梅が咲き終わり、今度は桜の蕾が花開く。
おじいちゃんは今頃どの海を回遊してるんだろうか。いい鯖ライフを送っているといいんだけど。
ひとりでボーっと感慨に浸っていると、霊道の開く音と共に嫌いな"奴"がやって来た。無意識にオレは死神のカマを構える。
「りーんねっ。久しぶりだなあ!」
「帰れ」
「今来たばっかりだぞう?全くりんねはせっかちだな。ほら、パパから進級祝いをやろう」
「いらん」
「パパのお祝いの気持ちが受け取れないっていうのか!?」
「請求書の束以外なら貰ってやるよ」
「えぇ〜?仕方ない…これをあげよう」
「言っておくが借用書もいらないからな」
「何言ってるんだ。お前もそろそろ若社長という自覚を持って…」
「勝手に決めつけるな」
くそおやじのせいで苛立ちがわき上がる。誕生日だって、クリスマスだって、祝い事の度に請求書や借用書を届けに来るなんて有り得ないだろう。
何度おばあちゃんが言い聞かせても態度を改めないのが問題だ。
どうしてこいつが実の父親なんだ。
「りんね、」
「帰れと言ったはずだ」
「…ならしょうがないな。あの可愛いお嬢さんでもデートに誘って来るとするか」
「は?」
「それじゃあな、りんね」
「本当に、何しに来たんだお前はーっ!!!」
カマを振り回しても、おやじはひらりと身をかわして霊道に消えていった。その後にはオレ名義の借用書が舞う。あの野郎、ちっとも懲りてねぇ。
『あの可愛いお嬢さんでもデートに誘って来るとするか』
…誰のことだ?
考えを巡らしても、思い当たる人物は1人しかいない。オレは立ち上がって部屋を出る。
「…っくそ!」
「あれ?りんね様、どこ行くんですか?」
「来い六文!」
「えっ」
「真宮桜がおやじに攫われるかもしれん」
「えええぇぇー!!?」
黄泉の羽織を着て霊道に入ろうとすると、いきなり何かをぶつけられ、粉がぶわっと舞い上がる。
それが十文字の聖灰だと理解するのにそう時間はかからなかった。
羽織を脱いで視界がいくらか見えるようになった瞬間、胸ぐらを掴まれる。
「真宮さんをどこへ連れて行ったんだ!!」
「………あのな」
「せっかく一緒に帰るチャンスだったのにいきなり現れたかと思ったら真宮さんを攫いやがってー!!!」
「それはオレじゃない。…おやじだ」
「お前のおやじ?あのロクデナシのか」
「あのロクデナシの、だ」
「なんっでお前のおやじが真宮さんを攫うんだよ!ああ!?」
「そんなこと、オレが知りたいな」
「真宮さんに何かあったらただじゃすまさんぞ六道…!」
「真宮桜は無事だと思う。多分」
「どうしてお前に分かるんだよ」
「……なんとなく」
おやじは多分、本当に真宮桜をデートとやらに誘ったんだろう。それなら真宮桜に危害が及ぶことはない。むしろまた借金ばかり作ってそうだが。
十文字の手を振り払い、オレはまた羽織を着る。
「おい六道、俺も連れてけ」
「断る」
「お前ばかりにいい格好させられるか!」
「知らん」
「りんね様、ここはぼくに任せて、早く!」
「六文?」
「桜さまを頼みます!」
「………わかった」
「あっ!?おい!」
霊道を開いて飛び込むと、ぐにゃりと景色が歪んで空間が切り替わった。
六文と十文字の姿も声も消えた。
早く真宮桜を探さないと……。何だか前にもこんなことがあったような気がする。
あの時は確か真宮桜が輪廻の輪に乗ってしまいそうになっていたんだっけ。状況は違えど、まずはどこにいるのか見つけるのが先だ。
オレは声を張り上げながら霊道を駆けていく。
「…どこだっ、真宮桜ー!」
* * * *
「─え?」
「どうかしたかい?お嬢さん」
「今、なんか声が…」
「そんなのいいからいいから。次は向こうのお店に行こう。欲しいものはあるかな?」
「いや、私は…」
「遠慮なんていらないよ。さ、さ、」
「あのー…」
六道くんのお父さん‥鯖人さんに連れられて、私は何故かあの霊界にある出店を見て回っていた。放課後だったから別にいいけど、突然どうしたんだろう。
鯖人さんはニコニコしながら私の腕を引いていく。親子だから六道くんと容姿が似てるのは当然かもしれないけど、性格は全然違うや。
「どうかした?」
「え」
「何か悩み事でもあるのかな」
「…あー…あの、聞いてもいいですか」
「ん?」
「鯖人さんは、どうして私をここに連れてきたんですか?」
「可愛いお嬢さんとデートがしたかったからだよ」
「……」
「あれ?信じてない?」
「そりゃー‥」
「いつもりんねが世話になってるんだ、お礼くらいさせて欲しいな」
「でも、また借金作るつもりなんじゃ」
「……」
鯖人さんは笑顔のまま黙り込んだ。
…図星だったのかな。
半ば呆れつつ、賑やかな通りを見ていると鯖人さんはまた私の腕を引いて歩き出し、綿あめを買ったかと思うと私に渡す。
何も言わないけど、本当にただデートしたかっただけなのかな?
「ありがとう、ございます」
「うん」
「これ、」
「大丈夫。これくらい借金しなくても買えるよ」
「…そうですか」
「りんねはとても君を信頼しているみたいだ」
「へ?」
綿あめからパッと視線を上げて隣を見ると、鯖人さんは空に浮かんだ輪廻の輪をどこか寂しげに眺めているような気がした。
よく分からないけど、鯖人さんにも何か事情があるのかな。
魂子さんと鯖人さん、もちろん六道くんもだけど、よく考えてみればまだまだ知らないことが多すぎる。
「りんねを頼むね」
「?」
「お嬢さんなら安心出来そうだし。娘にするのも嬉しいし」
「で、でもあの、私…ただのクラスメート……」
「真宮桜!」
「わっ!?」
名前を呼ばれると同時に、鯖人さんに掴まれていた腕を誰かが引き離す。見慣れた羽織に顔を上げると、鯖人さんと同じ赤い髪。額を伝う汗、息切れして上下する肩。
もしかして私を探してくれていた?
「ろ、くどーくん…?」
「無事か、真宮桜」
「え、うん。特に何も」
「やあ、りんね」
「……」
「そんなに睨まなくても、今日はまだ借金作ってないぞ?いや、作れなかった、が正しいかな」
六道くんの後ろにいる私に向かって、鯖人さんはパチンとウインクした。
どういうことだろ。
そりゃ、確かにお金使おうとした時にはやんわりと止めたりしてたけど。咎められてるような気はしないし、なんだかその逆のような感じがする。
「そう毎日借金押し付けられても困るんだよ」
「はは、でも…いい子じゃないか。お前には惜しいくらいの」
「なっ」
「パパも欲しくなっちゃいそうだな」
「……」
「りんねはどうだ?桜お嬢さんをお母さんに!」
「ふざけるなっ!」
「えー」
「いい加減にしろ。真宮桜はお前のオモチャじゃない。…帰るぞ」
「えっ、ろ、六道くん!?」
「またね、お嬢さん。今日は楽しかったよ」
「…はい」
ひらひら手を振る鯖人さんにぺこりと頭を下げて、どこかへ歩いていく六道くんを急いで追いかけた。
いつもより歩くのが速い。やっとのことで手を伸ばし羽織を掴む。
「待ってよ、六道くん!」
「……」
「…っ、なんか、怒ってる?」
「別に」
「じゃあ、こっち向いてよ」
「……なんだよ」
「迎えに来てくれて、ありがとう」
「え…」
「この綿あめ、さっき鯖人さんが買ってくれたの。六道くんにあげる」
袋ごと六道くんに渡すと、拍子抜けしたのか目を丸くして私を見る。
思ったんだ。本当は鯖人さん、六道くんと向き合いたいんじゃないかって。一緒に歩きながら、…女の人に声を掛ける場面は沢山あったけど、ちゃんと六道くんのことは心配しているんだろうなと思う。気のせいかもしれないけど。
「おやじが、か」
「うん。ちゃんとお金払って買ってたよ」
「……」
「ねえ、どうして私が鯖人さんといるってわかったの?」
「ああ。十文字が騒いでた。それに…」
「それに?」
「(おやじなら有言実行しかねないからな)…………なんでもない」
「?」
「行くぞ。早く帰らないと日が暮れる」
「う…うん」
「ほら、」
そっと差し出された六道くんの手を握って、霊道を通る。
何度こうしてこの道を通っただろう。いつの間にか当たり前になってしまってて、日々の中では見失いがちだけど、私っていつも六道くんに守ってもらってばかりだ。
『りんねを頼むね』なんて鯖人さんに言われたけど、私は六道くんの力になれてるのかな。
霊道を出て、夕焼けに染まった校庭に降りる。
「わ…綺麗…」
「…満開、だな」
「うん」
風に揺れる枝には桜の花が咲き乱れている。
しばらく見とれていると、六道くんが私の頭に手を伸ばして触れた。少し驚いて動けずにいると、目の前に花びらを突きつけられる。
「花びら、付いてたぞ」
「…あ…そう?でも、六道くんも頭に花びら付いてるよ」
「え?」
「届かないからちょっとしゃがんで?」
「……わ、わかった」
赤い髪に少し触れ、淡いピンク色の花びらを取る。
繋いだ手はそのまま。
重なった視線に、紅い瞳に、捕まってしまったような感覚に陥る。指先から伝わる体温と、鼓動がゆっくり共鳴していく。
「…六道くん、取れたよ」
「ん、ああ」
「あー!おかえりなさいりんね様ーっ!!」
「真宮さーん!無事かー!?」
「六文ちゃんに翼くん?」
「…まだいたのか十文字」
「いちゃ悪いかよ。…いつまで真宮さんの手を握ってるんだ六道!」
「あのな」
「なんかさ、みんなでお花見でもしたいねー」
「お花見ですか!?楽しそうですねっ」
「そんな金はないぞ。ただでさえ今日おやじが持ってきた借用書のおかげで借金が増えたんだから」
「お弁当なら、私作ろうか?」
「真宮さんがわざわざすることないよ!準備くらい俺がやるって!」
「…勝手にしろ」
「楽しみですね、桜さま!」
「うん、そうだね」
ひらひら、ひらり。
桜が咲いて春が来た。
この世界の空に輪廻の輪は浮かばないけれど、見上げれば綺麗な景色が広がっている。
end.