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GHELLO WONDERLAND(銀新)

FHELLO WONDERLAND (銀新)



「あ」

銀さんの間の抜けた声を背中に聞きながら、僕は必死の思いで草履を脱ぎ、脱兎のごとく廊下の奥に駆けた。けれども、廊下なんて言ってもほんの数メートルもない万事屋のこと。すぐさまに居間に駆け込む羽目になった僕は、それでも一番出入り口から距離のある銀さんの机の後ろに回り込む。
とりあえず、こんな時はできるだけ距離を取ることが大事なのだ。僕の精神衛生のために。あと玄関先で乗っかってきたケダモノに死ぬほど犯されない為に。

はあはあと荒く息を吐き、机に手を置いて息を整える。すると、タッチの差で銀さんがのんびり居間に入ってくるのが見えた。

「おーい。何で今更逃げてんの?バカですかお前」

何故なのか僕を追う銀さんの声は少し楽しげだ。捕食者の余裕。僕を見る顔もニンマリと笑って、いつもの小憎らしい銀さんでしかない。

「てか玄関の鍵閉めてあんの分かんだろ?俺に背ェ向けて逃げるとか無駄じゃね?しかも逃走先が家の中って」

銀さんの言い分は全部もっともだった。本当に逃げたいのなら、銀さんの手を噛むなり何なりして、玄関の鍵を開けて逃げ出さなきゃダメなんだ。けどそうしなかったんだから、僕だって自分がばかだって分かってる。
銀さんや高杉さんに改めてバカバカ言われずとも、よくよく自分で分かってる。


「っ……でも、何ていうか、僕なりの心の準備っていうか」

だから、悠々と僕の方に歩いてくる銀さんを見ながら言った。
銀さんは机を挟んだ真向かいまで来て、ピタリと足を止める。

「は?」

その片眉が訝しげに上がるのを見て、僕はいよいよ声を大にした。

「あ、勘違いしないでください!銀さんとするのが嫌なわけじゃないんです。ただ……ひ、久しぶりだし。恥ずかしくて……僕」

言っているうちに、かあっと頬が熱くなっていく。だって本当に恥ずかしいったらない。さっきの公園であれほど僕が大胆になれたのは、やっぱり木々に囲まれての薄暗さのせいもあったのだろう。暗さは本能を引き出してくれる。日常にぽっかり空いた暗闇は甘い甘い堕落の罠だ。

──それなのに、今はこんなに明るい昼間の万事屋。煌々と陽が差し込む、まだ昼過ぎの健全な時間帯。

もちろん以前も銀さんと昼間から抱き合ったことはあったけど、その時にはこれほど恥ずかしいとは思わなかった。むしろ興奮している銀さんの欲望をやり過ごすのに必死で、僕自身が恥ずかしがっている余裕もなかった。何より以前していた銀さんとのセックスは互いの精を吐き出すのが先決で、半ばスポーツみたいなところもあって。

だから……想いが通じあった今は、前までは感じなかった恥ずかしさが逆に募って仕方ないのだ。



「オイオイ、新ちゃん。お前さっき公園でキスしてた時、凄え大胆だったのに。物欲しげに俺の身体触ってたくせに……やっと帰ってきたら今度は逃げんの?お前どっかで仕込まれてきたの、そういう手管」

何を思ったのか銀さんは重い溜息を吐き、僕をジロリと見据えた。その舐めるような眼差しに何か良からぬものを感じ、僕はきっとまなじりを吊り上げる。

「はっ!?て、手管!?仕込まれ!?……違います!変なこと言わないでください!」
「じゃあいいだろ?」

思いがけない言葉に狼狽える僕を見つめるのは、ぎらついた雄の欲望も露わな銀さんだった。何の足音も立てずに机の後ろに素早く回って、僕の手首をぐいっと乱暴に引っ掴む。片手一本で軽々抱き寄せられて息を飲んだ。

「もう焦らすなよ」

悔しい。本当に悔しいのに、こういう時の銀さんは本当にかっこよくて仕方ない。
僕のことなんてまるで猫の仔のように軽く扱う、その膂力。着流しから抜いた逞しい右腕に浮き出る、太い血管。僕の顔よりだいぶ高い位置にあるその真顔。目と眉が近いモードの銀さん。

普段の気怠げな銀さんの様子を知っている上でこんな風に強引に迫られ、そのギャップでオチない女の人ってどこに居るのだろう。現に普段の怠慢さを見飽きるほど見飽きてきた僕だって、銀さんのこの男ぶりにははしたなくときめく有様だ。悔しいことは悔しいのに何故。

……ほんとに何で!?


「てか結構聞き分けがねえな、お前。前はこういう時はもうちょい俺に従順だったじゃん?」

僕の内心の苦悩を全く知らない、というかもう考えもしないだろう銀さんは引き続き訝しげだ。
でも至極純粋に思ったことのように悪びれなく呟かれた疑問に、僕の肩はびくっと震える。

「だってそれは……前は、銀さんに嫌われたくなくて……どうしても自分に自信が持てなくて、」

知らず知らずのうちに声が震える。でも真実でしかない。
前までは銀さんに嫌われたくて、誘われたら嫌がりもしたけど、ここまで抵抗もしなかったし、恥ずかしがらなかった。むしろそんなこと出来なかった。けどそんなの、今思えば全部言い訳だ。

僕は自信がなかった。銀さんのことをただ好きで仕方なくて、それだけでいいと思っていたのに、しまいには銀さんの身体も心も欲していた欲張りな自分。嫌がるフリをしていても、銀さんに求められることを心待ちにしていた浅ましい自分。
そんな僕が自分の行為、ひいては自分自身に自信を持つのは到底無理だったんだ。


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EHELLO WONDERLAND (銀新)

今までのまとめ








「ただい、」

万事屋に帰って玄関の戸を閉めた途端、ただいまの『ま』の音も言い終わらないうちに抱き締められた。後ろから伸びた銀さんの腕が僕をがっちりと拘束する。


「っ、ちょ、ちょっと銀さん!何するんですか!」

僕は慌てて後ろを振り仰ぎ文句を言うけど、内心はドキドキだ。
だってすぐ真後ろにある、銀さんの体温。背中にぴったりとくっ付けられた、厚い胸板の感触。甘いような渋いような、どこかやらしい感じのする銀さんの匂い。

もうダメって思うのに、はしたないと分かっているのに、僕はまた性懲りもなく胸を甘く高鳴らせる。もう条件反射みたいなものだ。言わばパブロフの犬。銀さんが好きで仕方ないから、こうやって強引に迫られるのも本当は嫌じゃない。時と場合によるけれども。

でも、銀さんは銀さんで僕の戸惑いとトキメキなんて知った事じゃないのか、片腕で僕の身体を拘束したまま、器用にももう一方の手でゴソゴソと僕の袴の紐を解き始める。


「いや何って。……ナニ?」

しらっとしたいつもの声に実にオッサン染みたことを呟かれ、僕の体温は瞬時に上がった。かああと頬が熱くなり、銀さんの片腕の中でじたばたとみっともなく足掻く。

「はっ!?……や、止めてください!」

けれど、後ろを振り返ったままでいたのが良くなかったんだ。ひょいって首を伸ばしてきた銀さんの顔が近付いたと思ったら、僕は唐突に唇を奪われていた。

「やっ!待っ……」

喚いていた口が塞がれ、濡れた生温いものが口内に突っ込まれる。眼鏡がずり上がって、銀さんの高い鼻が僕の鼻の脇に押し付けられていた。

「ん、うう」

揺れる睫毛に肌を擦られ、僕はくすぐったさに軽く身をよじる。でもそんな些細な抵抗すら許さないというように銀さんの腕が僕の動きを封じてくるから、あとはもう銀さんの気がすむまで唇を貪られる他はない。

ふうふうと吐き出される荒い呼吸と、くちゅくちゅ鳴る粘ついた音が、重なる唇や絡まる舌の隙間から小さく聞こえてくる。銀さんはまるでそれが大好物とでも言うように僕の唇に深く吸い付き、太い舌で僕の舌を乱暴に絡め取り、めちゃくちゃに口の中を舐め回す。
唾液を啜り、下唇を咬み、舌と舌とを絡ませて、さっきの比ではないほど荒っぽく強引にキスされ──執拗なほどのその激しさに、僕はすぐに降参の意を示した。

「や、あ、あふ、うぅ」

でも、拒絶する声もマトモな言葉にはならない。銀さんの舌技についていくなんてとてもできないから、結局はされるがままだ。
その内にようやく満足したのか、僕の唇を散々に蹂躙し尽くした銀さんがゆっくりと顔を起こす。僕を見つめる、情欲と興奮に塗れたその紅い瞳。さっきのキスで唾液に濡れた肉厚の唇も妙に男臭くて淫靡で、心臓がおかしな風に弾んだ。

「……もう我慢できねえ。いいだろ?」

低い声は隠す気もない欲望を孕んでいる。耳元で囁かれて、腰が変にゾクゾクした。銀さんから漂ってくる男の欲望の匂いにくらくらして、その生々しさにあてられた僕はイエスもノーも咄嗟に言えやしない。

「え?でも、あの、ここまだ玄関だし……しかもまだ昼間だし、」

言い淀む僕を、銀さんは凝然と見ている。まるで目を離したら僕が居なくなるとでも言いたげな熱視線。穴が開くほどに僕を見つめる眼差しは、やっぱり獰猛な肉食獣のそれに近いと思う。目の前の獲物に照準を合わせているケモノ。
普段の銀さんが標準装備している死んだ魚の目をこれほどに懐かしんだことはない。だってだって、銀さんがこういう目をしてる時は絶対にヤバイ。もう本能で分かる。


「本当はさっき最後までしたかったけどよ、なけなしの理性はたいてすげー我慢したんだもん。だから、な?」

荒い息を耳に吐き掛けられ、いやらしげに耳殻をしゃぶられる。しまいには袴の隙間から手を突っ込まれ、僕はいよいよ飛び上がった。

本格的にマズい。ヤバいって、この人ここで僕をヤっちゃうつもりなんだ!


「いや『な?』じゃなくて!だって誰が来るかも分からないですし、し、仕事の依頼が急に舞い込んでくるかも……」
「あー仕事の依頼?来ねえ来ねえ」
「おいィィィィィィ!!即答ってどうなの!?そんなスッパリ言い切られると逆に悲しくなるわ!」
「あとホラ、鍵もちゃんとかけたよ?今ね」

真っ赤な顔で言い募る僕をよそに、銀さんは平然と後手で玄関の鍵を閉めている。パチンと回った簡易な鍵の、その間抜けな音にますます僕は頬を熱く火照らせた。
だって、まだ僕らはブーツも草履も脱いでない。玄関先もいいところだし、誰も入って来ないからっていくらなんでも性急過ぎる。


「だ、だからって……まずはお風呂とか」

けど、おずおずと呟く僕の提案は即座に却下された。

「もう後回しでいいって。だいたい最初に風呂入っても、また最後に入ることになるから。最終的には二人して色んな汁まみれでドロドロになるから」
「でも僕、今日朝から外に居たし……た、高杉さんと話してて、怖くて変な汗いっぱいかいたし」

話を続けながらも、銀さんの胸板にぎゅむっと顔を押し付けるようにして抱きしめられ、僕はやっぱりどぎまぎする。心臓が破れんばかりに高鳴って、ドキドキしてたまらない。
鼻腔を掠める、銀さんの甘い匂い。身体の奥がきゅうっと引き絞られるような、うずうずと熱く疼くような、不思議と僕を昂ぶらせるこの人の匂い。


「ああ。いいよ別に。お前って男臭いところが全くねえどころか、限りなく無臭だから。チンコも。これって精液薄いのと関係してんの?」
「いや限りなく無臭って何ですか!?また僕のことバカにしてますか、てかしてるでしょ!?か、関係も何も知らないですっ!」

しかしながら、銀さんは銀さんでしかない(いい意味でも悪い意味でも)。
やはり平然と吐き出されてきた言葉には絶句し、僕は憤りを露わにした。だって、せ、精液が薄いだの、アレが限りなく無臭だの……いくら僕でもれっきとした男なのに失礼過ぎやしないか。そりゃ銀さんのと比べたら子供過ぎるほど子供な見た目の僕のジュニアだけど、十六年付き合ってきて愛着もあるのに。

それなのに銀さんは男子としての僕の怒りはまるで無視だ。さっき咬んだ僕の首筋に顔を寄せ、それこそオオカミのようにぺろぺろと舐めまくる。

「っ……だ、だめだってば」

情けないことに、もう僕の声は上擦っていた。首筋に埋められた銀さんの頭を引き剥がしたくて、引き剥がせなくて、迷うように指が蠢く。まだひりひりしている咬み痕を優しくいたわるように舐められると、びくっと背中を反らしてしまう。

「だめ……銀さんっ」
「うん」
「……待って銀さん、待ってってば!」
「ハイハイ。待つ待つ」
「待ってないってば!全然待ってない、口だけだってば銀さん!やめてったら!」
「うんうん。ちゃんと止めるから」

いやほんとに口だけですからァァァァァァ!!

言ってる側から軽く歯を立てられ、いい加減ひりついてきた首筋からぞわぁっと鳥肌が立つ。それなのに腰にきゅんと甘く込み上げる快感があって、どっちつかずの感覚に翻弄される僕は既に息も絶え絶えだ。こうなったら銀さんに敵うわけない。

昨日と違って神楽ちゃんが帰ってくる心配がないからか、銀さんはますます勝手な言い分を翳してくる。ちゅうちゅうと僕の首筋にきつく吸い付きながら、その片手は我が物顔で僕の身体を這い回っていた。長い指先が僕の背中をいやらしく滑り降り、腰をくすぐって、物欲しげにお尻に伸びる。

「ちょ……だからだめっ!」

でも、家に帰ったことで銀さんもどこかで安心していたんだろう。僅かにも拘束が緩んだ一瞬の隙を見計らい、僕はするりと銀さんの腕から抜け出た。



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