激しく窓を叩く雨音に目を覚ます。

外が薄暗いので時間がよくわからず、壁の時計を見上げると、普段起きる時間より一時間ほど早い。

「…二度寝したら起きられねーな、こりゃ…」

オレはまだぼんやりとする頭のまま、ベッドから身を起こした。





昨日は様々な出来事が重なったせいでかなり疲れた。
肉体的に、ではなく、主に精神的に。

昼はフレンと手合わせを行い、夜にはいつも通りフレンの部屋で話をした。
もともと昨日は休日で訓練はない。久しぶりに思う存分身体を動かすことができて、むしろ疲労感さえ心地好かったくらいだ。
そこまではよかったんだが。

自分の部屋……正確には部屋の外、窓の前まで戻ってみれば何やら不審な人物がウロウロしていて、敵かと思って緊張すればなんとその人物はかつての旅の仲間、レイヴンだった。

善後策の為にわざわざ隊長首席の格好までしてきやがって、腹が立つやら呆れるやら、全く以って恐れ入る。おかげで一気に疲労感が押し寄せた。

仕方なく部屋に入れて話をしてたんだが、あまりにしつこくオレとフレンの関係を勘繰ってきたため、つい大きな声を出したところにどういうわけだかフレンが現れたんだよな。

フレンはそのままレイヴンを引っ張って戻って行ったが、正直オレは生きた心地がしなかった。

あの様子だと、フレンは相当怒っている。

それだけは分かるんだが、その怒りのポイントが絞れないのが恐ろしい。
…思い当たる事がいくつかあるからな。
精神的な疲労はそのせいだ。

結局そのまま寝てしまったが、いまいち疲れが取れていなかった。

…大体、なんだってフレンがこっちに来たんだ。こんな事、今までなかったのに。


…このままいつまで考えていても仕方ない。
オレはシャワーを浴びる為に立ち上がり、タオルを掴んで部屋を出た。
この時間、他の下っ端やら見習いやらはシャワーを使えない。ここへ来てから、オレは毎朝のシャワーが日課の一つになっていた。
本当は寝る前に汚れを落としたいところだが、まあしょうがないな。




シャワーを浴びて部屋に戻って来ると、扉の前に誰かが立っていた。
近付くとこちらを振り返って挨拶する。
昨晩、レイヴンを案内してきた騎士だった。


「おはようございます、教官殿!」

「おはようさん。何か用?」

「本日の訓練日程について、ご連絡に参りました」

「…日程?」

「はい。ソディア殿より、本日は雨天の為、午前の訓練は屋内にて精霊魔術についての講義に変更されたしとのことです。午後の訓練内容についてはまた後ほど、ご確認を」

新人は何も、剣術だけを訓練してるわけじゃない。当然、座学もある。そっちはさすがにオレの担当じゃなかった。

「了解。…んじゃこれから、どうすっかな…」

「あの、その事なのですが。フレン団長が、お呼びです」

「…………は?何で?」

思わず聞き返したオレに、目の前の騎士は生真面目に答えた。

「午前中の訓練がなくなりましたので、その代わりにこれまでの訓練についてのまとめを行いたいとの事でした。団長は執務室でお待ちです」

「………あ、そ。…了解」


絶対嘘だ。
これ幸いと、昨晩のことを追及するつもりだろう。
執務室ってところに悪意を感じる。逃げられないじゃねえか。

押し黙るオレを見て、何故かその騎士は慌て始めた。

「…あ、あの、申し訳ございません!私が、差し出がましい真似をしたばかりに…」

「…何の話?」

「あの…昨晩、シュヴァーン殿の事を団長に報告したのは私なのです」

「報告?」

「はい…」



昨晩、いきなりシュヴァーンが現れたことにこの騎士はかなり驚いたらしい。
そりゃそうだろう。もともと英雄扱いされてて人気はあったんだ。
今ではシュヴァーンではなくレイヴンとして生きているが、それ自体特に隠している訳じゃないから、城で用事がある時もいつもはレイヴンとして行動している。

だが、『シュヴァーン』を強く尊敬している奴らは少なくない。
こいつもその一人で、その本人から「教官殿に、急ぎの用件がある。会わせて欲しい」と真剣に頼まれては、断ることなどできなかった、という。


「ですが、夜も更けておりましたし、教官殿とシュヴァーン殿がお知り合いということも聞いたことがございませんでしたので、少々、不安になりまして……その」

オレとレイヴンの関係なんか知らなくて当然だが、だからってこいつが気にするようなことか?

「知り合いなのは確かなんだけど、不安ってどういう事だ」

「ええと……その、シュヴァーン殿は……あの…」

「早く言えって」


「女性が……大変、お好きであられる、と」

「……………なに、ソレ」

「いえっっ!!決して、シュヴァーン殿を疑うわけではありません!ありませんが、レイヴン殿としての振る舞いを度々聞き及んでしまってはどうにもその教官殿に会わせろというお言葉に何かしら感じえなかったと申しますか教官殿には団長がいらっしゃるというのにあのような時間にどのような急ぎの用事がと思いまして面会手続きのこともありますし団長にもお知らせしたほうがよいのではないかと勝手に判断した次第でございます申し訳ございません!!!」


「…長ぇ…」

一気に捲し立てたかと思えば最敬礼したまま固まった騎士を、オレは唖然として見つめていた。

つまり、レイヴンの女好きはかなり知られていて、こいつはご丁寧にもオレの貞操の心配をしてくれたわけだ。

……ありがたくて涙が出そうだ。
それにしても信用ねえな、おっさん。大丈夫なのかこんなんで。フォローする気もないが。


「それでフレンがこっちに来たのか…」

「は、はい。私もまさか、すぐに部屋を出て行かれるとは思いませんでしたので…」

どんな報告したんだこいつは。
有難迷惑もいいところだ。

「あんたが気にするような事は何もない。余計な勘繰りはやめてもらいたいんだけど」

「…申し訳ございません…」

「はあ…もういいよ。迷惑かけたな」

下を向いたままの騎士に声を掛けてやると、顔はそのままに話し始めたその内容に、オレは正直戸惑うことになった。


「私は…教官殿に、ずっと団長を支えて頂きたいのです」

「は…?」

「昨日の手合わせ、拝見させて頂きました。お二人が互いを信頼している様子が伝わって、本当に感動したんです」

「…」

「新人の者達も、教官殿を慕っています。訓練期間が終了しても、騎士団に残っては頂けませんか?そうすればきっと、騎士団は今よりももっと良くなると思うんです」

「それは…」

「団長も、それを望んでいると思います!!」



縋るような表情で訴えかける騎士の肩を一つ叩いて、オレは部屋の扉を開けた。

「悪いけど、それは無理なんだ。フレンも分かってるよ」

「教官殿…!」


まだ何か言いたそうな騎士を残し、部屋に入って後ろ手に扉を閉めた。
なんだか気分が重く、そのまま扉にもたれかかると暫く動くことができなかった。










「…ずいぶん遅かったね。ずっと待ってたんだけど」

「そりゃ悪かったな」


ようやく執務室に現れたオレに、フレンはだいぶ腹を立てているようだ。
机の前に立つオレに、座れと促すこともない。



あの後からずっと、いやな気分だった。正直ここに来るのもしんどかったが、来なきゃ後が面倒臭い。仕方ないから着替えて来たが、女騎士の格好した自分の姿のことを考えたら、ますます滅入ってきた。

…こんな気分になるなら、引き受けるんじゃなかったと本気で思っていた。


「…ユーリ?どうしたんだ?」

さすがに様子がおかしいと思ったのか、フレンの声が優しくなる。
だが今は、それすら鬱陶しかった。

「どうもしねえよ。さっさと用件言え。訓練のまとめなんかじゃねえだろ」

フレンは何か言いたそうだったが、とりあえず手元の書類を見ながら話を始めた。



「…昨晩レイヴンさんから報告を受けた中に、いくつかこちらの話に関わるものがあった」

「別件で動いてたんじゃねえのか」

「彼から話を聞いたのか?」

「詳しい事は別に。この仕事とは違う話でおまえに頼まれてたって言ってたな。オレは何も聞いてねえし」

「……何か言いたい事でもあるのか、ユーリ」

「ねえよ。続きは?」

「……。だいぶ前の話になるけど、評議会から内部告発があったんだ。ある議員達に、贈収賄の疑いがあると」

「そういやそんなこと言ってたな」

「ある貴族が賄賂を贈り、自分達に都合の良い法律案に票を入れてくれるよう働きかけたとか、そういう内容だ」

「評議会から内部告発って何なんだ。そんなマジメな奴らもいるのか」

「真面目な議員はたくさんいるよ。だが、これはそういう話じゃないな。単にライバルを減らす為だけのようだ」

「ふうん」

そんな話に全く興味はない。

「…ユーリ?」

「いちいちうるせえな…」

「それは君が」

「くだらねえ話だと思っただけだ。で?オレの仕事とどんな関係があるんだ」

細かい説明を諦めたのか、フレンが書類を置いて息を吐く。

「贈賄側の貴族のうちの一人が、例の彼女の父親だ」

「…またかよ。どうしようもねえな、そいつ」

「ああ…。証拠も揃ってる。レイヴンさんは最初こちらの事件と関係ないところで調べを進めてたんだけど、途中で気がついて重点的に洗ってくれたそうだ。逮捕するには充分、だな」

「へえ、よかったじゃねえか。不正入団の書類の調べもついてるし、まとめて逮捕しちまえよ。お互いの関係とかはそれから聞き出すんで充分だろ?そのうち、こっちの事件との繋がりもわかんだろ」

「そうだな…」

「あの女だって辞めさせる理由、できたじゃねえか。もう縁談がどうとかの話じゃねえしな。よかったな、厄介事の種が無くなってよ」

「………」

「話はそれだけか?オレ、いつまでここに立ってりゃいいんだよ?結構しんどいんだけど。それともこれ、何かの罰ゲームか?」

フレンの表情が一層硬くなる。オレの態度が気に入らないんだろう。
言いたいことの予想はついている。
だからこそ、オレも苛ついていた。


「……何が言いたいんだ、ユーリ」

「言いたい事があるのはそっちじゃねえの?聞いてやるから話したらどうだ」

「っ…………!!」






フレンが立ち上がった勢いで、椅子が派手な音を立ててひっくり返った。


フレンの様子を見る自分が冷静すぎて、なんだか笑えた。





ーーーーーー
続く
▼追記