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秋の訪れ、夏の終わり(五響)


一刻館は毎日賑やかだ。
俺と管理人さんが結婚して以来も、かなりの頻度で毎晩宴会が行われる。
それも元・俺の部屋(五号室)で。



「五代くーん、お酒足んないよー」
「あら、おつまみもないじゃない。買って来てよ」
「私もタバコが欲しいですなあ」


「あんたら毎晩毎晩いい加減にしてくれ…!!てゆーか朱美さんはマスターの所に移ったんじゃないんですか!」

「別にいーじゃなーい。家具も荷物も六号室にまだあるし、家賃も払ってるしー」

「あのねえ…。いつも後片付けしてくれる響子さんに悪いとは思わないんですか!?」




ぎゃあぎゃあと騒ぐばかりで精根尽きてしまいそうだ。結婚してもしなくても、一刻館の住人は以前と何ら変わりない。酒好きで宴会好きな人ばっかり。
俺は無理矢理お金を渡されて、酒とつまみを買って来いと部屋を追い出された。



「あ…裕作さん、大丈夫ですか?」



『裕作さん』、そう呼ばれることにまだ慣れないせいか、エコーがかかって感動してしまう。そうだよ、俺は響子さ…、響子と、結婚したんだ。
じ〜んと込み上げてくる幸せをかみ締めた。




「だ、大丈夫。ちょっと買い物に行ってきます」

「わざわざ言うこと聞かなくてもいいでしょうに」

「あの人達に今更何を言っても無駄だと思うなぁ〜…ははは」

「あなたもガツンと言ってやらないからいけないのよ」

「はい…」




返す言葉もございません。
苦笑しつつ、玄関の戸をカラカラ開けた。昼間と違って冷えた風がぴゅうっと吹き込む。
惣一郎は元気に鳴いて尻尾を振っていた。




「そうだ、何か欲しいものがあったら一緒に買ってくるけど…」

「そうね…。じゃあ洗剤を買ってきてもらえます?」

「わかった。それじゃ、行って来ます」

「行ってらっしゃい」




歩きながら街を眺める。
もう何年この景色を見ているんだろう。ゆっくり少しずつ、街並みは変わっているけど変わらないものだって沢山ある。
こずえちゃんは元気かなあ。三鷹さんと明日菜さん、子育ての準備で大変だって言ってたっけ。双子らしいから余計大変そうだよなあ。
一年前まで、切羽詰まって必死にあがいてた自分が懐かしい。




「おー、五代じゃん」

「坂本」

「今日は仕事休みなのか?」

「日曜だから保育園は休みだよ。そういうお前こそ、会社休みか?」

「いや、今日までの仕事があってさー。やっと終わらせてきたとこよ。今から彼女とデートでね」

「相変わらずだなー」

「まあね。お前も響子さんとは仲良くやってんだろ?羨ましいぜ、まったくよぉ」




今度会った時は飲みにでも行こうや、そう言って坂本は彼女との待ち合わせに向かった。
俺も買い物を済ませ、再び来た道を戻る。
みんなそれぞれに自分の道を歩いている。俺も自分の道を歩いていられるのは、支えてくれる人がいるからだ。




「あ。五代さーん、今帰りですか?」

「おっ、二階堂?そういや里帰りしてたとか…」

「ええ。これ五代さんにお土産です」

「…………納豆…」

「五代さん、エンゲル係数高そうだから。前にも持って来たんですけど、確かあの時試験があるからってキャバレーに住み込んでたんでしょ?」

「あ、ああ…あの時ね」




渡された紙袋の中いっぱいに詰まった水戸納豆。こんな量の納豆、食い切れるわけないだろう…。
ていうか二階堂って茨城出身だったのか。
今更な事を考えながら、男2人で一刻館へ向かう。




「五代さんは何買って来たんですか……って、それ中華まんじゃないですか!僕に一つ下さいよ」

「だめ。これは響子さんと食べるのっ」

「へー、じゃあそっちのおつまみやらビールもですか」

「それは一の瀬さん達に頼まれたんだよ。分かってるくせに聞くなよな」

「いーじゃないですか、久しぶりに帰ってきたんだから。大学生は大変なんですよー」

「威張るなっ」




やれやれと一刻館の玄関を開ける。中華まんは惣一郎からなんとか死守。
どたどた階段を降りる音が聞こえたと思えば、二階から三人の酒好きが下りてきた。




「お帰り五代くーん」
「待ってましたよ。……んん?」

「どおも皆さん。二階堂望、ただいま帰りましたっ」

「あっれー、帰ってくんの今日だったんだ?」

「はい。あの…だいぶ呑んでるみたいですね」

「なーに言ってんの。まだまだこれからだよ」

「二階堂くんが帰って来ましたし、宴会をせねばですね」

「え゛。いや、僕は…」

「遠慮しなくていいわよぉ、あたしたちの好意でやってあげるんだから。それよか五代くんビールは?」


「はいはい、買ってきましたよ」

「サンキュー。じゃあ二階堂くんお帰り宴会始めよっかー」

「ええ!?僕、部屋に荷物…」

「大丈夫大丈夫。玄関おいときなよ」

「部屋より何より、まずは宴会です」

「いーやーだー!!!」




俺は酒とタバコとおつまみを朱美さんに渡し、二階堂を連れてまた二階に上がっていく一の瀬さん達を見送って、捕まらないうちにと管理人室へ逃げ込んだ。
ドアを開ければ響子さんが丁度お茶を飲んでいたところで、俺は一言、『ただいま』と言った。




「あ、これ。洗剤…」

「助かったわ。ありがとう、裕作さん」

「それから…これ、一緒に食べようと思って」




まだ温かい中華まんを袋から取り出して響子さんに渡す。
にっこり、笑顔の響子さんはすごく綺麗だ。なんだか今日1日頑張ったご褒美をもらったような気分になる。




「二階堂さん、帰ってらっしゃったんですね」

「ええ。帰り道にばったり会って」

「外、寒くありませんでした?」

「いやー、季節だから仕方ないと…。それに帰ってくれば温かいしね」

「今お茶淹れますわ」

「あ…」




立ち上がった響子さんの手を、思わず掴んでいた。
俺の冷えた指先に、掴んだ手の温かさがじんと染みていく。




「…手……こんなに冷えてるじゃないですか…」

「響子さんの手は温かい」

「寒かったなら素直に言って下さいよ…」

「大丈夫です。俺には陽だまりみたいにあったかい響子さんがいるんだから」




そっと抱き締めると、響子さんの温もりが伝わってくる。ずっとこうしていたいくらいだ。

秋の始まり。
夏の面影は遠く。
今夜も一刻館は賑やかだ。




「…名前」

「ん?」

「また、さん付けしてる」

「あ…。す、すみませ──」




不意に奪われた唇。
年上の奥さんは悪戯に笑った。






end

carbonated water(ムシャ)


その髪に、額に、頬に、唇に。
今すぐ触れる事ができたらどれだけいいじゃろう。
おらはシャンプーに触れることすら許されない。触れたとしても、すぐ殴られてはどこかへ飛ばされるのがオチじゃ。猫飯店で働いている間も、こき使われるばかり。
これでも一つ屋根の下に住んでいるのに、わざわざ中国から追い掛けて来たのに、シャンプーの態度は依然変わらない。
半ば挫けそうになったことは何度もあった。シャンプーが幸せなら、それでよいと思った。

でもやっぱり耐えられん。
おらがシャンプーを幸せにしたいんじゃ。




「ムース、なにボーっとしてるか。さっさと掃除手伝うよろし」

「ああ、わかっただ。今ホウキを取ってくる」

「………?」




ボーっとしたまま、ホウキを持って床を掃く。いつもの掃除もなんだか億劫だ。こんなの、おららしくないだ。
そもそも、おららしいってどんな感じだったかのう?
四六時中シャンプーのことばかり考えて、実際周りを良く見てなかったかもしれん。今日くらいは、少し気晴らしに違う事を考えてみるのもいいじゃろう。




「シャンプー、おら、今日は早めにあがっていいだか?」

「え?……勝手にするよろし。ひいばあちゃんには言っとくある」

「助かるだ。謝謝」

「な、お前に感謝される筋合いないね!邪魔者がいなくなってせーせーするから私嬉しいあるよ」

「……すまんな」




なんだか今日はあらゆることがどうでもよく感じられる。猫飯店のことも、シャンプーのことも、乱馬のことも。
おらは1人、ふらふらと街中を歩いて、気付けば公園に来ていた。ブランコに腰掛けて空を見上げれば澄んだ青空が広がっている。…綺麗なもんじゃ。心からそう思った。

まっさらな空にどこからかフワフワとシャボン玉が飛んできて、まるで炭酸水の中にいるみたいな感じ。シャボン玉はぱちんと弾けてすぐに消えてしまう。
おらのシャンプーへの気持ちも、シャボン玉みたいにぱちんと消えてしまえば楽なのだろうか。




「乱馬にーちゃん、もっとシャボン玉ふーってして!」

「おー、任せろ空海」


「………乱馬?」




聞き覚えのある声に、視線を空から公園に戻した。
すべり台のあるところで、小さな男の子と青いチャイナ服を着たお下げ髪の男が楽しそうに遊んでいる。




「あれ、ムースじゃねーか。こんなとこでどうしたんだ?」

「それはこっちの台詞じゃ。その子供はどうした」

「空海はあかねの従弟。こいつの親が出張に行ってる間、うちで預かることになっててさ」

「天道あかねの…?」


「にーちゃん、この人だれ?」

「オレのダチだよ。ムースってんだ」

「…あまり天道家のやつらには似とらんのう」

「そりゃシーソーだド近眼。こっちが空海」

「ほお」




メガネをかけ直し、ようやく見えた空海は天道家の従弟なだけあってどことなく天道あかねらの面影がある。
小さいながらにも結構筋肉質なところがうかがえるあたり、こやつも格闘技をやっているのじゃろうか。大方、乱馬が子供の面倒を押し付けられたのだろうな。




「よし空海、お前少し1人で遊んでられるか?」

「シャボン玉やってていい?」

「いいぜ。ただしシャボン液を吸っちゃだめだぞ」

「うん!」




たたた、と空海は走り回ってシャボン玉を吹く。一瞬だけ、父親になった乱馬が想像できた。
シャボン玉が消える度、何か大切なものまで消えてしまいそうで、何だか怖くなってきた。何もかもどうでもいいと思ったって、本当はそうじゃない。




「お前さ、シャンプーとはどうなったんだ?」

「どーもなっとらん」

「……諦めたのか?」

「…そんな訳、なかろう」

「そっか…」

「そういうお前も天道あかねとはどうなったんじゃ。いつまでもうじうじしおって」

「どうってなー…。ま、まあそれなりに何とか」

「相変わらず情けない男だのう乱馬」

「ムースに言われたくねぇよ。オレだって日々努力してんだからな」




乱馬はそう言って笑った。お前の努力なんて、どうせ拳法にだけじゃないだか?…思ったけど、言わなかった。
おらと乱馬は何が違うんじゃろう。そりゃ、生まれた国も育った環境も違うけれど。本当は何もかも違うはずだけれど。きっと根本的な所が一番"違う"のではなかろうか。




「……シャンプーの幸せを願えば願うほど、おらの幸せは遠ざかる気が…するんじゃ」

「ムース…」

「時々見せる後ろ姿が弱々しくて、無性に抱きしめてやりとうなる。でも、おらにその権利はない」




だから悲しい。どんな想いもシャンプーと共有出来たら、おらがシャンプーの心の支えになれたら。
情けないな、おらは。
シャンプーに女々しいと言われるのも当然じゃ。




「悪かったな。愚痴ってしまって…」

「いや…。別にいーよそんくらい。でも、いつも真っ直ぐなお前の言葉は、ちゃんとシャンプーに伝わってっと思うぜ」

「え」


「帰るぞ空海ー」

「はーい!あのね乱馬にーちゃん、あかねちゃんね、今日はデザート作るから楽しみにしててって言ってたよ」

「…あかねの奴、やけに張り切ってたと思ったけど原因はそれか……」

「メガネのにーちゃん、ばいばい!」

「じゃーなムース。お前も気張ってばかりじゃなくて、たまには力抜いてみろよな」

「うるさいわっ」




もう空は朱く染まる。薄暗くなるのもずいぶん早くなった。
辺りに秋の虫が鳴く声が一層響く。静まり返った公園、ここにはおら1人。
炭酸の抜けた炭酸水はただ甘いだけの砂糖水でしかない。
空海からシャボン液でも貰っておくべきだったかのう?真っ暗な空は何だかもの寂しい。

─諦めたくない。ずっとシャンプーを好きでいたい。
この想いが叶う日はくるんじゃろうか。




「こんなとこで何してるか」


「…シャ…」


「全く、迷惑かけるのもいい加減にするよろし。お前のせいで店忙しくてたまらないね」

「す、すまねえだ」

「悪いと思ってるならさっさと……、なっ、何で泣いてるあるか!?」

「え……、あれ…?」




シャンプーの姿を見たら、思わず涙が零れていた。自分でも予想しなかったことに、頬に触れれば暖かい雫で指が濡れる。
寂しかったのだと、何故か唐突に頭で理解した。
同時に、この気持ちは決して消えることがないのだと思い知ってしまった。




「情けない男あるな!泣いてばかりのお前なんて私は嫌いね!」

「わかっとる…。そんくらい、わかっとるんじゃ」

「なら…!」

「おらは、シャンプーが大好きなんじゃ」




誰にも負けないくらい。
シャンプーが乱馬を思う気持ちよりもずっと、おらがシャンプーを思う気持ちの方が強い。
そっとシャンプーの右手を握る。振りほどかれることはなかった。




「今少しの間…そばにいてくれんか、シャンプー」

「……バカ」




自分らしさはまだどんなものかよく理解出来ん。でも少しずつ、距離が縮まれば。
ああ、シャンプーが来てくれたおかげかもしれん。
空には星が点々と輝きだした。おらの世界にまた鮮やかさが蘇ってきたような、そんな感じ。


"このまま時間が止まってしまえばいいのに。"

子供みたいな願い事を心の中で呟いた。





end

バニラ・チョコレート(良あ+乱あ)

※あかり視点



良牙さま、良牙さま。
いつでもどこでも、今何をしてらっしゃるのか考えてしまう。修行ははかどってるかしら、お手紙届いたかしら。お返事はいつ来るかしら。
ねぇカツ錦、次はいつお会いできると思う?
良牙さまを想えば想うほど、会いたくなって胸が苦しい。気が付けば溜め息ばかりついている私。




「……で、うちに来てないかと思ったワケか」

「はい…。すみません、乱馬さま。せっかくあかねさんと2人っきりでしたのにお邪魔してしまって……」

「ぶっ、な、何言って…」

「違うんですか?」

「…い、いや、違‥くもねーけど、俺らは別にそーゆーの気にしねぇって」




乱馬さまは両手をぶんぶん振って、少し顔を赤らめて首もぶんぶん横に振った。
……そんなに否定することもないと思うのですが…。
乱馬さまとあかねさん、お2人の祝言が延期になったとこの間、あかねさんから電話で聞いたばかり。でも、今日ここへ来て感じた雰囲気は前と少し違う。




「お茶持ってき……、何してんの乱馬。たこ踊り?」

「ちげーよ!なんでたこ踊りなんかせにゃならんっっ」

「だって…ねぇ?あかりさん」

「えっ」

「ふふ、相変わらず変な奴よねー。乱馬って」

「あかね…お前な」




お2人の間に流れる空気は、以前よりとても優しい。
そういえば良牙さま、乱馬さま達と中国へ行って来たと仰っていた気がする。乱馬さまとあかねさん、向こうで何かあったのかしら?
良牙さまとお話したいこと、沢山あるのに…。今頃はどこにいらっしゃるの?




「あ、あの…」

「どーしたの、あかりさん」

「良牙ならオレが町内探して来てやろーか?もしかしたらいるかもしれねーぜ」

「いえ…。その、約束をしていた訳ではないので…」

「…そう、か…」


「そうだあかりさん、良かったら今夜うちに泊まっていったら?」

「え…」

「あー、それがいいかもな。案外良牙の事だからひょこっとやって来るかもしれねぇし」

「でも、ご迷惑じゃ…」

「大丈夫よ。かすみおねーちゃんは沢山お料理作ってってくれたし。それに…」




『みんなあたしと乱馬を2人きりにしたがるから、あかりさんが来てくれて良かった』
こっそりあかねさんはそう言って恥ずかしそうに笑った。…やっぱり私、お邪魔でしたわよね……。断ろう、そう思って立ち上がった時、乱馬さまもあかねさんも、ホッとしたような表情なのが見てとれた。




「ゆっくりしてけよ、あかりちゃん」

「そうそう。遠慮なんていらないわ。乱馬なんて居候のくせに遠慮の"え"の字もないんだから」

「うっせーなぁ」


「そ…それじゃ、お言葉に甘えてお世話になります…」




あかねさんと乱馬さまを2人きりにしようと画策した天道家の皆さまに申し訳なく思いながらも、私は一泊することになった。
お夕飯の時は乱馬さまから良牙さまの学生時代のお話を聞き、お風呂上がりに居間へ行くと誰もいなくて、道場を覗くと乱馬さまが鍛錬を行っていて、あかねさんがそれを眺めている。
良牙さまもああして修行しているのかしら。




「あかりさん」

「…あ……。お風呂、ありがとうございました」

「うん。乱馬が言うには今夜あたり良牙くんが来るかもしれないって」

「ほ、本当ですかっ!?」

「本当よ。近くに来てたみたい。やっぱりあかりさんと良牙くんって赤い糸で繋がってるのかもね」

「そっ…そんな…!」

「ふふ、それじゃあたしもお風呂入って来よーっと。湯冷めしないようにね、あかりさん」

「はいっ。ありがとうあかねさん」




お庭にいたカツ錦、なんだか嬉しそう。早く来て、良牙さま。
鍛錬に集中する乱馬さまの邪魔をしてはいけないと、私はカツ錦と縁側で夜空の月を眺めていた。良牙さまもこの月を見ているかしら。
気付けばいつも良牙さまのことばかりで、なんだか可笑しくなってしまう。




「乱馬ー!」

「ん?どーしたあかね」

「Pちゃんが帰って来たと思うんだけど…見なかった?」

「Pちゃんだあ?…い、いや…見てねーけど」

「そう…気のせいだったのかなぁ」

「気のせいだろ。じゃ、オレは風呂入ってくっから」

「あ、乱馬…」




どうかしたのかしら。乱馬さまは道場から戻ってきたかと思えばそそくさとお風呂に向かってしまった。
あかねさんが言っていた"Pちゃん"って確か黒い子豚ちゃん……。
もしかして、良牙さまが…!?
私は考える間もなくお風呂場へ駆け出した。




「─良牙さまっ!」

「え゙。あか…!?」

「きゃああっ!す、すみません、私っ…」




浴槽に浸かった良牙さまと目が合った。良牙さまが裸なのを忘れてた自分が恥ずかしい。
思わず手で顔を覆ってその場にしゃがむ。
カラカラと扉が閉まる音に、そっと目を開けると、乱馬さまが苦笑していた。




「道場に良牙が来たの見つけたんだ。あかねは良牙の変身体質のこと知らねーから、秘密にしといてくれっかな」

「は、はい…」

「あー‥あのさ、あかりちゃん」

「?」

「良牙の奴も、会いたがってたみたいだぜ」

「え…っ」




これも秘密な、と乱馬さまは言って、私に居間で待っているよう指示をして下さった。
戻る途中、廊下には乱馬さまと良牙さまの声が響く。




「おい乱馬!あかりちゃんに変なこと吹き込むなよ!!」

「バーカ。誰のおかげで会えたと思ってんでえ。バーカ」

「なっ、バカはお前だバカ野郎!」

「つーかいい加減男に戻ったなら着替えてあかりちゃんに会ってやれよな」

「………」





居間に着くとあかねさんがカップアイスをひとつくれた。
甘いバニラ。
スプーンで一口掬って食べると、あかねさんのにこにこした視線に気付いた。




「もしかして良牙くん、来たの?」

「はい」

「そっか。良かったね、あかりさん」

「…はいっ」

「ね、そのバニラ一口ちょうだいっ」

「あ、私もあかねさんのチョコレート一口もらってもいいですか?」

「もちろん!」




あかねさんと楽しくお喋りしながらアイスを食べていると、廊下からは待ちわびた愛しい人の声が聞こえてきた。
冷たいアイスを食べたのに、ほっぺたはなんだか熱い。どきどき胸が高鳴る。



「あー!おいあかね、オレの分もアイスあんだろーな?」

「え?確かまだあった気がするけど…」



乱馬さまとあかねさんは台所へ行ってしまった。思いもしない早さで、居間には私と良牙さまの2人きり。
食べかけのアイスが、ゆっくりゆっくり溶けていく。




「あ、あの…良牙さま」

「はっはい!?」

「お座りに、なったらどうですか?」

「あ…そーだね。あははは‥」

「ふふ」




良牙さまは私の隣に礼儀正しく正座する。こうして一緒にいるのはいつ振りでしょう?隣に座るのは、いつ振りでしょう?
どきどき、お話ししたいこと、たくさんあったのに。
何から話せばいいかしら。




「お会いできて、嬉しいです」

「お、おれも…。あ、そうだこれっ」

「…草加せんべい…」

「長野に行ったお土産なんだ」




草加せんべいは確か埼玉だったと思うのですが…まあ、特に気にすることではありませんね。
お礼を言って、お土産を机の上に置く。
また少し、沈黙が流れた。




「…乱馬とあかねさん、遅いな……」

「そ、そうですわね。私、様子見てきます」

「あ、あかりちゃん!」

「はい?」

「その、…おれ……」

「良牙さま…?」




腕を引かれ、抱き締められる。アイスで冷えた私の唇に、温かい良牙さまの唇がそっと触れた。
ふわりと香るのはバニラの香り。
甘い甘いバニラの香り。
会えなかった時間を互いに埋めるように、手をぎゅっと握る。



「…会いたかった…。あかりちゃん…」

「わたしも…私もです。良牙さま」



会えて良かった。
大好きな貴方に。






「あかりさんと良牙くん、無事に会えて良かったね。乱馬」

「そーだな。……あかね、アイスねぇんだけど」

「あら残念。牛乳でも飲めば?」

「仕方ねー…チョコアイスでももらうかな」

「は?それはあたしが食べちゃったわよ」

「だから、ここにあんだろ?」

「何言って……っ、ん」




ふわりと香るはチョコレート?

──…甘い甘い、チョコレートの香り。







end

魔法みたいな言葉(りん桜)


「桜ちゃん、最近六道くんと仲良いんだね?」

「…そお?」



クーラーの効いた教室でリカちゃんとミホちゃんとお弁当を食べていると、突然ミホちゃんがそんなことを言い出した。
仲…良いって言うのかな?だって私、六道くんの手伝いしてるだけだし。
ちらりとクーラーの前に陣取って目を輝かせている六道くんを見ても、ルックスからしてただ目立つ男の子にしか見えないから、私が六道くんと話するのは意外なのかな。




「六道くんって、未だに結構ナゾの人じゃん」

「うん。髪赤いし、いつもジャージだし。他の男子よりも何考えてるかよく分からないっていうか…」


「あはは…」




ものすごい言われようだな…。私も幽霊が視えてるのを隠してるから、そんなに人の事は言えないけど。…ちらりと六道くんに視線を向けると、ぱちっと目が合ってしまった。
思わず私は顔を背ける。




「どしたの、桜ちゃん」

「うっ、ううん。なんでもないよっ」




なんでもない、のに。ばくばく心臓が鳴る。一体いつからだろう?
いつ…いつ?そんなに自覚するような事だっけ。別に気にするような事でもないような、もっと真剣に考えなきゃいけない事のような、よく分からない曖昧な気持ち。
うまく表現できないや。

お弁当のハンバーグを口に運びながら、今日はどんな依頼が来てるだろうと考えたら、なんだかわくわくした。
待ち遠しかった放課後になると、隣の席の六道くんはすたすたと教室を出て行ってしまうから、私も鞄を持って追いかける。




「六道くん!」

「?何だ、真宮桜」

「百葉箱に依頼、あったのかなと思って…」

「ああ、今から見に行くところだ」

「私も一緒に行っていい?」

「…何を今更。お前は来るなと言っても来るんだろう」

「だ、だって…」

「行くぞ」

「え。あ、うんっ」




六道くんの言葉は、ぶっきらぼうだけど優しいから、嬉しくなる。少しずつでも、仲良くなれてるって思いたいな。
校舎を出て、百葉箱に向かう途中、六道くんは急に立ち止まった。



「忘れるとこだった」

「なにを?」

「これ」



ぽん、渡されたのは休み時間に私が六道くんに渡したお弁当箱。
今日の中身はハンバーグとブロッコリー。持った感じはすごく軽い。今日も全部食べてくれたんだ……。作ったかいがあったなって思う。
自分が作ったものを、誰かが食べてくれるのは嬉しいから。




「うまかった」

「へ…」

「いつも悪いな」

「うっ、ううん!そんなこと、ないよ」

「そうか?」

「うん」




うまかった、って。
その一言がとっても嬉しい。
鞄と一緒にお弁当箱を抱きしめた。どきどきしてるのは、六道くんの言葉が嬉しいからだよ。笑顔になるのは、気遣ってくれるのが嬉しいからだよ。
それ以上でも以下でもない、よね?




「あ、そーだ。六道くんの好きなおかずって何?」

「え?」

「今度のお弁当に入れたいなって思って」

「……いい、のか?」

「うん。お弁当って好きなものが入ってた方が楽しいよね」

「…」

「六道くん?」

「な、何でもない。依頼あるか、見てくる」

「あのー…?」




六道くんは百葉箱に向かって走って行った。私はぽつんとその場で立ち止まったまま。
不意に何かが足を掴んだ気がして下を向くと、六文ちゃんがいた。




「りんね様、どうしたんでしょう?」

「六文ちゃん…」

「桜さま、何か知ってます?」

「さあ…私も分からないなあ」



「六文、真宮桜、依頼だ。図書室に行くぞ」




六道くんの呼びかけに、私と六文ちゃんは百葉箱の所に向かう。
箱の中には依頼の手紙と、クリームパンが1つ。六道くんは依頼料に500円玉が入っていたせいかどことなく上機嫌。




「依頼主は図書委員の人?」

「ああ。3年の男子だ」

「りんね様っ、どうすればいいですか?」

「とりあえず…六文は待機。俺と真宮桜で話を聞いてくる」

「了解ですっ」

「うん、わかった」




今日もまた、私は六道くんのお仕事の手伝いに励む。
始めは死神"みたいな"仕事にはやっぱり違和感があったから、好奇心でと言っていいかもしれない。それでも、私が幽霊を見えるようになったのだってきっと何かの縁。
再び校舎に向かう途中、リカちゃんとミホちゃんが校庭の陰にいたような気がしたんだけど…、気のせいかな?




「何してる、置いてくぞ」

「あ。ごめんっ」

「………リカ達か」

「う、うん。いたような気がしたんだけど、気のせいだったみたい」

「そうか」




六道くんの後を追いかけながら、お昼休みの会話を思い出した。



『桜ちゃん、最近六道くんと仲良いんだね?』



………おかげさまで。
初めて会った時よりも少しは頼りにしてもらえるようにはなったかな?なってるといいな。




「おい真宮桜、財布は持ってきたか?」

「…………はあ」

「なぜ溜め息をつく」

「べつに〜…」






end

憧れと奇蹟(乱あ)


あたしが変なのか。
乱馬が変なのか。
それはいつからなのか。
今となっては分からない。


自分の部屋を掃除していて、あたしは小さい頃、よくお母さんに読んでもらっていた絵本を見つけた。
懐かしい気持ちと同時に、ちょっぴり寂しい気持ちになる。
そっと、ページをめくった。

"シンデレラ"。
それは女の子なら誰もが憧れるお姫様。




「あかねー、ノート見せてくれよー…ってなんだ、掃除してたのか?」

「見りゃ分かるでしょ」

「いや、つーかお前は何読んでんだよ」

「絵本よ。小さい頃、よくお母さんに読んでもらってたの」

「ふーん…シンデレラ、ってどんな話?」

「え、乱馬知らないの!?」

「まあな。てか童話っつーもん自体読んだことねぇから」

「仕方ないなぁ…。誰でも知ってる話だと思ってたけど、知らないなら読んであげるわ」




いつの間にか乱馬はあたしの隣に座っている。ノート見せてくれなんて言っておきながら、はじめからやる気なんてなかったのが歴然。
あたしはページをめくって、絵本を読み始めた。

─…12時の鐘の音で魔法が解けてしまう前に、不意に落としてしまったガラスの靴。たったそれだけの手掛かりで王子様はシンデレラを見つけ出してしまうという素敵な話。
王子様とシンデレラはほんの少しの間、ダンスをして、当たり障りのない話をしただけなのよ?
互いに一目惚れだったのかしら。
幼いあたしはシンデレラが羨ましくて羨ましくて。自分だけを見てくれて、探し出してくれるなんてロマンチックで、憧れてた。
もちろん、そう思う気持ちは今も変わらない。
あたしだけを想ってくれるなんて、保証出来ないから尚更羨ましく思えてしまう。




「…はー、国中探すなんてすげぇな王子」

「乱馬とは大違いよね?」

「何が」

「王子様は多くの人から求婚されてても、全部断ってシンデレラを探したのよ?乱馬には出来そうにないじゃない」




そう。出来そうにない。
優柔不断な乱馬だから、いつまで経ってもハッキリしない態度ばかり。乱馬にとってのシンデレラは一体誰なんだろう?
淡い期待はいつも空回りだから、パタンと本を閉じて、棚に戻した。




「で、あんたは何のノート借りに来たの?」

「え?あ、ああ、英語…」


「英語英語…っと。はい」

「さん‥きゅー…」

「どうしたの?」

「別に…」




乱馬はあたしからノートを受け取ると、立ち上がってドアに向かった。さっきとはうって変わって、真剣な顔。
怒ってる…?でも、なんで?




「乱馬?」

「オレは王子とは違うんだよ」

「何よ突然」

「…わざわざ探しにいく必要なんてねーっつの」

「え‥」




わかったかこの鈍感。
そう付け加えて、乱馬は部屋を出て行った。あたしは後を追うようにしてドアを開ける。
乱馬はまだ階段を下りているところだった。




「乱馬っ、あの…本当…?」

「な、何がだよ」

「とぼけないでよっ」




乱馬があたしを見上げる。
心臓がどきどき煩い。手すりに置いた手が震える。
魔法にかかった訳じゃない。
ガラスの靴を持っている訳でもない。
ただ、高鳴る胸は期待せずにはいられなくて。乱馬はあたしだけを、見ていてくれてるの…?




「う、嘘なんてついても意味ねーだろ。そんなこと」

「……っ…」

「え…あかね?」




何故か涙が零れた。
頭で何かを考えるより先に、乱馬の胸に飛び込んでしまいたい衝動に駆られる。…と、同時に身体がぐらりと傾いた。



「へ…っ!?」

「あぶねぇっ!!!」



階段から転げ落ちる前に、乱馬があたしを抱き止めていた。ふうっと安心したように乱馬があたしの肩に頭を乗せる。
あたしはシンデレラみたいに、たった一夜で恋に落ちた訳じゃない。ゆっくりゆっくり時間をかけて、時にはすれ違いながら、乱馬と過ごしてきた。




「…あ、ありがとう。乱馬…」

「足元気を付けろ、バカ」

「なによっ!人が素直にお礼言ってんのに!」

「ケガ、なくて良かったな」

「……なんなのよ、さっきから優しかったりいじわるだったり」

「わ、悪いかよ!大体、そんなん今更じゃねーか」

「まあ…、ね」




─あたしもシンデレラとは違う。
育った環境はもちろん、魔法使いの知り合いもいないし、お城から舞踏会の招待状も来ない。
あたしにとっての王子様は優柔不断で、鈍感で、一緒に過ごす時間がたくさんあったからこそ好きになったんだって分かった。
魔法ってすごく憧れるものだけど、本当は必要のないものかもね。




「大体おめー、シンデレラに憧れてるとか言ったってガラスの靴なんか履けねーだろ」

「なんでよ」

「そりゃー、歩いたらすぐにひび割れて壊れちま…」

「へぇ〜‥。言いたいことはそれだけ?」


「え。あ、あのっ、おい、冗談くらい通じろよな!」

「…─問答無用!乱馬のっ、バカーっっ!!!!」




……前言撤回。
このデリカシーのない許婚をなんとかする魔法とかないかしら。








end
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