なんでこんな奴にドキドキしちゃうんだろう。
「お、おろ、おろしてよ!」
「何言ってやがんでぇ。ケガしてるくせに意地張んなっつの」
「あたしはそんなの頼んでないでしょ…!」
「周りがうっせーの。そんくらい分かれよな」
「………」
「大体、おめーみたいな奴に合わせてやれんのなんてオレくらいだろ」
「…自意識過剰」
「あんだとぉ!?」
どきどき。ばくばく。
あたし自身が心臓になったみたいに脈打ってる気がして、気まずさに目を逸らす。
なんであたし、乱馬なんかにお姫様だっこされてるんだろう。
「乱馬ぁ、あかねが嫌がてるならおろしてやるよろし。代わりに私を抱き締めるといいね」
「そーはいくかいシャンプー!乱ちゃんはウチのもんや!!」
「そうですわっ!乱馬さまはワタクシのもの!あなた達みたいに野蛮な女には渡せませんっっ」
「お前らなぁっ、いつもいつもいい加減にしろよ!!こちとらケガ人抱えてんだからな!」
ひょいひょいと身軽に屋根の上を駆けていく乱馬を、いつもの3人娘が追いかける。
今日も学校に襲撃してきたシャンプーと小太刀に、右京が加わって教室が破壊されていた時。
たまたま飛んできた机を避けたところにまた机があって、背中をぶつけたせいで動けなくなったあたしを乱馬が抱き上げ逃げ出して…、今に至る。
まだ午後の授業があったのに。ぼんやり思うけど、背中の痛みで現実へと引き戻されて、瞳に少し涙がにじむ。こんな自分を乱馬や右京達に気付かれたくなくて、あたしは歯を食いしばって身を捩った。
「おい、バカ!危ねーから動くなっ!」
「いいからさっさとおろして!!あたしがいたら邪魔でしょ!?」
「あのなー、ケガ人置いていけるわけねぇだろ!?」
「小乃医院で診てもらえばすぐ治るもん!」
「なっ」
「…ケガしてるあたしを抱えてちゃ、あんたの足手まといでしょ?」
「………あかね、お前…」
乱馬の顔が見れない。
いつだって本当は、乱馬の邪魔になりたくなくて、でも素直になれずに嫉妬しちゃって、意固地になって、すれ違って。
もうそんなの嫌なんだ。辛くて苦しいだけなんだ。
シャンプー、右京、小太刀を見てると、否が応でも自分の弱さを突きつけられてる気がして逃げたくなる。あたしだって強くなるために努力してるのに、適わないんだもん。乱馬になんて到底追いつけない。
こんなあたしが、乱馬の足かせになってるかもしれないと思ったら…耐えられなかった。
「ほっといてよ…。あたしなんて、ほっといて!!」
乱馬は黙ったまま、屋根から屋根へと飛び移る。顔を見るのが、目を合わせるのが怖くて、俯いていたら無意識に身体が震えてた。
次第にシャンプー達の声が遠退いたように感じた時、乱馬は地面に降りてようやくあたしをおろしてくれた。
顔を上げれば、目の前に「小乃医院」の看板が飛び込んできてハッとする。
「…お前の荷物、あとで持ってくるから、東風先生んとこで待っとけ」
「ちょ…っ」
あっという間に乱馬は見えなくなってしまう。言えずに飲み込んだ、『待って』と『ありがとう』を噛みしめるように、震える喉で空気を吸った。
堪えきれずに零れた涙が一粒、アスファルトに落ちてしみていく。
乱馬に助けてもらったのに、どうして、あんな言い方しか出来ないんだろう…。
覚束ない足取りで、あたしは小乃医院の戸をカラカラと開けた。懐かしい病院のにおいと、しんとした院内に少しホッとする。
「おや、どうしたの。ここに来るなんて久しぶりだねぇ」
「と…、東風先生…」
「ケガでもしたのかな?…それに、何か悩んでるみたいだね」
東風先生はにこっと笑って言った。どんな隠し事をしていても、昔から先生には見抜かれてしまう。それがとても不思議で、何でも理解して背中を押してくれる先生だから、乱馬に出逢う前のあたしは惹かれていたんだろうなあ。
背中の打撲は一週間程で良くなると診断を受け、東風先生が淹れてくれたお茶を飲む。
こうやって先生と一緒に過ごす時間はとても久しぶりな気がして、あの頃のあたしも可愛かったな、と思う。今のあたしは、ただ想うだけの一方通行な気持ちで満足してた昔とは違うから。
「あの…東風先生、ありがとうございます」
「ん?何言ってんのあかねちゃん、お礼を言う人は僕じゃないでしょ?」
「えっ!?で、でも、」
「治療のお礼はさっき聞いたよ。お茶のお礼もね」
「あ……」
「2人とも意地っ張りだから、難しいかな?」
「………」
こぽぽ…、東風先生が湯のみにお茶を注ぐ音がやけに大きく聞こえた。
あたしはぶんぶんと首を横に振る。
確かにあたしも乱馬も意地っ張りだけど、ここ最近はあたしより乱馬の方が寛大になったような気がして、少し遠く感じるんだ。
さり気ない優しさに気付く度、戸惑いが増える。わがままばかりな自分に苛立ちが募る。
「大丈夫。言えるよ。素直になれるよ。あかねちゃんなら絶対」
先生の言葉は、いつだって私の心の中のわだかまりを消してくれる。すごくすごくありがたい存在で、かすみおねーちゃんと同じくらい憧れる。
昔のように胸が高鳴ることはないけれど、この人を好きだったあたしはまだ子供だったんだなと改めて実感した。それでも、好きだったことは、恋だったことは本当だから、伝えられなかった想いはそのまま心に仕舞っておく。今一緒にいてくれる人が、あたしはとても好きで、確かに恋しているんだから。
ゆっくり落ち着いて考えると、答えはとてもシンプルだった。
「こんちわー」
「おっ。迎えが来たみたいだね」
東風先生の笑顔が、なんだかからかいの色を含んでいて少し恥ずかしかったけど、また高鳴る鼓動を落ち着かせるように、あたしは深呼吸をした。
ドアが開いて鞄を2つ持った乱馬が現れる。
「ケガ、大丈夫か?あかね」
「平気よ。一週間程度で治るって。でもそれよりアンタ…いつにもましてボロボロじゃない?」
「あー、なかなかあいつら撒けなくってなぁ」
「大丈夫かい乱馬くん?僕が診てあげるよ」
「いや、別に大したケガじゃねーし…」
「診てもらえばいいじゃない。東風先生は名医なんだから」
「ほらほら、そこに座って」
「え、あ。…すんません」
渋々乱馬が椅子に座ると、東風先生はいつもの調子で乱馬の身体、関節という関節をごきゅごきゅとものすごい音を立てて動かす。
先生には乱馬の悲鳴も聞こえないのか、見ているこちらが恐ろしくなるような光景だ。ぜーはーと、ようやく痛みから解放された乱馬は少しスッキリした顔をしていた。
流石は名医の東風先生ね。
「乱馬くん、大事な人を守るために身体を張るのもいいけど…あんまり無理しちゃいけないよ」
「え?」
「んなっ、何言ってんだよ先生っっ!」
「若いっていいねぇ」
「オイコラ、東風先生!?」
あたしは東風先生の笑みも、乱馬が少し赤くなって騒ぎ出す意味も、はじめはよく分からなかった。
帰り道、薄暗くなった通学路を歩きながら、フェンスの上を歩く乱馬を横目で見て、ある1つの結論に行き着く。
「…乱馬」
「んー?」
「あんまり、無理しないでね」
「だっ、誰があかねの為なんかに無理するかよ」
「あ。やっぱりあたしの為だったんだ」
「ち、違っ……もーいいっ」
天の邪鬼な言葉に思わず吹き出すと、フェンスから降りてきた乱馬にぱこんと軽く頭を叩かれた。
前をすたすた歩く彼の顔は見えないけど、街灯に照らされて赤く染まった耳が見える。何よぉ、しっかり照れてんじゃない、乱馬のやつ。
そういえばあたし、まだ乱馬に言ってない。言わなきゃ。
…言えるかな?
「ら…乱馬っ」
あたしの声に乱馬はきょとんとした顔で振り返った。
好きって苦しい。でも、恋って楽しい。こんな風にドキドキするの、乱馬にだけよ。
「?なんだよ、あかね」
本当は、ほっといてほしくない。乱馬に側にいてほしい。あたしを抱えたまま逃げ出してくれて、ほんとは嬉しかったの。
ケガの痛みもあったけど、さり気ない優しさに救われてる。
さらりとそんなことは言えやしないけど、ちゃんと伝えておきたい。さっき言えなかった言葉を、ちゃんと。
「心配してくれて、ありがと」
あたしを助けてくれるのは、"許婚"としての義務じゃないって、信じていいよね?
ぶっきらぼうな乱馬が、何だかんだ好きなんだ。あたし。
end