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言葉に負けない、星たち

清らかな心でぶっつぶしたい。the brilliant greenはそう歌う。歌うように言葉を組み立て、懐に忍び寄る。私たちは簡単に流行に支配されていく。

星たちは、燃やす心を止めない。だから、言葉なんか火の海に沈んでいく。その土地の過去を失いながら。傷つけながら。そうして言葉を埋葬する。


だから星になりたい。とべなくてもいい。右手で一段一段を震えながら。そう、世の中は、敵意のなかで生き、埋葬される。言葉は、蘇生されない。

向かい風になるために

追い風。それは流れに流されるだけ。だから参考記録。自分の意思なんか介在してないの。


廃れた情報でも、いま追い風のなかで物事が進んでいる匂いくらいは感じているだろう。だが、考えることをやめた人間は反対ありきの論調が光っている。それはもうLEDにすら及ばない。光の渦に消されてしまう。

淘汰されたいのであれば別だが、もう少し中を見なくてはいけないのでは。私達は、私達自身について知らなすぎる。脳が死にたいと思っても、脳以外はおそらく死にたいと思っていない。死にたいといきを吐くときでさえ、私達は酸素を取り込んでいる。そこに心を駐車できるか。そこなんです。


軽やかに跳ねながら、部屋で生を謳歌してみてくれ。きっと未来は手先で私達を可愛がる。

あかきいろのきんもくせいの

きんもく、すいようび。



フジファブリックってなんで滲みるのか。それは志村が未来から現在を見ていたからだ。そう思い込まないと、涙を飲み込めない。


生きてることを諦める人が多い。いまを諦めるなと雪雪さんはエールを送る。だって君は未来から来てるんだから。だから、未来をいまやり直せよ。なんて素晴らしい考え方だろうか。


よく、グローバル化が進んでるからどんな考え方も受け入れなさい。と聞いたりする。なさい〜の時点で主観が混在するので、すでにグローバルに物事を考えていないのでまあとやかく言うつもりはない。かくいう私も、客観こそがグローバルだと思っている時点でノットグローバルだ。


ノットグローバルのどこが悪い。具体例を出すならわけのわからんグローバル風のせいで、オリジナルな言語が世界中で消えている。小田和正が言葉にできない、と歌うように人は言語化できない感情や思考を持つ。それを伝える為に試行錯誤した結果の言葉が、言葉が、言葉が、消えていく。


目の前を。いまを。大事にしてほしい。

リリカルジャンピング

えふぶんのいちゆらぎはたぶんしんかんせんではうまれない。


僕たちは何処へでも行ける。それを知らないのは悪魔が翼を噛ったせい。知恵の実を刈る乙女になりなさい。知る事の罰は、心臓にしか作用しないから。


古典の閉塞感を酸素とする。きっとそんな池では芭蕉は泣くことしかできない。コナンの映画はそんな映画。しばらくあんな映画観れないよ。


雑誌を終わらせない。戯言で見栄を張る鏡はなにを反射する?いい加減自分を自分で映し出して。そうねえ、検索してるだけの毎日からまず逃げ出して。捜索して。まだ動かして。



珈琲にミルク足したら混じり合う瞬間は宇宙の誕生みたいでしょ?仕事終わりのビール、風呂上がりの珈琲牛乳。世界は軽く跳ねながら同義を生産していく。だから、ロストアイデンティティー。お茶うけは先日買った大徳寺納豆。


窓から見える残像を焼き付けるのは、あなた。あなたはどこから?無線は光に置き去り。目線は夜空の向こう。



さあ、宇宙を目指して。炭酸水を振ろう。

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