『あたしあかね。仲良くしようね』
初めて会った時は、結構いい奴だと思った。
『あんな変態お断りよっ!!』
男だと分かった途端、手のひら返した態度にムカついた。
『東風先生、かすみおねーちゃんが好きなのよ』
切なげに言うあかねがなんだか気になった。
『いいんだ、もう。やっと気持ちの整理がついた』
髪の短くなったあかねが、初めて大人びて見えた。
思い返せばキリがないくらい、今ではオレの毎日にあかねがいる。
怒ったり、泣いたり、拗ねたり、笑ったり、どんな表情も愛しくて。気付いたらもう、好きだった。
誰にも渡したくなくて、見栄ばかり張っていた。あかねはオレが守るって、決めたから。どんな時も側にいたいって、思うから。
いつかちゃんと伝えたい。
「…あかね?」
「あ、らんま!やっと見つけたっ」
「よく分かったな、オレがバス停にいるって」
「何言ってんのよ、いつも大体ここで雨宿りしてるじゃない」
ざあざあ降る雨の中、淡い水色の水玉模様の傘をくるくる回して、あかねはオレを見上げた。オレがどこで何をしてるか、いつもなら『関係ない!』って一蹴するくせに、どうしてこういう時はすぐ隣に来てくれんのかな。
バス停の屋根から落ちる滴が跳ねて、濡れた身体がいっそう冷えてきた気がする。
あかねは持っていた鞄から水筒とタオルと、オレの着替えを取り出した。
「風邪ひく前に、さっさと男に戻って着替えてから帰ってくるようにっておばさまが」
「あ、ああ、サンキュ」
「あたし向こう向いてるから早く着替えてよね」
「なっ、そんなに急かすこたねーだろ?」
「早くしてもらわないとあたしまで濡れちゃうでしょーが」
「……可愛くねーの」
「知ってるわよ。ばーか」
うそ。可愛いよ、お前は。
あかねに背中を向けながら、声には出さずに口だけ動かした。
いつだって、感謝してる。"あかねに出逢ってなかったら"、そんな未来を思い描けないくらい、今が充実していて。
思わず口元が綻んだ。自らにかけたお湯の熱さに驚いた声も、辺り一面どしゃ降りの雨音にかき消される。
「すっげー雨」
「ホント。こんな雨の中を歩いて帰るなんて考えただけで憂鬱になるわね」
「悪かったな」
「べっつにー」
「……ありがと、な」
「え?今なんて言った?雨音でよく聞こえなかった…」
「い、いや、なんでもねーよ!」
「そう?」
「ああ」
聞こえてなくて安心したのと、少し残念だったのと、感じる気持ちは半々。
きょとんとしてオレを見たあかねは、何事もなかったように立ち上がって傘を広げた。道路を走る車もバスも街並みも背景でしかなくて、そこに"あかね"がいるんだって、何故か強く思った。
世界がどんなに広くても、あかねは今目の前にしかいなくて、オレ自身もここにしかいない。唯一無二の存在なんだ。
「そろそろ帰りましょ。さっきより雨も弱くなったから」
「あかね」
「なに?」
「傘、オレが持つ」
「あ、うん」
あかねの手から傘を取り、その場で立ち止まっているあかねの腕を引いて傘の中に入れる。ぱしゃんと跳ねた水のおかげで、靴の中はびしょ濡れだ。
濡れないように、そう理由を付けてそぉっとあかねの肩に手を回す。どきどきどきどきどきどき。くそう鳴り止めオレの心臓。いや、止まったら困る。じゃなくて、落ち着けオレ。
息を吸って、吐いて、と繰り返していると、春に降る雨のにおいがした。
「そういや、さ」
「…なに?」
「お前今朝までオレのこと怒ってなかったっけ?」
オレがあかねの料理にケチ付けたから、と言えば、あかねは目を丸くしてぱちぱちさせる。
言ってからどぎまぎして様子を窺っていると、しばらくしてから『そういえばそうだったかもね』、と言って笑ったあかねに、心がぎゅっと締め付けられた。
傘を少し低くして、少し冷たいあかねの唇にそっと唇を寄せた。
「…ふはっ、なんでお前硬直してんだよ」
「だ、だだだっていきなりあんたが…!!」
「ほら、濡れるぞ」
「わ…っ」
ぐいっと手を引けば、あかねは顔を真っ赤にして黙り込む。
可愛いとこあるよなコイツ。くすぐったい想いと、たまには攻めてみるのも有りだなって思いが背中を押す。
相変わらず自分の心臓音は煩くて、あかねに聞こえてるんじゃないかと緊張する。でも、あかねの手も、オレと同じくらい緊張してるんだってくらい握り返してくれるから安心した。
「そろそろ雨上がるといいな」
「…そう、ね」
「?なんだよ」
「べっつにー。乱馬もたまには男の子らしいことするんだなって、驚いてただけ」
「ああ?たまにじゃなくて、いつもだろ」
「どこがよ」
「力いっぱい言うな」
「でも、────…」
「ん?」
「…やっぱりなんでもないっ」
「はっ?なんだソレ」
「なんでもないったら!」
雨雲の隙間から差す光が輝いて、キラキラしてる。
『仲直りのデート…乱馬が誘ってくれたんじゃないの?』
いつもよりおめかしして、いつになく長引いたケンカの後の仲直り。
『忘れないで乱馬…。あたしが世界で一番あなたを好きだってこと…』
真っ直ぐオレを見て言った反転宝珠での一件。
『一緒に帰れて嬉しいわ。心配かけてごめんね』
オレの心が見透かされたような、手を繋いで歩いた流幻沢の帰り道。
季節を重ねて、知っていったあかねのこと。きっとこれからも知っていく。
形ばかりの許婚でなんて、いつまでもいるつもりはない。
いつか必ず伝えるから。ただ1人、心から愛する人とずっと一緒にいるための約束を。あかねと過ごす未来はきっと輝いているような気がするから。
だから、とりあえず今伝えておく言葉は。
「なあ、あかね」
「なによさっきから」
「ありがとな」
「……何が?」
「え、えーっと…、む、迎えに来てくれて……?」
「ぷっ、変な乱馬。あんたがそんなこと言うと気持ち悪い」
「な!?おまえなぁっ」
「でも、どういたしまして」
「………、」
「ほーらー、何突っ立ってんの。帰るんでしょ!」
あかねに手を引かれて走り、結局傘の意味もなくまた濡れて女になったオレ。
でもなんだか気分は清々しい。
いつか必ず男に戻ってやるって、改めて思った。そしたら、あかねに言うんだ。
これからずっと、10年だって100年だって、一緒にいようなって。
……言えんのかな。
いや、言わねーとな。
「らんま!」
「なんだよあかね」
「あたしも、ありがとねっ」
「?なんかよくわかんねーけど…どういたしまして?」
end*
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