今までのまとめ
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「ただい、」
万事屋に帰って玄関の戸を閉めた途端、ただいまの『ま』の音も言い終わらないうちに抱き締められた。後ろから伸びた銀さんの腕が僕をがっちりと拘束する。
「っ、ちょ、ちょっと銀さん!何するんですか!」
僕は慌てて後ろを振り仰ぎ文句を言うけど、内心はドキドキだ。
だってすぐ真後ろにある、銀さんの体温。背中にぴったりとくっ付けられた、厚い胸板の感触。甘いような渋いような、どこかやらしい感じのする銀さんの匂い。
もうダメって思うのに、はしたないと分かっているのに、僕はまた性懲りもなく胸を甘く高鳴らせる。もう条件反射みたいなものだ。言わばパブロフの犬。銀さんが好きで仕方ないから、こうやって強引に迫られるのも本当は嫌じゃない。時と場合によるけれども。
でも、銀さんは銀さんで僕の戸惑いとトキメキなんて知った事じゃないのか、片腕で僕の身体を拘束したまま、器用にももう一方の手でゴソゴソと僕の袴の紐を解き始める。
「いや何って。……ナニ?」
しらっとしたいつもの声に実にオッサン染みたことを呟かれ、僕の体温は瞬時に上がった。かああと頬が熱くなり、銀さんの片腕の中でじたばたとみっともなく足掻く。
「はっ!?……や、止めてください!」
けれど、後ろを振り返ったままでいたのが良くなかったんだ。ひょいって首を伸ばしてきた銀さんの顔が近付いたと思ったら、僕は唐突に唇を奪われていた。
「やっ!待っ……」
喚いていた口が塞がれ、濡れた生温いものが口内に突っ込まれる。眼鏡がずり上がって、銀さんの高い鼻が僕の鼻の脇に押し付けられていた。
「ん、うう」
揺れる睫毛に肌を擦られ、僕はくすぐったさに軽く身をよじる。でもそんな些細な抵抗すら許さないというように銀さんの腕が僕の動きを封じてくるから、あとはもう銀さんの気がすむまで唇を貪られる他はない。
ふうふうと吐き出される荒い呼吸と、くちゅくちゅ鳴る粘ついた音が、重なる唇や絡まる舌の隙間から小さく聞こえてくる。銀さんはまるでそれが大好物とでも言うように僕の唇に深く吸い付き、太い舌で僕の舌を乱暴に絡め取り、めちゃくちゃに口の中を舐め回す。
唾液を啜り、下唇を咬み、舌と舌とを絡ませて、さっきの比ではないほど荒っぽく強引にキスされ──執拗なほどのその激しさに、僕はすぐに降参の意を示した。
「や、あ、あふ、うぅ」
でも、拒絶する声もマトモな言葉にはならない。銀さんの舌技についていくなんてとてもできないから、結局はされるがままだ。
その内にようやく満足したのか、僕の唇を散々に蹂躙し尽くした銀さんがゆっくりと顔を起こす。僕を見つめる、情欲と興奮に塗れたその紅い瞳。さっきのキスで唾液に濡れた肉厚の唇も妙に男臭くて淫靡で、心臓がおかしな風に弾んだ。
「……もう我慢できねえ。いいだろ?」
低い声は隠す気もない欲望を孕んでいる。耳元で囁かれて、腰が変にゾクゾクした。銀さんから漂ってくる男の欲望の匂いにくらくらして、その生々しさにあてられた僕はイエスもノーも咄嗟に言えやしない。
「え?でも、あの、ここまだ玄関だし……しかもまだ昼間だし、」
言い淀む僕を、銀さんは凝然と見ている。まるで目を離したら僕が居なくなるとでも言いたげな熱視線。穴が開くほどに僕を見つめる眼差しは、やっぱり獰猛な肉食獣のそれに近いと思う。目の前の獲物に照準を合わせているケモノ。
普段の銀さんが標準装備している死んだ魚の目をこれほどに懐かしんだことはない。だってだって、銀さんがこういう目をしてる時は絶対にヤバイ。もう本能で分かる。
「本当はさっき最後までしたかったけどよ、なけなしの理性はたいてすげー我慢したんだもん。だから、な?」
荒い息を耳に吐き掛けられ、いやらしげに耳殻をしゃぶられる。しまいには袴の隙間から手を突っ込まれ、僕はいよいよ飛び上がった。
本格的にマズい。ヤバいって、この人ここで僕をヤっちゃうつもりなんだ!
「いや『な?』じゃなくて!だって誰が来るかも分からないですし、し、仕事の依頼が急に舞い込んでくるかも……」
「あー仕事の依頼?来ねえ来ねえ」
「おいィィィィィィ!!即答ってどうなの!?そんなスッパリ言い切られると逆に悲しくなるわ!」
「あとホラ、鍵もちゃんとかけたよ?今ね」
真っ赤な顔で言い募る僕をよそに、銀さんは平然と後手で玄関の鍵を閉めている。パチンと回った簡易な鍵の、その間抜けな音にますます僕は頬を熱く火照らせた。
だって、まだ僕らはブーツも草履も脱いでない。玄関先もいいところだし、誰も入って来ないからっていくらなんでも性急過ぎる。
「だ、だからって……まずはお風呂とか」
けど、おずおずと呟く僕の提案は即座に却下された。
「もう後回しでいいって。だいたい最初に風呂入っても、また最後に入ることになるから。最終的には二人して色んな汁まみれでドロドロになるから」
「でも僕、今日朝から外に居たし……た、高杉さんと話してて、怖くて変な汗いっぱいかいたし」
話を続けながらも、銀さんの胸板にぎゅむっと顔を押し付けるようにして抱きしめられ、僕はやっぱりどぎまぎする。心臓が破れんばかりに高鳴って、ドキドキしてたまらない。
鼻腔を掠める、銀さんの甘い匂い。身体の奥がきゅうっと引き絞られるような、うずうずと熱く疼くような、不思議と僕を昂ぶらせるこの人の匂い。
「ああ。いいよ別に。お前って男臭いところが全くねえどころか、限りなく無臭だから。チンコも。これって精液薄いのと関係してんの?」
「いや限りなく無臭って何ですか!?また僕のことバカにしてますか、てかしてるでしょ!?か、関係も何も知らないですっ!」
しかしながら、銀さんは銀さんでしかない(いい意味でも悪い意味でも)。
やはり平然と吐き出されてきた言葉には絶句し、僕は憤りを露わにした。だって、せ、精液が薄いだの、アレが限りなく無臭だの……いくら僕でもれっきとした男なのに失礼過ぎやしないか。そりゃ銀さんのと比べたら子供過ぎるほど子供な見た目の僕のジュニアだけど、十六年付き合ってきて愛着もあるのに。
それなのに銀さんは男子としての僕の怒りはまるで無視だ。さっき咬んだ僕の首筋に顔を寄せ、それこそオオカミのようにぺろぺろと舐めまくる。
「っ……だ、だめだってば」
情けないことに、もう僕の声は上擦っていた。首筋に埋められた銀さんの頭を引き剥がしたくて、引き剥がせなくて、迷うように指が蠢く。まだひりひりしている咬み痕を優しくいたわるように舐められると、びくっと背中を反らしてしまう。
「だめ……銀さんっ」
「うん」
「……待って銀さん、待ってってば!」
「ハイハイ。待つ待つ」
「待ってないってば!全然待ってない、口だけだってば銀さん!やめてったら!」
「うんうん。ちゃんと止めるから」
いやほんとに口だけですからァァァァァァ!!
言ってる側から軽く歯を立てられ、いい加減ひりついてきた首筋からぞわぁっと鳥肌が立つ。それなのに腰にきゅんと甘く込み上げる快感があって、どっちつかずの感覚に翻弄される僕は既に息も絶え絶えだ。こうなったら銀さんに敵うわけない。
昨日と違って神楽ちゃんが帰ってくる心配がないからか、銀さんはますます勝手な言い分を翳してくる。ちゅうちゅうと僕の首筋にきつく吸い付きながら、その片手は我が物顔で僕の身体を這い回っていた。長い指先が僕の背中をいやらしく滑り降り、腰をくすぐって、物欲しげにお尻に伸びる。
「ちょ……だからだめっ!」
でも、家に帰ったことで銀さんもどこかで安心していたんだろう。僅かにも拘束が緩んだ一瞬の隙を見計らい、僕はするりと銀さんの腕から抜け出た。
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