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劇的な平凡

スーザン・ボイルのオーディション動画を見たことある?


みんな、ただの太った冴えないおばさんだと最初思ったはずだ。


でも、最初の歌声がこだました瞬間、みんなが手を叩いて称賛した。



べつにその動画をああだこうだ言いたいわけではない。結局、僕たちはほんの少しの側面しかみることができないのだ。全能感はほどむなしい感覚もないよね。


障害をもったり、苦心してきたひとの歌ってなんとも言えない涙がでるよね。それだけ、気持ちがこもってるということ。点数や評価を気にしてるひとには到底なし得ない。想いの丈が違うから。


歌は心で、目はその人自身。どうせ同じ時間を過ごすのであれば、一瞬に、込めよう。


アンドロイドは電気羊の夢を見るか、But are we all lost stars trying to light up the dark.


映画のBegin Againに出てくる、lost stars の和訳が好きだ。詩。神々に見放された物語。美しく、寂しい。そして凛々しい。


意味を考えて、毎日延命。


ヒーローに夢を見る私たち

清原のインタビューを読んだ。もし仮に彼が人々が願う姿を演じて生きてきたのだったら、それは耐え難い人生だったと思う。他人に敷かれたレールを走る電車は、とてつもなく速いのだから。


いま僕は、仮という言葉を使った。そう、僕は仮でしかないと思う。完全なる後付けだ。そのときに進んでた道を、自分で否定して何になるんだ。演じていたと推論する意見なんか、フルスイングでかっとばしてくれ。


少し苛立ちも覚える。後付けすることで陳腐にしたがる。くだらない。必死に生きようとした人をバカにしてなんになる。そう言う人に限って、必要以上に演じていたりする。


ヒーロー。正義。そんな甘い言葉に飲み込まれ、海の底から太陽に焦がれる。そのままやがて、土になる。

おやすみなさい
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