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悦楽の違いについて。


ふつうのセックスは


自分が浮遊して、
体温が溶けて、
時間が溶けて、
くちびるが溶けて、
自分と相手の境界がわからなくなりかけた中で、
与えられる指や腕の感覚だけが確かで、


『今』とか『ここ』とか、全部吸い込まれていくような感じ。



しがみついて、抱きしめ返されると、


そこに自分の輪郭を与えられたような気持ちになって、


色々勘違いしてしまう。


気持ちよさの中で、お互いを刷り込んでゆくから、恋愛は盛り上がるのかもしれない。

SMは、痛みの最中は
『今』の連続で、溶け出すものは、何もない。


叩かれる瞬間、痛みを予測して堪える瞬間。
常に、なにを欲しいかを迫られる。
でも、余裕を失った脳みそが、やがて混乱しだすと、叫ぶ自分を、内側から見る。

こんな声が、自分の中にあったことに、震える。

痛む箇所を撫でられて、今度は気持ちよさに、有り得ないような声が出る。


壊れている、と、内側から見ている自分が、愕然とする。



ふつうのセックスは、

なくしてゆくこと。


SMの快楽は、

見つけてゆくこと。

望めば与えられる。

この明快さが、わたしの弱さには合っているのかもしれない。

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