夜明け前(リクエスト・フレンを見送るユーリ)

【明け方・箒星のユーリの部屋・フレンを見送るユーリ】でリクエスト頂いた捧げ物です。



真冬の早朝、しん、と冷えた空気が満ちる部屋は静寂に包まれて、鳥の声さえも聞こえてはこない。まだ目覚めの時間には早すぎるにも関わらず、ユーリはベッドの上でため息をひとつ零すと気だるく重い全身を小さく震わせ、ゆっくりと身体を起こした。
たいして上等とは言い難いベッドの軋む音が、やけに大きく耳に響く。自分たちを包み込む静寂の中、鎧戸を閉めてもところどころに隙間を隠せない窓から細く射し込む光はまだ頼りなく、夜が明け切らないことを改めてユーリに悟らせた。
隣で眠るフレンの肩が視界の端に僅かに映る。こちらに背を向けて眠るフレンは、シーツをほぼ独占している状態だった。
シーツを巻き込んで寝返りを打ったのだろうか。布はフレンの胸のあたりでだいぶ余っていて、肩から背中にかけて晒された素肌が寒々しい。シーツを掛け直してやろうと思う前に、ユーリは今日ふたつめのため息を吐き出していた。

寒さに目が覚めるなんて久しぶりだ、とユーリは思った。
二人ぶんの体温で程よく温まったベッドは寝心地が良くて、共寝をした朝は起きるのがついつい遅くなることもある。多くの場合で先に起きだすのはフレンで、ユーリはフレンが身支度を整える物音か、あるいはフレンが自分を見つめる『気配』に目を覚ますかのどちらかの場合が多かった。
後者の場合、初めの頃は気まずくて仕方がなかったのだが…いい加減、慣れた。気まずいというよりは気恥ずかしい、のほうが正しいかもしれない。

触れてもいないのに視線だけで人を起こすなんて、おまえの瞳には妙な力でもあるんじゃないのか――

そんなことを言った時もあった。フレンは笑って、もし何かあるのだとしてもそれはユーリにしか働かない力だ、と答えた。思い出すだけで背中がむず痒くなってくる話だ。

微かに聞こえていた規則正しい寝息が止まる。むき出しになっていた肩をもぞもぞと縮こませ、フレンは更にシーツを手繰り寄せてその中に顔を埋めた。ややあって再び漏れ聞こえてくる穏やかな呼吸音。今フレンの顔を覗き込んだら、さぞ幸せそうな寝顔が見られることだろう。
自分ばかりが見られているのは不公平だ。そう思って顔を近づけようとしたユーリだったが、ふと動きを止めると慌ててフレンから顔を逸らした。そして、くしゃみをひとつ。
すん、と鼻を啜りながら見下ろした背中は緩やかに上下し続け、フレンが起きる気配は全くない。
起こさずに済んでよかったと思う反面、ほんの少しの苛立ちと呆れにユーリの眉間に皺が寄る。が、それも一瞬のことで、ユーリはみっつめのため息を落としながら枕元のポールに手を伸ばし、そこに引っ掛けてあった上着を取って肩から羽織った。
そうしてそっと覗き込んだフレンは、想像通りの表情で――少し幼い寝顔に、ユーリはつい口元を緩ませる。起きたら文句の一つも言ってやろうと思っていたのに、そんな気は全くなくなってしまった。

それにしても、いつからシーツを奪われていたのだろう。冷えきった腕は、少しさすったぐらいでは温まらなかった。
お世辞にも寝相が良いとは言い難いフレンと同じベッドで眠ると穏やかではない方法で起こされることもあったのだが、それに比べればマシかと思うしかない。

眠気も覚めてしまったし、何か温かい飲み物でも淹れてこようか。たまにはフレンよりも先に起きて、いつまで寝てるつもりだ?なんて言って笑ってやるのもいい。

ユーリがそう思った時、隣でまた気配が動いた。むき出しの背中が寒いのか、フレンは更に体を丸めてうずくまるような格好になっている。そのせいで余計にシーツがめくれて、後ろから見えるのはほとんどフレンの肌だけになってしまっていた。
さすがにシーツを掛け直してやろうと思ったユーリは布の端を摘んで軽く引っ張ったが、フレンの腕にしっかり抱き込まれた布はただ強い抵抗でもってその場に居座るばかりで、どうすることもできない。
仕方なしにシーツから手を離すと、ユーリは眠っているフレンの背中を見つめた。
薄暗かった部屋はだいぶ明るくなって、程よく筋肉のついた肩や二の腕、薄く浮いた背骨の隆起とそれが生み出す陰影がよくわかる。
逞しくなったもんだ、などと思いながらユーリはフレンの背をそっと指でなぞると、音を立てないようにしながらそろそろと身体をベッドに横たえた。
眠いわけではない。ただ、もっと近くでその背中を見たかった。

見慣れているはずの背中だ。子供のころから、ずっと見てきた。ただ、今はその背中に思うユーリ自身の『想い』が違っていた。少なくとも、今この瞬間に考えているようなことは思ってもいなかった。
――愛しい、とか。

そろそろとにじり寄って間近に見つめた背中には、小さな傷があった。もうほとんど消えてうっすらと紅い筋を残しているだけの傷は、フレンの不注意でついたものではない。背中を傷付けられるようなことなど、そうあってはならないのだ。
ユーリは自らが付けた傷跡にそっと指先で触れ、それがいつのものだったかを思い出そうとした。確か、数週間前……一ヶ月は経っていないはずだ。フレンに抱かれながらつい爪を立てたあの夜、ほんの一瞬だけ息を詰め眉を歪めたフレンにユーリも呼吸を忘れ、見入ってしまった。
痛みのせいだけではない、あの切なげな表情――
もう一度見たいと思っていた。だが、昨晩はフレンが手を離してくれなかったのだ。勿論、背中を引っかかれまいとしての行動ではないのだろう。それにユーリも相当追い詰められていて、最中には余計なことを考える余裕などなかった。今、フレンの背中を前にしてやっと思い出したぐらいだ。

ユーリは、フレンの背中をなぞっていた指先に少しだけ力を込めてみた。ぐっと押し付けるようにすると、それまで規則正しいリズムで緩やかに波打っていた肌がぴたりと動きを止める。構わずにそのまま軽く爪を食い込ませたところで、さすがにフレンも目を覚ましたようだ。
後ろのユーリに向き直ろうとしてすぐに皺くちゃのシーツに気付き、それを整え、ユーリに掛けてやる。すまない、と申し訳なさそうに笑うとそのまま起き上がってベッドから降りようとするフレンの腕を、ユーリは思わず掴んでいた。
振り返ったフレンが小首を傾げる。と、掴まれた腕もそのままに身体を捻り、見上げるユーリにキスをして満足そうに微笑んだ。
別に、キスをねだったわけではなかった。何を勘違いしたのかフレンは完全にそう思っているようで、にこにこと嬉しそうな様子に何も言えず、ユーリはふいと視線を逸らしてフレンの腕を離した。

ベッドから降りたフレンの背中の傷は、こうして少し離れただけでもう見えないほど薄い。次に会う時はすっかり消えてしまっていることだろう。
次がいつなのかなんて考えることはしない。特にユーリはそうだった。いつだって先の予定は不確かで、約束をすれば守れなかった時がつらい。
それでもフレンはよく、ユーリにこう訊ねるのだ。次はいつ逢える?と。
それに対してユーリがはっきりと答えることはほとんどない。さあな、と笑って去るのが常だった。

ユーリはフレンが着替える様子を眺めていたが、静かに瞳を閉じて見えなくなってしまった背中を瞼に描いた。
あの表情を見るために、また傷を付けてやりたいなんて考えていると知ったらフレンはどう思うだろう。
そして、傷が治りきらないうちに逢いたい、なんて――

支度を整えたフレンが振り返り、一呼吸の間の後で口を開く。しかし、フレンが言葉を発するより先にユーリはこう訊ねていた。

次はいつ逢える?

フレンは目を瞬いたが、開きかけの口元は既に悪戯っぽい笑みを形作っている。さあね、と返したフレンはことさら嬉しそうに表情を綻ばせ、ユーリを抱き寄せた。

逢いたいと思えば、いつでも

ユーリは耳元で囁くフレンを抱き返し、嘘をつくな、と傷を残せない背中に爪を立てた。
▼追記

誘い、さそわれ・前(※リクエスト・自慰をするユーリ)

02/14 22:34拍手コメントよりリクエスト
本編ED後、しばらく会っていない二人の抑えが効かなくなる話の前編で、ユーリが一人でしてます。裏ですので閲覧にはご注意ください。








疲れているはずなのに、睡眠よりも先に身体が求めるものがある。そうなってしまった自分を嘲笑い、そうさせた相手に少しだけ恨みがましい視線を投げつつも肌を擦り寄せる。そうすれば相手――フレンは、絶対に自分を拒みはしなかった。

『僕も疲れてるんだけどな』

まるでユーリだけがその行為を必要としているかのような物言いで、仕方なさそうにゆっくりと腰を抱き寄せる。だが帯を解く手つきに全く戸惑いはなく、いざ事を進めればそれこそユーリのほうの体力が尽きて疲れ果てるまで責めの手を休めない。そうしてまた恨みがましく睨めつけるユーリの頬を優しく撫でて、こう言うのだ。

『そんなに我慢ができないなら、もっと早く会いに来ればいいのに』

我慢ができていないのはお互い様だと思いながら、だいたいの場合においてユーリに反論する気力は残っていない。フレンに背を向けて瞳を閉じると睡魔に身を委ね、髪を撫で梳く指先を感じながらいつしか眠りに落ちてゆく――

そんな夜を幾度か過ごし、今夜もまたあの熱い肌と囁きを身体が欲するがままに、ユーリはフレンの部屋へと向かう。つくづくどうしようもないことだ、と口元を歪めて笑うその表情は闇に隠されて、誰に見られる心配もないと思うと堪える気も起きなかった。



「…ん…?」

鍵の掛かっていない窓から部屋の中に降り立ち、淡い光が照らす机に手を置いてちらりと視線を巡らせた後、ユーリはつまらなそうに鼻を鳴らした。特に約束をした上での訪問ではないから、フレンが留守の場合も少なくはない。だがそんな時はさすがに鍵が掛かっているし、部屋の灯りも点いてはいなかった。
つまり、今しがたまでフレンはここにいたのだ。
なぜ部屋を出たのかまではわからないが、おそらくそれほど待たずとも戻って来るのだろう。とは言え鍵を掛けずに不用心な…と思うのも一瞬で、それを本人に言ってやるつもりは毛頭なかった。返って来る言葉は容易に想像できて、それに反論する術をユーリは持たない。今、こうしてこの場所に来てしまったことが全ての言い訳を無駄にし、フレンを喜ばせるだけだとわかっていた。

「まあ…いいけどなあ、今さら…」

独りごちて息を吐けば、フレンの声が聴こえるような気さえする。

『鍵を掛けないのは君のためだよ、ユーリ』

いつか言われた言葉だ。
正式な手順を踏むのを面倒がるユーリのためにわざわざそうしているのだと、意地悪く笑うフレン。

『窓を壊されでもしたらかなわないからね』

さすがにそこまでは…とその時は返したが、今もし鍵が掛かっていたらどうしただろうと考えると乾いた笑いしか出なかった。灯りがついていたぶん、期待が大きかったのかもしれない。
窓を開ければフレンがそこにいて、他愛も無い会話を適当に楽しんで、そして――

(…どうするか、な…)

フレンが仕事をしていたのであろう机に目をやり、ユーリはぼんやりと考える。
鍵は開いていた。灯りはつけっぱなし、机の上も片付いていない。だからすぐに戻ってくるだろうと思っていたが、よく考えればそうとばかりも限らなかった。何か問題が発生して呼び出され、急いで出かけたのだとしたら?もしそうだったら、部屋のことなど気にかける余裕もないほど焦っていたということではないのか。

――戻ってこないかもしれない。
そう思うと、全身がなんとも言えない疲労感に包まれるのを感じた。今から下町に戻る気も起きず、ユーリの足は自然と隣の寝室へと向いていた。




「…ん…っ」

自分の部屋にあるものより遥かに広く、柔らかなベッドに横たわってユーリは苦しげに呻いた。
――いや、呻いたというのは正しくない。浅く繰り返される呼吸に時折混じる声、艶を含んだそれはなんとも言えない色香をそこら中に漂わせ、声が上がる度に室内の空気がざわりと震えるようだった。

「あ、っは…ぁ、はっ…」

真っ白なシーツの上に横たわり、長い黒髪を好き放題に乱れさせてユーリは忙しなく身体を揺らしていた。
上着はすっかりはだけられ、薄く朱の挿す胸元が薄暗い部屋の中でそれでもなお白く輪郭を浮かび上がらせている。時折引き攣ったようにその身体が跳ね、快楽を押しとどめようとして噛み締められた口元が歪んだ。脱ぎ散らかされた帯や下履きが余裕の無さを感じさせるが、ここにいるのがユーリだけだという事以外はいつも通りと言えばいつも通りの光景でもあった。情事の際にいちいち脱いだ服をどうこう言うような野暮はさすがにフレンもしないし、脱がしかけて腕に絡まった上着をうっとおしそうに引き抜いてぞんざいに投げ捨てるようなことさえある。あの几帳面な男がこうも変わるのか、と思うと可笑しくてつい笑ってしまい、それを見たフレンがむっとしたように眉を寄せた後、息もできないほどに深く唇を合わせられる――

そんな余裕のなさが、愛しいと思っていた。

ユーリはたまに、冗談めかして『オレって愛されてるよな』などとフレンに言ったりするが、その言葉は本心に違いなかった。フレンが自分にだけ見せる執着には時にひやりとさせられるが、最近ではそんな姿を見せられてどうあしらおうかと考えるのが楽しいとすら思う。
調子に乗って痛い目を見ることもあったが、そのやりとりも含め全てが何ものにも代え難く、愛しい。そんなふうに思えるようになるまでには随分かかった気もするが、今の関係にとりあえず不満はなかった。
あるとすれば、世間一般の恋人のように人目を気にせず会うことが出来ない、というところぐらいか。会うだけならまだしも、まさかこんな関係だと知られては色々と面倒だ。正面から行けばどうしても誰かに姿を見られるし、『こんな関係』だと邪推されないまでも朝までいられたはずの時間を邪魔はされるかもしれない。ユーリを良く思わない者が何かしらの理由をつけて、フレンのもとから追い出そうとしないとは限らなかった。

だから、ユーリはこうして窓から忍んで行くのだ。せっかくのひとときを邪魔されないために。それを知っていてわざわざ正面から来いとフレンが言うのはどうしてかと考えたこともあったが、頭に浮かんだいくつかの仮説はどれもユーリにとってはあまり面白くないものだった。目立ちたいとは思わない。こうして会えればそれでいいのだ。
――もっとも、今はその相手がいない。目を閉じて姿を思い浮かべ、フレンが自分にするように自身の肌に指を這わせると、切なげな吐息が濡れた唇から溢れ出す。シーツに皺を刻み込みながらいつかの夜を思い、自身を慰める指先が震えながら動きを早めていった。

ユーリは目を閉じたまま、右手で胸の上の小さな突起を捏ね回しながら左手で絶え間なく性器を刺激し続ける。擦り上げる度に指先に絡む透明な液体は一度溢れたら止まらず、ぬるぬると手の内を滑り落ちながら濁りを帯びた水音を響かせた。

『随分と良さそうだね?』

瞼の内で笑うフレンはそう言って手の動きを加速させ、それに合わせて器用に先端を弄ぶ。先走りが滲むその場所に軽く爪を立て、擽るように円を描けばユーリの腰が強張ったように引き攣り、肌が粟立つ。快楽に混じる僅かな痛みに耐えるかのように歪められた目元に優しく口付けて、背中に腕を回してきつく抱きながら更に攻めの手は激しくなり、重ねた身体の下で翻弄されるユーリをフレンはどこか嬉しそうな様子で見下ろす――
その瞳を、声を思い出すだけでますます己の昂ぶりは熱を増し、自分はフレンに抱かれることをどれだけ悦んでいるのかと思い、ユーリは口端を少しだけ上げた。他の相手を知っているわけではないが、体の相性はいいのだろう。おそらく、誰よりもフレンが一番のはずだ。今となっては比べることもできないが。

「は…っ、あ、んんっ…!!…っく、う…!」

快感を堪える気などさらさらないので、次第に嬌声は遠慮の無いものへと変わっていく。
『普段の』ユーリの姿しか知らない者が今のこの場面に出くわしたら、驚く間もなくまずはその魅惑的な肢体と蕩けた表情に目を奪われ、息を呑んで動きを止めてしまうのではないか。そして、例えその気がなかったとしても吸い寄せられて触れてみたいと思うのでは――そんな妖しげな魅力が確かにある。だから用心しろと困ったように眉を下げる恋人に、ユーリは幾度もそのようなことを言われていた。
だがそれはユーリ自身には気付きようもないことだ。そんなことを自覚できるほど自惚れてはいないつもりだし、恋人に対する欲目以外の何物でもないとしか思えない。だから、自分以外にそんな姿を見せるなと釘を刺される度、ユーリは鼻で嗤ってその言葉を流してきたのだが…最近では、フレンの言うこともあながち間違いではないのかもしれないと思うことも少なくなかった。

例えば、酒場で一人、酒を呑んでいる時。
他に空いているテーブルがあるのに相席を求められたような場合、その相手のうち幾人かは確実にユーリを『そういう対象』として見ていた。行動範囲が下町とその周辺ぐらいだった時には考えもしなかったが、様々な街に出入りするようになった今ではなるほど物好きな人間も多いものだ、と思うことが増えた。
そういった輩にしてみれば欲望を満たしてくれるなら誰でもいいのだろうし、周りには他にいくらでも誘いを受けてくれそうな人間がいそうなものなのに、とも思う。だが好色そうな笑みを浮かべて声を掛けてくる男たちにもそれなりに相手に求めるものがあるのだとして、それこそがフレンの言う『用心』が必要な部分――誘っているわけでもないのに引き寄せてしまう『魅力』ということなのだろうか、と。

「…ふ…」

薄笑いが漏れる。
少なくとも、男に誘われるような自分ではなかったはずだ、とユーリは思う。男に――フレンに抱かれるようになるまでは。それが今ではどうだ。何がそうさせるのかあまり考えたくないが、客引きの女よりも店内で客の男に声を掛けられるほうが多いのだからたまらない。だが、用心が必要だというならそんな男たちよりよほどフレンに対してではないかと思い、ユーリはつい笑っていた。
誰が声を掛けて来ようとも、相手をしてやる気は全くない。しつこくされても完全に拒絶できる。
だが、フレン相手だとそうはいかないから困るのだ。

拒めない。
会えばどうしても求めてしまう。今日だってそのためにわざわざこうやって来てしまったぐらいだ。今の関係に慣れた一方で、胸の奥には常に『このままでいいはずがない』という思いも抱えている。だからこれ以上深みにはまって溺れないよう、用心しなければならない――そう、思う。

(……いまさら、だな)

ベッドの上で荒い息を継ぎながら、ユーリは仰向けだった身体を反転させた。シーツに顔を埋め、性器を扱く左手はそのまま、膝をついて腰を高く上げる。フレンを受け入れている場所へと空いている手を伸ばし、そっと触れた。

「んっ…く」

恐る恐る、といった感じでゆっくりと押し拡げるように指先を撫で付けながら、ほんの少しだけ中へと指を進める。それ以上奥へ入れるには自分では届かなくて、少々辛い。それでもなんとか中指を半分ほど埋めて、ユーリは息を吐いた。
傍から見たらなんて格好だろうと思い、誰がいるわけでもないのに僅かに頬が熱くなるのがわかる。他の誰かが自分の性的欲求を慰めるのにどういったことをしているのか、などということに全く興味はないし、知りたいとも思わない。が、男であればだいたいすることは同じだろう。だが、今自分がしているような行為をするのはおよそ少数派のような気はするし、『そこ』を使うことで快感を得ることになるなんて…と思うと、そのことに対してはどうにも羞恥を捨てきれないでいる。
しかし身体が覚えてしまったあの感覚――フレンの熱い昂ぶりで奥まで穿たれ、内側を散々に掻き回されて良いところを突かれ、まともな思考能力が全て吹き飛んでしまうような、あの気持ちの良さはもう手放すことができない。フレンがいつもするように、その動きを真似て自分で中を拡げようとしてもどうにももどかしく、シーツを皺だらけにして身体をくねらせている自分の浅ましさを思うと更に顔に熱が集まるのを感じた。

(足りない…届か、ない。もっと、奥…)

吐息が更に荒くなる。
フレンの声を、手つきを…体温を、全てを思いながらユーリは必死で慰めの手を早めた。固く張り詰めた性器を扱きながら腰を高く掲げ、尻を突き出すような姿勢で後ろに埋めた指を動かす。膝立ちになればもっと奥まで楽に弄ることができるとわかっていて、あえてその姿勢をとらないのは少しでも『フレンにされている』と思っていたいから。内側で最も敏感な場所を外しているのも、フレンがわざとそうするから――

「フレン……」

声に出して名前を呼んで、すぐにユーリは唇を噛み締めた。乱れた髪が邪魔をして表情は隠され、口元だけが見えている。きつく閉じられていた唇が震え、切なげな吐息とともに開かれた隙間から覗く朱がぬるりと光ったように見えた。

「…っく…!ふ、ぅ……!!」

寸の間、ユーリの身体が強張り、高く掠れた声がその口から漏れる。汗ばんだ背中がびくん、と一度大きく揺らぎ、吐き出された熱が指にまとわりつきながら流れ落ちてシーツを汚した。そのままごろりと身体を横たえ、肌触りのよい布地で適当に手を拭う。どうせこの後、シーツは使い物にならなくなる。何も気にはしなかった。
激しく肩を上下させながらぼんやりと見つめる先にはこの部屋の扉があるだけで、誰の姿もない。だがユーリは視線を外すことなく、重厚な扉を見ながらふと、こんなことを考えた。

――もしその向こう側で、自分の痴態に誰かが聞き耳を立てていたとしたら――?

そう思うとひどく興奮した。今、物音は聞こえない。誰かの気配を感じ取れるほど、神経を研ぎ澄ます余裕もない。ただの妄想だ。そして、『そこにいてほしい』という願望でもあった。もしも『誰か』がフレンであったら、さぞこれからの逢瀬が楽しくなるに違いないと思う。フレン以外の可能性もなくはなかったが、時間が時間なだけにあまり現実的ではない。使用人が部屋の掃除に来るには遅すぎる時間だ。フレン以外が来ることがないと思うからこそ、こうしてユーリは好き放題にベッドを荒らしているのだ。

(…早く戻ってこいっての)

身体の火照りは治まるどころか、中途半端に刺激したせいで奥側の疼きは耐え難いものになっている。この熱が引いてしまう前に、もっと熱いフレンの体温が欲しい――そう思い、ユーリは自らの肩を強く抱いて固く瞳を閉じた。


―――――
続く
▼追記

純情過剰はほどほどに・前(リクエスト・ユーリ女体化)

02/14 23:02拍手コメントの方よりリクエスト 「自信過剰で行こう!」の続き






君が傍にいてくれさえすれば、他に何もいらない。

本当だよ。心からそう思ってるんだ。だけど、君がたった一人の存在だからこそもっと、――もっと求めたいし、求めてほしい。

そう思うのは、わがままなのかな……


ユーリとは長い付き合いだ。それはもう、文字通り。生まれた時から今まで、ほぼ同じ時を過ごした、と言ってもおかしくないほど僕らはずっと一緒だった。
いつの頃からか、僕はユーリを一人の女の子として意識するようになって、その気持ちは成長する毎に確かなものになっていった。
他の女性の事をそんなふうに意識したことは一度だってない。今はもう、好きだという言葉じゃ足りないぐらい彼女は僕にとって大切な存在になっている。

「…ユーリ」

腕の中で寝息を立てるユーリの顔を見つめていると、なんだか落ち着かなくなってくる。少し不機嫌そうにも見える様子に、昨晩のことを夢にでも見ているのだろうか、と考えればますます心がざわついた。

ユーリは…いわゆる異性との経験がない。…あったら困る。困るというか、もしその相手を前にしたら僕はきっと平静ではいられない。殴りはしない……と、思うが自信はないし、何よりもまずユーリが僕以外の誰か他の男に、なんて考えたくもない。誰にも触れさせたくない。
だけど、こんなことを言っておきながら僕自身はユーリ以外の女性と…夜を共にしたことが、ある。今さら過去のことはどうしようもないけど、それを知った時のユーリの反応に僕は心の底から己の行動を後悔した。

まさか、自分も他の男と経験して自信をつける、と言い出すだなんて……!

…ユーリは、僕に抱かれるのが嫌だというわけじゃなさそうだった。ただ、怖いのだ、と。だったら尚更、僕以外となんて無理に決まってる。僕に対してさえこれほど奥手なのに、見知らぬ相手に大人しく抱かれるとは思えなかった。
自惚れだと言いたければ好きにすればいい。でも、間違いない。
昨日の出来事を思い出して少し複雑な気分ではあったけど、おかげでやっとユーリも僕のことを、改めて男性として見てくれるようになったと思うと嬉しかった。

「う…ん…?」

「目が覚めたかい?おはよう、ユー……」

「なっ…!?!?なんでおま、え!?なんでこんな…っ!!」

「………リ」

目覚めたユーリが寝ぼけて可愛らしい姿を見せてくれたのも束の間、状況を理解するや物凄い勢いで僕の腕から逃げ出して壁に張り付いた。
顔を真っ赤にして、口をぱくぱくさせている様子に思わず吹き出すと、ユーリは悔しそうに唇を噛んで僕から顔を逸らしてしまった。

――昨日、過去の僕の行動に対する腹いせに他の男と寝る、と言って宿を出ようとするユーリとの攻防をかなりの時間に渡って繰り広げた末、ユーリは疲れて眠ってしまった。
僕は僕で暴れる彼女を後ろから抱き締めて…というより捕まえて、部屋から出すまいと必死だったからそれなりに疲れていたし、床にへたり込んだまま寝るのはつらいものがあった。
だからユーリをベッドに寝かせて、自分もその隣で眠らせてもらったんだ。
…目覚めた時、ユーリがどんな反応をするのか少し怖かった。でもそれ以上に腕の中のぬくもりを手放したくなくて、ずっと彼女を抱いたままこうして朝を迎えたという訳だ。
抱いたと言っても勿論、身体の関係を持ったという意味じゃない。だいたい、寝ている相手に何かするなんてあるわけないだろう?…相当の忍耐を強いられたのは確かだけど。

僕はもう、ユーリの気持ちを知っている。まだはっきりそれを伝えられてはいないけど、今だって僕を意識しているからこんな反応をするんだとわかっている。
僕が相手でこんな状態なんだ。見知らぬ男と床を共にしようとして、冷静でいられる筈がない。もしかしたら殴って逃げ出してるかな、相手には全く同情しないが。
…ああ、ダメだな…想像するのも苦痛だ。
今、ユーリの前にいるのは僕だ。僕だけが、ユーリに触れることができるんだ。ユーリが他の誰かと…なんてことを考えるのは、もうやめた。

「ユーリ、こっちを向いて」

そう言って僕は右手を伸ばし、俯き気味のユーリの表情を隠す髪を掬い上げて耳に掛けた。少しだけ身体を強張らせたユーリの頬と同じ紅色に染まった耳先が露わになり、なんだか妙に嬉しい。

(…まずい、な…)

初々しい反応に、こちらも落ち着かなくなってきた。目覚めたばかり、それにあんなことがあって昨日の今日ではさすがに性急すぎる気もする。
でも、この状況はなかなか悪くないんじゃないか、なんて思う自分もいる。ユーリと男女の付き合いをするようになって、こんなに――何と言うか、甘い雰囲気になったのは初めてだ。
ユーリは相変わらず顔を上げてはくれないが、かといって僕の手から逃れようとするでもない。髪を撫でながら見つめる僕の前で、壁に背を預けて大人しく座っていた。シーツを握り締める指先に緊張の様子が伺えるが、それすら可愛くて仕方ない。
空いている左手の掌でユーリの右手を包むと、僕はユーリとの距離を少しだけ縮めて顔を覗き込みながらもう一度、声を掛けた。

「ユーリ、おはよう」

「…お…おはよ…う」

「顔を上げて、僕を見て?どうしていつまでも下を向いてるの」

「…いや…昨日はその、みっともないとこ見せたと思ってさ…」

「…そんなことないよ。原因は僕にあるんだし、みっともないなんて思わない」

妬いてくれて嬉しかった、なんて言ったらさすがに怒られそうで言えなかったけど、そう思ったらまた口元が緩んでしまう。顔を上げないままちらりと僕を見たユーリが、何やらぶつぶつと呟いた。

「何?聞こえないよ」

「…締まりのない顔しやがって、って言ったんだよ」

「それはまあ…仕方ないかな」

「なんでだよ」

「だって、こんなに近くで君に触れていられるなんて」

ユーリの耳の後ろで指に絡む髪のさらさらとした感触が心地好い。くすぐったいのか、時折ぴくりと眉を寄せるその度に、指先に微かに感じるユーリの体温が上がっているように思えた。
…髪だけじゃなく、もっと色んな場所に触れてみたい。その時、ユーリはどんな表情で僕を見るんだろうか。

もっと、触れたい…

「ユーリ」

「え…あ!?」

ぐっと力を込めて引き寄せたユーリの顔を間近にして、自分の身体も熱くなる。ユーリの耳先にそっと口づけ、強張る身体を抱き寄せると今さらユーリが僕から逃れようと身を捩った。

「ちょっ…やめっ…!」

「ユーリ…」

ユーリの抗議を無視して何度も耳先や瞼にキスをする。ユーリは抵抗しながらもキスの度に小さく声を上げ、それがまた愛しくて仕方がない。

もっと、声が聞きたい。
この状況でこのまま何もしないなんて無理だ。…急ぎすぎ?でも、僕達はもう一年以上も『恋人』で、そうでなくとも僕はそれ以前からユーリのことが好きだった。身体の関係がなくてもそれが変わる事はないけど、男として好きな女性を抱きたいと思うのは当たり前で――

やっと、その機会がやって来た、と思った。

「やめろって…!!」

ユーリが僕の身体を押し返そうとする。その腕ごと更に強く抱き込んで壁に押し付け、そのままベッドに倒れ込もうと…

「いっ……!!」

…倒れ込もうとした僕だったが、ユーリに襟足を思い切り引っ張られた痛みで腕の力が緩み、その隙にユーリは僕と壁の間から抜け出してしまった。まだベッドから降りてはいないものの、少し距離を取って僕を睨みつけている。

「やめろって言ってんだろ!?」

「…ご、ごめん」

無理矢理だったのは確かたがら謝りはしたものの、なんだかすっきりしない。髪を掴まれたところはひりひりするし、後ろにのけ反った拍子に首筋から妙な音はしたし…。
何よりも、ユーリの『本気』具合がたまらなく切なかった。

「そこまで必死で逃げるほど、嫌なのか…?」

ユーリは答えない。ついため息が零れ、僕はユーリから視線を外した。しわくちゃになったシーツを固く握り締めるユーリの指先が視界の端に映り、更にやるせなさが募る。
気持ちが通じた、と思ったけれど、やっぱりまだ無理なんだろうか。だとしたら、僕は一体あとどれぐらい待てばいいんだろう。
ユーリがいいと言うまで待てると思っていた。でも、ユーリの思いを知ってしまったせいで逆に我慢するのが辛い。気持ちが同じなら、応えて欲しい。今を逃したらまた当分会えない気がして、少し不安になった。

「あの、さ」

「…何?」

「……」

お互いに黙り込んだままでいると、小さく呟きながらユーリが顔を上げた。僕の返事が少し素っ気ないものだったせいか、また黙ってしまう。何か言ったほうがいいかと思っても、いい言葉が思いつかないままただユーリを見つめるしかない僕を、ユーリもじっと見ていた。

「はあ……」

少しの間そうして見つめ合って、やがてユーリがため息をつきながら大袈裟にうなだれた。

「…そのリアクション、僕がしたいぐらいなんだけど」

「わかってるよ…!」

「わかってる…?本当に?悪いけど、僕にも我慢の限界というものがあるんだ。あまり拒絶されてばかりだと、もう…」

「違う」

「違うって、何が」

自分でもちょっとどうかと思うぐらい、機嫌の悪さがありありとわかる声しか出せないのが情けなくなる。そんな僕を見るユーリも少し頬を膨らませ、何やらむっとした様子だった。
…まあ…無理に手を出そうとしたのは悪かったと思うけど…。

「おまえのやりたいことはわかった」

「…や…やりたい…って…」

「その通りだろ!」

そうだ、とも言えず下を向く僕にユーリが続ける。

「…だけどもう朝だし、オレはこっちで用もある。おまえだってのんびりしてるヒマ、ないだろ」

「そんなの、少しぐら」

「だから!!」

僕の言葉を遮り、ユーリはベッドから降りるとこちらに向き直った。一瞬だけ何かを考えるように目を伏せたが、すぐに顔を上げて――

「…オレが行くまでもう少し待ってろ」

それだけ言うと自分の上着と帯を掴み、止める間もなくユーリは足早に部屋を出て行ってしまった。

「もう少し、か…」

やや乱暴に閉められたドアを見つめながら考える。
少しというのがどれくらいかわからないけど、不思議とそう先のことではないような気がしていた。自分が行くまで…というのは、この街に僕が滞在しているうちに会いに来てくれるということなんだと思う。

(…まさか、今までみたいに気まぐれで城に来るのを待て、ってことじゃないよな…)

そうじゃない、はずだ。一瞬浮かんだ考えを打ち消し、最後に顔を上げた時のユーリのことを思い出した。
その顔は怒っているようにも見えたけれど、真っ赤で…思い出したらなんだかこちらまで恥ずかしくなってしまう。僕がその表情の意味を取り違えていないのなら、ユーリも決心してくれたんじゃないか…と。それでも『今』はだめだということなら、ユーリから行動を起こしてくれるまであと『もう少し』だけ待ってみるしかない。

焦っても仕方がないという思いと、もう充分すぎるほど待ったという思いに揺れながら、僕もひとまずは片付けなければならない自分の仕事のほうへと意識を切り替えて部屋を後にしたのだった。


―――――
続く
▼追記

風花・4


そうしていつしか会話は過去の思い出話へと変わっていった。
旅をしていた間のことも、ゆっくりと思い返して語り合うのは初めてのような気がする、とフレンは思っていた。慌ただしく過ぎる日々の中でふと思い出すことはあっても、それを共有できる相手がフレンの身近にはおらず、その積み重ねの結果が誰かと――ユーリと、会って話をしたいという気持ちを強めたのだ、と。
そう話したらユーリは呆れ顔で、『じゃあこれで当分は平気だな』と言い、フレンを切なくさせる。

(会いたいと思うのは、そんなにいけないことなのか…?)

やるせない。
そしてやはりわからない。

(こんなに近くにいるのに、君が…とても遠い)

前はそうじゃなかった、とユーリは言った。
前、というのはいつのことなのか。ユーリが騎士団を離れた後の状況が今と多少似ているのかもしれない。だがあの頃の自分は今よりも行動に制限がなかったし、ユーリはいつも下町にいた。会おうと思えばすぐ会えたから、今のような気持ちになることはなかったのか。

(…本当に、それだけか…?)

騎士団に戻って欲しくて会えば必ずその話をせずにはいられなかったが、その為にわざわざ会いに行ったりはしなかった。離れている時間が長くなり、ふとした瞬間にユーリのことを思い出すことはあっても、それは現在フレンが思うような『会いたい』ではなかったと思う。
ユーリも自分の道を見つけた今、あの頃感じていたような心配はもうしなくていいはずだ。なのに時々たまらなく不安になって会いたさがつのる、今のこの気持ちの正体は一体何なのか。何かが以前とは違うような気はしているが、それが何なのかわからない。

「ユーリ…」

「何だよ」

「え?あ、いや」

無意識に名前を呟いていた。
返事をされてまごつくフレンをユーリは怪訝そうに眉を寄せて少しの間見ていたが、やがて前を向くとつまらなそうにまた欠伸をした。

「さっきからなんかヘンだな、おまえ」

「…そうかな」

「言いたいことがあるなら――」

「ああ、まだまだ話し足りない」

「へいへい…」

本当に話したいこと、聞きたいことが別にあるような気がしたが、今は考えないことにしてフレンは顔を上げた。

(いつか、わかるんだろうか…)

夜風が強くなって来た。気持ちを切り替えようと吸い込んだ大気の冷たさに思わず身震いすると、隣でユーリが小さく笑っていた。



「――それで、あの時ユーリが…」

「………」

「…ユーリ?」

肩に掛かる重さが一瞬増した。どうやらうとうとしていたらしく、すぐに目覚めて体を起こしたユーリが決まり悪そうに口元を押さえてフレンから目を逸らした。

「眠そうだね…」

「だから…最初からそう言ってるだろうが。…暖かいしなおまえ…無駄に」

「無駄にってどういう意味だ、酷いな。…なんだか子供の頃を思い出すね。珍しく帝都に雪が降った時、あまりに寒くて…こうやって毛布に包まって寝たことがあったっけ」

「もう思い出話は勘弁してくれよ…今からそんなんで、歳取ったらどうすんだおまえ」

今から?と首を傾げるフレンにユーリが怠そうに顔だけを向けた。

「年寄りってのは、先が短いから過去を振り返って懐かしむんだとよ。オレらはまだ若いんだからさ、今までじゃなくてこれからの話しようぜ…」

「……!」

これから。
ユーリの言葉にフレンは軽い衝撃を覚え目を見張った。欠伸混じりで緊張感の欠片もない口調から思うに、ユーリは大して深い意味もなく言ったに違いない。だがそのたった一言は、フレンが今日だけで何度感じたかわからない切なさの正体にほんの少しだけ気付かせた。

「そうか…なるほどね」

「そうだ。まあ…昔話もたまにゃいいが」

「じゃあいいじゃないか、今がその『たまに』だと思うけど?」

「だからっていっぺんにしすぎだ!マジで夜が明けちまう」

僅かに白み始めた空を恨めしげに見遣ってユーリが吐き出した息がふわりと流れるのを目で追いながら、フレンは思う。
以前の自分は常に前を見ていたはずだ。理不尽を無くす為、世界を変える為に先に進むしか道はなかった。選んだ方法は違っても、ユーリも同じ未来を目指している。互いの生き方を尊重し、理解し合っての『いま』のはずだった。

そのはず、なのに。

(僕は…いつからこんなに後ろを振り返ってばかりになったんだ?)

帝国の、そして自らが率いる騎士団の現状は、まだまだ納得のいくものではない。だからこそ、今は一歩でも前に進まなければならない時なのだ。そんなことはフレン自身もよくわかっている。
やるべき事は多く、文字通り休む暇もない。だが辛くはない。充実している、とも言える。

でも。
それでも、ふとした瞬間に押し寄せるのはやり場のない寂しさと、果てしない孤独感。自分の理想を理解し協力してくれる者は多いのに、たった一人だけはどうやっても自分の隣を並んで歩いてはくれないのだ。

だから思い出す。

共に過ごした子供の頃を。夢と希望を胸に抱いて、苛酷な生活の中でも無邪気に笑い合えたあの幼き日々を。
現実に心を砕かれ、夢を諦めたユーリを叱咤し続けた時でさえこんな気持ちになることはなかったのは、まだ希望があったからだ。もしかしたら再びユーリと肩を並べて歩く道もあるかもしれない、今からでも遅くはない――そう思っていたからこそ騎士団に、…自分の隣に戻ってこいと何度も何度も言ったのだ。
その可能性はないのだと漸く納得できたのは、ユーリが道を決めたその場に立ち会えたからかもしれない。
世界を食い潰す脅威を打ち倒すためにユーリ達と行動を共にして、更にはっきりと『自分達の道は分かたれた』と感じた。

その頃からだろうか。

ユーリの先を行き、自分と同じ場所まで引っ張り上げてやろうと思っていたのが、いつしかユーリに背中を押されっぱなしなことに気付いた。嬉しさと頼もしさ、安心感の中に混じる、寂しさ――


(ああ……そうか)


こんなことを考えるのは、本当は不謹慎なのかもしれない、とフレンは思う。だがユーリと、仲間達と旅をしていた間があまりにも楽しくて、充たされていた。ユーリと背中を預け合い、戦うことの出来るこの瞬間がもっと続けばいいと、心のどこかで思っていた。

多分、もう二度と同じ状況は訪れない。

(ユーリと同じ場所に立っていられたあの時に、戻りたいわけじゃない…)

あえて離れて行こうとする親友に、『そんなことを考える必要はない』と言ってやりたいのにできなくて、変わってしまった『立ち位置』が苦しくて――


「最低だな、僕は」


零れた呟きにユーリが顔を上げた。

「…今度はなんだ」

「気付いたんだ、やっと。どうして自分が過去の話ばかりするようになったのか」

「ふーん?」

「ユーリ、僕は多分…君を立ち直らせることが出来るのは僕だけだって思ってたんだ」

なんて驕った考えなんだろう。
でも、当時はそんなふうには思っていなかった。

「へえ?めちゃくちゃでっけえお世話だな、それ」

「はは…。ほんとそうだよな。でも、実際はそうじゃなかった」

「……」

「君に前を向かせたのは僕じゃなくて、他の皆だった。いつの間にか君はどんどん先へ進んでいて、自分だけが取り残されたような気がして、なんだか…面白くなかった」

今にして思えば、あれはユーリの仲間達に対する嫉妬だったのだ。
ユーリのことは誰よりも自分が理解している。そのはずだったのに、知らぬ間に信頼に足る仲間を得、彼らに屈託のない笑顔を見せるユーリを見ていると、胸の奥が苦しくなった。

「ザウデに向かう前あたりかな、君の雰囲気が変わったと思った。…いや、昔に戻ったというべきか。とにかく、妙にすっきりした顔になったと感じていたよ」

何かが吹っ切れたのだろう、とは思ったが、聞けなかった。聞きたくなかった。
なぜなら、その時ユーリが心に抱えていた闇を払ったのは自分ではなかったから…。

ユーリへの接し方、そこに少なからず含まれていたのは『自信』だ。

ユーリよりも自分が優れているなどとは思っていない。ただユーリを変えることが――大袈裟に言えば、導くことが出来るのは自分だけだという、自信。
でも、そうではなかった。
ユーリにとっては喜ばしいことだ。仲間は多いほうがいいに決まっている。下町にも友人は多くいるが、それとはまた違う、心を許し合える仲間――

「…それを素直に喜ぶことができない自分は、なんてつまらない人間なんだろうかと…。だから最低なんだ、僕は」

歪んだ笑いを浮かべる唇を隠すように、フレンは口元に手をやって深く息を吐く。少し冷えた手を暖める『フリ』がはたして通じたのかどうか…。ユーリは一瞬フレンへと視線を向けただけで、つまらなそうな顔のまま、また一つ大きな欠伸をした。

「おまえが何を言いたいのかよくわからねえが…」

「ああ、すまな…」

「つまりこうか?騎士団には戻らず、あれこれ勝手やって、おまえの知らないところで立派に独り立ちしたオレにほったらかしにされて寂しかったと」

「…そう、なんだけど…。面と向かって言われると、ちょっと…」

「自分でそう言ったくせになに言ってやがる、全く…。だから昔話がしたくなるって?」

なんでも二人でやっていたあの頃が、そんなに幸せだったのか。

一呼吸置いて、ユーリがフレンに問い掛ける。
しっかりと見据えてくる薄紫の瞳に、フレンは言葉を詰まらせた。


「食うもんも食えなかったけど、確かにオレとおまえはいつも一緒で、なんでも半分こしてさ。いつか世界を変えるんだって本気で思ってて…。楽な暮らしじゃなかったが、それなりに楽しくはあったな、確かに」

「…ユーリ」

あまり聞くことのない、素直な言葉だった。ユーリの声も表情も穏やかで、先程の視線の中に見た鋭さは既にない。
その瞳でユーリは何を語りたいのか、もっと知りたいとフレンは思う。無意識のうちに顔を寄せていたが、ユーリはそれに気付いてまた同じだけ距離を取る。瞳に戻った鋭さは僅かに揺れ動き、戸惑いを隠すかのように伏せられた。

互いを包む空気は穏やかなのに、どこかそわそわと落ち着かない。それは二人共ずっと感じている、不思議な感覚だった。
特にユーリはフレンの行動のいちいちが何かと気になって仕方がなかった。『なぜ』今日、このような行動を取るのか。話をしていてなんとなくわかった部分もあるが、それにしても疑問が残っている。その最たるものは言うまでもなく今の『距離』だった。

寒いからなんて言い訳だ、と今更ながらユーリは思う。
フレンが自分の手を、肩を…身体を、必要以上に触れて離さない理由が先ほどの言葉から来ているのだとしても。あまりにも子供じみた独占欲を、こうも露骨に発揮されるとどうしていいかわからない。

(寂しかった?楽しかった?…どれもこれも過去形じゃねえか。じゃあ…今はどうなんだ…?)

なにか変だ、と思う。だがその『なにか』が何なのかわからず、頭の中で感情という名の糸がどうしようもなく複雑に絡みあい、ユーリを悩ませる。
ちらりと隣を窺えばフレンと目が合った。ずっとこちらを見ていたのかと思うとまた面映いが、ユーリはそんな思いをひとまず置いて話を続けることにした。


「過去に戻ることはできないし、もしそんなことが出来たとしてもオレは戻りたいとも思わない。…たまには懐かしむのもいいさ。でもおまえ、そんなに今が不満か?」

「不満なんかじゃないさ。ただ…」

「ただ?」

「ただ、時々ひどくつまらないと思うことがある」

それは紛れもなく本音だった。
フレン自身、我ながら感情の篭らない言い方になったな、と思う。ユーリの表情が一転、険しいものとなった。

monopolize



わかりにくいですが学パロです。追記で説明的なことをちょろっと。









「なあ…キス、しようぜ?」

したい、とは言ってやらない。

甘えたような声でそう強請れば断られることなんてない、とわかっていた。上目遣いで切なげに見上げるとフレンが息を飲んだ。いつになったら慣れるのか…いや、せっかく誘っているのに無反応ではつまらない。こいつはこのままでいい、と口端を僅かに吊り上げ、笑う。そうするとフレンは『仕方ないね』と言ってユーリを引き寄せ、顔を傾け瞳を閉じて――
そこで必ず、はたと動きを止める。ユーリとのキスを邪魔する、あるものの存在に気付くのはいつもここだ。本当はすぐにでもユーリの唇を塞いでその形を、柔らかさを確かめ、キスの雨を降らせてユーリが形ばかりの抵抗をする姿を見たいのだ。誘いを掛けたユーリが余裕をなくすまで何度も、何度も……。

フレンの手が自らの目元に伸び、キスを邪魔するもの――眼鏡を外し、ふるり、と軽く頭を振った。陽光を思わせる柔らかそうな金色が揺れ、澄んだ蒼が輝いている。レンズ越しに見るのとは違う、鮮やかな色彩。それが自分だけのものだと感じるこの瞬間が好きで、ユーリは目を細めた。背筋を駆け昇る感覚に小さく震える。感覚の正体は『優越感』。今この時だけは確実に目の前の蒼を独占している、と思うと嬉しくてたまらなかった。

「眼鏡、なんで外すんだ?」

キスの度に訊ねるユーリに、フレンもまた同じ言葉を返すのが決まりだ。しょうがないな、と前置きしながらも唇は笑みを浮かべていた。
この唇が、今から自分のものになる。
待ち切れず伸ばした腕をフレンの首に絡ませると、フレンの腕がユーリの腰を強く引き寄せながら耳元に囁いた。

「もっと近くで、君を見ていたいから」

だったら最初から外しとけば?
心にもないことを言ってみる。わざとらしく吐き出された吐息が前髪を揺らし、目を閉じた隙に唇が重ねられた。
澄んだ蒼が自分だけのものだと思える、その瞬間こそがユーリにとっての喜びだった。

――ある日からその喜びが半減したことに、フレンは気付いているのだろうか?
二人だけの…自分の前でだけ見せる姿を独占したいと思う気持ちは、きっと同じはずなのに…



「ユーリ…キス、してもいい?」

返事を待つことはしなかった。
フレンの腕に抱かれて顔を上げたユーリが、じっと見つめ返す。近くで見れば薄く紫の挿す虹彩に、吸い込まれそうな瞳とはこういうのを言うんだろう、と思う。
本当の色を知ることができるのは自分だけだ。
他の誰も、こんなにすぐ傍でユーリの瞳を見ることなど出来ない。
レンズ越しに見る瞳はそれでも鮮やかで、心惹かれてやまない。だから『それ』の存在を――キスを邪魔する眼鏡を、外すことを忘れてしまう。深く深く唇を合わせ、頬を寄せるには少しの距離すらもどかしい。逸る気持ちを悟られないよう眼鏡を外すといつもユーリは満足そうに笑って、それから待ちわびたようにフレンの首に腕を絡めて鼻先をすり寄せ…唇が触れるその瞬間まで、フレンの瞳から視線を外すことはなかった。


今、キスを邪魔するものは何もない。
…そう、何も。
それなのに、目の前のユーリはフレンからすい、と眼を逸らしてつまらなそうにしている。甘えたように腕を伸ばすことも、満足そうに微笑むこともない。その理由は――いや、これは本人から聞き出さなくては。

「…どうしたんだい?」

覗きこむようにしてみればやはりフレンの瞳を見つめ返すが、いつものような笑みを浮かべるでもなくただ黙っている様子に首を傾げると、黙ったままでユーリが瞳を閉じた。キスの前触れとでも思ったのだろうか。

「………」

「ユーリ」

そのまま遠慮なく頂いてしまってもよかったが、唇が触れる寸前でもう一度名前を呼んでみる。ゆっくりと開かれた瞳に映り込む自分の顔は、どうしてだろう…笑っているように見えた。

「…なんだよ。キス、しねえの?」

「君が不満に感じていることの理由を教えてくれないか」

「不満?別に…」

「あるんだろう?」

息がかかるほど近く、その距離は変えずに尋ねる声はとても穏やかだ。ユーリが答える気になるのを静かに待っていると、やがて諦めたように小さく零された吐息がフレンの唇をくすぐった。

「…眼鏡、なんで外したんだ」

子供のように唇を尖らせ、拗ねたようにユーリが言う。しょうがないなあ、と呟くとユーリはますます眉を寄せ、不機嫌を隠そうともせずにきつめの視線をフレンに投げ掛ける。僅かに細められた瞳の中で、やはりフレンは笑っていた。

「もっと近くで、君を見ていたいから」

お約束の言葉を返す。
最初から外しておけばいいと言ったのはユーリだろう?とついでに付け足すとユーリはいよいよ憮然として、やや乱暴にフレンの髪に指を潜り込ませると力を込め、よりいっそう顔を近づけて言った。

「そういうのは、オレの前だけでいいんだよ」

フレンが思わず吹き出す。その息にくすぐられて一瞬だけ閉じられた瞼に軽く口付け、唇が離れると同時に開いた瞳をまっすぐに見つめた。そのままユーリの唇と自分のそれとを重ね、ユーリが瞳を閉じるのを見届けてからフレンもゆっくりと目を閉じた。


やっと慣れてきたコンタクトレンズは早くもお役御免のようだ。
綺麗な瞳を見るための手間が省けてよかったのにとうそぶくフレンを横目に、その手間があるからこそだろ、と言ってユーリはいつも通りの笑みを口元に浮かべるのだった。
▼追記
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