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【創作】銀河客船の夜

12、レサンタルの灯


レサンタルの炎が赤々と燃えることに気付き、ジョン・ヴァンニは顔を上げた。
レサンタルが随分と近くで燃えているが熱さはなく痛みだけだった。
目の前でカンパネルが頬を照らすレサンタルの炎に眉をしかめ唇を噛むことで耐えている。ちろちろとレサンタルの舌がカンパネルをなぶった。

 カンパネル。

 何だい。

 何でもない。

ジョン・ヴァンニは同じ問答をしたように思ったが、レサンタルが燃えるものだからその痛みに首に手をやった。船の窓に映るジョン・ヴァンニの首には不可思議なほどにくっきりと手指の跡がある。

 カンパネル。

 何だい。

 何でもない。

客室をレサンタルの灯りが満たしていた。カンパネルの返事は先ほどよりも苦渋を帯びていた。
客たちは痛みの炎に溺れ、一人、また一人と倒れた。ある者は椅子に沈み込むように崩折れ、またある者は立ち上がり空を掻いてぶくぶくと更なる痛みを吐き出しながら仰向けに沈んだ。

レサンタルの炎は罪の炎だ。

カンパネルが腹部を抱え悶え始める。口唇の端から零れる痛みの一滴一滴がレサンタルの灯りに加わった。

 カンパネル。

ジョン・ヴァンニの問いかけにカンパネルは答えず、ただ視線を上げ零れる痛みに構わず笑った。

 カンパネル。

次の呼びかけは怒りに満ちていた。
ジョン・ヴァンニは全てを思い出した。
レサンタルの舌がジョン・ヴァンニに伸び首の痛みが増す。しかしそれはレサンタルの痛みではない。
ジョン・ヴァンニはもう一度憤りを込め少年の名を呼んだ。

 カンパネル。


壮大なる客船はゆっくりとレサンタルの炎から遠ざかり銀河の底へと航海を続けている。

【創作】銀河客船の夜

11、牛乳


ジョン・ヴァンニは家路を急いでいた。
牛乳を貰いに寄ったのだが随分と遅くなってしまった。牧場主は仔牛が母牛の乳を飲んでしまったのだといっていたが、多分に飲んだのは牧場主の歳若い妻だろう。歳若い妻は子を孕んでから牛乳をよく欲しがると噂に訊く。
ようやく一瓶受け取り家路を走る。辺りは暗く街灯のない道々は点々と在る民家の灯りで所々照らされていた。

家の灯りを見つけるとジョン・ヴァンニの足取りが軽くなる。
今日は母さんにケヌタウラゥス祭の射手に選ばれたことを知らせることができる。
ケヌタウラゥス祭の開祭式典での射手は村では名誉なことだった。年に一度の祭りがジョン・ヴァンニの手によって始められるのだから。

家の窓から人影を見、ジョン・ヴァンニは心臓が跳ねるのを感じた。影は二つ在る。

 父さんが帰ってきたのだろうか。

ジョン・ヴァンニの父は随分と長い航海に出ており、もう戻らないのではと言われていた。

しかし、ただいま、と駆け込んだジョン・ヴァンニの目に映った光景は思い描いた父と母の姿ではなく、一人の少年に蹂躙される母の姿だった。母と少年はどう見ても同意の上での行為ではなく、母はジョン・ヴァンニの帰宅にも気付かず気をやってしまっているらしかった。
少年だけがジョン・ヴァンニの姿を認め、ばつの悪い顔をし、しかしすぐに口角を上げた。

 おかえり。

ジョン・ヴァンニはその失神の笑みを見た途端、握っていた牛乳瓶が手のひらも指先もすり抜け落ちた。割れた瓶から漂う牛乳の濃厚な匂いが室内を満たす。

覆い被さる生臭い匂いに、ジョン・ヴァンニは何が何やら分からなくなり家を飛び出した。

【創作】銀河客船の夜

10、活版所


ジョン・ヴァンニは活版所で文字を拾っていた。
ジョン・ヴァンニに割り当てられた活字は小さく指よりも細く頼りない道具で一つ一つ摘まなくてはならない。指先が震えぽつりと額から落ちた水滴がいくつかの活字を倒した。
ジョン・ヴァンニは活版枠から顔を離し、細く微かに息を吐いた。幾度か瞬きをすることで睫の水滴を払うと倒れた文字を摘む。小刻みに震える指先でなんとか直したところでぱた、と滴が文字を倒した。

ジョン・ヴァンニは頭をゆっくりと振った。ぱたぱたと水滴が首筋を伝い髪先から飛ぶものもあった。

 何故自分は濡れているのだろう。

見ればジョン・ヴァンニの全身はぐっしょりと濡れそぼり、その冷たさに小刻みに震えているのだった。足元には明らかに水溜まりが出来、今尚、ジョン・ヴァンニの体から滴り落ちていた。

ジョン・ヴァンニは呆然と立ち尽くした。
活版所には誰の姿もなく、そもそもここが活版所であるのか、ジョン・ヴァンニは何の文字を拾っていたのかすら定かではない。
ジョン・ヴァンニの手には活版枠だけが在りとても小さな活版が唯一つの単語に並んでいる。


 ブルカロニ。


ジョン・ヴァンニはその意味を思い出そうとするが出来ず、一人立ち尽くしている。

【創作】銀河客船の夜

9、烏瓜


ジョン・ヴァンニは烏瓜の灯りを川へ流していた。

川岸には自分の他に数人しか居らず、皆一様に暗い顔をしていた。
橙の烏瓜の灯りに照らされた瞳は皆、どこか深い一点を見ているようである。

ジョン・ヴァンニの手から離れた灯りは川面を滑り、しかし直ぐのところで石か何かに引っかかった。
ジョン・ヴァンニの他の灯りは次々に流れに乗り、一人、また一人と姿を消していく。

ジョン・ヴァンニは手近に在った枯れ枝を遣い、烏瓜の灯りを流れに戻そうと試みる。
足場の悪い砂利を踏みしめ、体を大きく傾け枝先を灯りに伸ばす。


 あと少し。


ジョン・ヴァンニは肩から枝先を向けるが、ジョン・ヴァンニの足場が崩れ、ジョン・ヴァンニは川へ落ちた。

川は思いの外深く、流れは速かった。


ジョン・ヴァンニはあっという間に水に絡めとられ、烏瓜と共に流れていく。

【創作】銀河客船の夜

8、化粧をする女


顔のない顔に化粧をする双子の女がいた。
女たちは白粉をはたき眉を描き、紅を引く。時折互いの顔を覗き込みうっすらと笑った。

 あの双子は何故化粧をするのだろう。

女たちを見ていたジョン・ヴァンニは思い出す。

 そうだ。今夜はケヌタウラゥス祭だ。

ケヌタウラゥス祭では各々が一番の装いをし、星巡りの歌を歌い胸に飾った林檎や胡桃を射合うのだ。
双子はそれで化粧をしているのだろう。
しかしどうしてだか、片割れは道具を右に持ち片割れは道具を左に持ち、互いを見ながら化粧をしている。

まるで鏡のようだ、ジョン・ヴァンニがそう呟いたとき顔のない女がもう一人現れ、双子の間に立った。
双子が化粧をする手を止め、三人の女は手を取り歌い始める。

 ケヌタウラゥス、林檎を射よ。
 ケヌタウラゥス、胡桃を割れ。
 ケヌタウラゥス、星を射抜け。

ジョン・ヴァンニは手を取り円く回りながら歌う三つ子を見ているうちに、ケヌタウラゥス祭に行かなければならないことを思い出す。

ジョン・ヴァンニは背ほどに長い弓を扱う村一番の引き手だった。ジョン・ヴァンニはケヌタウラゥス祭の開祭式典で南十字の一等星を射抜く役割があった。

 ケヌタウラゥス、露を降らせ。

星を射抜くことでケヌタウラゥス祭が始まるのだ。三つ子が歌うのは星巡りの歌である。

 そうだ、ケヌタウラゥス祭に行かなければならない。なのに何故この船に乗っているのだろう。

ジョン・ヴァンニは思い、カンパネルに尋ねる。

 カンパネル、今夜はケヌタウラゥス祭だったね。

するとカンパネルは顔をすっかり青くしジョン・ヴァンニに掴みかかった。

 きみは思い出したのか。

途端に顔を赤く変えたカンパネルはジョン・ヴァンニともつれ合いながら床に転げジョン・ヴァンニの首を締めている。

 ああ、この船に乗ったのは何故だったろう。

ジョン・ヴァンニの意識は遠退き、船の窓から覗く海底ほどに暗くなる。
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