この頃、前の彼氏のことが、なんとなく、気にかかる。
未練とかじゃなくて、
いろんなものをつっこんで押し入れに放り込んでしまった箱の中身を、今のうちに点検しておかないと、という確認の気持ち。
未整理のままでは、忘れられない。
なんの説明もなく、音信不通になったので、つらい時間もあったけど、
でも8月は楽しかったなあ。
思い出すだけで、とても幸せな気持ちになる。
さみしさから歩み寄った恋愛だったけど、
恋愛自体はダメだったけど、でも、楽しかった。
あたしの力不足で、
彼を引っ張り上げてやれなかったけど、
でも、それに対して、自分を責めようとは思わない。
わたしも、彼を支えてやれるだけの栄養を、彼からもらわなかったから。
やっぱり、
言葉だけじゃダメなんだよ。
その場のやさしさだけでも、ダメ。
もし、謝らなきゃいけないとしたら、キヨーサタ、理解って言葉で、がんじがらめにしようとして、ごめん。
こうゆう文章を、
自分に酔わずに書くのは難しい笑
昨夜、ドラマ『ラストフレンズ』を見て、長澤まさみちゃん演じるミチルに、自分に近いものを感じたのですが。
人と人の間の、
さみしい×さみしいは、
ドラッグみたいなもんなんだなあ、と思った。
さみしさが響きあう関係って、どうしてダメになっちゃうんだろう。
さみしさからくる飢えは、あらかじめ満腹中枢が破壊されているので、永遠に満たされない。
新美南吉の『かたつむり』は、ある日自分の殻の中に、悲しみがいっぱい詰まっていることに気がついて、絶望するかたつむりの話だったけど、
悲しみに絶望している人より、さみしさに絶望している人の方が、今の日本にはたくさんいるんじゃないだろうか。
さみしさが等量だったから、わたしは彼を好きになった、と、DV彼氏から逃げてきた長澤まさみは話すけれど、
『さみしいのはみんな同じだよ』
と、瑛太に言われてしまう。
『たとえ、そんな風に見えないとしても、その人の孤独の分量なんて、外側からはわからないよ』
瑛太の台詞は、すごく胸に沁みた。
経験値がないと、言葉はそこに込めた意味を発動してくれない。
体験がないと、言葉は思った通りに届いてはくれない。
経験値をちゃんと積んで、また人を愛したいなあって思う。
さみしさからじゃなくて、
ただ求めているっていう単純な欲求から。