※かごめ語り
泣きたくなるくらい、好きで、好きで、側にいたくて。
いつも不安だった。私の存在なんて、この時代では不安定なものだから。ここは私の世界じゃない。ここは私にとってずっとずっと昔の世界。そう思っていたのに、割り切れなくなったのはいつからだっただろう?
いつだって"桔梗"の存在が大きくて、私が出来ることなんて限られていた。
さわさわ、風が吹けば御神木の葉が揺れる。
「かごめ様?こんな所でどうかしたのですか」
「あ、ううん!何でもないっ。弥勒さま、犬夜叉の様子…どう?」
「楓さまが診て下さってます。ご安心下さい」
「そっか…」
さわ、御神木に風が吹くと鳥も飛んだ。
昨晩、ある村で妖怪と戦って、犬夜叉と珊瑚ちゃんは怪我をしてしまった。いつものことだから気にするなって2人は言うけど、そんなの無理だよ。大切な仲間が怪我をするのは嫌なんだ。
楓ばあちゃんのいるこの村に帰って来てから、私はずっと御神木の根元に座っていた。
『桔梗…っ』
痛みでうなされる犬夜叉の口からこぼれた名前は、私の心を締め付ける。苦しそうな表情と声が、何度も何度も頭の中でリピートされる。
桔梗なんて関係なく、犬夜叉の側にいたいって、思っていたけど。そんな気持ちへの不安に拍車がかかって、私は1人、骨食いの井戸と御神木があるこの場所でずっと空を眺める。蒼く澄んだ空の色はいつの時代も同じ。
「かごめ様、そろそろ皆の所に戻られては?」
「…もう少し、ここにいたいの。迎えに来てくれたのに、ごめんね弥勒さま」
「いえ…。心中お察し致します。犬夜叉の奴は女々しい所がありますからなぁ」
「いいのよ。わかってるもの。それでもいいって言ったのは私、だし……」
「かごめ様…」
自業自得なのよね。どんなに辛くても犬夜叉と一緒にいれればいいって思うくせに、それだけじゃもの足りない自分がいる。
またじっと空を見る。そのうち弥勒さまの気配もなくなった。ゆっくり目を閉じて耳を澄ませてみる。鳥のさえずりと、風の音、草木が揺れる音。自動車の音なんてしなくて、空には飛行機雲も、電線もない。
ここには調和のとれた"自然"がある。でも私がどう考えても"不自然"な存在であることに変わりはない。
…自己嫌悪に陥ってる暇じゃないよね。早く帰らなきゃ。
─帰るって、どこへ?
─ママや草太、じいちゃんがいる私の世界?
─楓ばあちゃんがいるあの村?
そんな問いが頭にひっかかって、歩みが止まる。
私は、どこに帰ればいいんだろう。大切な場所が沢山あって、手放せないから、混乱してしまうのは分かってるけど、現代と過去の境はそもそもあの骨食いの井戸。どっちが私の居場所なのかな?
「なんか…分かんなくなってきちゃったなぁ」
ここに居たくて、居たくなくて、気持ちがあべこべになる。
1日だけ、家に帰ろうかな?ママに話、聞いてもらいたい。数学よりもずっと難しい心の問題は、私ひとりじゃ解けそうにないもの。…そうと決まれば、挨拶くらいしてこなくちゃね。
私は立ち上がってスカートに付いた草を払い、楓ばあちゃんの家に向かった。
「ねぇ法師さま、やっぱり犬夜叉にかごめちゃんの事迎えに行かせた方がいいんじゃない?」
「しかし珊瑚、お前と同じで犬夜叉は怪我を負っているんだ。無理をさせてはいかんだろう」
「さよう。このバカ犬じゃ、結界でも張って動きを封じぬ事には治るものも治らん」
「楓おばばも犬夜叉を大人しくさせるのに一苦労じゃったしなー…。おらは絶対あんな風にはならんぞ」
「それはよい心がけですね、七宝」
「お前らなあっ!!おい楓ばばあ!さっさと結界解きやがれっっ」
「よさんか犬夜叉。また傷口が開くぞ」
「まったく…ぎゃんぎゃん騒ぐ子供みたいなお前をかごめ様が見たら呆れられてしまうぞ?七宝を見習いなさい」
「一緒にすんじゃねぇ!」
「もー、法師さまが煽るからいけないんだよ」
「珊瑚の言う通りじゃな。弥勒の奴、犬夜叉をからかって遊んでおるようじゃ」
「ああやって喧嘩する元気があるなら、わしの薬ですぐ治るさ」
家の前まで来ると、中から騒がしい声が聞こえる。犬夜叉ったらまた手当てしてもらったのに騒いでるんだ……。
怪我人のくせに、元気というか‥威勢だけは人一倍あるもんね。
簾を上げて中に入ると、みんなの視線が私に向けられる。遅くなってごめんね、笑顔でそう言うと犬夜叉だけが私から視線を逸らした。
「かごめちゃん、平気?」
「え?何が?そんな事より、珊瑚ちゃんこそ具合は大丈夫?これ、薬草ね」
「あ、ああ…ありがとう」
「み、弥勒、かごめは元気そうではないかっっ」
「ふむ…。七宝には、そう見えますか?」
「え?」
「………かごめ、」
「あ、楓ばあちゃん、私、ちょっと実家に行ってくるね!薬とか補充したいし。珊瑚ちゃんと犬夜叉の事お願い」
「いつ帰ってくるんじゃ?遅くなるのかのう」
「…すぐ、帰ってくるわよ。七宝ちゃんにも何かお菓子持ってくるね」
「わーいっ!それは楽しみじゃーっ」
「じゃあ私、行くね」
「待てかごめ」
楓ばあちゃんの声に足がぴたりと止まる。笑顔を作るのも疲れてきた。ぐっと気力を振り絞って、また笑顔で振り返る。
心配そうな弥勒さまと珊瑚ちゃん、私と目を合わせない犬夜叉。それを見て不思議そうな顔をする七宝ちゃん。…楓ばあちゃんは何もかも分かってるみたい。
「なぁに、楓ばあちゃん」
「…焦ることはない。たまにはゆっくり休むのも必要だぞ」
「─ありがと。それじゃっ」
黄色のリュックを背負って、夕暮れの森を走って、私は井戸に飛び込んだ。そういえば、犬夜叉とは何も話さずに来ちゃったな。…まあ、すぐ帰ってくるつもりだから大丈夫よね。
祠の戸を開ければ、戦国時代と同じオレンジ色の夕焼け空。
少し眩しくて目を細めると、家から草太とじーちゃんの声が聞こえた。
「あら、かごめじゃない。お帰りなさい」
「ママ…」
「今夜はハンバーグなのよ。すぐ作るから、早く中に入りなさい」
にっこり、優しい微笑みがじわりと心を温かくする。いつだってママは、ううん。ママだけじゃなくて、じーちゃんも草太も、温かく私を迎えてくれる。
ほっとして、心が落ち着く。きっと"家族"だから。
夕飯食べたら、ママに話そう。1人で考えるのは、もう疲れてしまった。
「あ、ねーちゃん帰って来たんだ。おかえりー」
「おおかごめ!土産はないのかっ」
「…じーちゃん」
「じ、冗談じゃよ。冗談。」
「かごめ、お夕飯の準備手伝ってくれる?」
「うん」
ママの隣で台所に立つのも、家族でご飯を食べるのも、ゆっくりお風呂に入るのも、以前は当たり前のことだったのになんだかすごく懐かしく感じて。
それでもやっぱり、ここにいて安心するのは私がこの世界の人間だからなんだろう。
「あのね、ママ」
「どうしたの?」
「…自分の居場所……っていうか、存在が、本当にあっていいものなのかなって、なんか…考えちゃって」
戦国時代に私が存在する意義は、四魂のかけらを集めるためであって、その後はもう私なんて意味のない存在になる。
現代では、普通に学校行って、受験勉強して、家族みんなで仲良く暮らして…私が生を受けた時代だから、余計にそう思う。
けれど今の私にとって、この時代も、戦国時代も、みんな大切なものになっているんだ。
犬夜叉の側にいたいって思ってしまったから。
犬夜叉に惹かれたから。
だから、不確定な戦国時代での私の存在が、不安で仕方ない。犬夜叉の心にはいつも"桔梗"がいるんだもん。
「かごめの居場所はいつだって"ここ"にあるわよ。不安になることないわ。ママも、おじいちゃんも、草太も、かごめの友達も、いつもあなたを心配してる。ママは会った事ないけど、向こうの時代にいるかごめの友達も同じように思っているはずよ?」
「……」
「そこが、かごめの居場所。家族や友達、仲間、好きな人がいるところ。不安になるのは悪い事じゃないし、たまには甘えるのも必要。いつでも待っているから、頑張りなさい。苦しくなったら帰ってきなさい。ママ達はここにいるから」
優しく抱き締められて、ママのにおいに包まれる。あったかくて安心する。心にあった重い塊が、ふわっと軽くなった。
なんだか犬夜叉に会いたくなった。まだ少し、不安はあるけど。
ふかふかのベッドで、ごろんと横になる。
目を閉じれば窓の外の音が聞こえる。風の吹く音、カエルが鳴く音。うつらうつらと眠りが深くなりかけた時、私の頬に誰かの大きな手が触れた。
私、この手知ってる…。
「…ぬ、…しゃ…?」
瞼が重くて目が開けられなくて。為すすべもなく私は意識を手放した。
夢の中では、犬夜叉も、弥勒さまも、珊瑚ちゃんも七宝ちゃんも、みんなみんな笑ってて、ママに草太にじーちゃんもみんな、私の側にいた。
初めから悩む必要はなかったんだ。私が誰かの心に存在して、必要とされているなら、きっとそこが私の居場所になる。過去も現在も未来も関係ない。身近な所に、私の居場所はあるんだ。
朝日の眩しさにゆっくり目を開けると、目の前には見慣れた半妖の整った顔があった。
何よ、『すぐ帰る』って言ったのにわざわざ迎えに来るなんて。怪我だってまだ治ってないはずなのに、無茶ばっかりするんだから。
「かごめ…」
不意に呼ばれた名前にどきっとする。
犬夜叉の心に、私がいるの?必要としてくれてるの?犬夜叉の側が、私の居場所って自惚れてもいい?
いい、かな?
ぴくりと耳が動いて、犬夜叉がぱちりと目を開ける。あまりにも驚いた様子が、可愛く見えて、私は笑った。
「お、お前なぁ!起きてたなら言えよ!」
「だ、だって犬夜叉、気持ちよさそうに眠ってるんだもん」
「……っ、さっさと準備しろっ。帰るぞ」
「分かってるわよ。朝ご飯食べてからね」
「……あの、さ」
「大丈夫よ。…もう大丈夫。ママに元気もらったの」
「そう…か」
「うん。私の居場所は、大切な場所は沢山あるんだって、わかった」
家族の力はやっぱり偉大ね。昨日より自然に笑えた。
犬夜叉は少しふてくされて、不意に私の手を握った。突然何だろ、思っただけで、言葉にはしなかった。
「…おれにとって、かごめがおれの居場所だ」
「…へ?」
「お前がいなきゃ、おれの居場所がねぇんだよ」
「犬夜叉…」
「だから…っ」
「ありがと。わかった、充分よ。そう言ってもらえるだけで嬉しいわ」
「かご…」
「よーし!早く顔洗って来なきゃっ」
「は?」
犬夜叉がぽかんとしてる間に、私は階段を降りて洗面所へ向かう。
小鳥のさえずり、昨晩とは違う柔らかい風が、開けた窓から入ってくる。なんだかとっても清々しい気分。
悩んでた昨日の私、晴れた気分の今日の私。
根本的な不安がなくなった訳じゃないけど、ママの言葉、犬夜叉の言葉が元気をくれた。
「おはよー、ねーちゃん」
「かごめ、やっと起きたのか」
「おはよう。朝ご飯出来てるから、早く顔洗ってらっしゃい」
「おはよう。草太、じーちゃん、ママ!」
end