話題:ひとりごと

母と姉と話したこと。

父兄妹が、常識がないこと。おばあちゃんが退院してきたけど、妹は腰痛でご主人と優しい息子に送られて病院まで来て、自分はやらずに母に指図をだすだけで、ご飯を食べて帰って行ったんだ。
その話を聞いて、私は妖怪口先女って言ったのさ。口だけ出して手は出さない。

父は県外に住む弟から電話が来たんだと母に言って「おばあちゃんはどうだ?と電話が来たんだ!やっぱり覚えているんだな!」と嬉しそうに言ったんだって。だったら、ちゃんとおばあちゃんの介護をしろ。

父の妹も、電話に連絡が来て、父と同じ事言っていたって感動してたらしいけど、当たり前なことに何が感動することがあるのだろうか。

家族ごっこでも勝手にしてろよ!ばーかって感じだった。

母の怒りがおさまらなくて、姉と私に愚痴のおうしゅう。意味を聞き間違えた母が、睨んできた。私を睨む母の目は、マジなんだよね。ああゆう顔をしているって本人は気づいていないんだ。あの顔が本性なんだろうな。本性と言うか、本心。恨みつらみの顔。人間の本質の顔っていうか。ああゆう目を人に向けられるんだなー。嫌なら出ていけばいいって言ってんのに。

姉と、般若面は女性の恨みつらみの顔なんだってって話した。

母が、「神は人には乗り越えられる課題しか与えないっていうけど、私には乗り越えられるとは思うけど我慢がならない。」と言われた。私は母に、「父や姉弟や祖母は魂のクラスが低い人なんじゃないの?あの人達は、その程度の課題しか与えられてない」って話をした。


そしたら、母が納得した。昔の仕事で一緒に話していた人も同じ事を言っていたと。

だけど、私は大学の時に人間関係で苦しんで宗教の本やいろんな本を読んだけど「でも、自分が原因で悩むんなら自分で解決するしかないけど。(父や父妹みたいに、ワガママやって人に迷惑をかけてるのに、母)一人の人に迷惑をかけて、犠牲にしてまで、自分が我慢すれば、それで良いって言う宗教の考え方もどうなのかな?」って言った。道理に叶ってない。それで私はその宗教的な本を読むのをやめた。

父も父の妹も、弟も介護をしないのに母にやらせて文句を言い、都合が良い家族達。

輪廻転生の魂のクラスが下なんだろう。人は同じ問題に立たされた時、クリアするべき魂の課題が繰り返し与えられるんだって気がつくと、言われる。

それを我慢する事が魂の成長するための課題と言うけど、そう思わないといけないような考え方は、どうなんだろう?

私は悩むために生かされているんだろうなって思うと言った。

信条は自由だ。だけど、それを振りかざしたり、押し付けたり、それで傷つけたりするのはどうかと思うんだ。