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夜更けて

話題:ひとりごと
今日は、朝起きて母から、近所のお見舞いに行くから、おばあちゃんを見ているように頼まれて、午前は台所で調べ物をして、午後から切符を買うのと、郵便局でお金をおろすのと銀行で記帳をして、ダンボールを買って、クリーニングにも服を出した。

お母さんは体調不良。

夜べ

話題:ひとりごと
姉とうちの家族について話した。
姉が風呂に入っている間に、洗い物してたら母がなぜか怒り出して食器を荒っぽく洗って投げながら独り言を言い私に八つ当たりしてきた。私には愚痴を言いながら八つ当たりできるのに、姉が来ると愚痴の八つ当たりをしなくなる母。

母が寝たから、姉と、子供時代がどうだったか話し合った。

母が理不尽に、子供を怒った話とか、家庭内の不和を子供にぶつけていて子供はそれを理解していた話。母から言われたひどい言葉や仕打ちを思い出して、今何も変わっていない事。

私は何をやっても満足がない事、何がやりたいのかわからない事を話した。何をやっても、それなりですごくやりたい事がない、やりたい事がわからない。

話していたらわかった事で、わたしが絵を描いていたのは、多分初めは絵を描いていると母が喜んでくれるからだったのかもしれない。母に認めてもらうには、母と共通な話をするには、絵や漫画や芸術ををやると考えたのかも。書くきっかけは楽しかったからかもしれないけど、絵を描くと母が喜ぶ、画材も買ってくれたし、認めて褒めてくれたから、やっていたのかな?一時期、親に反抗して生きるのが嫌になった時期があるけど、怒られて、否定されて、反抗しても無駄な事がわかって、親に認められる方、期待される方の、絵を選んだのかもしれない。漫画やイラストや芸術の話をしたら母が喜ぶ、画材屋や美術館に行ってくれる、話をしてくれる、認めてくれる。そんな理由。パソコンの専門に行ったのも同じような理由かもしれない、父と話す理由ができた、父と話せる、我がてくれるなんて期待してさ。

子供って健気だよね。

認められたい一心で、大学にも入れたし、漫画家先生にも会えたし、版画で賞も貰ったし、ここまでやりたくたってできる子いないよ?良い子いいこ。漫画家先生と知り合いになったり、漫画家先生に直に会う事があった。母の私に対する嫉妬も(⌒-⌒; )
あるのかな。

東京に出て、変わったのはうちらだけだったね、父と母は何にも変わっていなかったね、と姉と話した。

自分たちは、もう絶対何を言われても、実家に帰ってこない事、こんな親にはならない事、同じ苦しみは子供には味あわせたくない事。

澄んだ朝

話題:ひとりごと

おじいちゃんの一周忌がやっと終わった。

去年のお葬式に始まり、49日、新盆、一周忌、長かった。
田舎の独特な風土の特に濃い地域に生まれ、壮絶な仏事を大人になってから経験した。

朝からひたすらお茶入れをして、立ちっぱなしで台所で洗い物とご飯作り、親戚やご近所が来たら御給仕をして、全員に三つ指ついて挨拶をして、ご飯とお菓子を出して、お酒をお酌して回って、カレー作ったり、煮物を作ったり、近所のおばさん達でお団子作って飾って配ったり、隣近所の独特なお経があったり、盛大なお葬式をして沢山の友人や知人や親戚や近所の人達が来て、賑やかに宴会をして、お食事会をして、

男のし(男の人達)はお酒を飲んで食べて騒いで、女し(女の人達)は台所で料理を作り、洗い物をする。

おばさん達が御給仕が終わってから、喪主の家の家主や家族が、おばさん達を感謝の気持ちを込めてお接待する。

奥座敷から中座敷から、居間まで入りきらない人が来て、祖父母の離れの家にも一杯になって何人来たか把握できなかった。祖父の人望の厚さを思い知った。独特な風習と、近所付き合いや、親戚付き合いがある、地域の繋がりと絆や縁故が強い地域の、そんなお葬式の忘れられない思い出。

おばあちゃんの介護しながらの一周忌を無事に乗り越える事ができて、本当に良かった。

介護しながら一周忌をやり切った母は凄い。テキパキと、おさんどんをこなす近所のおばちゃん。

私には真似出来ないな・・・・

やっと終わった

話題:ひとりごと
おじいちゃんの一周忌がやっと終わった!!お葬式に始まり、49日、新盆、一周忌、長かった。
田舎の独特な風土の特に濃い地域に生まれ、仏事を大人になってから経験した。

朝、7時過ぎに食パンを口に放り込んで、歯を磨き喪服に着替えてトイレに行き、台所にて待機。母はおばあちゃんの喪服の着替えの手伝いをして、

8時半頃に、親戚が来るかもしれないとの事で、お湯を沸かし、急須にお茶っぱを入れ、湯呑みを近所用と、親戚用に母が分けてくれたのを布巾で拭き、としているうちに親戚が来た。

お茶を注いでいるうちに、隣の親戚のお家がきて、隣のおばちゃんが御給仕の助けをしてくれた。よく気がついてくれて、テキパキ仕事ができるおばちゃん。すごく助かりました。1つ、申し訳ない事をしたのがお坊さんを父が迎えに行って、早くに到着してしまい、おばちゃんが「お坊さんがきたよ!お茶出しするよ」って言ってくれたのに、「?」頷くだけで、上手く理解できなくて、おばちゃんが「お母さんに聞いてみるね!ごめんね」って言って行っちゃった事。母が準備した、お坊さん用のお茶セットを取りに来た。

そうこうしているうちに、お経が始まってしまい、私はかけていた夜間の火を消していたら、父の妹がお勝手から入って来た。「時間間違えちゃったー。ごめんねー」と土間の戸を開けた。私は「お早うございます」と言ってお茶を入れていた。慌しくなたてきたから、奥座敷に行かなければならず、母がおばちゃんを支えて、ギュウギュウに並べられた座布団の上を、フラフラしながら来客の間を縫うように前に進んだ。

姉が人が集まった部屋の端から丸椅子を取ってくれたけど、母がおばあちゃんちはパイプ椅子だからと、また取ってもらい、おばあちゃんの右には母が、左には姉が、姉の横には私が、私の前には父が、座るというような座席位置になった。

そういう慌ただしいなかを、供物を持った父の妹夫婦がやって来た。旦那さんは時間に遅れた事に腹を立てていたみたいで、ドシドシと威嚇するような歩き方で供物を置きに来た。

念仏を六文章くらい読んで、終わった。お経が終わると、お墓の方に近所の人たちと親戚の人たちで歩いて行き、その間に私と姉は疲れたおばちゃんを居間の炬燵に移動してもらってお茶を入れ、テルビをつけ、温風ヒーターを入れ、一緒に居て様子を見ていた。クロネコヤマトの人が何か届けに来て喪服に驚いていた。

母がお坊さんを車に乗せてお墓から家に戻ってきた。それから、おばちゃんを母の車に乗せて、先にバスで会食会場に行った近所や親戚の人達の後を遅れながら行った。

家の戸締りや火の元を見なければならず、時間に合わせるのは大変だった。
10:00に集まり10:30に始まるところを父が間違えて10:30に集合と伝え間違えたり、お坊さんを迎えに行くのが早くなり時間が余った所を父が、開始を急かしてしまったらしく、20分も早く始めてしまったらしい。

余った時間の調整のためか、お坊さんは「他力本願とは、他人任せにする事ではなく阿弥陀様に全て任せるという事。自力は自分の力で悟りを開く事。他力は、それが出来ない人たちを、阿弥陀様が全ての救いたいという心を表した言葉です。」という話をしてくれた。

会食会場に着き、母と姉と私でおばあちゃんを支えて階段を登り、出迎えてくれた祭場の人が足元に塩をまいてくれた。

会場の席に着く頃には、みんな食べ始めていた。母と姉はお酌に周りに行き、私はおばあちゃんを見ていた。おばあちゃんの食べられるもの、食べられない硬いものがないか、おばあちゃんが何を食べるか、食べる量をチェックしていた。

さしみ、おすし、魚を焼いたもの、すき焼き、茶碗蒸し、天ぷら、つみれ、和菓子、などなど。
父の妹が、「おばあちゃん、茶碗蒸し食べな茶碗蒸し!」とたくさん食べている、おばあちゃんにまた食べるように進め、親戚のおばちゃんは蕎麦が美味しいと進め、父は肉をおばちゃんに進め、おばあちゃんは、その気になり食べようとしたから、姉が父に「お父さん!お肉を切ってあげて」
とお願いする。
私が献杯のお酒を一口飲んで美味しいと言ったらおばあちゃんも飲もうとしたから、私が「おばあちゃん!それお酒だから、のまないほうがいいよ!」って止めた。
隣で父は料理に貪りついている。64にもなって犬食い。
おばあちゃんは、誰も止めなきゃ際限なく食べ続けるから、困るから、「おばあちゃん、もうそろそろ、止めた方がいいかも。無理して食べないでね!食べ過ぎちゃうと、後が大変だからね!」って止めに入った。

顔が赤くなってきたから母の判断で会食の途中だけど、姉の車に乗せて、姉とおばあちゃんと私で帰った。

家に帰ったら、私が裏から玄関に周り鍵を開けおばあちゃんをまず奥の父の部屋に連れて行って、「もう寝る」というから、喪服から寝巻きに着替えてもらい、私はハンガーを探し回り、喪服をかけ姉は着替えの手伝いをしてくれた。

その後、私が先に着替えに願いに行き、姉はお湯を沸かしてポットに入れてくれた。私があまりにも遅いから二階に上がってきて、「遅いけど、どうしたの?」って着替えに来た。私が「ズボンの筋を合わせて、喪服を綺麗にかけてクローゼットに入れていた」と言ったら「遅かった」と言われてしまった。

下に母が帰ってきた音がしたから、降りてお茶の準備をして、供物にもらったお菓子を6袋に分け帰りに持って行ってもらった。2時間ちょい座していた。あとは、ひたすら皿洗いをして、供物リストを作り、まとめた。
父と母と姉が祭壇を解体して、ダンボールに詰め、母が掃除機をかけ、父と母が眠るおばあちゃんを乗せたまま、父の奥座敷にから、客間の奥座敷へベッドを運んだ。その横で私と姉は縁側のはじのスペースのいらないものを出して、確認していた。

捨てていない本があったから、燃えるゴミと一緒にゴミに出してきた。炭酸ジュースを買って帰った。

縁側は、作品を置いておくと邪魔になるため裏の物置に持って言った。

みんなが帰ったあとは父、母、姉、私は炬燵で放心状態だった。

慌しい日常

話題:今日1日のまとめ。

言葉のメモ。

あなたの生きるほうを選びなさい。

子供は子供、親は親。

ずっとそうやってデモデモダッテしてたらいいと思うよ 。


朝から明日の一周忌の準備をした。9時過ぎに一周忌に飾る果物やお菓子、お客さん用のお菓子や惣菜、ご飯を買って、お酒屋さんに父の弟が飲む酒とつまみを買いに行って、大荷物になった。

買い物から帰ってきて、奥座敷に祭壇を作るために、おばあちゃんに移動してもらわなくちゃならなくて、母が父にお願いしたけど中々やってくれなくて、買い物に出る時は玄関の掃除をし始め、帰って来たら、庭の草取りをしていた。

今やる事じゃないのに、1人じゃやりたくないから、そうやってどうでもいい事をするんだ。

母と私たちが帰って来たから、やっとおばあちゃんに居間に移って貰い、ベッドを移動させたようだった。

奥座敷と中座敷を掃除機かけて雑巾で拭き、ふすまを外し大机を2つだし、布巾で拭き、コロコロをかけ、座布団を移動させ、父がモタモタしながら祭壇を立てているのを3人で手伝い、果物やお菓子、遺影と位牌をならべ、線香おりん、お焼香を並べ、母が手配した花が丁度届いたから、並べて父に確認した所で、父の弟がやって来た。

父の弟と居間に移動したおばあちゃんにお菓子とお茶を出した。おばあちゃんはひたすら、お菓子をがっついていた。のを、ポットに沸いたお湯を入れて置きに行った時に目撃した。

母は祭壇に彩りが足りないと、オレンジとぶどうを調達しにまた、出かけて行った。
母が軍艦巻きを買って帰ってきた。おばあちゃんは熱が出るから寝てもらって、父の弟にご飯を出して、また祭壇の飾りの続きをして奥座敷にある自分の過去の作品や要らないものを棄てた。

奥座敷にあるヤギのテラコッタ数点を片付けたいのだが、母が許してくれない。もう1つ石膏版画の置き物も捨てたいのに捨てさせてくれない。
「ヤギかこっちの石膏版画のどちらかを棄てたいんだけど良いかな?」と私。

「どっちも取っておいて!私が気に入ってるから。私が持っているから、捨てなくていいでしょう?」と母。
姉が助け船を出してくれて「でも、家を全員出て行くじゃん?残していっても困るじゃん?」
「本人が捨てたいって言ってるもんを無理にどうこう、できんもんね!フン!」と言い捨てられた。

夜ご飯の準備をした。焼き鳥に菜の花に茄子の煮浸しに軍艦巻きに、サラダに菜の花の辛子和え。おかんをつけて、出してご飯とお味噌汁をだして、母は居間におばあちゃんのご飯の見守りに行った。

私達はなかなか食べられないから、お菓子をつまみ、お湯を沸かし忙しくする母の手伝いをし、電子レンジおかずを温めたり、お湯を沸かしたり、味噌汁の様子を見たり、盛り付けをしたりした。

母が台所に戻ってきたから3人でご飯を食べた。

また、おかんをつけ酒を出し、母は明日の予定を父に話しに行き、ご飯が終わったから片付けをした。

始終女の人しか働いていなかった。男のしたちは、ずっと横になって寝ていて何もしなくて腹が立った。

父と酔っぱらった父の弟は自分が1000万近く稼いだ事がある話とか、女を卑下する話をして、父と父の弟は盛り上がっていたんだとさ。


少しお酒を飲んでみたりした。
明日が本番なのに、つかれた。


フェイスブックみてたら、見なきゃいいのに目についてしまって、いらつくんだ。
CDジャケットをやったとか展示会を開催しているとか、生き生き就職先で働いているとか、何で私は、こんなに上手くいかないんだろう?

あなた達、親のせいとは言わない。いや、言わせて貰う。あんたらのせいだ!娘が、こんな人生を送っているなんて父は感じてもいないだろうし、当たり前なつもりなんだろう。母も申し訳ないと言いつつ、私でストレスを発散する節があるし、

そうやって皆んな好きな事で活躍してるのに、私は一体何なの?なんで出来ないんだよ?!

死にたいは馬鹿野郎!死んでやりたいわ、こんなゴミみたいな人生!

大学のS先生に言われたひどい言葉を思い出してしまった。飲み会に参加できない、食事会に出られない、教室が嫌い、集団が好きじゃない、人が怖いっていう事に苦しめられていた大学生活。助教に「私さんは、人と仲良く出来ない病気だもんね〜。」絶対忘れないよ、S先生に言われた言葉。担任の教授は分かっていてくれて、S先生をたしなめていたのが唯一の救いだったけどね。

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