「じぎゃくぎょくぅ?なんじゃそりゃ」
「"時逆玉"じゃ!これを飲むと過去に遡ることができる…という代物でな」
「うさんくせぇ〜…」
「ふふふ…何とでも言うがいい!これでわしは過去に戻って女の子のハーレムを作るんじゃーい!」
「頭大丈夫か?ジジイ」
頬杖をついて煎餅をかじりながら、ぴょんぴょん浮かれている八宝斉のジジイに顔をしかめる。手に持っている緑色の小さな丸薬は、きっとまたババアの所からくすねたものなんだと思われる。
どーせまたパチモンだろ。馬鹿馬鹿しい。
「乱馬!人を小馬鹿にしていられるのも今のうちじゃぞ!わしがこの時代に戻って来た時にはハーレムになっているはずじゃからな!はーっはっはっは!」
「言ってろ言ってろ」
「あら、八宝斉のおじいさんどうかしたの?」
「おぉあかねちゃん!」
「今から過去にタイムトリップして来るんだってよ」
「ええ?」
「待っとれよあかねちゃん、わしが過去から帰ってきたら目一杯いたわっとくれ〜!」
「気色悪ぃことぬかしてんじゃねぇっ!」
「ぐぇっ」
「あ」
「あ?」
ジジイを殴り、ぽーんと飛んだ丸薬が、それを見上げたオレの口の中に収まったと思った、次の瞬間。
─ごっ くん。
ぱちくり目を瞬き、自分の喉を通過していった感覚に背筋が冷えると同時に気が遠くなっていくのがわかった。
「わ…わしの時逆玉がぁ〜!!」
「乱馬!?乱馬ってば、乱馬!らん……」
ジジイとあかねの声が小さくなる。目に浮かぶ世界はぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる。
頭の中がおかしくなりそうだ。
「……ぃちゃん、おにいちゃん、こんなところで寝てたら風邪ひいちゃうよ」
「──……え…?」
ハッと気が付くと、オレは公園のブランコに座っていた。目の前には赤いランドセルを背負って膝に擦りむいた跡をつけたショートカットの男…いや、女の子。
見覚えがあるこの顔は、いつだったかアルバムで見た……
「あかねー、早くしなさい。東風先生の所に行くわよー」
「待ってかすみおねーちゃん、今行く!バイバイおにーちゃんっ」
「え、あ…」
………。いやいや、なんで小さいあかねが?夢だろこれ、夢。
ぱたぱた走っていく女の子は、風林館高校の水色の制服を着た人と一緒に通りを歩いて曲がり角に消える。
…するとやっぱりあれはかすみさんか…?
公園内を見回すと、遊具の色がいつもと違う。周りの木々も少し低い。頬をつねってみると、痛くはない。なーんだやっぱり夢じゃねーか、やけにリアルな夢。そうそう、眠って目が覚めたら夢だったーってことだろ。うん、よし。寝よう。
しかし目を瞑っても全く眠くならない。むしろ目は冴えるばかり。
「しゃーねぇ。とりあえず夢なら夢で街の探検でもしてみっか」
オレの知っている街と何が違うのか、ちょっとした間違い探しみたいで少しわくわくした。あの角の家は空き地になってる、今より少し古びているような商店街は知らない店が何軒かあって、少し期待して見に行った猫飯店は影も形もなく空き店舗があり、オレの知らない"空間"が存在していた。
あかねはこんな街を見てきたのか。夢だとわかっているのに、ふとそんなことを思う。あの丸薬が本物だったとしたら、本当にタイムトリップしてきたのだとしたら、オレは"今"にとても影響を及ぼす存在だ。
どきどきと冷や汗が背中を伝ったと思った瞬間、ぱしゃっと水をかけられる。いつも玄関先に水まきをしてるあのばーさん、昔っからこうなのか…。
「あー…どうすっかな…」
女になった自分の体にため息を吐く。お湯がないと元に戻れねーし、どこで手に入るとも限らねぇ。そういや、さっきかすみさんっぽい人が東風先生って言ってたよな?小乃整骨院は確かこっちの方…。
オレはこそっと小乃医院の勝手口から入り、台所でちょうど湯を沸かしてあったやかんの中身を半分ほど被った。東風先生はまだ診察室だろう、ひやひやしながら水を注ぎ足してオレはまた勝手口から外に出る。
あーっぶねぇ!でも男に戻れて良かった…。
門の前でほっと一息吐いていると、中からさっき会ったあかねとかすみさんが出て来た。
「あかね、足大丈夫?」
「うん。家に帰ったらもう一回自分でもやるから」
「そう…─っくしゅん!」
「かすみおねーちゃん、風邪?なんか顔色悪いよ…あたし、東風先生呼んでこよっか?」
「いいの。大丈夫よあかね。大丈夫…」
「かすみおねーちゃん!」
「!あっ…ぶね…!!」
思わず倒れ込んだかすみさんを支え、今にも泣きそうな表情の"あかね"と目が合った。
「さっきの…おにーちゃん…?」
「よ…よぉ、また会ったな」
事情を説明するのは後回しに、とりあえずかすみさんを家まで運ぶことにした。
なんだか変な感じだ。
「あたし、天道あかね。うちは道場やってるのよ」
「へ、へぇー。すげーな」
「今日はお父さんが出掛けてて、なびきおねーちゃんも友達の家にお泊まりだから、あたしとかすみおねーちゃんだけなの…」
「……そっか」
「でも、看病がんばる!あたしだってやればできるのよっ」
「おー、頑張ってみろよ」
やる気が空回りしそうだけどな、とは言わないでおく。やっぱりこの子はあかね本人だろうな。あんま深く考えるとわけわかんねーから、夢とかタイムトリップとか考えるのはやめとこう。
家はやっぱり天道道場の天道家で、あかねに導かれるまま中に入ってかすみさんを部屋に運ぶ。"今"よりなんか…家の中が広く感じた。
「かすみおねーちゃんを運んでくれてありがとう、おにーちゃん。お礼にあたしが夕飯作るから食べてって!」
「え!?夕飯って…作れるのか…?」
「まっかせといて!」
その自信が不安だ…!
あかねが台所に消えると、皿の割れる音や何かがこぼれる音が聞こえてきて、予想通りの展開に頭が痛くなってきた。やれやれと立ち上がって台所に足を踏み入れると、あかねが包丁で野菜を切ろうとしているところ。
オレは思わずあかねの腕を掴んでそれを止めた。
「あ、あのー…さ、オレも手伝いたいなー、なんて…」
「…いいけど、邪魔しないでよねっ」
「つーか、何作るんだ?」
「おかゆと野菜炒め!」
「………」
「だから今ニンジン切るの」
「…あ!ちょっとかすみさんの様子見てきたらどうだ?その間に片付けといてやるから…」
「わかった!見てくる!あ、スポーツドリンク持っていってあげよーっと」
とたとた歩きながら、あかねが台所を出て行く。今のうちに食べれるものを作らねーと…!!
オレは鍋に水と米を入れて火にかけると、あかねが割った皿やこぼした調味料などを急いで片付け、野菜を切った。あとは普通のメシを炊かねーと。かすみさんが昔も今も台所の調理器具や調味料の位置を変えずにいてくれたことがありがたかった。やっぱすげーなかすみさん。
それに比べてあかねはあんまり変わってないような…今より素直、な、ような…。
「あれが中学高校でひねくれちまうのかなー…」
「なに?」
「うおっ!?な、なんだよびっくりした…」
「あーっ!あたしが野菜切りたかったのにぃ」
「えーと…あのな、あかね。オレはお前に重要な任務を与えよう」
「任務?」
「そう!このゆで卵の殻をきれいにむくことだ」
「あたしやるー!」
「よし、任せたからなっ」
いつもより素直なおかげで扱いやすいあかねは何だか不思議な感じだ。昔はこんなに可愛げがあったんだな、なーんて。
やっと安心して料理を作り終える頃には、すっかり日が沈んでいた。
「かすみおねーちゃんが、今日はおにーちゃんに泊まってもらいなさいって」
「へっ?」
「明日になったらみんな帰ってくるし、おねーちゃんも元気になるって」
「あ、ああ」
「ありがとねっ」
にこっと笑ったあかねは、幼いこともあいまってかすごく可愛く思えた。
おそるおそる手を伸ばして頭を撫でると、また嬉しそうに笑う。なんか今すっげーあかねに会いたい。オレと同じ歳の、"あかね"に。どうやったらこの夢が覚める?それともこれが現実?
その境界線が自分の中で曖昧になっていることに戸惑いつつ、美味しそうに箸を運ぶ目の前のあかねを見ながら目を細めた。
「なあ、」
「ねぇおにーちゃん、明日になったら料理教えて!あたしもかすみおねーちゃんにご飯作ってあげたいの」
「え…うーん…教えてやってもいいけど、台所に立つときは深呼吸して落ち着くことが大切だからな。特にお前は」
「う…わかったわよ!」
あかねと"あかね"の姿が被る。
視界がぼやけて、霞んで、もう一度まばたきすると天井が見えた。
「………あ、れ…?」
「乱馬!良かったやっと起きた…!薬の効き目が切れたのね」
「あかね…」
「心配かけんじゃないわよ、バカッ」
「いてっ!寝起きの人間殴んじゃねぇ!」
あかねはふんっと踵を返して台所に向かう。
帰ってこれたのか、と思ったらもう外は真っ暗だ。一体どのくらい過去にいたんだろう?いや、そもそもオレは本当に過去へ行ったのか?全部夢だったんじゃないのか?
ふと、あかねがあの丸薬を飲んで気を失っていたオレを介抱してくれていたことに気付き、そっと台所を覗き込む。
一体奴は何を作るつもりなんだ…。
まな板の前で包丁を持ったあかねは、目を伏せて深呼吸をひとつした。
あれってもしかして?
「──……、なによ。乱馬」
「あ、いや…お前っていつもそんな風に深呼吸してたっけ」
「してたわよ。もう癖みたいなもんね」
「…いつから?」
「いつって…小学生の頃からかしら」
「……」
「全く…かすみおねーちゃんが旅行に行ってて忙しい時に…それがどうかしたの?」
「…んにゃ、別にー」
「何ニヤニヤしてんのよ、気持ち悪いなぁ」
「あかね、夕飯作るの手伝ってやろーか」
「は?」
オレの知らないあかねの過去に、一時でも関わった証。
気付いてなくても、それでいいと思った。
オレとあかねの出逢いは、あの雨の日が一番最初なのだから。
end.
10万打企画/利香さまへ!