そうしていつしか会話は過去の思い出話へと変わっていった。
旅をしていた間のことも、ゆっくりと思い返して語り合うのは初めてのような気がする、とフレンは思っていた。慌ただしく過ぎる日々の中でふと思い出すことはあっても、それを共有できる相手がフレンの身近にはおらず、その積み重ねの結果が誰かと――ユーリと、会って話をしたいという気持ちを強めたのだ、と。
そう話したらユーリは呆れ顔で、『じゃあこれで当分は平気だな』と言い、フレンを切なくさせる。
(会いたいと思うのは、そんなにいけないことなのか…?)
やるせない。
そしてやはりわからない。
(こんなに近くにいるのに、君が…とても遠い)
前はそうじゃなかった、とユーリは言った。
前、というのはいつのことなのか。ユーリが騎士団を離れた後の状況が今と多少似ているのかもしれない。だがあの頃の自分は今よりも行動に制限がなかったし、ユーリはいつも下町にいた。会おうと思えばすぐ会えたから、今のような気持ちになることはなかったのか。
(…本当に、それだけか…?)
騎士団に戻って欲しくて会えば必ずその話をせずにはいられなかったが、その為にわざわざ会いに行ったりはしなかった。離れている時間が長くなり、ふとした瞬間にユーリのことを思い出すことはあっても、それは現在フレンが思うような『会いたい』ではなかったと思う。
ユーリも自分の道を見つけた今、あの頃感じていたような心配はもうしなくていいはずだ。なのに時々たまらなく不安になって会いたさがつのる、今のこの気持ちの正体は一体何なのか。何かが以前とは違うような気はしているが、それが何なのかわからない。
「ユーリ…」
「何だよ」
「え?あ、いや」
無意識に名前を呟いていた。
返事をされてまごつくフレンをユーリは怪訝そうに眉を寄せて少しの間見ていたが、やがて前を向くとつまらなそうにまた欠伸をした。
「さっきからなんかヘンだな、おまえ」
「…そうかな」
「言いたいことがあるなら――」
「ああ、まだまだ話し足りない」
「へいへい…」
本当に話したいこと、聞きたいことが別にあるような気がしたが、今は考えないことにしてフレンは顔を上げた。
(いつか、わかるんだろうか…)
夜風が強くなって来た。気持ちを切り替えようと吸い込んだ大気の冷たさに思わず身震いすると、隣でユーリが小さく笑っていた。
「――それで、あの時ユーリが…」
「………」
「…ユーリ?」
肩に掛かる重さが一瞬増した。どうやらうとうとしていたらしく、すぐに目覚めて体を起こしたユーリが決まり悪そうに口元を押さえてフレンから目を逸らした。
「眠そうだね…」
「だから…最初からそう言ってるだろうが。…暖かいしなおまえ…無駄に」
「無駄にってどういう意味だ、酷いな。…なんだか子供の頃を思い出すね。珍しく帝都に雪が降った時、あまりに寒くて…こうやって毛布に包まって寝たことがあったっけ」
「もう思い出話は勘弁してくれよ…今からそんなんで、歳取ったらどうすんだおまえ」
今から?と首を傾げるフレンにユーリが怠そうに顔だけを向けた。
「年寄りってのは、先が短いから過去を振り返って懐かしむんだとよ。オレらはまだ若いんだからさ、今までじゃなくてこれからの話しようぜ…」
「……!」
これから。
ユーリの言葉にフレンは軽い衝撃を覚え目を見張った。欠伸混じりで緊張感の欠片もない口調から思うに、ユーリは大して深い意味もなく言ったに違いない。だがそのたった一言は、フレンが今日だけで何度感じたかわからない切なさの正体にほんの少しだけ気付かせた。
「そうか…なるほどね」
「そうだ。まあ…昔話もたまにゃいいが」
「じゃあいいじゃないか、今がその『たまに』だと思うけど?」
「だからっていっぺんにしすぎだ!マジで夜が明けちまう」
僅かに白み始めた空を恨めしげに見遣ってユーリが吐き出した息がふわりと流れるのを目で追いながら、フレンは思う。
以前の自分は常に前を見ていたはずだ。理不尽を無くす為、世界を変える為に先に進むしか道はなかった。選んだ方法は違っても、ユーリも同じ未来を目指している。互いの生き方を尊重し、理解し合っての『いま』のはずだった。
そのはず、なのに。
(僕は…いつからこんなに後ろを振り返ってばかりになったんだ?)
帝国の、そして自らが率いる騎士団の現状は、まだまだ納得のいくものではない。だからこそ、今は一歩でも前に進まなければならない時なのだ。そんなことはフレン自身もよくわかっている。
やるべき事は多く、文字通り休む暇もない。だが辛くはない。充実している、とも言える。
でも。
それでも、ふとした瞬間に押し寄せるのはやり場のない寂しさと、果てしない孤独感。自分の理想を理解し協力してくれる者は多いのに、たった一人だけはどうやっても自分の隣を並んで歩いてはくれないのだ。
だから思い出す。
共に過ごした子供の頃を。夢と希望を胸に抱いて、苛酷な生活の中でも無邪気に笑い合えたあの幼き日々を。
現実に心を砕かれ、夢を諦めたユーリを叱咤し続けた時でさえこんな気持ちになることはなかったのは、まだ希望があったからだ。もしかしたら再びユーリと肩を並べて歩く道もあるかもしれない、今からでも遅くはない――そう思っていたからこそ騎士団に、…自分の隣に戻ってこいと何度も何度も言ったのだ。
その可能性はないのだと漸く納得できたのは、ユーリが道を決めたその場に立ち会えたからかもしれない。
世界を食い潰す脅威を打ち倒すためにユーリ達と行動を共にして、更にはっきりと『自分達の道は分かたれた』と感じた。
その頃からだろうか。
ユーリの先を行き、自分と同じ場所まで引っ張り上げてやろうと思っていたのが、いつしかユーリに背中を押されっぱなしなことに気付いた。嬉しさと頼もしさ、安心感の中に混じる、寂しさ――
(ああ……そうか)
こんなことを考えるのは、本当は不謹慎なのかもしれない、とフレンは思う。だがユーリと、仲間達と旅をしていた間があまりにも楽しくて、充たされていた。ユーリと背中を預け合い、戦うことの出来るこの瞬間がもっと続けばいいと、心のどこかで思っていた。
多分、もう二度と同じ状況は訪れない。
(ユーリと同じ場所に立っていられたあの時に、戻りたいわけじゃない…)
あえて離れて行こうとする親友に、『そんなことを考える必要はない』と言ってやりたいのにできなくて、変わってしまった『立ち位置』が苦しくて――
「最低だな、僕は」
零れた呟きにユーリが顔を上げた。
「…今度はなんだ」
「気付いたんだ、やっと。どうして自分が過去の話ばかりするようになったのか」
「ふーん?」
「ユーリ、僕は多分…君を立ち直らせることが出来るのは僕だけだって思ってたんだ」
なんて驕った考えなんだろう。
でも、当時はそんなふうには思っていなかった。
「へえ?めちゃくちゃでっけえお世話だな、それ」
「はは…。ほんとそうだよな。でも、実際はそうじゃなかった」
「……」
「君に前を向かせたのは僕じゃなくて、他の皆だった。いつの間にか君はどんどん先へ進んでいて、自分だけが取り残されたような気がして、なんだか…面白くなかった」
今にして思えば、あれはユーリの仲間達に対する嫉妬だったのだ。
ユーリのことは誰よりも自分が理解している。そのはずだったのに、知らぬ間に信頼に足る仲間を得、彼らに屈託のない笑顔を見せるユーリを見ていると、胸の奥が苦しくなった。
「ザウデに向かう前あたりかな、君の雰囲気が変わったと思った。…いや、昔に戻ったというべきか。とにかく、妙にすっきりした顔になったと感じていたよ」
何かが吹っ切れたのだろう、とは思ったが、聞けなかった。聞きたくなかった。
なぜなら、その時ユーリが心に抱えていた闇を払ったのは自分ではなかったから…。
ユーリへの接し方、そこに少なからず含まれていたのは『自信』だ。
ユーリよりも自分が優れているなどとは思っていない。ただユーリを変えることが――大袈裟に言えば、導くことが出来るのは自分だけだという、自信。
でも、そうではなかった。
ユーリにとっては喜ばしいことだ。仲間は多いほうがいいに決まっている。下町にも友人は多くいるが、それとはまた違う、心を許し合える仲間――
「…それを素直に喜ぶことができない自分は、なんてつまらない人間なんだろうかと…。だから最低なんだ、僕は」
歪んだ笑いを浮かべる唇を隠すように、フレンは口元に手をやって深く息を吐く。少し冷えた手を暖める『フリ』がはたして通じたのかどうか…。ユーリは一瞬フレンへと視線を向けただけで、つまらなそうな顔のまま、また一つ大きな欠伸をした。
「おまえが何を言いたいのかよくわからねえが…」
「ああ、すまな…」
「つまりこうか?騎士団には戻らず、あれこれ勝手やって、おまえの知らないところで立派に独り立ちしたオレにほったらかしにされて寂しかったと」
「…そう、なんだけど…。面と向かって言われると、ちょっと…」
「自分でそう言ったくせになに言ってやがる、全く…。だから昔話がしたくなるって?」
なんでも二人でやっていたあの頃が、そんなに幸せだったのか。
一呼吸置いて、ユーリがフレンに問い掛ける。
しっかりと見据えてくる薄紫の瞳に、フレンは言葉を詰まらせた。
「食うもんも食えなかったけど、確かにオレとおまえはいつも一緒で、なんでも半分こしてさ。いつか世界を変えるんだって本気で思ってて…。楽な暮らしじゃなかったが、それなりに楽しくはあったな、確かに」
「…ユーリ」
あまり聞くことのない、素直な言葉だった。ユーリの声も表情も穏やかで、先程の視線の中に見た鋭さは既にない。
その瞳でユーリは何を語りたいのか、もっと知りたいとフレンは思う。無意識のうちに顔を寄せていたが、ユーリはそれに気付いてまた同じだけ距離を取る。瞳に戻った鋭さは僅かに揺れ動き、戸惑いを隠すかのように伏せられた。
互いを包む空気は穏やかなのに、どこかそわそわと落ち着かない。それは二人共ずっと感じている、不思議な感覚だった。
特にユーリはフレンの行動のいちいちが何かと気になって仕方がなかった。『なぜ』今日、このような行動を取るのか。話をしていてなんとなくわかった部分もあるが、それにしても疑問が残っている。その最たるものは言うまでもなく今の『距離』だった。
寒いからなんて言い訳だ、と今更ながらユーリは思う。
フレンが自分の手を、肩を…身体を、必要以上に触れて離さない理由が先ほどの言葉から来ているのだとしても。あまりにも子供じみた独占欲を、こうも露骨に発揮されるとどうしていいかわからない。
(寂しかった?楽しかった?…どれもこれも過去形じゃねえか。じゃあ…今はどうなんだ…?)
なにか変だ、と思う。だがその『なにか』が何なのかわからず、頭の中で感情という名の糸がどうしようもなく複雑に絡みあい、ユーリを悩ませる。
ちらりと隣を窺えばフレンと目が合った。ずっとこちらを見ていたのかと思うとまた面映いが、ユーリはそんな思いをひとまず置いて話を続けることにした。
「過去に戻ることはできないし、もしそんなことが出来たとしてもオレは戻りたいとも思わない。…たまには懐かしむのもいいさ。でもおまえ、そんなに今が不満か?」
「不満なんかじゃないさ。ただ…」
「ただ?」
「ただ、時々ひどくつまらないと思うことがある」
それは紛れもなく本音だった。
フレン自身、我ながら感情の篭らない言い方になったな、と思う。ユーリの表情が一転、険しいものとなった。