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かむあぶ+高(新)なSS


※第310訓と311訓を読まれていない方、単行本派の方はお気をつけ下さい。激しくネタバレな小話です。

―――…


船の窓から眺める光景は、塗り潰したような一面の黒だった。一昼夜問わず、ここでは景色が変わらない。どこまで行っても黒、黒、黒だ。しかし自分が乗っているのは船と言っても海洋を漂う船ではなく、宇宙を漂う船なのだから景色が景色なのも当たり前ではある。ここは宇宙だし、その宇宙を流浪することでしか商売を為し得ない自分達のような人種も居る。

それでもどこまでも果てなく続く外の光景を見るともなしに眺め、ごく勝手に憂鬱な気分を抱いて、阿伏兎は小さく息を吐いた。無精髭の浮いた顎を右手で撫でる。


「阿伏兎」

途端に、後ろから弾むような調子で声をかけられた。事実、声の主は今が楽しくて愉しくて仕方がないのだろう。つい先日は牢に放り込まれ死ぬのを待つばかりだった筈の彼は、今やこの船どころか、宇宙中に散らばる春雨の艦隊を率いる提督だ。だが肩書が変わっても、阿伏兎の直属の上司という立場は何ら変わらない。
戦闘種族である夜兎の血が誇る強さと、残酷と裏表に張り合わされた冷徹さも。

それを思う度に、何て男が己の上司なのだろうと、阿伏兎は軽い酩酊のような感覚を覚える。阿伏兎自身は馬鹿馬鹿しいと一蹴し試す気にさえならないが、自分達が運ぶ非合法薬物がもたらす甘い痺れに近いものがあるかもしれない。

現に、今の自分があるのだってこの男の気まぐれで生かされているようなものだ。それについていくしかない自分には正直同情を禁じ得ない。だが、阿伏兎自身は彼をどうしても嫌いにはなれなかった。むしろ心の底にある絶対的な何かによって、自分は彼に嬉々として縛り付けられているような気さえする。しかしそれが何かなんて、考えることすら無駄なのだ。阿伏兎にとって大事なことは、常に“彼”の中にある。

阿伏兎は、ことさらゆっくりと後ろを振り返った。


「何だ、団長」

団長、と古い呼び名で呼ばれた神威は、不思議そうに首を傾げた。今や彼をこう呼ぶのは、第七師団における副団長であった阿伏兎だけだ。神威はいつものように屈託ない様子で佇んでいた。桃色の髪に、硝子のように青い瞳は彼を年齢より随分と幼く見せている。阿伏兎は自分よりずっと年若いこの上司が、嫌いではなかった。
否、どうしても憎めない、と言えば良いのだろうか。

提督になって間もない彼は、阿伏兎どころか他の団員に対してもいつでも素直である。分からないことはすぐさま教えを乞い、「ありがとー」等とニコニコと笑いもする。かと言えば弱いもの、自分達を裏切ったものには容赦など一ミリのかけらすら施さなかった。牢に繋ぐ等という手順すら踏まえずに、屠ることさえあった。一度神威のスイッチが入れば、艦隊の一つでも即座に皆殺しにされかねない。血を求め、戦場を駆けるのが夜兎の性だ。その本能のままに拳を振るう時の彼は、殺そうとする者がかつての仲間だったという意識すら希薄になるのだろう。強いて言えば、煩わしい虫を叩くくらいの感覚か。それなのに、種族も階級も超えて分け隔てなく団員に接する神威は、ひどく人気があった。
何をしようと、何を言おうと、神威には持って生まれた絶大なカリスマ性がある。

それは少し前まで提督室で踏ん反り返っていた前提督とは、全く異なるものだった。


幹部から末端まで、様々な星の、様々な天人達によって構成された春雨というシンジケートは、その巨大さが誇る圧倒的人員と武力背景の壮観とは裏腹に、内情は劣悪だった。ほんの少し前まで、巨大な組織に有りがちの薄汚い権力抗争に明け暮れていたからだ。それに巻き込まれた形で騙され裏切られ、本人はどうであれ死の淵にあっただろう神威を救ったのは、高杉晋助と名乗る侍という異国の人種だった。

その高杉が神威の後ろに居るのを見咎め、阿伏兎は僅かに眉を寄せる。露骨にげんなりとした顔をするが、神威がこれくらいを気にするような男ではないことは痛いくらいに知っていた。


「阿伏兎、何してんの。もうすぐ地球に着くっていうのに」

阿伏兎のしかめ面を眼前に見つつ、楽しみだな、等と呑気に続けて神威は笑う。その後ろで、高杉はけだるげに煙管をふかしていた。いまだに何を考えているかさえ分からず、掴めない男だ。阿伏兎は神威の首根っこをひょいとつまみ(神威にこんなことができるのは阿伏兎くらいのものだろう)、彼の耳に唇を寄せた。
声をひそめて話し始める。

「オイ団長、あいつが何で居やがる」

「何でって。一緒に地球に行くんでしょ?“観光”に。…あ、もしかして阿伏兎、嫉妬した?」

こちらは声をひそめるでもなく、けらけらと笑い声をたてた。そんな神威に殊更顔をしかめ、阿伏兎は苦いため息を吐く。元々の顔付きもあるが、自分がどう見ても年齢より老けて見えるのはきっと神威のせいだろう(神威とは正反対だ、畜生)。
脳天気なのにいつでも自分を試すような言動を繰り返す神威のせいで、阿伏兎は大抵上司に振り回されるのが常になっている。

「違う。アイツは信頼できんのかって言ってんだよ。何考えてんだか分かりゃしねェ」

やれやれと首を振りながら問えば、神威はきょとんとした様子で目を見張った。おおよそ、阿伏兎の質問の意味が分からないに違いない。子供のように無邪気な面とひどく大人びた面は、神威の中で常にくるくると入れ代わり立ち代わりしている。だが阿伏兎はもう何も言わず、すがめるような目付きで高杉を見遣った。気にいらないというより、どこか得体が知れない。未知なる人物へのその警戒は、いつも放埒な神威の側に居る阿伏兎の本能のようなものだ。もうこれ以上内部のいざこざで団員が欠如するのも、何より自分が疲弊するのも嫌だった。


「ああ!」

その邪推に、急に神威が思い付いたかのような顔を見せる。彼は唐突に振り向いて、朗らかに高杉に問い掛けた。

「総督サン、あんたは信頼できる人なんですかって。あんたは何考えてるかわかんないってさ、阿伏兎が」

「…俺からって逐一言うな、団長」

にっこりと微笑む神威に、阿伏兎がぴくりとこめかみを引き攣らせる。しかし面と向かって信頼できないと言われたにも関わらず、高杉はただ鷹揚に煙を吐き出してみせるだけだ。

「クク…信頼できねェのはこっちも一緒だろうよ。今だって、目的が違えば即座に殺し合うんだろう。幸先も何も分からねぇガキだから助けたんだ。その方が面白ェ」

「うん。まあ、そりゃそうだね。俺も早くあんたと殺り合いたい」

どこか斜に構えた口ぶりの高杉に、神威が頷いてみせる。高杉の言うことも一理ある。目的は同一のまま、互いに信頼しないのであれば話は早い。それでも一抹の不安感のようなものが阿伏兎の心から拭えない。窮地の神威を救ったのが、自分でなく高杉であるという事実にも引っ掛かりを感じていた。


「…アンタは何で地球に行く。そこのすっとこどっこいと同じく、銀髪野郎を殺りたいからか」

だから不快な気持ちを隠しもせず、阿伏兎は高杉に尋ねた。それだけで、そんな酔狂で、あんな多勢を前にして刀一本で立ち回ったのかと。
自分が以前、酔狂で地球の少年と神威の妹を救ったことを阿伏兎はもう忘れている。否、忘れようとしていた。誰かを救いたいと思ったことを、忘れようと努めていた。自分にそんな感情が芽生えたことを、誰にも知られたくなかった。

問われた高杉はふと唇を歪めて、先程阿伏兎が外を眺めていた窓にゆっくりと近付いた。ガラスに写る自分の顔に向けて、ふう、と煙を吐く。

「ちょうど欲しいもんが、その銀髪の横にあってなァ。…確実に手に入れる為だ」

くく、という忍び笑いと共に呟かれた声は低い。男の右目は暗い宇宙ではなく、別の何かを見ているように感じた。だがそれは神威も初耳だったらしく、彼は幾分芝居がかった仕草で頭の後ろで手を組んだ。

「へえ。あんたが欲しいものって想像がつかないな。何?よっぽどいいものなんだ?人?物?」

「ガキにはまだ分かるめーよ」

含み笑いでそれだけを告げると、高杉はもう何も喋る気はないのか、くるりと踵を返した。その帰りしなに、阿伏兎にチラリと目を向ける。高杉は目だけで薄く笑っていた。まるで、共通の秘密を有することが分かるように。
男が漏らした、“銀髪の横に居るもの”というキーワードに、阿伏兎の心臓は一つ跳ね上がる。

見知った顔が脳裏を過ぎった。

だがそれをおくびにすら出さず、阿伏兎は高杉から目を背けた。男から漂う煙の匂いが徐々に薄くなっていく。


「ねえ、“欲しいもの”って一体何だったの。阿伏兎は知ってる?」

次第に小さくなる高杉の背中を眺めて、神威が唇を尖らせた。おそらく、あの場面で自分が話の内容を知らない雰囲気だったのが面白くないのだろう。だが阿伏兎はそれには答えず、緩く首を振った。視線を飛ばした向こう側、暗闇が広がる窓の外には、遥か遠く青く美しい星が見える。もう地球は近い。

「…欲しいものか」

それを眺めながら、阿伏兎は一人ごちた。神威がぴょこんと覗き込んでくる。そのままぽつりと口に出した言葉に、自分でも驚いた。


「団長は、欲しいものがあるか」

「ないよ。強い奴に会いたい、そいつと闘いたいっていう欲望しか、俺にはない」

戯れに聞いたのに、即座に返された答えに阿伏兎は満足を覚えた。この男はこうでなければいけない。どこまでも真っすぐな欲望をいつでもたぎらせている男だからこそ、自分はこんな宇宙の果てまで付いてきたのだから。

迷い淀みのない神威の答えは、あの日二人の少年少女を救った、否、“救ってしまった”自分とは全く異なるものだった。だから阿伏兎は再び神威に尋ねる。

「戦って戦って、殺し尽くした後にはどうするんだ」

「そしたらまた、別の星に行くよ。夜兎に平穏は似合わない」

「団員が皆、死んでもか。誰も居なくなっても」

「うん」

神威はもういつもの笑顔になっている。だが彼は言い切った後に少し阿伏兎を見上げて、ふと唇をつり上げた。

「誰も居なくなってもいいさ。誰も俺を理解しなくてもいい。だって、阿伏兎が隣に居てくれるだろ?」

そうあって当然とでも言いたげな様子で、神威がじっと阿伏兎を見上げる。自分の持ち物か何かのように思っているのだろうか。この残酷で放埒で、だが至極素直な感情を剥き出しにする青年に、阿伏兎は今日で一番深いため息を吐いた。やれやれだ。

この鎖はどうやら死ぬまで断ち切れないらしい。死ぬまでどころか、神威が是とするまで自分は死なせても貰えぬだろう。


「提督の仰せのままに」

だから少しだけ屈んで右手を胸に宛がうと、神威はひどく愉快そうにけらけらと再度笑った。

「団長でいいよ」

変な阿伏兎、と続けられた声はいつもの無邪気そのものだ。だけれど、その笑顔の裏に隠された殺意を次の瞬間に向けられたとしても、阿伏兎は何とも思わないだろう。せいぜい、『ああ、今度は自分の番か』と思うくらいのものだ。何より、阿伏兎は一度は殺されかかっている。彼の妹と、その仲間である少年を逃したとして。
言わば、阿伏兎はあの時一度死んだのだ。そこから先の人生など論じたところで、馬鹿馬鹿しいにも程がある。

阿伏兎は唇だけで薄く笑った。


いつか、神威に殺されても構わない。
神威がそれを望むなら。


「いいぜ、団長。気にくわねェ連中と一緒でも、あんたと地球でも地獄でも行ってやる」

この言葉を神威だけに、神威の為に誓う。微かに笑うと、満足げに自分を見つめる彼と目があった。そのまま差し出された左手の甲に、阿伏兎は忠誠のキスを贈る。この手を裏切ることは二度とないだろうと考えながら。
そして、今自分が考えていることを神威に告げる日は、永遠に来ないだろうとも確信しつつ。


闇をたゆたう船の着陸はもうじきだ。そう考えて瞼を閉じた暗闇に、阿伏兎は吉原で自分と対峙した彼等の顔を思い浮かべていた。

秘密は深いからこそ、愉悦に成り得る。




(願わくば、)


―あの日救った凛と透き通る眼差しが、決して失われることのなきように




end.


.

6/13・ブログコメント返信



追記より、ブログでのコメント返信です。


++私信++

6/10にサイトの拍手からコメントを下さった方

『返しにくいようでしたらスルーしていただいても〜』とお気を使っていただいたのですが、せっかくなのでサイトのレス部屋にて返信させていただきました。お暇な時にでもご確認いただけると幸いです。


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