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【創作】銀河客船の夜

17、ケヌタウラゥス祭


ジョン・ヴァンニはカンパネルを波止場に立った。気の早い烏瓜が一つ流れ着いているのを拾い上げ、刻まれた名を確かめる。

 カンパネル、

 何だい、

読み上げた名に答えが返る。この問答を何処かでしたような気がしたがジョン・ヴァンニには解らない。

 何でもない。

ジョン・ヴァンニは烏瓜を海に浮かべた。烏瓜はゆっくりと遠ざかり、沖へ流れて行く。

 カンパネル、今夜はケヌタウラゥス祭だね。

 呼びかけ、ジョン・ヴァンニは自らの他に誰もいないことに気付いた。

 ああそうだった。
 そもそも僕は最初から間違えているのだ。

ジョン・ヴァンニは立ち竦んだ。



開祭は夕暮れだというのに村の空気は落ち着きがなく、子どもたちは烏瓜の灯りを点さずに腰に下げ、角という角で星巡りの歌を口づさんでいた。
時計台の前で少年は友人を待っていた。ケヌタウラゥス祭で連れとなる4、5人の親しいものたちである。
行き交う人の中に見知った顔を見た。活版所から出てきたところだろうか、指先が白く光っているように見えた。ここの活版所で使うインクは特殊な薬品で落とす為に働く者はみな白く光る腕を持っている。
ジョン・ヴァンニだと彼は思った。級友の一人だが話をしたことはない。彼は病弱な母を養う為活版所で働いているらしい。彼も祭りには参加するのだろうか、その姿を追っていると別の少年が現れた。カンパネルだ。村一番の資産家の息子でありジョン・ヴァンニと唯一親しくする者だった。
ああ、二人は連れだって祭りへ行くのだ。そう思ったとき待っていた友人たちが現れた。

 遅れてごめん。何が変わったことはあった、

 いいや。でもジョン・ヴァンニとカンパネルを見たよ。あの二人は一緒に祭りへ行くようだよ。

 何を言っているんだ、あの二人は川に落ちたじゃないか。

 え、

 ほら、きみの腰の烏瓜も二人を追悼すりためのものだろう?

そうだった、と烏瓜に刻まれた名を確かめる。
ジョン・ヴァンニ。カンパネル。

 あの二人川へ落ちたままだから祭りに参加しに戻ってきたのかもしれないね。

少年たちはくすくす笑いながら互いの烏瓜に灯りを点した。日が落ちるには早いが落ち始めては遅いのだ。夕暮れは早くすぐに暗くなる。

放物線を描きながら飛び出したものがある。それは空に向かい放たれた銀の矢で星を目掛けぐんぐんと上って行く。

 始まった。

 早いな。

 行こう。

友人たちは互いを確かめるように背を押し合い広場へ向かう。口々に星巡りの歌を口づさみながら少年たちは去って行く。




ジョン・ヴァンニは駆けて行く矢を黙って見ていたがそれがぐんぐん速度を上げ空を見ていた自分に射かかっても何もかもを間違えていたことに黙していた。
ジョン・ヴァンニの身体は脳天から胴を貫かれ港に射留められくずおちることも振り向くこともできない。

汽笛を上げ沈み行く壮大なる客船の、丸窓から少年の姿を見た。あれは此処に来るはずのカンパネルだろうか、それとも一緒に逝くはずだったカンパネルだろうか、確めようにもジョン・ヴァンニは動くこともできない。
壮大なる客船はゆっくり沈み離れ、ジョン・ヴァンニは唯一自由に動く両の腕を肩の高さに水平に掲げただ見送るだけである。それは灯台守のようにも墓標のようにも見えた。

【創作】銀河客船の夜

16、星巡りの歌


突き破られた丸窓から水が渦巻き客船へ流れ込んでくる。レサンタルに死んだ乗客たちが影もなく砕け水とともに客室内に渦巻いた。
ふと、どこからか星巡りの歌を聞いた。人馬が氷のように澄んだ声でゆったりと歌うのを見た。

 ケヌタウラゥス、林檎を射よ。
 ケヌタウラゥス、胡桃を割れ。

頭を撃ち抜かれたカンパネルがぐるりと室内を巡り何処かへ行くのを見た。

 ケヌタウラゥス、星を射抜け。

一等星を射抜かれ輝きを失った南十字が窓のすぐそこに迫っていた。

 ケヌタウラゥス、露を降らせ。

ジョン・ヴァンニは視界が歪むのを見た。零れるはずのない水がジョン・ヴァンニの頬を伝った。しかしそれは銀河の水であったのかも知れない。


 カンパネルはわたしの深層意識の一番奥の人格だった。彼はあなたの幸いを奪おうとしていたがそれと供にあなたと一緒に何処までも行こうとしていた。
 その相反する思考はこの実験で最も重要でありカンパネルの存在そのものだった。

 客船はもはや沈むばかり、祭の開祭も告げられた。



壮大なる客船は誰一人逃がすことなく目的地である海の底へ辿り着いた。

ケヌタウラゥスの祭が始まる。

【創作】銀河客船の夜

15、銀の矢


ジョン・ヴァンニはレサンタルの炎に巻かれ、爪の先踵踝穴裏膝脹ら脛腿恥骨臍肋骨背骨鳩尾鎖骨首項耳鼻顎目眉髪が燃えてゆくのを感じた。無事であるのは両の腕だけだったが、肩の骨がとうに燃え尽きていたために動かすことはできそうになかった。
ジョン・ヴァンニはぼそりとブルカロニが呟くのを耳にした。

 あなたも又、カンパネルであったか。

否、耳すら燃えていたためにブルカロニがそう言ったかは定かではない。侮蔑とも期待とも嘲笑ともとれぬそれにジョン・ヴァンニは自らもまたカンパネルの一人だったことを思い出した。

 カンパネルを憎むカンパネル、自らをカンパネルと知らぬカンパネル。成る程これは良い実験であった。

 レサンタルの炎に溺れぬカンパネルにレサンタルの炎に燃えぬカンパネル。数有るカンパネルを見てきたがこれ程愉快なことはない。

人馬が唱うように笑い、ジョン・ヴァンニの燃えず残った両の腕を拾い上げた。
何をする、言いたくともジョン・ヴァンニにはもう口がなかった。

 オゥスケッタの白手袋には若すぎる、枯れた川で砂糖菓子になるには育ちすぎた。
 しかし両の腕を繋げばわたしの矢に丁度良いか。

人馬はジョン・ヴァンニの腕を弓に番えぎりぎりと引き絞る。狙いを客船の丸窓の向こう、白く鋭光する星の一つに定める。
爪弾かれた弓は震えながら一直線に矢を放った。

ジョン・ヴァンニは未だ燃え続ける目でただ南十字の一等星目掛け銀河の海を駆けて行く、その様を見ていた。

壮大なる客船から放たれた一対の腕は星を射抜き色もなく潰えた。

【創作】銀河客船の夜

14、ジョン・ヴァンニ


ジョン・ヴァンニは総てを思い出す。


いつものように活版所で文字を拾い終え、所長に手渡そうとしたその時カンパネルが飛び込んできた。

 ジョン・ヴァンニ、きみの父さんが死んだよ。

悲鳴のように叫んだカンパネルの言葉にジョン・ヴァンニは活版枠を取り落とした。文字が散らばり慌てて拾い上げたがいくつかの文字は見つかることはなかった。
ジョン・ヴァンニは仕事を失い、母の元へ帰ることも出来ず、父の帰るはずの港へ辿り着いた。

ジョン・ヴァンニは思い出す。

弔いの烏瓜を抱え川岸を歩いていた。長い航海に出ていた父を送る灯りを灯した烏瓜は手から離され、しかし直ぐのところで引っかかった。

 ジョン・ヴァンニ、もっと奥だ。

枝を使い押し戻そうとしていたジョン・ヴァンニの背をカンパネルが押した。川に落ちたジョン・ヴァンニは流されるままに客船の待つ港まで漂った。

ジョン・ヴァンニは思い出す。

ずぶ濡れのまま家に帰った。迎えてくれるはずの母は少年に蹂躙され濃密な匂いが充ちていた。

 ジョン・ヴァンニ、おかえり。

卑しめているカンパネルの笑みを見た途端何が何やら判らなくなり闇雲に走ったジョン・ヴァンニの前には客船があった。

ジョン・ヴァンニは思い出す。

ケヌタウラゥス祭の開祭を告げる射儀の練習をしていた。背ほどに長い弓に番えた矢を港から空に放ち、南十字の試し射ちをしていた。
海へと落ちるはずの、内の一射が軌道を外れ停泊中の客船から今まさに降りてきた少年の胸を射刺さった。

 ジョン・ヴァンニ、きみは僕を殺した。

少年の名をカンパネルと言う。


ジョン・ヴァンニは思い出した。思い出した途端レサンタルの痛みの炎が全身を覆い、沈黙するブルカロニの目前で声も出せずのたうち回る。

壮大なる客船は指針を失い、潜り過ぎたことに気付いたが既に遅く、ただ沈むばかりである。

【創作】銀河客船の夜

13、ブルカロニ


ジョン・ヴァンニの目の前の少年はレサンタルの痛みに悶え転げていた。ジョン・ヴァンニは少年を助けようとも思い立たず、ただ眺めるだけである。
既に炎は遠ざかり、痛みに溺れていた乗客たちも次々に死んでいた。
残るカンパネルは口と目と鼻と耳から痛みを垂れ流し小さな水溜まりを広げている。

 これはもうレサンタルの痛みではない。

ジョン・ヴァンニは確信した。レサンタルは遠く過ぎ、今カンパネルを襲う痛みは罪の痛みではない。

 これは僕の痛みだ。

ジョン・ヴァンニは首の痛みを感じなかった。総ての痛みはカンパネルへ向かっていた。ジョン・ヴァンニは胡桃を黒曜石にくべたようにカンパネルへ怒りをくべ続けるのだった。カンパネルは肩で息をし、転げ回る動作すら緩慢になってゆくのである。
しかしその目はジョン・ヴァンニに注がれていた。カンパネルは色を失った唇で呟く。

 思い出さなければよかったのに。

吐息が耳を掠めたときジョン・ヴァンニは渾身の力でカンパネルを踏みつけていた。
ぐぅ、と喉奥で呻いたカンパネルは唇の端を上げ笑みを浮かべながらもう一度言った。

 思い出さなければよかったのに。

その言葉と同時にカンパネルの頭は銀色の矢に貫かれ砕けた。カンパネルの痛みがジョン・ヴァンニにも飛び火したが怒りと憤りに充ち満ちていたジョン・ヴァンニには伝わらず、放った者を睨み付けた。

 あなたにはすまないことをした。

矢を放ったのは人馬である。銀色の弓を携えた人馬は悦びを湛えた声でジョン・ヴァンニに話しかけた。

 わたしは自らの深層意識を外界へ出す実験をしていた。今、最後のカンパネルが死に実験は終わった。

ぴくりとも動かぬカンパネルを一瞥し人馬は続ける。

 しかしよい実験だった。レサンタルの炎に溺れぬカンパネルをわたしは初めて目にしたように思う。

人馬は歓喜を滲ませた目でジョン・ヴァンニを見、ゆったりと笑んだ。人馬の口上をただじっとしていたジョン・ヴァンニは静かに問いかけた。

 あなたの名は。

 ブルカロニ。

それきりブルカロニとジョン・ヴァンニは沈黙した。
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