26歳になりたくない。そう友人に言われたとき、なりたくないよねとなにも考えないで答えたことがある。


いまではきちんと考えたうえで言える。ぼくも26歳になりたくない。


そう考えると、急に色んなことがどうでもよくなり、どうでもよくないこともはっきりとみえてきた。


何回か書いてきたが、僕は19のときに友人を事故で亡くしている。その友人が僕に残してくれた考え方は、「いつ死ぬかわからない」という圧倒的なリアリティだ。これはもう近年ではたくさんの例があるよね。震災や天災、そして色々な無差別の殺人事件。皆が、抱えている想いには隔たりがあるけれど、いつ死ぬかわからないということを肌で感じてしまった。

いつ死ぬかわからないので、日々なにか残したい気持ちが、僕に詩を書かせている。でも、それだけではもう足りない。仕事や友人関係など、それら全てでなにかを残したいと思っている。

それが、どうでもよくないこと。

例えば川に飛び込むこと。飛び込むことで被るダメージに関してはどうでもよい。飛び込み、川を感じ、五感にエネルギーを送ることはどうでもよくない、大切なこと。そういった行動原理で動いている。


タイミングが良いのか悪いのかわからないけれど、9月と10月はほとんど予定が埋まった。11月5日の誕生日まであと3ヶ月もない。できることを、自分のなかでやれるだけやりたい。


灰になるまえに嵐を啄む海獣でありたい。

落とし物はどちらの海岸に?

刺される前にあの赤信号をどうにかして。

ねえ、その影は本当に必要かな。眩しすぎるの。