やっと訪れた放課後。
花嫁修行じゃないけど、あたしはここ最近ずっとかすみおねーちゃんに手伝ってもらいながら料理を作る練習を始めた。献立を考えるのにも一苦労で、おねーちゃんの凄さには改めて感服した。
今日も早く帰ってお料理の修行しなきゃ。
そう意気込んでいたのに。




「あっ。ねぇねぇ天道さん、ちょっといーい?」

「ひな子先生」

「さっき集めた英語のノート、半分でいいから職員室まで運ぶの手伝ってくれないかしら?」

「え…」

「もしかして忙しい?」

「…い、いえ。大丈夫ですよー」

「わーいありがとーっ」




出鼻を挫かれたような気持ちでいっぱいだけれど、確かにひな子先生にとっては英語のノートクラス全員分なんて持ちきれないに決まってる。駄々をこねられても大変だし、穏便に事を運ぶには手伝うのが一番いいだろう。
料理作るの、今日はおあずけね。…まあ、あんまり上達してないからいいけどさ。
ちょっとだけひな子先生の真似をして拗ねてみる。誰もあたしの気持ちなんて気付かないから、小さくため息をついた。




「助かったわ天道さん。ほんとにありがとねー」

「はい」

「そーだ。お礼にこれあげるよ、キャラメル!」

「え、あ…ありがとうございます」

「気をつけて帰るのよっ。早雲さまによろしくねー!」

「まだうちのお父さんのこと狙ってるんですか、ひな子先生…」

「えへへー、ひみつー」

「はあ…、それじゃ失礼しますね」

「ばいばい天道さーん。また明日ねーっ」




ひな子先生ってホント大人に見えないわ。教室に向かって廊下を歩きながら心底思った。でも、前みたいに家まで押し掛けて来る様子じゃなくて良かったな。
陽はいつの間にかだいぶ傾いた。教室には誰もいないだろう。あたしは右手に握ったキャラメルの包みを開けて、ぽいと口に放り込む。
教室のドアを開けると、チャイナ服を着た許婚があたしの机で眠っていた。




「………(なんで人の席で寝てんのこいつ、)」




先に帰ったと思ってたのに。こんな、誰もいない教室で、しかもあたしの机で寝てるなんて、。
もしかしてあたしのこと、待っててくれたの?
おそるおそる、乱馬の頭を撫でてみる。一向に起きる気配はない。そういえば今朝も朝早くから八宝斉のおじいさんと取っ組み合いしてたっけ。疲れるのも当たり前って言えば当たり前か。
もう少し寝かせてあげたいけど、そろそろ下校完了時刻になってしまう。学校が閉まる前に校舎を出なくちゃならない。




「乱馬、乱馬ー、起きてー」

「……ん〜…」

「帰ろ、乱馬。ねぇってば!」

「…んかっ、…」

「ちょっとぉ〜」

「……お?」

「起きた?もうすぐ学校閉まるわよ。早く帰ろ」

「ふぁ…もうそんな時間かー」

「ほら、あんたのカバン」

「どーも」




先に教室を出ようとすると、グイッと腕を引かれて抱きしめられる。いくら誰もいないからとはいえ、急に抱きしめられるなんてことが頭にないあたしは、何も考えることが出来ず動きを止めた。
乱馬の奴、一体何考えてんのよ!?
ゆっくり顔を上げて、乱馬を見る。真剣な眼差しにまた心臓が跳ねて、思わず目を逸らしたあたしを逃がさぬようにキスされた。




「……っ、な」

「ん、甘い。なんか食ってる?」

「さ…、さっきひな子先生にキャラメルもらって……」

「オレには?」

「ないけど」

「……」

「なによ」

「…んじゃ、もっかい」

「え?ちょっと乱……っ」




乱馬が、乱馬と、唇を重ねる度にふわりとキャラメルの甘い香りが漂う。
身体の力が抜けて油断した瞬間、口の中で溶けて小さくなっていたキャラメルが消えた。漸く解放されて乱馬を見れば、なんだか満足げな顔をしてる。




「オレの前で甘いもん独り占めすんなよ」

「………ば、っっっかじゃないの!ばかっ!」

「あかね!?」

「先に帰る!」




かああっ、と体温が急上昇して、もうあたしあの場にいられないわ。もし誰かいたらどうすんのよっ!?
恥ずかしいったらありゃしないっっ!もう!あのバカ!
ホント、女心が分かってないんだから!
昇降口で靴を履き替えて、一度深呼吸する。どきどきする心臓が苦しい。そっと唇に触れれば、何故かそこだけとても熱い気がした。




「…うあー…もぉ‥‥ほんっとばか…っ」




甘い感触の余韻がまだ消えない。もう少しだけあの雰囲気に酔っていたかった、なんて。
今こうして乱馬を好きでたまらない自分がすごく不思議だ。
認めたくないけど、認めてしまったら、掴まれた腕は振り解けない。だって、やっぱり好きだから。早く追い掛けてきて、抱き締めて。




「─あかねっ」

「!」




おそるおそるあたしの名前を読んでくれたなら、ちょっと照れくさいけど微笑み返すわ。
とびっきりの笑顔で。




「っ、…〜〜!」

「ん?どーしたのよ」

「ばっかおめー…、んな顔オレ以外に見せんじゃねぇぞ」

「は?」




ふわりと抱き締められれば、不安な気持ちが薄らいでいく。
乱馬は耳まで赤くなって、口を尖らせる。聴こえてくる心音はとても速い。あたしを走って追い掛けて来たせい?それとも違う理由かしら?
後者だったら嬉しいな。

手を繋いで、すっかり生徒の居なくなった校庭を歩く。こうして帰るのも今では自然だ。
フェンスまでの距離も嫌いではなかったけど…、隣に乱馬がいることはすごく嬉しい。まだ素直になりきれない所もあるけど、ずっと並んで歩いていけたらいいな。




「あかね、さっきからぼーっとして何考えてんだよ」

「大したことじゃないの」

「気になんだけど」

「……笑わない?」

「笑うような事なのか?」

「そうでは…ないと思う、けど」

「じゃー言ってみ」

「う‥‥えっと、…ら、乱馬と、これからも並んで歩いていけたらいいな…って」

「………」

「あ!?ちょっ、笑わないでってば!こらーっ!!」

「わ、笑ってねーよ!お前がいきなり可愛いこと言うからっ……、あ」

「…………かわいい?」

「だっ、バッ‥!今のなしっ!なしな!」

「あはは」

「オイッ」




可愛いって台詞、乱馬の口から久しぶりに聞いたかも。放課後居残りも、たまには悪くないな。
料理は今日出来なかった分、明日頑張ればいいもんね。なびきおねーちゃんと乱馬には散々無謀だって言われるけど、少しずつ上達してるんだから。
いつか絶対、『おいしい』って言わせてやるわ!




「ねぇ乱馬、明日の夕飯何がいい?」

「……まともなカレー」

「あのねぇ」

「じゃあ…あかね?」

「なに?」

「‥だから、あかね」

「…夕飯よ?」

「あかね」

「真面目に聞いてんのよ」

「真面目に言ってんだよ」

「……」

「不満か、こら」

「やっぱあんたバカだわ…」

「あんだとー?」

「なんで好きになったのかな」

「……理由いんのか?それ」

「さあ?分かんない」

「なんだそれ」




柔らかく笑った乱馬が、少しかがんであたしの唇にそれを重ねる。
なんで、どうして、理由ばかり探してしまうけど結論は簡単なんだ。好きになったんだから仕方ないって、もう割り切るしかないのかもね。
もうすぐ道場の屋根が見えてくる。繋いだ手は離されることはない。
きっと、これからずっと、あたし達はこうして一緒に過ごしていくんだろうな。




「乱馬、」

「もっかい?」

「…それ聞くの?」

「いや、関係ねぇな」




ふわ、
キャラメルの香りが漂う。
甘いひとときが幸せ過ぎて怖いくらい。乱馬の側にいれて良かったって、心から思うわ。

夕闇が迫る。
手を繋いで、早く帰ろう。
大好きな彼と。





end
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