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【創作】裏庭、二

二、薄水色の客


案内された場所は、一目で金持ちだと分かるお屋敷だった。スモークの張られた車に揺られ、どれくらい走ったのだろうか。薄暗かった車内から外に出たとたんの西日に目を覆いつつ、視界に入りきらない屋敷を確認した。
このような仕事なのだから、客は裕福であろうことは予想していたものの、目の当たりにすれば驚いてしまう。
僕を迎えに出た案内役は、広い玄関ホールを足早に抜け奥へ奥へと先導する。高価だろう調度品が目の端を通ったが、じっくり見る余裕などないようだった。

待ち合わせ場所の定番になっているからくり大時計の下に立ち、巻き方がわからないストールを首にかけた。マダムに教わってくるべきだったのかもしれない。視線を投げかける通行人が僕を奇異に思ってないか、伏し目がちになってしまう。
どれだけも待たされただろうか。黒革靴が止まり、僕の手を取った。彼が案内役だった。

客、つまり僕の買い手ある主は、中庭に面した部屋の、キングサイズベッドに横たわり目を閉じていた。
案内役の彼はベッドの脇に長椅子を寄せ、クッションを幾つか敷き僕に座るよう促した。僕は黙って従いしかし何をすべきかを視線で問うてみる。

「あなたは、主のそばにいてくださればいいのです。主が目を覚ましたらそっと手を握って差し上げてください。
ただし、一言も話さず。何か尋ねられてもただ微笑むだけでよいのです」

それだけを言い残し彼は部屋を出て行った。僕は仕方なく長椅子のクッションに体をうずめた。慣れない女靴も脱いでしまう。
客はベッドの上で身じろぎもしない。規則正しく胸が上下するから眠っているのだろう。顔に刻まれた皺は深く、しかし柔らかい。豊かな白髪にいくつか金と銀が混じっているように見えるのは月明かりのせいかもしれない。
長椅子の背には薄水色の掛け布があった。少しだけ肌寒さを感じた僕は、首のストールをぐるぐると巻きつけ、掛け布を羽織る。

客である買い手が指定した装いで一晩過ごす、というこの仕事はそういう行為があるものだと想像していたのだが。
横たわる老人と言ってよい客を見ているうちに、僕は緩やかなまどろみに落ちていった。

【創作】裏庭、一

一、街角


仲介役の女はこぢんまりとしたブティックを営んでいた。常連客にはマダムと呼ばれているが、本名は知らない。
マダムは入ってきた僕を遠慮なく品定めすると、ゆったりとした手つきで奥へ招いた。奥の間はドレスアップルームになっているらしく、僕は見たこともない大きな鏡が並び、中央に脚長のスツールが二脚、脇に色とりどりの化粧品が詰まったワゴンが置かれていた。
頭部のないトルソーが着ている服を示され、着替えるよう言い残しマダムは消えた。
僕はこれからの副業を思い溜め息をつきながら、上着に手をかけた。

僕は今時珍しくはない苦学生だったが、父親の失職とともに始まった裁判の判決がつい最近下り、その、無職であり今後も職を得る機会はないだろう父親に科せられた賠償金を支払うために、副業をすることになった。
勿論、本業は学生だ。学費が苦しくとも学生でありたい、と願うのは僕の僅かながらに残ったプライドである。
学生バイトではとても足りない、家族の生活費プラス自分の学費、そして賠償金のために結果頼ったのは、腐れ縁の悪友が紹介してくれた、実入りだけはいい仕事だった。

チュニック・ワンピースは男にしては細いが女の子のように華奢でも肉付きもよくない肩回り、腰つき、胸板を隠してくれる。用意された長いレギンスを履けばそこそこ筋肉の付いた脚もごまかせた。
くるり、と鏡の前で一人回ってみたところにマダムがコーヒーカップを二客揃えて入ってきた。
二人スツールに座り、マダムが化粧ケープを僕に巻く。慣れない甘い香料とコーヒーの匂いが混じりあい、僕の鼻をついた。

そして僕はマダムから受け取った鍵を見て、再び溜め息をつく。
駅前の百貨店のコインロッカーの鍵だ。鍵本体に刻まれたナンバーと扉のナンバーを照らし合わせ、差し込んだ。
かちり、と回りロックが解除される。中に入っていた薄水色のストールを手に取り、思わず握りしめた。
これを首に巻き、百貨店の外壁にあるからくり大時計の下に立てば迎えがくる手はずになっている、という。

そしてその先で一晩過ごせばいい。
簡単な仕事だ。

服装と化粧のおかげで僕は女の子にしか見えないだろう。マダムの見立てと腕は確かだった。
思わず舐めた唇のぬっとりとして微かに甘いグロスの味に眉をしかめつつ、僕は大時計に向かった。
覚悟は決めたのだ。わずかなプライドを守る以外に、失うものなど、ない。

そして僕は街角に立った。
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