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灯り。いちが死んだ。

犬は、死に対して恐怖がないんだって。


僕が知るなかでブラウン管越しでも、街中でも、どんな人よりも、気高い犬だった。

振り返ると大事な人とわりと死別をしてきた。事故死した親友、病死した一番の理解者の祖父、そして今回はいち。


僕は蚊は殺すし、ひっくり返る蝉をみても「生きている者が死ぬとき」ほどの寂しさを感じない。残酷で失礼かもしれないけれど、多分命の長さが判断基準なんだと思う。


命は永遠でないことは当に知っているし、そのあたりのものわかりは分別のあるほうだと自覚している。でもね、14年もいちは生きた。あまりにも長くて、生きているのが当たり前になっていた。

僕が嫌いな格言のなかで、「失ってから大切さがわかる」という言葉がある。ずっと嫌いだった。当たり前だと思わないように、毎日瞬間瞬間を大事にする大切さなんてわかっているつもりだった。

つもりでしかなく、身勝手な僕は30分間に合わなかった。待ってはくれなかった。それは僕のせいであり、これが僕の生き方なんだろう。


僕は社会的に道を外れたとき、両親から怒られるとき。そんなときだけのそのそ歩いてきて僕に背を向けてぴったりと座る。それは優しさなんてものでは到底表せない、いちの生き方の姿そのままを刃のように僕に突きつけていた。

人の布団は跨がない。トイレは絶対外でしかしない。昨日も診療台に上げたときずっと立っていて、医師からは「考えられない。人間なら立つどころか起き上がれない」と言われた。気品があり、気高い。それがいちの生き方。


そしてなにより、愛があった。家族が出かけるときは必ず14年間吠えた。寂しがりやなんだ。僕には最初はたまに吠えないときがあったけど、晩年はほぼ吠えた。それだけ、認めていたんだろうと思う。

わがままを言わない犬。淡々とそして誰よりも力強く生きた。

昨日は病院にいる間抱っこしてたんだけど、全然嫌がらなかった。昔はバタバタしてたのに。気力がなかったのと、もういいよと気を許してくれた最初で最後の時だったんだろう。その温もりは永遠に消えることがない宝物であるし、僕の身体はなくなってはいけない。


14年間ありがとう。兄であり弟であり家族だったし、家族であり続ける。

天国にはまさっていう寂しがりやの高校生がいるからまずはそいつに寄りそってほしい。その後はいちを誉めてた祖父に撫でられてほしい。ああ見えて祖父も寂しがりやで、将棋の相手探してるはずだからお願い。そうそう、ハンデはくれるけど、勝ちそうになったら必ず本気出されて負けるから慎重にね。

これからも守ってください。でも、お疲れ様でした。もう窓から外を見張らなくていいし、家族が出かけて1人ぼっちになることはないからさ。おやすみなさい。

呼吸するように悪意が宙を舞う

そうめんは茹でるとカロリーが飛ぶ。朝ごはんそうめん、昼はなし、夜はそうめん、日本酒(キミが置いていった酒)、リンゴジュース。


一番美味しかったのはリンゴジュース。虫が舐めたかもしれない、風が巻き付いたかもしれない、けれど美味しかった。大抵、そんなもんだ。


明日も土曜日も、悪意に満ち満ちた時間が待っている。感情は0。10回でも100回でも、変わらない。そんな感情。

もはや悪魔だと思うよ。そのへんにしておきな。

不倫に怒る人は、愛に溺れたことがないんだとがっかりする。人間でいたいのかもしれない。もう遅いのにね。甲高い声をあげたところで、ロボットには勝てないよ。世界には、タングばかりじゃないんだよ。つまらない人間あっちいけ。


ふうと吐き出し、飲み込むは悪意とリンゴジュース。

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