[utpr]春の話00、目次と余談。

目次
[Springreport]■リポート
[Springreport]■無題
[Springreport]■零れ桜
[Springreport]■アザミの太陽
[Springreport]■アンチノミー
[観察日記]■歪んでまっすぐ
[観察日記]■ひろくん
[Springreport]■独奏曲
[Springreport]■オールトの雲より
[観測日記]■夢を見るときは
[観察日記]■皐月の母。そして父
[Springreport]■リポート、そして
[観察日記]■ひろくん 2
[Spring report]■ヴァスパミナーニエ
[観察日記]■春の庭



(※)があるところは完全に捏造ですが、そもそもすべて適当捏造です。
一応音也、トキヤ15、16〜20、21歳までのあたり。
『木漏れ日』の「一緒になろう」についての研究レポート、春編です。
ゲームとアニメミックスシェイク。
かなりうろ覚えですが。
気持ちのサンクス。
・「悲嘆のプロセス」参考webサイト
・谷山浩子さん『催眠レインコート』
・映画『散り行く花』
・関J……8さんの番組シチュー回。
・あといろいろ知識とネタをくれる友人各位。

[utpr]春の話15、春の庭。

[観察日記]
■春の庭


「これをどうぞ」
「これ……」
 シンプルな銀の鍵が一つ。
「この家の鍵です」

 ただいま!、と扉を開けて駆け込むその先に、「おかえりなさい、音也」という母の笑顔。でも、いつも公園で迎えに来るのを待っていたはずだ。
 
 



『おつかい、ちゃんとできたよ!』

 ああちがう。あったよ。
 今はもうなくなったけど、家の近くのスーパー。
 渡されたお財布とメモと、首に下げた銀の鍵。行ったんだ。
 少し先の、赤く点滅する遮断機は渡っちゃいけない。そう教わったから。目の前を通り過ぎる大きな電車の風にあおられて、身体が揺れる。みんなが歩き出して、ようやく自分も線路の上をゆっくり渡った。走っちゃだめだからね。気を付けて。止まらず、終わるまで振り返らず。そうおかあさんに言われたのをちゃんと覚えている。
 渡り切ったその時、パッと後ろを振り返った。今まで通ってきた道何度も通ったことがあるけれど、一人で歩くと知らない世界だった。心細くなった。今すぐに帰りたい。おかあさん。進むことをあきらめようとした。
 ふわり、目の前を横切る、花びら。見上げれば、青空と薄紅の桜並木が、未来の道筋を作っていた。きっとずっとそこにあったんだけど、見上げて初めて気づいた。ドキドキとワクワクが体中を駆け巡る。
 だいじょうぶ。
 メモを取り出す。大好きなものにかわる名前が書かれている。ぐっと握りしめて歩き出す。
 売っている場所が分からなくて、教えてくれたおじさんも。一人でおつかいなの?えらいね、っていってくれたレジのおねえさん。時々見る、近所のおばあちゃん。そして、
『おかえりなさい、音也』
 あの日のカレーは、おつかいで買ってきた食材で作ったカレー。いつもと違う味。
 思えば、あの頃からかあさんは、これから生きていくための術をちゃんと教えてくれていた。
 その夏に他界したから、ずっと箱の中にしまい込んでいただけで。鍵を見つければ、こんなにもたくさんの思い出がよみがえる。

「……どう、しました?」
「ううん。またひとつ、大切な思い出が思い出せたんだ。ありがとう、トキヤ。この鍵、大切にするね」
「しまい込まずにちゃんと使ってくださいね。ここへ、私の元へ帰ってくることに」
 慣れてください、と言ったトキヤの顔は、すごく幸せそうで。俺がいることでこの笑顔が生まれるなんて、すごくすごくすごく、ああ、言葉にできない。好きって言葉以外でもっと表現したいのに、ダメだな、好きって言葉以外が見つからない。あの日見上げた桜のように。
 みんなに見せてあげたいけど、ダメ。これは俺だけの大切な思い出だから。


 帰るたびに思い出すのだろう。一つ一つ。
 トキヤは記憶をCDのようだといった。これから先、きっとこの日の事も、ミュージックになる。



春の話はこれでひとまず区切りです。
debutの時の音也の話を参考に。「はじめて一人で行ったスーパー」から、はじめてのおつかいと解釈しました。昔住んでいた家もですが、もうその場所が無くなってるの切ない。

[utpr]春の話14、ヴァスパミナーニエ。

[Spring report]
■ヴァスパミナーニエ


 人の記憶はCDのようだって誰かがいっていた。
 カセットテープのように巻き戻しと早送りで再生するのではない。
 CDのように選択し再生する、思い出す。思い出したいことも、勿論思い出したくないことも、記憶のトラックを開けば出てくるのだ。
 どんな人であれ、振り返れば過去というひとくくりの同一線上の上に綺麗に並び、ある程度振り分けたCDの見出しから、ああ、あの時の出来事はと選び出す。
「それってちょっと寂しいかも」
 俺はカセットテープの方が好き。生きてきた長さがわかるから。ああでも、昨日のことの次に10年前の事を思い出すこともできるのはいいよね。楽しいことの次にまた楽しいことを思い出せたら、幸せなんだよ。
「10年前、あなたはまだ小学生ですね。どんな小学生でしたか?」
「そうだな。急に歌いだすから、変な奴って思われてた、かな」
「正直、私も最初は、関わりたくないタイプの人間だと思ていましたよ」
「あー、うん、それは伝わってた」
「では私が初めてあなたの誕生日を祝ったときのことは?」
「あの時?あ、覚えててくれたんだって。こいつそういうこと興味なさそうだなーって思ってたから。だから、お前の誕生日しつこく聞き出したよね」
「あまり、声高に言える日でもないので」
「でも俺の大切な花が咲く季節だったから、うれしかった」
 肉体があるから存在するのではない。その人がそこにあると誰かが認識してくれなければ、存在しないのだ。人が一人で存在できないのは、そういうことでもあると、小さな星の王子さまの物語も、作者が語らなければこの世に存在しないままだった。
 悲嘆と孤独の海沿いを歩き続けながら、それでも生きることをあきらめなかったからこそ、誰かが知り、誰かが語る一十木音也は今日まで20年、生き続けている。生き抜いて季節外れの花を咲かせて。

「いまあなたのお母さんのこと、思い浮かべることはできますか」
「できるけど。こんな時に来てもらうのは、ちょっと恥ずかしいな」
 かあさんなら、笑って喜んでくれそうだけど。
 リズムの違う心臓の音ふたつ。シーツと腕で閉じ込めた躰を、ひとつひとつ味わうように確かめていく。彼の零す、一握りの生命の呻きを知る者は、今、この世界で、私しかいない。

「ねぇ、トキヤは、俺が初めて好きだよって言った時、どう思ったの?」
「あなたが初めて……ああ。私の文字を見て、『真っ直ならんでるけど、気持ちの込め方は熱くて、すごく好きだよ』と言ったときですか?」
「ちぇ、ひっかからなかった」
「初めてはそこでしょう。あなたの好きはそれこそ同じではないと言っていたではないですか。だから私の中にはきちんと分けてありますよ。好きだと言ってくれた時のこと。まあ、もちろん沢山ありすぎて全部は無理ですが」
「全部って言われたら、さすがに怖いかも」
「……そうですね。会って間もないのに、何を言っているのか、心底困りました。どう受け取ればいいのかと」
「うん、あの時の困ったトキヤの顔、すっげーかわいかったから、よく覚えてる」
 なにを、と息を奪い、熱をぶつけると、色気のないうめき声が上がった。それにすら興奮する自分もだいぶこの男の色に染まっているのだろう。口の中に閉じ込められた息が逃げようとする、くすぐったい振動が、たまらなく二人の身体が一つになっていることを思い知らせてくれる。




[utpr]春の話13、ひろくん、2。

[観察日記]
■ひろくん 2。


 監督さんいわく。
「いやあ、エキストラのマイクがちゃんと音声拾っておいてくれてよかったよ。あれ聞き間違いじゃなかったんだね。気になっちゃって。『おとうさん』って呼んでるのに、それに呼び慣れてないところとか。メインのカメラのマイクだと音声だと不確かでね。「ひろ」なのか「いきろ」なのか上手く拾えなくて。本気で心配して駆け寄ったところとか。あの民衆の中には、そうやって名もない家族がいたんだなってね。で?どういった設定だったんだい?え?音也くんみたいな息子がいたらって話になって?それで、待ちの時間に親子の真似を?ああわかるよ。あのぎこちなさ。そこが気になったんだ。ちゃんと録音は残っているよ。オンエアではさすがに他のエキストラの悲鳴の方をクローズアップしたけどね。怪獣を写すから、音也くんはほとんど入れられなかったし。そこをクローズアップしてしまうとせっかくの怪獣が目立たなくなってしまうからね。で?ヒロって名前はその話の時に決めたの?え?適当?その場のノリでよんだ?父さんって呼ばれて、ああ自分はこの子と二人で生き延びねばってっなったのか。亡くなった息子さんの名前…2人は親子って設定なんだね?ちがう?本当の親子ではない。名前が偶然一緒の、里親とその子供で…なるほどなるほど。いやあ。参考になったよ」

 準所属時代にエキストラで出演した怪獣映画の続編が決まって、サブキャストで出演が決定した。怪獣再来。なんでもその時襲ってきたのがお父さん怪獣で、実はお母さん怪獣と子供の怪獣がいるらしい。その怪獣と戦う主人公サイドと、怪獣を守ろうとする敵サイドに話は広がる。
 あのとき父と呼ばせてくれた俳優さんはメインキャストとして出演が決まっている。
「こんなことになるなんてね」
 彼は去年主演を務めた映画が大好評で、今やテレビでひっぱりだこだ。
「俺、あれから考えてたんですけど、もしかしてあの時こけたのって、わざとだったんですか?」
 あのパニックシーンの中、誰それ上手く逃げ切れるわけない。
 人は自分の命を優先して、そんな時誰かを見やることなど出来るのだろうか。そう考えた。あの中で倒れるなど、踏みつけられ蹴飛ばされるかもしれない。でも、その方がリアルだ。この人はあの瞬間に生き残ることができない役を選んだのではないかと。
「あれね……あのまんま。こけるつもりなかったんだけど。あの時の僕もあんなに中心に配置されると思ってなくて、もみくちゃに走るの怖かったんだよ。案の定こけちゃったし。みんな役者さんだから、よけてくれると思ってたけど、立ち上がるのが怖くて。膝小僧も思い切りぶつけていたかったし。だから、本当に嬉しかったよ。助けてくれて。あの時、息子が返ってきたのかと思った。全然姿はちがうけど。おとうさんって。だからぼくも、本当は、いいから逃げろ!っていうのが正解だと思ったけど。いやだよ。一緒に生きたいって。おいて行って欲しくないって、おとうさんなのにね。不甲斐ない」
 ああ。2人の気持ちは一緒だった。
「あの二人、まだちゃんと成長できたんですね」
「あの二人、じゃないよ。君とぼくだよ」
「そうだったね、お父さん」
 それからこの人は、俺のデビューライブにも来てくれたって。そっか。あの歌。聞いてくれたんだ。お父さんのように感じさせてくれた人たちが、あの姿を見守ってくれてたの。すごく嬉しい。

 まだ公に発表はされていないけど、その時の回想シーンには、当時の音源を使うってことになって。音源を聞き返してちょっとはずかしい。本当に、お父さんって、呼び慣れてないのわかりまくってさ。
 あの時から数えても、いろんな役を貰えるようになった。家族って存在も、俺の思う家族の気持ちも込めて演技と向き合えるようにもなっている。だから監督さんにちゃんとお父さんって呼べますよ?ってちょっと生意気に聞いたら、それでいいんだよって。だって、あの時の配役で行くから、成長しててもらわないと困るんだよってさ。あの時の親子は、まだこうやってドラマの世界で生きて暮らして成長しているんだって、そういうの感じてほしいんだよ。って。そういうの楽しいじゃん。あの時の人が!?ってそういう驚きも感じてほしいんだよ、って。
「追加キャストを組むにしても、当時の世界に生きていた人の方がいいって。そう思ったからさ」

「どこに巡り合わせがあるかわからないですよ。ですから、端役であれ、その世界の背景にはならず、登場人物にならなければならない。あなたの世界が、あの世界を動かしたのですよ」
 その役者さんと共演してみたいといっていたトキヤは最初、悔しそうにしていたのに、でも優しい顔になってそう言ってくれた。
 監督たちとふわっと話した設定は、しっかりとした土台を組まれて、役名と共に世界を生きている。
「あの時の音声と映像が、乗るのか〜」
 当時の別のカメラのなかには俺もちゃんといた。
 今の自分から見ても幼さと必死で、一緒に生き延びようと必死な一組の親子。自分で演じているとは別に、ああ、今もちゃんと二人で生き抜いているよ……ってその姿に語りかける。

 そうやって支え合って生き延びた2人は……のちに敵対していた。
 なんでぇ!?






[utpr]春の話12、リポート、そして。

[Springreport]
■リポート、そして。


 桜が散れば次の季節への準備。
 4月生まれの音也だが、彼の似合う季節として、夏をあげる人は多い。
 明るく元気に笑顔で爽やか。
 それに、彼にはもっと人となりを想像させる夏の花がある。
 ひまわり。その存在のように、照らすような太陽になりたくて。
 今年も彼は一足早く世間にその花を咲かせるのであろう。アイドルとしての名が知れ渡るにつれて、その花との結びつきがより広がる。彼の誕生日を祝うSNSでも、毎年様々な形でその花が添えられるようになってきた。


 毎年サプライズというわけにはいかず、特に今年は事務所のメンバーと祝うことになっていて、本人にも伝えてある。

 なにせ彼が成人する年。
 翔や七海さん、渋谷さんも今年が成人というだけあって、来年の初めには事務所からの成人式の写真も載るだろう。

 誕生日の「ちょー楽しみ!」は社交辞令でもなく、毎度目のなかに星をちりばめながら輝かせるいくつになってもかわらない。
 次の日は一日オフをもらって、音也と2人で出かける予定もある。
 もちろんプレゼントも用意してあるが、ここのところ二人きりでゆっくりと過ごす時間があまりなくて、ここぞとばかりに申し出た。それゆえここ最近のスケジュールは詰め気味ではあるが、11日を思うと没頭して過ぎ去ってくれるから助かる。

 タクシーは高架下を潜り抜ける。
 頭上を通り過ぎる夜の電車の光と音。
『線路を越えた場所がいい』
 高架工事が進み、遮断機にさえぎられることが少なくなった。
 一昔前のドラマではかねがね遮断機の情緒も組み込まれたりもするが、土地の構造の変化と、シチュエーションは年々上書きされるものだ。切符はICカードとなり、券売機の一番高い切符を意識する機会も少ない。

 あの俳優さんは故人に会えただろうか。その人に会いに、この線の上を辿りながら向かったのだろうか。
 夕方に見送った背中も、ずいぶん前のことのように思う。

 音也はこれを、外の世界につながる存在だといった。それは、たとえ遠くの場所でも、私と音也の住む場所の間でも。そうやって、外に世界があることを確かめている。
 ああ、それに。
 電車の振動は、母親の胎内から聞く音と似ていると言われている。もしかしたら、何処かに、まだ姿を探しているのかもしれない。


 ほら。また音也の事を考えている。
 いや。これは正しい表現ではない。
 ともすれば音也のことを考えることが当たり前で、考えているという感覚も薄れる時がある。
『たまには忘れたいでしょ?』
 呪いのような言葉だ。
 忘れるくらいもっと当たり前にならないと。
 中途半端な距離はかえって毒であると、まるで術中にはまったのではと思えてくるのだ。

 スマートフォンをみれば、おととい連絡を取り合ったきり、彼からの新しい通知はない。頻繁にどうでもいい連絡をよこすが、この時期だから多くを聞いては来ない。私自身の撮影スケジュールも知っているからだろう。以前のやり取りは、星の王子さまのヒツジをみて、私の絵を思い出したとのことだ。なかなかな褒め言葉だ。
 二人が付き合い始めて一年目にお祝いをしたら、盛大に戸惑われた。誕生日があるだけで十分だよ。お前記念日増やすとことごとく祝いそうだから。誕生日だけで充分。それにそれなら出会ってからの日を数えてほしい。一緒にいる時間を、一日でも長く。

 少し睨みつけ連絡がこないかなどと祈ったが、そう都合よくいかず。タクシーの運転手に行先変更を告げる。
 手はラインを開き
『今家にいますか?』
 と打ち込む。すぐに既読はついた。
『いるよ!』
『どうしたの?』
 とりわけ理由を考えずに送った自分にも驚きだが、理由を考えるよりそのままの気持ちを述べた。
『なんとなくです。今から行ってもいいですか?』
『いいよ!おいで!』
 スタンプもなにもない返事なのに、端末の向こうの表情は多分思い描いているとおりだろう。
 言葉に音がつく。
 ふふっと笑いが込み上げてきたのだが、さすがに恥ずかしくなった。
『もう駅にいます。すぐ着きますが、何かいるものはありますか?』
 そういえば、晩御飯は食べたのだろうか。この時間だからもう終わっているか。
『大丈夫。今日外寒いからね、はやくおいでよ』
 おいでおいでと、時折年下の子供のように扱われるが、今日はどうにもその言葉が心地よい。
『では遠慮なく』
 手土産がないのは、少しばかり申し訳ないが、何分急な思い付きであり、言葉に甘えたい気持ちだ。

 頬を暖かいてが包み込み、
「おかえり。わ、ほっぺたつめた」
「……ただいま」
 ほっとした。五臓六腑に声が染み渡る音也の声。
 数少ない二人の決め事の内、ひとつはいらっしゃいお邪魔しますではなく、ただいまとおかえりで、行ってきますといってらっしゃい。
 あいさつをしたいといことだ。どちらの家に出入りしようと。
 踏み込んだ室内は暖かい。
「今帰りなの?」
「ええ。先ほど撮影が終わったので」
「わー…かなり押したんだね。お疲れ様。トキヤは晩御飯食べた?」
「現場で急遽お弁当をいただいたので。そちらで」
「そっか。俺も今から晩御飯。今日はなんと、じゃがいもごろごろの……シチューだよ!」
「おや、浮気ですか?」
「え」
「……いえ、あなたにしては珍しい。その具材ならカレーにしそうなのに」
「シチューだって好きだよ!こ、この前番組でやっててさ」
 妙な間が出来てこれが失言だと理解した。
「ああいえ、あなたがシチューを作るは初めて聞いたので。すみません」
「寒い時ってさ、シチューってイメージあるよね」
 すぐに気を取り直して、話し始めたことにほっとした。
 カレーとほぼ同じ工程で、作られるものなのに専門店がないよねって、って番組で言っててさ。そういえば俺もどうしてなんだろ〜って思ったらつい。やっぱりカレー好きだからカレー!って思ってたけど、そういえば牛乳あったなって思いだしたらもうこれはいくしかないって。
「あ!お湯沸かすの忘れてたっごめん!コーヒーちょっと待ってね」
「ありがとうございます。自分で淹れるので、あなたはゆっくり晩御飯を食べてください。日付が変わってしまいます」
「そ?トキヤの好きなメーカーのドリップ、引き出しにあるよ」
「ありがとうございます」
「そして俺にカフェオレ入れてちょうだい、マスター」
 はいはい。
 音也の方も、何かあったのだろう。この時間に夕食とは。
 鼻歌交じりの食事が始まった。
 キッチンの暖かさにほっとする。
 生活のぬくもりを感じる。
 存外、音也は何でもかんでも包丁一本で料理をする。本人はあまり得意ではないといい、手の込んだことはしないが、特別料理が壊滅的なわけではない。何度も口にしたことはある。学園時代も備え付けのキッチンで料理をする姿を見かけた。それを口にしたことはないが。人の作った食事をおいしそうに横取りする姿を思いだす。何故そんな人間に、今この感情を抱くようになったのか。人生とは奇なるものだ。
 目の前で大口でシチューをほおばる音也に、当時から変わらない食べっぷりを重ねる。
 その姿を眺めながら、いつもよりゆっくりとコーヒーを口にする。
 さて。こういう時に何と言えばいいのだろう。


 明日は夕方までオフになりました、と奇をてらうことなく、伝えれば良いのだが。このまま泊っていくのもやぶさかではないが。何の考えもなくここに来て、そういう口実切り出しのレパートリーが私にはまだ少ないことを体感する。
 もちろん、撮影が前倒しになったのもあるのだが、彼らのことを口実にするのはすこし憚られた。
『近くだったら、それはそれでいいこと沢山あるけど、離れていることでもいいことってあるんだよ。あれ言えるじゃん。『今日は帰りたくない気分。泊・め・て』って』
 いつぞやのやり取りがよぎった。実際のところ、この構文は使われたことはない。音也の方は遠慮なく私の家に泊まっていくし、仕事の兼ね合いでお互いの家に泊まることは何度でもあった。もちろん、そういうこと前提で泊ることだって。なんにせよ、口実はそれなのだからまったくもって問題ないのだが。問題は自分のプライドだけで。ついにあの構文を使う時が来てしまったのか。これは役者にならねばならぬ。オフ状態でスイッチなど入れたくないが、すぅっと息を呑む。
「あ!」
「はい?」
「今何時?俺見たい番組あったんだ。トキヤも一緒に見ようよ〜前、俺が気になるって言ってたアーティストさんがでるやつなんだ。ってかもう今日は泊っていきなよこんな時間だし。……明日は、朝から?」
「……いえ、その撮影が今日のうちに終わったので明日は夕方までオフです」
 そう告げると目が燦々と輝いた。
「俺も!じゃあそうしよう!」
 それから〜、とこちらの意向を聞かずどんどん突き進む展開。内心、かなりほっとしている。いやいやこれはまた後攻だ。頭のなかで時折出てくるスコアボードに点数が加算された。いつぞやの歌番を一緒に見たいだとか、福岡のグルメ番組だとか、新しくできたテーマパークの特番がだとか、止まらないアレコレに、止まったスプーンの先を見やる。
「シチュー、ひとくち頂いても良いですか?」
「ん?いいよ!ならジャガイモとニンジンも、大きくないからいいだろ?はい、あーん」
「……」
 問答無用でのせられた具材の向こうに目尻を細めてほほ笑む顔が映る。口を開けばそっと傾け流し込まれる。こういうことすらやれる相手になったのだなと頭の片隅に冷静な自分が遠くから微笑んだ。
「どう?」
 野菜の甘味と、クリームのまろやかさ。それでいて、少し水が多かったのだろう薄目のシチュー。落ち着く味だ。


 風呂から上がると、リビングはもぬけの殻。寝室へ向かうと、ベッドの上に布団をかぶらず横たわる音也がいた。
 先程までのが動ならば急にスイッチが入ったように静になるのも特徴。
「風邪をひきますよ。今日は特に冷えますから」
「おかえり」
「ただいま」
 風呂から上がってもおかえりとただいまなのはよくわからないが、音也のいる場所がただいまの基準なのだろう。
「寄ってください。入れません」
「トキヤが壁の方にいきなよー」
 おいでおいで、と壁際の方へ誘う身体を、押し込む。
「私の方が目覚めも早いので。今日のお礼に朝食は私がしますよ。さあそっちこそ眠たいのでしょう?腕枕をして子守唄を歌って差し上げますから、ゆっくり眠りについてください」
「あっは、それもいいかも」
「やりませんよ」
「えー、やってよ」
 ふふふと笑いながら音也は体を転がす。寝転がっていた部分は暖かく、抜き取ると音也にかぶせ、自分も布団の隙間に身体を滑り込ませる。
「どうせすぐに寝るでしょう?」
 ころんと向き合うように体勢を変えてきた。
 目にかかる前髪を指で払い、額、目尻、唇へと口づけを落とすと、くすぐったそうにしながらもとろんとした目つきで受け取る。
「まだだいじょうぶだよ」
 何が大丈夫ですか。声にまどろみがにじむ。それでもぽつぽつと音を紡ぐ。
「きょう、来てくれてうれしかった。トキヤは俺の心の声、きこえた?」
「知りませんよ。ただ何となく、です。本当に」
「そっか」
 それはこちらのセリフだと思ったが、音也も同じだった。聞こえたのか?いやまさか。聞こえれば楽だと思うくらいだ。ごそごそと腕の中にまるまる体は暖かい。
「トキヤ来る前まで、キッチンが悲惨でさ、洗い物がたくさんたまってたんだよ」
「……疲れていたのですか?」
「なんとなく。最近コンビニ弁当ばっかりだったし。や。新商品続出でってのもあって気になっちゃって!」
 あぁ、分かってしまう。その言葉が100%真実ではないことが。私は耳がいいのですよ。あなたの声に関しては特に。これは直感だ。もちろん、この声を誰より意識して聞き続けた、私の経験による直感だ。
「洗って捨てるだけなんだけどね。このままじゃトキヤが来たときなんですかだらしない!って怒られそうだなって、思って。片付けたんだ」
「シチューもね、買えばいいかなっておもったけど、ルーの方かってさ。カレー作ろうと思った具材はあったし。またカレーですか、たまには他の物にもって声も聞こえてくる…………トキヤが来たときに、来たときにって考えながらすると、ちゃんとしようって思えるんだよ。……そしたら本当に連絡来て。……神様って、なっちゃった」
「まるで抜き打ち調査みたいな扱いですね」
「突撃となりの晩御飯って言ってよ」
「それでコンビニ弁当なら取れ高は工夫しないと」
「へへ。いいじゃん。……今のおすすめの弁当はって……さ」
「…………明日もいます。もう寝なさい」
「うん……」

「今日は、ただいまって聞けて……」
 いよいよ言葉の間隔が広がる。腕の中の暖かさに、こちらも緩く意識が遠のいてきた。
「ありがとう……」
 ただいまにありがとうなのか。それは帰ってきたことにだろうか。帰る場所にえばれたことにだろうか。そういって数拍ののちに聞こえた寝息。
 そうですね。私もそうだ。
 いつもは飲まない甘いカフェオレもストックしてある。音也が来た時でないと食べないカレー用の調味料もある。同じですね。
 いつきてもいいようにと願いながら過ごすくらいなら、いっそ。
 転がっても落ちない大きめのベッド。男二人が寝転がってことたりるが、壁際へ押し込み抱きしめる。



.


シチューは友人に見せて頂いた関J…8さんの番組を拝見して参考にさせていただきました。
トキヤがマスターっていわれるのは2014年2月20日のプリツイより。

アリス

2022.05.14 大熱波記念日。
WEBオンリーも開催されて賑やかな良い歪みでした。あと10年でリアル大熱波になります。おわぁ。
この日になると色々な場所からバロッカーさんが出てくるのが面白いですし、自分もその一人です。
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