今日も猫飯店は、息つく暇のないくらい大忙しだ。
料理を運んでは食器を片付け、運んでは片付け、の繰り返し。忙し過ぎるのも困ったもんじゃ。店にとっては嬉しい悲鳴かもしれんが、こう慌ただしいと運ぶ時に気をつけないと危なくて仕方がない。
「シャンプー、そんなに急ぐと転んでしまうぞ」
「煩いねムース。私に指図するのやめるよろし」
「なっ、心配じゃから言っておるのに!」
そりゃあ、シャンプーは運動神経抜群じゃから、おらの心配なんていらないかもしれん。でも、気にかけるくらい良いではないか。
シャンプーは両手の盆に拉麺と炒飯を乗せて歩いている。言ったそばからこれじゃ。
やれやれと思いながらシャンプーを見ていると、1人の客がシャンプーのすぐ前に足を出す。危ない!と叫ぶ前に体が動いた。
料理を全て無事にキャッチし、シャンプーが運ぶはずだったテーブルに素早く置く。床に手をついたシャンプーの腕を引っ張って自分の後ろに隠し、足を出した客を睨みつけた。
「え…」
「申し訳ないだ。拉麺と炒飯お待ちどーさん」
「……ムース」
「足、気をつけてもらえると助かるんじゃが」
思っていた以上に、強張った自分の声。シャンプーに危害を加えようとする奴はおらが許さん。その後は目立った混乱もなく、無事に昼間の忙しさにも目処がたった。
おらは沢山の食器を洗う。シャンプーは店内のテーブルを拭いている。
いつものことなのに、なんだか沈黙が重く感じた。
…シャンプーから、イライラしたような気配を感じるのは気のせいだろうか。
「のうシャンプー!今日の夕飯は麻婆豆腐にしようと思うんじゃが…どう思う?」
「…か、勝手にするといいね。私は乱馬の所に行てくるある!」
「え!?急にどうしたんじゃシャンプー!」
「どうもしないある!」
「ま、…っ待つだ!」
「きゃっ‥」
止まらない衝動が、おらを突き動かす。
思わずシャンプーの肩を掴み、そのまま店の壁に押し付けた。乱馬の所になんて行くなと、言いたい。振り向いてもらいたい。
驚いたような表情から一変、いつもの調子で睨まれる。
おらが勝ったら、シャンプーは"男"として見てくれるのか?…そうじゃない、きっとそういう問題じゃないのかもしれない。
でも、それでも。
「シャンプー、おらは…おらだって、強くなった。だから…」
「や、離せ!離すある!」
「おらはただ、お前にちゃんと"男"として見てもらいたいだけなんじゃ!」
「私は…っ、私が好きなのは乱馬ね!!お前なんかじゃない!」
「シャンプー!」
力一杯腕を振り切られ、シャンプーは店を飛び出した。
1人になって、ようやく自分がヤケになって焦っていたことを悟った。情けないのう。大切にしたいのに、現実はなかなか上手くいかない。
シャンプーはやはり乱馬の所に行ったんじゃろうか。そう思うと悔しくて。
おらは真っ直ぐ、天道家に向かって歩いて行った。途中、道路に水を撒いている老人に水をかけられてアヒルになってしまったが、とりあえずなんとか服を持って天道家の門に辿り着いた。体がアヒルだと何をするのも一苦労じゃな。
トコトコと中に入ると、家の中からは八宝斉のじじいが暴れている音がする。おらはシャンプーがいないと確信し、門前で乱馬を待つことにした。
「……何してんだ、ムース」
言葉を発することが出来ないため、おらはガーガー鳴きながら漸く帰ってきた乱馬をつつく。
あえなく取り押さえられ、ヤカンの熱湯を一気に体にかけられた。熱湯をかける奴がどこにおる!動物虐待じゃ!
「いきなり何すんじゃいっ」
「そりゃーこっちの台詞だ」
「…シャンプーは一緒ではないのか」
「は?オレ1人だけど…。ああ、シャンプーじゃなくて悪かったなあ」
「や、やかましい!」
「つーか、もしかしてあかねってまだ帰って来てねーの?」
「おらがここに来てからは見とらんぞ。悪かったのう、天道あかねではなくおらが迎えて」
「うっせえ。さっさと服を着ろっ」
「言われんでも着るわいっ」
全く、相変わらずいけ好かない奴だ。
とりあえず服を着ると、天道あかねの姉に声をかけられ、おら達はぬくぬくと居間のコタツに入っている。
不審な目で乱馬はおらを見て、時計を見た。もしかして、まだ帰って来ていない天道あかねの心配をしとるのじゃろうか。
「乱馬くん、はいお茶。ムースくんもどうぞ」
「サンキューかすみさん」
「すまないだ」
何だか気まずい沈黙の中。
乱馬は運ばれた菓子をつまみ、ずず…、とお茶をすすっておらを見る。な、何でこっちを見るんじゃ。
見透かされたような気がしておらは慌てて目を逸らす。
「おいっ」
「何じゃ」
「お前さ、またシャンプーと何かあったんだろ」
「…お前には関係ない」
「関係ねーのは知ってるけどよ、どうしてうちに来たんだ?」
「そ、それは…シャンプーがお前の所に行って来ると言って店を出て行ってしもうたから……」
「でも、うちには来てなかったんだろ」
「まさかシャンプー…、どこかで乱馬のような質の悪い男に絡まれとるんじゃろうか‥!」
「ああ?誰が質の悪い男だって?」
「そのままの事を言ったまでじゃ。怒られるような筋合いはないのう」
「てめえ…」
乱馬ほど質の悪い男はそういない。何人も女をはべらせ、一番好きなおなごにも素直に気持ちを伝えようとしない。
どうしてお前はシャンプーと出逢ってしまったんじゃ。どうして、シャンプーに勝ってしまったんじゃ。おらの欲しい居場所は乱馬が持っていて、それを持て余しているのは明らかだ。
もし、おらがシャンプーに勝ったら、おらに確固たる居場所を与えてくれるだろうか?
「……なあ、おらがもし、シャンプーに勝ったと言ったらどうする」
「どうするって…、何だよ。勝ったのか?」
「た、例えばの話じゃ!」
「………」
「おらは…、どうしたらいいのか分からん」
「でもよ、ムースはシャンプーが好きなんだろ?だったら普通は喜ぶべきなんじゃ…」
「シャンプーの気持ち、全てを否定しろというのか?」
「!」
「おらはずっと昔からシャンプーを見てきた。でもシャンプーは乱馬に出逢ってからずっとお前を追っている。男でも、女でも」
「それだって村の掟で、だろ。確かにシャンプーは本気でオレに惚れてたとは思うけど、最近はそうでもない気がするぜ?現に朝も追いかけて来なくなったしな」
乱馬はあかねに惚れている。2人が付き合い始めたことはシャンプーも知っているはずじゃ。
確かに最近、朝もシャンプーは店にいる。開店前に店の掃除をして、たまにどこか遠くを見つめている。きっとシャンプーなりに、乱馬を想ってのことなのだろう。
それに気付かずに毎日を過ごしている乱馬が腹立たしい。
傷付いている人がいることを理解しようともしない。初めて会った時からムカつく奴じゃ。
「お前は成長しとらんな」
「え?」
「もっと周りの人間のことを考えるべきだと思うだ」
「なっ、何だよ!じゃあお前は考えてるってのか?」
「少なくともお前よりは考えてるつもりじゃ。…抑え込んだ気持ちは、苦しみしか生まん」
「……結局お前は何しに来たんだよ。オレに説教しに来たのか?」
「シャンプーを探しに来たついでに、説教しに来ただ」
「げ。迷惑にも程があるな」
「おかげでいい憂さ晴らしになっただ。そろそろおらは帰る。シャンプーもこの時間じゃ、店に戻っておるはずだからのう」
「あーそうかい、さっさと帰れ帰れっ」
のっそり立ち上がると、乱馬は机の上にあったミカンをおらに向かって1つ投げる。一瞬何事かと思ったが、こういった変に不器用な優しさが何だか可笑しくて、ふっと笑った。
玄関の戸を開けて外に出ると、乱馬もまた外に出てきた。
おらの見送りか?いやまさか。きっと何度も時計を気にしていたから、あかねを迎えにでも行くのかもしれんな。
「なんじゃ、見送りはいらんぞ」
「誰もするつもりねーよ、オレは外に用があんの」
「……素直じゃないのう、天道あかねを迎えに行くつもりのくせに」
「う、うるせーっ」
「羨ましいだ、お前達を見ていると。羨ましくてたまらない」
「別に‥羨ましがられる程のもんじゃねぇだろ」
いつまで経っても、素直にはならんのだな。天道あかねも苦労する。ある意味、乱馬とあかねを見ていると微笑ましくなる理由が分かった気がした。
猫飯店に帰るにも、今シャンプーと顔を合わせるのは何だか気まずい。
少し遠回りをして、頭を冷やして帰ろう。
いつもと反対方向の道に一歩踏み出すと、乱馬が呆れたように溜め息をついて、道が違うんじゃないかと声をかけてきた。
「だいぶ店番をサボってしまったからな、少し遠回りして頭を冷やして帰ろうと思ったんじゃ。再見、乱馬」
「…ああ」
乱馬から貰ったミカンをお手玉のようにひょいひょいと回しながら、おらは薄暗い住宅街を進んで行く。シャンプーに会ったら、まず謝ろう。1人で考える時間はとても必要だと改めて思った。
キキィッ、突然ブレーキ音が聞こえ、顔を上げると自転車に乗ったシャンプーがいる。
「シャ…シャンプー…?」
「………っ」
何故シャンプーがここに?
どこに行っていたんじゃ?
メガネをくいっと持ち上げて、目を凝らしシャンプーを見た。
出前の帰りか、彼女の首に巻かれたマフラーが木枯らしに靡く。吐く息は、既に白い。
「……」
「……」
「…さっきは、すまんかった」
「……」
「シャンプーがおらを見てくれるまで、辛抱強く待つと決めていたのに…最低じゃな。嫌いと言われるのには慣れておるが、やっぱり……辛く、て」
「…だからお前は弱いある」
「え」
「だから、私はお前より乱馬の方が好きある」
「なっ、何もそんな言い方せんでも…!」
「私なんかに構ってないで、もっといい女を見つけるよろし」
どうしてそんな事を言うんじゃ?いつだって真剣なおらの言葉、伝わっていなかったんだろうか。
どんなに突き放されても、好きな気持ちは変わらないというのに。
「おらにはシャンプーだけじゃ。シャンプー以外の女なんて興味はない。この気持ちは誰にも負けんぞ」
自信満々に答える。
忘れるなんて出来ない。シャンプーの幸せを一番願っているのはおらだと分かっておるのか?
気付いて、気付いて、早く気付いて欲しい。
おらはずっと側にいるから。
手に持っていたミカンをシャンプーに向かって投げた。
訝しげな目で見られるが、大したことは何もない。ただ、乱馬とは話をしただけだから。
「乱馬と話をしたら、何だかスッキリしただ。シャンプーに会うまで頭を冷やそうと1人で歩いてきて、偶然にもここで会えて、今おらはすごく嬉しい」
「私も…、あかねに会った。話なんてしたとは言えないあるが、気分転換にはなったね」
「そうか、」
「‥ひいばあちゃん、怒ってたあるぞ」
「!!!」
「店のことも忘れないよう、以後気をつけるよろしね」
再び猫飯店へ帰ることに恐怖を感じていると、ふふんとシャンプーは不敵に笑み、自転車のベルを鳴らして先へ行ってしまう。
おらは慌ててその後を追いかけた。
もうしばらく、振り向いてもらえるように努力しよう。
弱い男なんて言わせない。
そう、きっと。
end