はしる、はしる、走る。
息苦しい、足が重い、ゴールが見えない。
走っているから止まれない。止まっちゃいけない。走らなきゃ、先に進めないの。
走った先に何があるのか、分からないから進むんだ。
憂鬱な気持ちも、苛々する自分自身も、今なら忘れられる。頭の中をカラッポにして、ただひた走る。
ただ、ただ。
「あかねちゃん!?」
「ただ…いま…」
「もしかして帰って来てから今まで走っていたの!?」
「…ん……、ごめ…おねーちゃん…、あたし夕飯いらない…」
頭が痛い。
汗を流し、お風呂に浸かりながらバカみたいに必死に走ってた自分を思い出す。
どこをどう走ってきたのか覚えてないや。
鏡に映ったあたしの表情はどことなく晴れやかで、気が済むまで走ったのが気分転換になったのかもしれない。
少し前のあたしだったら、これくらいのことで動揺するなんて情けないって思ってた。今は、何もかもいっぱいいっぱいでなりふり構っていられない。
「あかね」
ぽたり。
肩に掛けたタオルに、髪から滴が落ちる。
乱馬の声、聞いたのは今朝以来かもしれない。ケンカをしてるわけでも、意地を張ってるわけでもないのに。たった1日話してないだけで、とても長い時間が過ぎた気がした。
「…な、なによ?」
「今日、お前なんかおかしくねぇ?先に帰っちまうし、授業中もいやに真面目だったし…」
「…別に約束してたわけじゃないし、乱馬はまたシャンプーと小太刀と右京に追い掛けられてたでしょ。あたしだってそんな奴待ってる義理ないわ」
それにあたしは普段からいたって真面目よ。乱馬がいつも不真面目なだけでしょう?
違う、こんなことを思ってるんじゃなくて、違う、違うの。
「そーかよ」
乱馬は踵を返し、居間に戻っていく。
心無い言葉ばかりを並べて、気が付けば後悔。そんなんじゃないのに。どうして『寂しい』って、素直に言えないんだろう。難しい言葉ではないこと、分かってるのよ?
「もー…やんなっちゃう…」
好きだと自覚してしまえば、恥ずかしくて見栄を張って、照れ隠しに意地を張る。それでも、側にいて欲しいから、あたしを見ていて欲しいから、いつも以上に意固地になる。
シャンプー達みたいに、自分をアピール出来たらな。
もっと素直で、可愛い女の子になれたらな。
立ち止まってしまえば、また憂鬱なことばかり考えてしまう。せっかく走って気分転換したのに意味がない。行き場のない思いから逃げるように、私の意識は夢の中へトリップしていく。
『オレ、あかねがすきだ』
『あたしも、乱馬がすき!ずっと、ずっと言いたかったの』
夢でもいい。素直なあたし達はちょっと違和感があるけど、お互いがお互いをちゃんと思ってることがわかるから。
優しくて意地悪なんて言わない乱馬と、意地っ張りじゃなくて可愛いあたしはきっと理想。絶対現実では有り得ない。この夢の中なら、嫉妬も嫌悪もないんだろうな。
『ばっかだなぁ、いちいち言わなくてもわかるっつーの』
『どうして?』
『オレらは許婚なんだから、お互いが好きなのは当たり前だろ』
『──…っ、」
夢、なのに。
ゆっくり目を開けて、天井を眺める。夢の中で乱馬が言った言葉は、"許婚じゃなかったら好きにはならなかった"って意味、よね?
あたしは、そんな風に思ってたの?
あたしは、乱馬が許婚だから好きになったの?
そんなわけない。そんなはずない。許婚として出逢ってしまったのは事実だけど、出逢った時から"特別"だったのも事実だけど、好きになったのは許婚だからじゃない。
「乱馬、だから…、」
ぽつりと呟いて、溜め息を吐く。
苦しい。走っている時の息苦しさより何倍も。
あたしだけ見てて、なんて言えない。ガラじゃないもん。側にいて、なんて言えない。断られるのが怖いから。
声を殺して、涙が零れる。
触れられないのも、話せないのも、ケンカできないのも、笑い合えないのも、乱馬の隣にいるのがあたし以外の女の子なのも、全部嫌。
いつからこんなに独占欲が強くなっちゃったんだろう。
涙を拭い、また溜め息をひとつ、吐く。
窓ガラスをノックする音にびくっと肩を震わせ、そっと振り返った。
「おいあかねっ、ここ開けろ」
「……乱馬…」
そろそろとベッドから降り、窓のカギを開けると、乱馬は音を立てずにあたしの部屋に入る。
冷たい風の吹き込む窓を閉め、乱馬を見上げた。
「………」
「……何しに来たの?」
「…何しにっつーか…その…」
「………」
「……〜〜っあーもー面倒くせぇっ!」
「えっ…!?」
腕を引かれたと思った次の瞬間、あたしは乱馬の腕の中にいた。
そのまま力強く抱き締められる。
「………お前がんな顔してんの、見たくねぇ」
「な……ば、…ばっかじゃないの」
「1人で、どっか行くなっ」
「どうして指図されなきゃならないのよ!乱馬だってあたしを置いてすぐどっかに行っちゃうくせに…!」
「………」
だからあたしはあてもなく走るの。ただひたすらに。
行き先なんて分からない。
頭の中をカラッポにして、あるかどうか分からないゴールを目指して走るんだ。
ただ、ただ、がむしゃらに。
「許婚だからじゃ…ないの」
「え?」
「〜〜っ、ばか!もう離してっ」
「あかね」
「…………っ…」
─どこに行ったって、オレは帰ってくる。あかねが待っててくれるから。
結局のところ、お前に甘えてんだよな。
「………オレは」
「…いい…。もう、いいから離して…」
「…まだ何も言ってねぇだろ」
言ってなくても、表情が言ってる。乱馬はいつもずるいんだ。
本当、女たらし。
「乱馬、あたしね…」
さっきよりも優しく、乱馬が私を抱き締めた。
「(もし許婚じゃなくても、きっと乱馬のことを好きになってたと思うんだ)」
end