twitterにて、最近おばあさんの介護を始めた方と、やりとりをする機会を持った。
なんちゃって介護をしてるわたしでも、人にアドバイスなんかできちゃうんだなあー。ははは。
でも、そのアドバイスがあんまり役に立たなかった件w
悪いことしちゃったw
全ての現場は(介護じゃなくても)、最前線だよねえー。
介護は、がっかり最前線だ。
何度も何度もがっかりすることになる。
それに、びっくりする程、やることなすこと、裏目に出る、それが介護だと思う。
まわりに、旦那の親の介護をしてる人はいるけど、わたしみたいに祖母の介護をしてる人はいないので、今日は同志と遠くから旗を振り合ったような気分だった。
仕事でお付き合いのあるおじいさんから、お手紙をいただいた。
便箋は、白地の短冊寸のもの。
封筒が、お孫さんからもらったに違いない、ピンク地に小中学生センスなファンシーな絵柄のもの。
年寄り特有の、震える筆致で『三年前に妻を亡くしましたが、一日も忘れたことはありません』て書いてあったざんす。
じいちゃん、多分90歳くらいなんだけど、なんだかじーんと来た。
うちの祖母は(認知症になる前の話になるけど)、仏さまのような人柄だと評判の割に、ドライな面もあった。親友であれ夫であれ嫁であれ、故人を懐かしむようなことがなかったので、余計に胸に沁みた。
タミオくんとなにかの話をしてる時、わたしが『うちのおばあちゃんが、まだ90歳くらいだから』と、言ったらしい。
自分では覚えてないんだけど。
『まだ』ってどうゆうことだ、オレ。
綾戸智恵みたいに立派な介護もしてないし、もはやペットを飼ってる感覚に近い域にいるような気がしないでもないけど、祖母には長生きしてほしいと思ってるざんす。
外側にいる人からしたら、あたら無惨な生なのかもしれないけれど。
イライラすることがなくなるほどに、人間として退化したからこそ、お綺麗に『長生きしてほしい』なんて、しれっと言えるんだけどね。
祖母は、今日は訪問ヘルパーさんにお世話になる日。
祖母は寝たきりなので、午前と午後に一回ずつ、ごはんの介助とおむつの世話をしてもらう。
施設で世話をされるデイサービスより、祖母はヘルパーさんが好きらしい。
ほとんど眠ってるような祖母が、ヘルパーさんの日は始終にこにこしている。
祖母のことを、『もう、なんにもわからないのでしょう?』と聞いてくる人は多いけれど、そんなことはない。ちゃんとわかる。
頭の配線が、つながりにくいだけだ。
ヘルパーさんには、気がついたこと、祖母の様子などを、毎回連絡ノートに書いてもらっていて、わたしもお礼やお願い、用意するはずのものを忘れたなどの、うっかり物件のお詫びなどを、ゴニョゴニョと綴っている。
なんだか、交換日記みたいな案配。
今日も、仕事から帰ってノートを見たら、祖母が機嫌よく歌をうたったと書いてあった。
『食欲もあり、よくおしゃべりもされました。
なにをしゃべってるのかは、さっぱりわかりませんが』
なんて律儀に書いてあるから、吹き出してしまった。
昨日、餃子を作ったんだけど、白菜の水気を絞りすぎてパサパサの餡になっちゃった。
今日は、餃子の餡を、ハンバーグ風に焼いてみたら、白菜の水気で途中から煮込みハンバーグに‥‥‥‥‥‥‥。
(ノTдT)ノ
人生ままならず。
本日、グランマの褥創(床ずれ)が悪化したので、病院へ。
以前は、デイサービスの途中で病院に行っても、診察が終わったらまたデイサービスの施設に戻れたのに、今はダメなんだそーです。
ガーン。
自力で車椅子のグランマを、家に連れ帰らねばならんのかーい!!
デイサービスに戻れたなら、送迎のバスで車椅子のまま、ラクラク移動できるのに。
わたしの車は、車椅子をそのまま乗せられるような改造をしてないので、車椅子から祖母を座席に抱き移すのも一苦労ざんす。
うーん、少しずつ、介護福祉サービスが、不便になってゆくなぁ。
多分、介護だけじゃなく、福祉や育児方面も、同じように不便になってるはずなんだろーけど。
前に、介護のことで調べたいことがあって、ネットを見ていたら、
『介護する人がまず幸せでなければ、介護される人の幸せはない』
とか掲げてあるHPがあった。
うへぇ、なんじゃそら。
介護は、後悔と背中合わせで、罪悪感からは逃げられないものだ、というようなことを、遥洋子さんが『介護と恋愛』に書いていて、わたしはその言葉に深く共感したし、希望の光を見たので、その変なスローガンを笑って通り過ぎることができたけど、介護に疲れて迷っている人には、更なるダメージを与える言葉だなぁー、と思った。
あーあ。
介護疲れの息子が、母親と無理心中したってニュース、他人ごとじゃないわ。
あー、わたしも同じだー、て共感しちゃうもの。
昨日、祖母の介護をお願いしてる、デイサービスセンターから電話があって、デイサービスの利用者が増えつつあるので、祖母の利用日を1日減らせないか、利用を休む日を固定してもらえないか、と言われた。
わたしの休みの日は、わたしが祖母を家で見ることにしているのだが、わたしの休みは不定休。
それを知ってて、わざわざ聞くか?
遊んでいるわけでもないのに、利用日を減らせるか?
『あなたが潰れないようにね』
と、ケアマネージャーさんは言うけれど、
介護なんか孤独で報われなくて、自己嫌悪と後悔が大半だ。
内容は子育てと同じでも、育ってゆく過程があるのではない。機能が潰えていくのを、目の当たりにしなきゃならない。
自分を育ててくれた人間の、壊れてゆく過程を見なきゃならないのはツラい。
だから、未だに受け入れられない父は、少しのことで怒鳴り散らすし、他の兄弟は、あまり家に寄りつかない。
逃げられるなら逃げていいよ、とわたしは思う。
それを、介護施設が助けてくれるわけじゃない。
彼らは、仕事のワクでしか動けないから。
一番苦しいときに、一番アテにならない場所だ。
心中してしまう人の気持ちが、わたしはよくわかる。