒に出掛けたあの日からただいたずらに時間が過ぎていくばかりだった…。




「はあ、出張、ですか…」

上司に呼ばれて行った喫煙室で、僕はつい気のない返事を返してしまっていた。

「…なによそのやる気ない感じは。珍しいねえ、真面目で仕事熱心なおたくにしちゃ」

「す、すいません!そういう訳じゃ」

「わかってるわかってる。いちいちマジに取りなさんなって」

この前ユーリにも言われたなあ、そんなこと…。

椅子に座って僕を見上げながらひらひらと手を振って軽い調子で話すのは、僕の所属してる部署のチーフだ。女性に声をかけまくったり、二日酔いで出勤してきて午前中デスクに突っ伏してたり、何かとだらしないところも多いけど何故か憎めない。締めるところはきっちり締める…そんな感じだと思う。
一応、上司として尊敬はしてる。

…一応っていうのは、たまに本気でポカをやってそのしわ寄せが僕らに回ってくることがあるからだ。
この前も最終の決定稿に編集長のチェックを貰い忘れたとかなんとかで、その一つ前の段階の記事が誌面になってしまって…関係者へのお詫びやら次号での修正やら、大変だったんだ。

要するに、こういうことがあったりしたんで忙しかったんだけどね。
それで今日、わざわざ呼び出されたものだから『また何かあったのか』とちょっと警戒してたんだ。

普通に仕事の話のようだから、つい肩の力が抜けたというか。
…でもよく考えたら、まだ何の出張かわからないよな…。
まあ、そう構える必要もないとは思うけど。出張自体は、別に珍しい事じゃない。

「急で悪いんだけどさ、明後日からとりあえず三日間、ちょっと行ってきて欲しいとこがあんのよ。国内初出店のジュエリーブランドで、プレオープンの招待もらったんだけど」

「ジュエリー…ですか?」

「なによ不満?スイーツのショップのがよかった?」

「はい?どうしてですか?」

「例の店、取材拒否られたのに何度か行ってるって聞いたけど〜?そんなに美味いの?それとも店員にカワイコちゃんでもいた?」

「……いえ、そういうわけじゃ…たまたまです」

「ふーん?ま、いいけどね。で、出張の話だけど………」

なんでこの人が知ってるんだろう…。
ユーリの店に入るのを、知り合いの誰かにでも見られたのかな。別に困る事じゃないから構わないけど、そもそもまだ数回しか行ってないのに。
よっぽどああいうところに行きそうにないと思われてるのか…?

それにしても、ジュエリーか。僕はもともとフード関係の担当が多くて、ユーリのところに取材に行ったのだってそういう理由からだ。だからと言って他業種に興味がないわけじゃないし、行けと言われれば行くけど…。

「あの」

「…で、明日は出社しなくていいから、今日のうちに交通費だけ先に経理に申請しといてー。ホテルは社割効くとここっちで手配しとくから…って、何か質問?」

「いえ、どうして僕なのか、と思っただけなんですが」

「あ〜…ほんとは俺様が行く予定だったんだけどね〜。こっちでどうしても外せない用事が入っちまったのよ。おまえさんになら俺様の名代、任せられるし」

「そんな…恐れ入ります」

「ま、たまには別ジャンルもいいっしょ。それに、何かと参考になるかもしれんし」

何故かニヤニヤし始めた上司を前にして、これはさっさと話を切り上げたほうがいいな、と感じた。何の参考になるのか気にはなるけど、聞かないほうがいいような気がする。

「わかりました。初めての事で調べておきたいこともありますし、そろそろ戻っ…」

「カノジョ出来たんならさ、ついでにプレゼントになりそうなもん見繕って来たら?」

「何の話ですか…失礼します」

軽く会釈して喫煙室を出る。ガラス張りの部屋の中から背中に視線を感じつつ、自分のデスクに戻った僕はつい溜め息を零していた。参考って…そういうことか。聞かなくてよかったよ、全く。

彼女、か…。

あの日から半月、何となくそういう勘違いをされてるんだろうとは思ってた。同僚に言われるぶんには適当にスルーすればいいけど、上司にまで言われるとちょっと面倒だ。
自分では気付かないうちに、何か態度に出てしまってるんだろうか。

『彼』が『彼女』だったら、こんなに悩むこともないのかもしれない。
でも、仕方ないだろ?僕が好きになったのは、ユーリという一人の人間なんだから……

あれから一度もユーリと連絡を取ってない。微妙な空気のまま帰ってしまったから、もしかするとユーリも僕に連絡し辛いのか。…それ以上に、どうでもいいというか気にされてないほうが可能性は高そうだけど…。

…会いたい。

ユーリの顔を見て、なんでもいいから話がしたい。明日は移動日で、出勤しなくていいことになった。極端な話、最終の新幹線に乗っても現地に着きさえすれば問題ない。今日のうちに準備を済ませてしまえば、明日ほぼ一日空く。
居ても立ってもいられず、僕は教えてもらったアドレスに初めてメールをしていた。ユーリの都合がどうか、というのはとりあえず考えてなかった。仕事ならそれでいいんだ。出張に行く前に、少しでも会って話せたら。

ユーリからの返信があったのは、その晩だいぶ遅くなってからのことだった。





「とりあえず座っとけ」

ユーリに言われるまま、喫茶スペースのテーブルに腰を下ろす。荷物を預かってくれたエステルさんにお礼を言い、僕は作業場に戻るユーリの後ろ姿を見つめていた。

昨日の晩、資料や身の回り品をまとめて荷造りを終えたところでユーリからメールの返信が来たんだ。午前0時を回ってたけど、あんな時間まで仕事してたんだろうか。朝も早いんだろうに…。

『明日、会いに行ってもいいかな』

僕の送ったメールに、ユーリからの返事はこうだった。

『昼過ぎにしてくれ』

昼過ぎ、って。具体的に何時ぐらいがいいのか、僕が悩んだのは言うまでもない。でもなんとなく、またメールするのは躊躇われた。だから今日、概ね昼過ぎだろうと思う時間に来たわけなんだけど。

…なんだか、ユーリはあまり機嫌が良くなさそうなんだよな…。
また、と言うかまだ、と言うか。さすがに半月前の事を今だに引きずってるとは思いたくないけど、実際こうやって気にしてる自分がいるだけに何とも言えない。

今日は普通にお店は営業してるけど、今はそれほどお客さんが連続して入ってるわけじゃない。喫茶スペースにも僕だけだ。指定された時間帯は間違ってなさそうだし、邪魔もしてないと思う。
…たぶん。

落ち着かないまま暫く待っていたら、ユーリが作業場から出て来た。バンダナを取って、まとめた髪をほどいて…両手を腰にあてると、わざとらしく肩を落として見せた。

「…はぁ」

「いきなりなんなんだ…!」

「あ?そりゃこっちのセリフだっての」

「どうして」

「……」

「ユーリ?」

僕の顔を見るなり溜め息を吐いたユーリについ噛み付いてしまったけど、まさかほんとにこの前の事をまだ…

「とりあえず、メシ食うか」

「え?あ、昼ご飯?今から休憩?」

「そうだよ。だから昼過ぎに来いってメールしたんじゃねえか。他に時間取れそうになかったしな」

「ああ…なるほど…」

「じゃあほら、ついて来いよ」

そう言って僕に背を向けたユーリの後について店の外に出ると、彼はそのまま裏手に回って建物の外階段を上っていく。

休憩室か何かが二階なのかな…?独立店舗だし、特に珍しいことでもないけど。

そんなことを考えながら階段を上ろうとした僕を、先をゆくユーリが振り返って見下ろした。

「急だったから散らかったまんまだけど、文句言うなよ」

「そんな、文句なんか言わないよ。むしろ、僕みたいな部外者が入って大丈夫なのか心配なぐらいで」

「部外者?まあ…そうかもしれねえけど、別にそういうもんでもないような」

「そうなのか?他の人が利用し辛くないかな」

「他ぁ?なんで他の奴が……あ、もしかして事務所かなんかだと思ってんのか?」

違うんだろうか。

「事務所っていうか、休憩室じゃないのか?」

「あー、違う違う」

「ふうん…?」

喋りながら再び階段を上っていくユーリの後を追う。上りきったところで僕を待ってくれていた彼はこう言った。


「オレ、ここに住んでんだよ」



……予想外だ。

扉の鍵を開けるユーリの横顔を黙って見つめながら、妙に緊張している自分がいた。




ーーーーー
続く

SWEET&BITTER LIFE・11(拍手文)

シャッターが下りたままの店内は、今まで何度か来た時とどことなく雰囲気が違うような感じがした。

勿論、照明は点いてる。でも最低限というか、大きなものが点いているだけで間接照明やスポットは消されたままだ。店休日だからお客さんがいる筈もなく、今ここにいるのは僕とユーリだけだ。全ての照明を点ける必要なんかないし、充分お互いの顔だって見える。不都合は何もない。

…なのに、少し薄暗いだけでこんなにも雰囲気というか、空気が違うものなんだろうか。
大きな照明しか点いていないせいで逆に影がはっきりと見えるからか、それともさっきまでいた作業場が明るかったからかよくわからないけど…いつも、暖かみがあっていいな、と思っていた店の中が、妙に冷え冷えとしているように感じる。

……いや、理由はなんとなくわかってる。目の前のユーリがやたら不機嫌そうにしてるからだ。でも、どうしてそうなのか、というところはわからない。

作業中にちょっと、あれ?って思った時があったけどすぐにいつもの様子に戻ったし、僕の気にしすぎだったらわざわざ蒸し返す事もないか、と思ってた。
だけど作業が終わったらユーリは僕と目を合わせようともせずに、今もなお膨れっ面のまま、時々こちらを窺うようにしている。

何だって言うんだ、一体。何か誤解されたなら、すぐにでも解いておきたい。だって、次はいつ会えるかわからないんだ。まだ約束もしてない。

上半身を乗り出したまま、テーブルの上で両肘に力を込めてぎゅっと拳を握り締める。
顔を上げて真っすぐにユーリを見ると、彼はますます居心地悪そうに腕や脚を組み替え、俯き加減でまた一つ、溜め息を零した。


「…何だよ」

「何だ、じゃないよ。それはこっちのセリフだ。どうしたんだ、ユーリ」

「…何が」

こちらを見ずに答えるユーリの態度に、少しだけ苛ついた。
何度も言うけど、こんな態度を取られる理由がよくわからない。心当たりがあるとすれば、作業中にユーリが何故か黙り込んだこと。
それと…さっき、ユーリが何か言いかけたこと。そうだ、ユーリは何て言っていた?順を追って思い出してみれば、何かわかるかもしれない。
ええと、冗談を真に受けた僕にユーリが呆れて、僕がそれにちょっと反論して、更にユーリが言い返して……

ここだ。
ユーリの冗談は冗談に聞こえない、と言った僕に、ユーリは僕のほうこそ『余程冗談のような』セリフを、と言った。
そして、その後から様子が変だ。…何が、冗談のような内容だったんだろう。こちらはいくら思い返そうとしても自分ではわからない。でもとにかく、ここを確認しないことには落ち着かない。

初めてここを訪れたあの時も、僕はこのテーブルでユーリと話をした。ユーリはとても不機嫌で、僕の話にまるで耳を貸そうとしなかった。
それには理由があったし、僕もそのことをわかっていたから引き下がった。だけど、今度はそんな訳にはいかない。
…あの時は、もうこの店に来ることはないかもしれないと思った。でもきっかけをくれたのはユーリだ。ユーリがチャンスをくれたから、今こうして僕はユーリと一緒にいられるんだ。

そして、僕はもうこの繋がりを失くしたくない。


「ユーリ」

目を逸らしたままのユーリに呼び掛けると、眉間に皺を寄せたままでその顔がゆっくりと僕に向けられた。

「だから、何だよ」

「何で怒ってるんだ?僕、何か気に障るようなこと、言ったかい」

「…気に障るとか、そういうんじゃねえけど」

「じゃあ何なんだ、どうしてそんなイライラしてるのかわからないよ」

「それは…」

「関係ない、とか言わないでくれよ。僕のせいなんだろ?それぐらいは気付いてる」

ユーリはますます眉を寄せて、僕を睨みつけた。…でも、その表情は怒りに満ちている、というのとも少し違うように感じられて、何だか戸惑ってしまう。
ユーリも、戸惑っている…んだろうか。

でも、どうして…?


「…あのさあ」

口を開いたユーリは、やっぱりどこか困ったように視線をあちこちうろうろさせた。…初めて見るな、ユーリのこんな表情。今日は色んなユーリを知る事が出来たけど、もっと――――


「おまえ、オレの何がそんなに知りたいってんだ」

「…………は、え…?何でわかったんだ?」

「…何言ってんのおまえ」

し…しまった…!!
ちょうど考えていたのと同じ事をユーリが言ったものだから、つい…!

「あ、いや、なんでもない!」

「はあ?なんでもないってなんだ。大体、何でわかったも何もないだろうが、さんざん自分で言っといて」

「そうじゃなくて、今ちょっと考えてた事をユーリにも言われたから驚いただけだよ。自分でって、そんなに何度も言ってるかな…僕」

「………無意識かよ…………」

「え、何?どうし…」

「もう一回だけ聞く。ほんとはあんま何回も口に出したくないんだが」

「あ、ああ。何?」

僕がユーリに質問していたのに、いつの間にか立場が逆になっていた。でもとりあえずは大人しくユーリの話を聞いたほうがよさそうだ。それで、不機嫌の理由がわかるなら。

まるで深呼吸かというような、深くて長い溜め息を吐き出し、薄紫の瞳が僕を見据えてゆっくりと言った。

「おまえは、オレの何をそんなに知りたいんだ」



―――正直、質問の意味を図りかねていた。
なぜ改めてそんな事を聞くのかと思い、それをユーリに聞こうとしてやめた。ユーリがこんな事を僕に聞くのはどうしてなのか、考えるのが先だと思ったんだ。
もし答えを間違ってしまったら、終わりなんじゃないか。
まだ早い。焦るな、と自分に言い聞かせて、僕は必死に頭の中で『今』答えられる最善を探そうとしていた。

僕は、ユーリの何を知りたいんだろう。
今日、一緒に行った店を出た時、ユーリは僕に手を差し出して笑いながらこう言った。

『オレも、おまえの事が知りたくなった』

その時も僕はユーリの言う意味と、自分がユーリを知りたいと思っている意味とが違うんだと、漠然とした違和感を感じていた。でも、じゃあ何が引っ掛かかっているのかと言われると上手く説明できなくて、ついユーリの手を握ったまま考え込んでしまったんだ。

そして、その手を離したくなかった。
ユーリに言われるまでずっと握りっぱなしで、離す瞬間とても……
――とても、切なかった。
あの時、一瞬だけ頭に浮かんだことがある。

このまま、握ったユーリの手を引いて、自分の腕の中に閉じ込めてしまいたい―――

そうしたら彼は困るだけだろうとか、そもそも周りがどういう目で僕らを見るだろうとか、いわゆる『常識的』なこともほぼ同時に考えた。

……そう、僕はきっと、友人以上のものをユーリに求めようとしている。
だからこんなにも、ユーリのことが知りたくて仕方ないんだ。

仕事のこと。
それに、プライベートなこと。
休日は何をしてるの?今日みたいに決まった店に出掛けて、その後はどうしてるんだろう。エステルさんが彼女という訳じゃないなら、じゃあ、恋人は他にいるんだろうか。…いるなら、どんな人なのか。いないなら、


いないなら、僕が立候補してもいいか?


「―――…っっ!!」

…そんなことを考えている自分に漸く気が付いて、思わず立ち上がっていた。

勢いに押され、辛うじて倒れなかった椅子がガタガタと数回不安定に揺れて止まり、驚くユーリが視線を僕に戻す。自分の考えていることが信じられない一方、どこかで『ああやっぱりそうか』と思っていた。


何を知りたいのか、と聞かれたら、きっと全部なんだ。
彼に惹かれているのは自覚してるし、友人としてそう思うのは何もおかしなことじゃない。
その筈なのに、じゃあどうしてこんなにもユーリのことが気に掛かるんだろうとか、具体的にどこに惹かれてるんだろうとか、そういったことは自分でもよく理解できていなかった。

でも、気付いてしまった。
顔が熱くて、口元を手で覆って突っ立ったままの僕を、ユーリはひたすら訝しげな眼差しで見上げている。…耐えられずに顔を背けてしまった僕を、ユーリはどう思っただろう。

これは、まずい。
何を、どこまで告げたらいいのかわからない。ユーリの事は知りたいけど、僕の事はまだ、知られたくない。だって当たり前だろう?…そういう事に偏見はないつもりだったけど、まさか自分が。ましてやユーリがどう思うかなんて、今すぐ聞く勇気はさすがになかった。

せっかく、ユーリも僕を知りたいと言ってくれたのに……


大丈夫か、と小さな声で尋ねるユーリをまともに見ることができなくて、のろのろと椅子に座り直した。

どう、答えれば。
この場をやり過ごすことしか頭になかった。


「なあ、フレン」

「なに、かな」

「……やっぱ『面白いやつ』から『変なやつ』に格下げしていいか、おまえのこと」

「それは嫌だ」

「あ、そ…」

冗談じゃない。いや、気持ちはまあ、わかるんだけど。はっきりとした否定が意外だったのか、ユーリが鼻白んだ。


「………………」

「いつまで黙ってるつもりだ?なんでそんなに考え込んでんだよ。知りたい事があるから口に出してんじゃねえのか」

「そう、なんだけど」

「…仕方ねえな…じゃあ聞き方を変えてやる。オレもおまえのこと、知りたいって言ったよな」

まさかユーリからそこに触れて来るとは思ってもいなかった。驚いて顔を上げた僕をじっと見つめるユーリは妙に神妙な面持ちで、何故そんな様子なのかわからない。

…ああ、何だかもう、わからない事ばかりだな…。
自分の事ながら混乱しているけど、とにかく冷静にならないと。下手なことを言うわけにはいかないんだ。

「オレは確かにおまえの事を知りたいって言ったけど、何も朝から晩まで一日中、どこで何してるとかそんなことが知りたい訳じゃねえ」

僕の仕事の内容にも、具体的には興味ないとユーリは言った。
じゃあ一体何が知りたいのかと聞いた僕に、ユーリはややうんざりしたような様子で、でもはっきりと答えた。

「それを、これからの付き合いで探せばいいんじゃねえのか」

これから友達付き合いをしていこうという段階で、いきなりあれこれと聞かれるのはあまりいい気分じゃない。それに、ただ『君の事が知りたい』とだけ言われても答えようがない。
今日のように、会話しながら少しずつ知ればいいんじゃないのか。

次々と並べ立てられるユーリの言葉には反論の余地は全くなく、僕はただ小さくなるばかりだった。

「職業病なのかもしれねえけど…女を口説いてんじゃねえんだから、真顔で…何度も言われると、物凄い微妙な気分だな」

「く…口説くって、別にそんなつもりじゃ…!」

「当たり前だ!例えだろ例え!でもな、『君の事が知りたい』なんて、口説き文句でしかないだろ!?」

「そ、そうかな…?」

「そうだ!それを、しれっと言いやがって…あ、もしかしておまえ、まだオレのこと女みてーだとか思ってんじゃねえだろうな!?まさか…」

「ち、違う!!そんなわけないだろ!」

『まさか』の後に何が来るのか聞きたくなくて、その前に慌てて否定した。
まずい、今はこれ以上この話題に触れないほうがいい…!

ユーリを不機嫌にした理由が知りたくて話を切り出したのは僕だけど、完全に墓穴を掘った格好になってる。
そうか、ユーリが微妙な表情をしていたのは、僕の言葉を『そういうふうに』捉えたからだったのか…。

無意識だった。確かに、さっきまでは。それでも言葉や表情に出ていたんだろうか。そう思ったら恥ずかしくて堪らなくなって、もうユーリの顔をちゃんと見るのも無理だった。
顔が熱くて、なんだか変な汗まで出てきたような…

俯く僕の耳に、ユーリが小さく唸るのが聞こえた。


「……はあ……」

続く溜め息に居た堪れない気持ちでいっぱいだった。僕は今日、何度ユーリに溜め息を吐かせてるんだろう。

「…とにかく!何が知りたいにしても、今すぐあれこれ聞かないと気が済まないのか、ってことだ。これから先、どっか飲みに行く機会だってあんだろうよ。おまえ、知り合った奴に毎回そうやって突撃してんのか?引かれるだろ、それ」「う……」

何て言うかもう、ユーリの言葉が胸に痛い。
引く、か。今までどうだったのか考えたくもないけど、きっとユーリもそうだったんだろうな、と思うと…辛い。

でも…そうか。
焦らなくても、いいのかな……
嫌われた訳じゃないんだよね?



「まあ、いいわ…。とりあえず今日は悪かったな」

「え…何が」

「オレが付き合わせたのに、なんか中途半端な感じになっちまったからな」

「そんな…仕事の様子も見ることができたし、とても楽しかったよ。…こっちこそごめん、なんだかその、変な気分にさせて」

「変な気分って何なんだよ……あーもう!もういい!この話は終わりだ。オレは気にしない事にする。おまえも気にするな!」

「あ、ああ…」

勢い良く立ち上がったユーリが、決まり悪そうに頭をがしがしと掻いた…いや、掻こうとして、髪をまとめたままじゃ気持ちが悪かったんだろう。
耳の後ろ…後頭部の真ん中あたりで髪を一つに括っていたゴムを乱暴に外してユーリが軽く頭を振ると、それだけで長くて真っすぐな黒髪が彼の背中に流れ落ちた。

綺麗な髪だと思ってたけど、こうして下ろしたところを見たらますます綺麗で…頭を掻いている様子は男らしいとも言えるのに、僕はただその姿に見入っていたんだからもう、どうしようもない。

直後、視線に気付いたユーリに睨まれて、曖昧に笑うしかなかったけどね…。



結局、僕はユーリに自分が何を知りたいのかを言わずに済んだ。自分でも気付いたばかりだったけど、今まで時々感じていたもやもやは一応、晴れた。

…でも、これからどうすればいいんだろう。
この先ユーリと『友達付き合い』をするにあたって、考えなきゃならないことが増えた気がする。

―――どうすれば、この繋がりをもっと深める事が出来るのか。

焦る必要はない、時間はある筈だと自分に言い聞かせながら、今だに整理しきれない感情を落ち着かせることだけを考えていた。



ーーーーー
続く

SWEET&BITTER LIFE・10(拍手文)


「…で、なんか役に立つのか?それ」


いくつか質問を繰り返し、ユーリの説明をメモしていた僕だったが、唐突なユーリの言葉にペンを走らせる手を止めて顔を上げた。


「それ?」

僕の問い掛けにユーリは答えず、顔だけを動かして顎で僕の手元を指し示すようにすると再びケーキのデコレーションをする作業に戻る。
僕が色々と聞いている間も、ユーリは作業の手を休めることはなかった。
今までユーリに聞いた事が箇条書きされたメモ帳を見る僕に、顔は向けないままユーリが改めて聞き返した。


「いや…色々聞くのは別に構わねえけど、それがおまえにとって何の役に立つのかな、って思ってさ。どうなんだ?」

「どう、って…今はまだ、何とも。ただ、知っておいて損はなさそうだし」

「んー…そうか?」

ちらりと僕を見たユーリだったが、またすぐに視線を手元に戻してデコレーションの続きを再開した。今は、ケーキの上に飾り用の生クリームを絞り出しているところだ。
一定のリズムで軽快に形作られていくクリームを見ていると、なんだかとても簡単そうに見える。でも多分、というか絶対、僕がやっても同じようにはならないんだろう。こんな間近でこういう作業を見るのは初めてのことだし、とても面白い。


ユーリが作っているのは、スタンダードなタイプの苺のショートケーキだ。今日が誕生日だと言うお客さん…正確には、お客さんの娘さん、か。その子はここのケーキが大好きで、中でもとりわけ、このショートケーキがお気に入りらしい。

僕も子供の頃に家で食べるケーキといえばこれだったな。…そういえば、まだこのお店のは食べたことがない。
こんな事を考えている間にもどんどんケーキは出来上がっていき、可愛らしくデコレーションされた生クリームの上に飾りの苺が乗せられていく様子を見ている僕に、やっと顔を上げたユーリが再び口を開いた。


「おまえ、個人的に興味があるみたいなこと言ってたよな。家で菓子作りなんかするのか?」

「個人的というか純粋に作業そのものをどうやってるのかな、って思って…一人暮らしだからある程度自炊はするけど、さすがにケーキを作ったりはしないかなあ」

「まあそうだろうな。そもそも、たいして甘いもんが好きって訳でもないんだし」

「ここのケーキは好きだけどね」

「はいはいそりゃどーも。で、役に立つのか、って話なんだけどな」

「知ってて損もないかなとは思うけど、どこで何が役に立つかわからないな。僕はこういうお店のことはよく知らなかったし、今後もし取材の仕事があるとしたら、その時にいちいち先方に聞き返す事はなくていいかもしれないけど」

「……………」

ユーリは何故か思案顔だ。
…僕、何か変な事言ったかな…。


「一応、言っとくが」


僕に向き直ると、ユーリが少し困ったように眉を寄せた。

「店のことを知らないやつの取材なんかお断りだ、って言ったのはそういう意味じゃないからな」

「……うん?何の話?」

「…あれ、違うのか?」


言われて少し考えて、すぐに思い出した。最初に取材を断られ、次にお詫びとお礼をしようと再びここへ来た時に、確かにユーリにそういう事を言われている。でも、それは……

「君の言ってる意味をちゃんと理解出来てるかどうかまだわからないけど、知識的な事だけを指してるんじゃないんだろうな、っていうのは、なんとなくわかってるよ」


本当は、それこそ取材させてもらったらはっきりわかるような気もするけど…今はまだ無理だろうな。いつか、機会があればいいんだけど。
ユーリの言ってるのは、多分『ユーリがどういう思いでこの店をやっているか』という事なんじゃないか、と思う。ユーリは自分の店を知ってもらおうとして、あんなに腹を立てながらも僕にケーキをくれたんだ。
それに、今日だって休日にも関わらず、わざわざこうしてたった一人のお客さんのために店に戻るくらいだし、ユーリがお客さんのことをとてもよく考えているのがわかる。

…僕はそういう事を全く考えずに、ただ『取材を受けて雑誌に載せれば集客効果がある』という話をしてたんだな、ということに今更ながら気付いていた。

だって、エステルさんが休んだら営業するのが厳しい、って言うぐらいなんだ。
スタッフの体制云々は僕が口を出す事じゃないし、他の従業員がまさかユーリだけということはないだろうけど、キャパを超えた集客があっても困るだけだろう。きっと、こんなふうに臨機応変な対応だって出来なくなるに違いない。

ユーリはそういうのを嫌がるんじゃないか?

今までに聞いたり、本人と話したりした感じで僕はそう思うようになっていた。
間違ってない自信はある。ユーリはお客さんをとても大切にしてるんだ。


「だから、大丈夫だよ」

「…ふうん?」

「何度も言うけど、君がどうやってあんな美味しいケーキを作ってるのか純粋に興味があるだけなんだ。あと、君のことをもっと知りたいって言っただろう?だから、いい機会だと思っ……」

「…………」

「…ユーリ?どうかした?」

「いや……」

ユーリが急に俯いてしまったので、不安になってその顔を覗き込んだ。不機嫌そうなその顔が、少し赤い…?
ところがユーリは更に顔を逸らし、さっきまでデコレーションをしていたケーキに視線を戻すと、何故か溜め息を吐いて作業を再開した。


よ…よくわからないけど、やっぱり何か変なことを言ったのかな、僕。後で聞けるようなら聞いておかないと、気になって仕方ない。今はユーリの邪魔をする訳にいかないしな…。


といっても、ケーキはもうすっかり出来上がっている。ユーリの手元にはチョコレートの小さなプレートがあって、多分それにこのケーキで誕生日を祝われる娘さんの名前を書き入れたら完成なんじゃないかと思うんだけど…
でも、どうやって名前やメッセージを書いたりしてるんだろう。もちろん、普通の筆記用具で書くわけじゃないことぐらいわかってる。ただ見た感じ、それっぽい道具のような物もない。

「…ちょっと、その棚の上の箱から中身取ってくれ」

「棚?中身って…」

ユーリの様子と作業への疑問で首を傾げる僕を見ないまま、ユーリはそれだけ言うとくるりと背を向けて作業場の奥へと行ってしまった。
それ程広くはない作業場だから、奥とは言ってもユーリの姿は見えている。…お湯を沸かしてるみたいだ。
とりあえず、ユーリに言われた棚に目をやった。僕のすぐ隣にあるステンレスのパイプラックには、様々な形をした焼き型が重ねて置かれていた。一見、何に使うのかわからない型に興味を引かれつつも視線を上げると、そこには確かに小さめの箱がある。

手に取って見ると、中には薄い紙のような、フィルムのような物が入っていた。ええと…ああ、パラフィン紙だ。ドーナツ買ったりすると中に入ってるような。それよりはだいぶしっかりした紙質だけど。
下敷きぐらいの大きさのその紙を一枚つまんで、ユーリに声を掛ける。

「ユーリ、これのこと?」

「ああ、サンキュ。一枚だけでいいぞ。箱は戻しといてくれ」

そう言いながら戻って来たユーリはすっかりいつもと変わらない様子で、手にはお湯の入った小さめのボウルを持っている。作業台に置いたそのボウルに更に一回り小さなボウルを浮かべて、そこへ小さな茶色の粒を入れた。

「今入れたの、チョコレート?最初から砕いてあるんだ…少ししか使わないんだね」

「ああ、今からこれに名前書くだけだからな。まあ、種類とか形状は時々で使い分けはするけど」

「かわいい形のプレートだね。そういうのも作ってるのかい?」

「まあな。今回は子供用だから特に」

プレートはよく見る長方形のものじゃなくて、あるキャラクターを象ってある。見たことあるんだけど…何だったかな、思い出せない。

「なるほど…ところで、その紙は何に使うんだ?」

「これか?パイピング用のコルネ作るんだよ」

「コルネ?そんな名前の菓子パンがなかったっけ」

「意味は同じだけど説明が面倒臭え」

「……後で調べてみるよ」


ユーリはその紙を斜めにカットすると、一点を指で固定したままくるくると巻いて三角錐を作り、縁を内側に折り込んで形を整えたものを僕に見せた。
もしかしたら、コルネっていうのはこの形を言うのかな。僕が知ってる菓子パンもこういう形で、中にクリームが入ってるし。

そうして出来たものに溶けたチョコレートを入れて、先端を少しだけカットするとユーリはその『コルネ』を使ってプレートに名前を書いていった。
なるほど、こうやって細い文字を書いたりするのか。
やっぱりこういうのを見る事が出来るのは面白いな。役に立つかどうかは別として。

プレートをケーキに乗せて、これで完成かと聞こうとした時にちょうどユーリが屈めていた体を起こし、軽く息を吐いた。


「おし、出来上がり!」

「お疲れ様、ユーリ」

「ん。悪かったな、付き合わせて」

「何言ってるんだ、とても興味深くて楽しかったよ。僕のほうこそ、邪魔じゃなかったかな」

「まあ多少はなー」

「………………」

出来上がったケーキを冷蔵庫にしまいながらユーリにそう言われて、思わず黙ってしまった。
…それはまあ、あれこれ質問攻めにしたかな、とは思うけどそうはっきり言われると……


「おまえ……ほんと冗談の通じない奴だな。邪魔とか迷惑だと思ったら追い出してるっつの!察しろよそれぐらい!」

「…タイミングとかあるだろう…ユーリの冗談は冗談に聞こえないよ」

「悪かったな!よっぽど冗談みたいなセリフは平気で言っといて何を…」

そこまで言って口篭るユーリは、しまった、というかのように一瞬だけ口元に手をやって慌てて僕から目を逸らすと、少し乱暴な足取りでさっさと作業場から出て行ってしまった。


え、何なんだ一体…!


「ちょっ…!ユーリ、待って!」

すぐに後を追って店内に出ると、ちょうどユーリが喫茶スペースの椅子に座ったところだった。むしり取るようにして頭に巻いたバンダナを外し、大きく溜め息を吐く姿からは苛立ちしか感じられない。

でも、何が原因でこんな態度を取られなきゃいけないのか、さっぱりわからない。さっきもちょっと様子がおかしかったし、やっぱり気になる。

聞くなら今しかなさそうだ、と思った。

頬杖をついてふて腐れているユーリの前に座りながら、僕もバンダナを外してテーブルに身を乗り出す。

少しそうしただけで、それほど大きくないテーブルの半分を僕の体が占領してしまう。
ユーリが視線だけを動かして僕を見ていた。



ーーーーー
続く

SWEET&BITTER LIFE・9(拍手文)

「オレも、おまえの事が知りたくなった」


穏やかな微笑みと共に差し出された手を握り返し、僕はユーリの言葉の意味を考えてしまう。

僕が思っている『知りたい』と、ユーリのそれとは違う筈だ。まだ数える程しか会っていないのに、と何度もお互い言ってる気がするけど、本当のところ、会話をしている時はそんな事は殆ど気にしていなかった。

…少なくとも、僕は。

会話が途切れたふとした瞬間、その事を感じることはある。だって、実際まだ知り合ってから日が浅いんだ。ちゃんと話が出来たのは一週間ほど前で、その時も個人的な話は全くと言っていいほどしていない。

昨日だってそうだ。

僕は無性にユーリに会いたくなって、勢いのまま彼の店を訪れた。
そこでまた彼を怒らせるところだったけど、ユーリは案外あっさりとその事を許してくれた…というか、その後特に気にしたふうでもなく、最初の時とは随分印象が違うと思ったんだ、本当は。

勿論、初対面でユーリを怒らせた時とは何て言うか…問題の重要性が違うんだろうけど、それにしても僕が思った以上にユーリは…僕に対して、親しげ、に…思えた。

…そう思いたいだけなのかもしれない。それがユーリの人柄で、きっと彼は本来、大抵の人間とは気さくに付き合えるんだろう。

お店に来たお客の女の子にフランクに答えてあげるのも、リピーターのお客さんに自分の携帯番号を教えてしまうのも、ユーリにとっては特に変わった事じゃなく、普通の事なんだ。


そして今、ユーリは僕の事を知りたい、と言ってくれた。


でもそれは、何も特別なことじゃない。
ただの知り合いが友人になって、それが『より親しい友人』になるかもしれない、そういう事だ。

僕は、ユーリとそうなれる事を望んでいた筈なのに。
もっと彼の事を知りたいと思って、ユーリも僕に対してそう思ってくれてるのに、本当なら喜ぶところの筈なのに、どうしてこんなに胸がもやもやするんだろう。


…僕はユーリの何を知りたいんだ…?
ユーリと………

なんだかよく…わからない。


「おい、フレン……いつまでそうやってるつもりだ……?」


頭上から降って来たユーリの声で我に返って、思わず見上げたユーリは不安そうな、不審そうな、何て言うかそういうものが色々と混ざった表情をしていた。

「そう……?え、あ…あ、ごめん」

「いや…何だ、具合でも悪ぃのか?それともまだ立ち上がれねえほど腹いっぱいなのかよ」

「……どっちも違う」

ユーリの表情の理由なら分かってる。
僕はずっと、ユーリの手を握ったままだった。それと、また『トリップ癖』が出たとでも思ってるんだろう。正直、その誤解は早い内に解いておきたいんだけど…。

ユーリの手を離す時に、ほんの一瞬だけ逡巡した。…何にって?
……いや……何でもない。
その考えを振り払うように軽く頭を振って立ち上がると、まだ怪訝そうな表情のままユーリが僕を見ていた。


「…ほんとに大丈夫か?」

「具合悪いとかじゃないから、大丈夫だよ。その、ええと…これからどうしようか、と思って」

「これから?」

「ユーリは仕事で店のほうに戻るんだろう?」

「…そうなるな」

「だから、どうしようかと。今日は君の都合に合わせるつもりだったから、僕は個人的にどこに行こうとか考えてなかったんだ」

僕は普段、休日にどこかへ出るという事があまりない。買い物に行ったりというのは当然あるけど、遊びに、というのは暫くなかった。平日休みが多いから、悉く友人とは予定が合わないんだ。

そういった意味では遊ぶ、というか外で一日過ごす気でいたから、今から帰って何かするつもりになれなかった。かと言って一人でふらふらするのも……ユーリと過ごすんだと思ってたし、ね…。


「…………」

ユーリも何か考えているみたいだけど…どうしたんだろう?
まあ仕方ない、とりあえず一旦家に…


「なあ」

「…ん?何?」

「なんだったらおまえも一緒に店に来るか?茶ぐらい出してやるから」

…意外な申し出に少し驚いた。ユーリは仕事をしに自分の店に行くんであって、そこに僕を連れて行く理由はない。

「え、でも……邪魔じゃないか?何も手伝えないし」

「おまえに何かしてもらおうなんて思ってねえよ。わざわざ付き合わせて休み潰しちまったのに、ここで放り出すのもなんか可哀相だしなあ」

「可哀相って…」

ユーリは何故か、にやにやとしながら僕を見ている。…何となくだけど、考えてる事の想像はつくな。どうせ、友達いない奴だとか思ってるんだろう。平日だからだと言いたいところだけど、よく考えたらもう実際のところ、日曜日とかでも誘われなく……やめよう、悲しくなって来る。
ところが、ユーリはそんな僕に更に追い打ちをかけてくれた。


「どうせおまえ、彼女いないんだろ?」

「………………」

「休みの前日に急に誘って何の予定も入ってなかったりさ」

……そうなんだけど。
友人との付き合いのことばかり考えてて、彼女がどうとか思われてたなんていう事は頭に浮かばなかった。
…あれ、もしかして普通はこっちが先か…?

「いくら休みが平日ったって、予定がオレの店に来るつもりだけだったとか寂しすぎんだろ」

「う……うるさいな!確かにその、彼女はいないけど。でもそのおかげで君だって一人でここに来なくて済んだんだろ!?」

「まあ一応は」


ユーリは顎に手を当て、またあの悪戯っぽい笑いを浮かべていた。な…なんでこんな、余裕なんだ。
ユーリだって別に、彼女いないんじゃないか。エステルさんはそういう関係じゃないって言ってたし…。

いや、でもだからってユーリに彼女がいないってことにはならない…?
ちょっと…今は考えないようにしよう…。

それにしても、これはいい機会かもしれない。
そもそも、僕はユーリの店を取材するために彼の元を訪れたんだ。取材は拒否されてしまったけど、僕自身ユーリの仕事に興味はある。
もし作業の様子が見られるのだとしたら、それだけでも御の字だ。別の店で取材の仕事をする時のプラスにもなるだろうし。

そう思って、僕はありがたくユーリの申し出を受ける事にした。







「とりあえずその辺に座っとけよ。オレ、着替えて来るから」

「ああ、わかった」


ユーリはそう言って、レジカウンターの裏にある扉の奥へと消えて行った。
ここからだとよく見えないけど、あの奥は工房になってるんじゃないのかな?確か昨日、エステルさんも帰る前にあそこから戻って行ったし、工房の更に奥にスタッフルームでもあるんだろうか。

喫茶スペースに座って、店内をゆっくりと眺めてみる。

初めて来た時も思ったけど、それ程広くない店内にうまく配置されたディスプレイの棚やテーブルはとても可愛らしい。本体はシンプルな木の造りなんだけど、淡い色合いのレースやリボンで品良く飾られていて、いかにも女の子が好きそうな感じだ。

まさかユーリがこれを飾ってるんじゃないだろうし、きっとエステルさんのセンスなんだろうな。
…ユーリが飾ってるところを想像したら少し笑える。あながち似合ってないわけじゃなさそうなのがまた……


「フレン!!」


一人そんなことを考えていたら、唐突に名前を呼ばれて顔を上げた僕の目の前に何かが飛んで来た。
慌ててその物体をキャッチした僕を見て、ユーリは腰に手をやって呆れたように溜め息を吐く。

ユーリは髪をバンダナに収め、白いコックコートに着替えていた。腰の少し下できっちりと結ばれたサロンのせいで、細身な体型が強調されている。
身長は僕とそう変わらないのに、改めて見てみると自分と比べてユーリは少し華奢な感じがした。


「なーに一人でニヤニヤしてんだよ…」

「な、何でもないよ。それより危ないじゃないか、いきなり何を…」

手の中の物体を改めて見ると、それはよく冷えた缶コーヒーだった。
正確に言えばカフェオレだけど。

「……まさか、お茶ってこれの事かな」

「なんだよ、何か文句でもあんのか?」

「いや、別に…」

特に何かを期待していたわけじゃないけど、もしユーリがコーヒーや紅茶を淹れてくれるならそういうのもいいな、と思った…なんて言える訳ないし。
でも少し残念に思ったその気持ちは、どうやら顔に出てしまったようだった。


「ケーキの用意したら、おまえにも何かやるからそんな顔すんなよ」

「やるって、餌付けじゃないんだから…別にそんなの気にしなくていいよ」

「その割には随分と不満そうな面してんじゃねえか」

「不満というか残念…」

「は?何が」

「だ、だから気にしなくていいって言ってるだろ!」

「……何逆ギレしてんだよ……」

「ほんとに何でもないって!それより、できればユーリが作業してるところを見せて貰えないか?」

ユーリの表情が僅かに厳しいものになる。


「それは、どういう理由で?」

「純粋に興味があるだけだよ、プロのパティシエの作業風景を見た事もないし」

「取材するつもりなら断るぜ」

「違うよ。今後こういった店での仕事がないとも限らないし、その時のために少しでも知識が得られるならそうしたい。この店の事を何かの媒体に載せようとか、そういう事じゃないから」

「…まあ…そんならいいか…ほんとはあんまり無関係のやつを中に入れたくないんだけどな」

「…そうなのかい?やっぱり、何か見られたくない事とかあるのかな」

「別にそんなんじゃねえけど。まあ衛生上の問題とか、色々とな」

今時は面倒臭いんだよ、と言ってユーリは裏に引っ込み、すぐに戻ると僕に手招きをした。

「?」

缶コーヒーをテーブルに置いてユーリの前に立つと、彼は僕に一枚の白い布を手渡した。
これ…ユーリがしてるのと同じ、バンダナ?


「ユーリ、これ…」

「…オレはまあ、そこまで気にしないんだけどな。ただおまえは完全な部外者だし、他に誰もいない時に何かあったら、ってのがあるから」

「髪の毛を覆えばいいんだろう?別に構わないというか、当たり前だと思うけど」

調理中に髪の毛なんかの異物が混入しないように気をつけるのは当然の事だ。

最近じゃ、お客の側にもちょっと困るというかタチの悪い人もいて、こういった事で不当に店側に金銭を要求したりするというのはもう珍しい話じゃない。
実際、仕事で付き合いがある店からそんな話を聞いたこともある。

「まあ端っこで見てるだけなら別にいいんだけどな。どうせそれじゃ満足しないんだろ?」

「せっかくだから、ちゃんと手元を見てみたいな」

「大したことしねえけどな。デコレーションするだけだし」

「そうなのか?今からケーキを焼くんだと思ってたんだけど」

「時間があればそうしてやりたいんだけど、ちょっと間に合いそうにないからな。向こうにはちゃんと断ったし、昨日焼いたジェノワ使う」

「ふうん……ジェ…って、何?」

「…やっぱそうなるよな」


話の流れから何となくわからなくもないけど、僕は聞いたことがない言葉だった。

説明するのが面倒なんだろう、うんざりと嫌そうな様子を隠そうともしないユーリには悪いと思うものの、こんな機会はそうそうなさそうだし。



ポケットからメモ帳とボールペンを取り出した僕を見て、『普段から持ち歩いてんのかよ…』とユーリが呟いていた。



ーーーーー
続く
▼追記

SWEET&BITTER LIFE・8(拍手文)

「えっと、次の休みは……ああ、駄目か…この人との付き合いは外せないな…」

「おい、フレン」

「うーん、そうするとかなり先に…あ、でもこの日なら午前中だけで後は空いてるか」

「おいってば!勝手に決めんな!!」


手帳をぱらぱらとめくりながら休みの予定を確認していた僕は、ユーリが拳をテーブルに叩きつける音に顔を上げた。

「どうしたんだ?勝手になんか決めないよ。先に僕のスケジュールを教えておこうと思って」

「おまえの?何でだよ」

「君のところは不定休だろう?」

ユーリがどういった都合で店休を決めてるのか分からないけど、僕のほうから都合を合わせるのは難しい。
かなり先まで予定は入ってるし、相手先の都合があるからこちらからキャンセルする訳にいかない事のほうが多いんだ。

だからとりあえず先に僕の休みをユーリに教えて、もしユーリの店がその日を店休にする事に問題がなければそうしてくれたほうがいいんじゃないか。

「どうしても都合が合わなければ仕方ないけど、これが一番確実なんじゃないかな」

「そうかあ?そんなの、おまえのほうに予定が入ったらパアじゃんか」

「まあそうだけど…もしユーリが僕に休みを合わせてくれたら、そこには予定を入れないようにするよ。余程の事じゃない限り、先約がある、って断ればいいんだし」

「うーん…そこまでして、ってのも……って、違う!!」

再びユーリがテーブルを叩く。さっきより少し強い調子に、僕の前…ユーリの後ろに座る女の子がちらちらとこちらを気にしている。

…思い反してみると、かなり騒がしいよな、僕達…いい年して。

「ユーリ、ちょっと静かにしようよ」

「…あのな、オレはまだおまえと今後もどっか出掛けるなんて一言も言ってねえぞ」

「でも、こういう所に来るのが楽しみなんだろう?一人じゃ来にくい、って言ってたじゃないか」

う、と小さく唸ってユーリが拳を引く。よっぽど好きなんだな、甘いもの。

「…そうだけどさ、おまえはどうなんだ」

「僕?」

「もともと今日だって、無理矢理付き合わしたようなもんだろ」

「そうでもないけど」

「嘘つけよ。甘いもんが大して好きでもない上に、女ばっかの店だ。入る時だって嫌そうだったじゃねえか」

「……一応、気付いてたんだね」

この手の店に、男同士でしかもプライベートでとか、なかなか来るものじゃない。確かに入る時はかなり抵抗があった。

「まあ…最初は恥ずかしかったけど、もう慣れたよ。でもさすがに、僕も一人じゃ入れないな。だから君に付き合ってあげるよ。そうすれば君だって気にしなくて済むんだろう?」

「…なんで上から目線なんだよ」

ユーリが憮然とする。上から…とか、そういうつもりは別にないけど…。
…そうか、自分から僕を誘って付き合わすのはいいけど、逆は何となく嫌なんだな、きっと。

「ユーリって、たまに子供みたいなところがあるよね」

「あ!?何の事…何笑ってんだおまえ!」

「…そうだな、僕もこういう機会がないとこんな所には来ないし、これも勉強の一環だと思えば連れて来てもらえて良かったかも」

「勉強ぉ?」

嘘はついてない。
ちょっと大袈裟だけど、まあ今後のためになることだってあると思う。仕事でこういった所に来たとしても、ゆっくり飲食することはあまりないし。
評判になってるだけあって、確かにケーキはなかなか美味しい。

未だふて腐れたような顔で僕を見るユーリを見ていると、やっぱり笑いが込み上げて来る。別に馬鹿にしてるとか、そんなんじゃないんだけど。
…ここは下手に出ておいたほうが良さそうだ。

「そう。だから、これからもユーリが行きたい所に付き合わせてくれないか?なるべく君の都合を優先できるようにするから」

「……仕方ねえなあ……」

椅子に深く座り直してユーリが大きな溜め息を吐いた。
…口元が笑っている。


「そこまで言うんならまあ、付き合ってもらうか。でもあんま、無理すんなよ」

「無理なんかじゃないよ。それじゃ、これからもよろしく」

おう、と言って笑うユーリはとても嬉しそうで、そんなユーリを見ているとこっちまで何だか嬉しくなってくる。
…実際、ユーリとの繋がりが出来たことがとても嬉しかった。


ふいにユーリが立ち上がる。
トレーを持って…片付けにでも行くのかな。

「ユーリ、もう帰るのか?」

そう聞くと、ユーリは呆れ顔で僕を見下ろした。

「何言ってんだ、もう一回取りに行って来るんだよ」

「……え?」

「まだ半分だって何回も言ってんだろ?おまえもちょっと手伝えよ、なんか時間空けたら腹が太ってさ」

「いや…そんな無理しなくても、食べられるぶんだけ取って来ればいいんじゃないかな…」

「せっかくなんだから全種類食ったほうが得じゃねーか。おまえも少しずつなら大丈夫だろ、ほら付き合えよ!!」

「え、ちょ、ちょっとユーリ!!」

付き合うって言っただろ、と笑うユーリに腕を取られ、無理矢理席から引っ張り出された僕は、結局ユーリと一緒にまた大量のケーキをトレーに乗せて戻る羽目になってしまった。
半分ずつにしたとは言え、それでもかなりの量だ。ケーキを取る間も戻るまでの間もやっぱり周囲の視線が痛かったが、ユーリはとても楽しそうだった。


「ユーリ、本当に一人で来るの、嫌なのか?」

どうにも信じられなくて聞いてみたらこんな答えが帰って来て、僕はまた笑ってしまった。

「だって、すごい大食いの奴みたいじゃねえか」

「…気にするところ、そこなんだ」

「他にも、……………」

「ん?どうしたの?」

言いかけたまま、ユーリは顔を赤くして俯いてしまった。他にも?一人で来たくない理由、他にもあるんだろうか。

「ユーリ、今何か言いかけ」

「っ、うるせえな、いいだろ別に!それよりとっとと食うぞ、時間もないんだからな!」

時計を見ると、確かに食べ放題の残り時間は少なかった。とても食べ切れそうにないと思える量のケーキを、ユーリはぱくぱくと平らげていく。

手助けなんか必要ないんじゃないかと思いながらもユーリと同じトレーのケーキをつついていると、隣を通った店員の女の子に笑われた気がした。

…本当に、男二人でこうやってケーキを食べてる姿っていうのはどうなんだろうか…。


これからも付き合う約束をしてしまった事を、ほんの少しだけ後悔した。






「あー食った食った。なんとか間に合ったなー…って、大丈夫か、フレン」

「あ、ああ…」


結局、ユーリは本当に店のケーキを全種類制覇した。

僕はユーリが食べるケーキを少しずつ分けてもらっただけだったけど、そうだな…量で言ったら普通のケーキの三、四個ぶんぐらいなんだろうか。普段、一度にこんなに食べる事がないからちょっと、胃が…


「そんなんで本当にオレに付き合えるのか?…ってか、よくうちでケーキ買う気になるよな。ちゃんと食ってんのか?」

店の入り口脇にあるベンチに座ってぐったりする僕を見下ろしながらユーリが言う。

「勿論、ちゃんと食べてるよ。一度に二つも三つも食べる事はあまりないけど」

「ふうん?二つ三つぐらいいっぺんに食うだろ」

「…女子高生じゃあるまいし…」

「何だと!?」

「そんな事より、この後はどうするつもりなんだ?」

今日、ユーリがどういった予定を立てているのか僕は何も知らない。今はまだ、お昼を少し回ったぐらいだ。
混むのを避けて少し早めに待ち合わせを指定したんだろうというのは何となく分かったけど、ちょっと中途半端な時間だな。

「エステルさんと来た時なんか、どうしてるんだ?」

「ん?そうだなあ、昼メシ食いに行って…」

「え、な、なに?今からまたどこかに食べに行くのか!?」

「甘いもんは別腹だろ」

「それは食事の後で言う事だろ!?ほんとに女子高生か君は!!」

「…じゃあどうすんだよ」

「…映画でも観に行く?」

「うげ…」

見上げたユーリは心底嫌そうだった。
何となく言いたい事は分かるけど、咄嗟に気の利いた提案が出て来ない。

「何だってそんな、野郎同士でデートまがいの事をしなきゃならねえんだ」

「デ、デートって……映画とデートは別に、イコールじゃないだろう」

男同士でスイーツバイキングの店に入るよりは、余程普通な気がする。

どうするか、と考えていたら、不意にどこからか携帯電話のバイブ音が聴こえた。

「あ、オレだわ。…悪い、ちょっと出ていいか?」

「うん?別に構わないよ」

着信を確認したユーリはわざわざ僕に断ってから電話を取った。
少し離れたところに移動して背を向けて話しているユーリだったが、僅かに見える横顔の、その表情が曇る。暫くして電話を終えたユーリは、溜め息混じりに僕に言った。


「あー…ちょっと仕事の話が入った」

「仕事?」

「ああ。うちでよく買ってくれる人でさ。どうしても、って。娘の誕生日が今日なんだと」

「ええ?随分急だね」

「バースデー用のホールケーキも普段から少しは置いてるからな。この時間から売り切れてることもあんまりねえし」

「あ、じゃあお店に行って…」

「そ。タイミング悪いよな」

買いに行ったら、たまたまお店が休みだったわけか。
それにしても、普通なら他の店に買いに行くところだと思うけど…よっぽどユーリのケーキが好きなんだな。わざわざ電話して……ん?
今、お客さんから直接かかって来てたような。

「ユーリ、お客さんに自分の携帯電話の番号、教えてるのか?」

「お得意さんだけ、何人かにはな。今日みたいな事もあるし」

「…あんまり、個人の番号は教えないほうがいいんじゃないか?お店にだって電話、あるんだろう」

「留守電聴いてからじゃ間に合わない事もあるからな。まあそんなしょっちゅうじゃねえし。…つうかさ」

携帯をジーンズのポケットにねじ込んだユーリが僕を見てニヤニヤしている。

「な、何?」

「おまえの口からそんな事言われてもなあ。個人の番号がどうとか」

「…そう、かな?」

「おまえよりよっぽど何回も店に来てる人達ばっかだぜ、教えてるのは」

「関係ないだろ、回数なんか」

「…何でそう思うんだ?」

「何度お店を利用していようが、それで本当にその人が誠実で、信頼に値するかどうかなんて分からないじゃないか」

表面上、良い客を装ってるだけかもしれない。たかが携帯電話の番号と侮れないご時世だ。
そう言うと、ユーリはますます面白そうな様子だ。

「…僕、何か変な事を言ってるかな」

「ああ、最高に面白いな」

「意味が分からないんだけど」

「おまえの言った事、そのままおまえにも当て嵌まるじゃねえか」

「……………え」

「個人情報がどうとかってんなら、普通はおまえの事も警戒すんじゃねえの?三回しか会った事なくてさ。でも、回数は関係ないんだろ?少ししか会った事なくても、誠実で、信頼に値するならいいと、おまえはそう考えてるわけだ」

「え…と」

「おまえは、オレにそう思われてる自信があるんだな」

「えっ!?」

「だってオレ、おまえに番号教えたし。ってことは、そうなんだろ」

「いや、それは僕がどう思うかじゃなくて、君が相手をどう思うかで」

「信用はしてるぜ?じゃなきゃ教えてねえよ。良かったな、おまえの思った通りに自分が思われてて」

声をあげて笑い出したユーリを、僕はただ訳も分からず見つめているだけだった。

僕はユーリを信頼に足る人物だと思ってるし、別に番号を教える事に何の抵抗もない。ただ、そう思う相手には教えてもいいんじゃないか、って思ってるだけだ。
別にユーリがどういう考えで、なんて事までは…

「いつまで笑ってるんだ、訳が分からないよ」

「…オレも、おまえと同じ考えだよ」

だから良かったな、って言ったんだ、と言うユーリの笑顔には、さっきまでのどこか人を食ったようなものは感じられない。

「本当に?…まだ、大して知りもしない相手なのに?」

「回数が関係ないって言ったのはおまえだろ。これから知っていけばいいんだから」

驚いて目を見張る僕に、ユーリが言う。


「オレも、おまえの事が知りたくなった」


…差し出された掌は、とても暖かかかった。
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