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とある坊やのお話(SS)

僕は待合室の椅子の上でぼんやりと宙を見ていた。

聞こえるシャワーの水音に、ぐちゃぐちゃになった頭の中を掻き回されながら。
昔は隠れ場所だったカーテンの奥も今は畳に占領されてしまったから、僕には隠れる場所がない。

大きな鏡に僕が映る。
なにか叫びたそうな顔をしているけれど、その僕は何も言わない。

僕はその鏡を殴りたくなった。だがこれは備品だからそんなことをしたら大問題だ。
どっちに向かって歩けばいいのかよく分からない。こんな汚い僕がどうすれば他人の波に混じることができるのか、検討もつかない。

ただ怖いと言えば否定されることに、また僕は頭を抱えるんだ。

はやくこちらへおいで

そういうような声が、よく聞こえる気がする。
だけど僕の足はここから動けないようになっているからその声には従えない。

声が言う言葉と反対の言葉を僕が喋る。
僕が言ったことを声は後から責め立て続ける。

ああ、また怒らせてしまった。
僕は一体なにを言って、どう行動して、どう振る舞えばいいんだろうか。

観察下におかれる僕の考察(BLSS)

「唐突に何もかもがさ、嫌になったんだ」

目の前の男はふらりと、とんでもないことを言い出した。

目を赤くするでもなく。
眉をひそめることもせず。

ただ、無表情で。

「……ふぅん」
「それでも、お前は俺のこと好き?」

直球だと思う。
でも、彼の生き方そのものが…もしかすると直球なのかもしれない。

だからこれは、日常会話。

「好きだよ」
「ふぅん。ずいぶん変わり者なんだな」
「…今更言うか?」
「……いや、それもそうなんだけど」


彼はつまらない映画でも見終わったような顔で窓の外に視線を投げて、くすりと笑った。

「やっぱ、おもしろいもの見つけたから、いいや」
「………なに?」
「お前」
「…俺」
「もっと言えばお前の頭ン中」
「はは、なんだそれ」

俺は少し楽しげな表情で外を眺める彼を見て、コーヒーを啜った。

「…あ。新聞取ってくれ」


さて。今日の天気は晴れのままだろうか。


(観察下におかれる僕の考察)

 
 

戻れど進め

「戻らないといけない日が来たね」

ピエロのお面を被ったそれが言う

「うん、戻る日になった」
「きみ、大丈夫そうかい?」
「さぁ…ま、いつかは戻らないといけなかったんだし」

真っ白の髪を玩びながら俺は笑う

ピエロのお面の 赤い涙の装飾が伸びる

「多分つらいと思うよ」
「…いいよ」
「人に当たっちゃだめだよ。後でひどく悲しむのはきみなんだから」
「そうだね。気を付ける」

ピエロのお面は、口元が更につり上がる。
手を突っ込んだポケットから、針がびっちり生えている小さな切符を、彼は俺に差し出した。

「はい。これがきみの切符」
「…そっか。…ん、分かった」

俺は最初は少し驚いたけど、すぐに疲れた笑みでその切符を受け取った。

もう針が刺さりはじめていて、かなり痛い。血が滴る。

黙って見ているピエロに、俺は振り向きながらやわらかい笑みを浮かべた。

「大丈夫、俺は進まなきゃいけないんだ。誰のためでもなく、俺自身のために」

ピエロは深く頷いて、ゆっくりと顔の横まで手を上げた。
それを殊更ゆっくり振りながら、ピエロは喋る。

「きみがそう決めたのなら、ぼくはいつでもきみの戻れる場所を空けておこう」
「進むだけじゃ上手くいかないからね」
「そうさ。戻ることも大切だ。しかしまた進むのも同じように大切だ。逃げるのと、戻るのは決して同じ意味じゃない」

その切符を躊躇わずに握りしめたきみなら往けるだろう。

「戻れど進め。それを繰り返して、きみはきみを取り戻していかなくちゃ」

「ああ。ありがとう」

ピエロの赤い涙の装飾が、また、伸びてとうとうぽたり、と服に赤い染みをつくった。

「いってらっしゃい」

「いってきます」

握った切符。俺の拳とピエロのお面から流れる真っ赤なものが、俺のために戻る路と進む路をつくってくれた。



「「戻れど、進め」」

 
 

イタリアの空 俺たちの雨

 路地裏から見上げる空が、俺は好きだ。

「…何やってんの、お前」

 淀んだ雨の夜空を見上げる俺に、あいつは心底呆れた声で話しかけた。

「あーやっと来た。遅ぇ」
「悪い、今さっき終わった。…じゃなくて、やめろ。目に雨入るだろ」
「いいんだよ。俺はこれが好きなの」

 正確には、路地裏で雨の空を見上げるのが。夜だとベスト。

 あいつはため息をついて俺に近づいた。

「…ま、この国じゃ晴れた夜の方が珍しいか」
「血を流すために降ってんのかもしれないぜ。…今のお前みたいにさ」
「……ついてたか」

 ぐい、と手の甲で頬を擦るあいつは全身真っ黒。この雨の夜、サングラスなんか付けていて視界はあるんだろうか。

 俺は空に向けていた視線をあいつに戻す。

「匂いはするよ。血のにおい」

 そう言ってくつくつと笑う俺に、あいつも呆れた声を出す。

「はっ…雨の匂いと勘違いしてるんじゃないか、お前」
「勘違いはしてねぇよ。だって、雨と血は一緒じゃんか」

 どっちも降ってくる。

 あいつは困ったように笑ってサングラスを外した。

「馬鹿。血と雨は別ものだ。この国に『流れて』るって点では一緒だけどさ」
「ほぉら、いっしょ」

 俺も、お前もいっしょ。
 どこの誰のものなのかも知らない家の玄関の、階段に行儀悪く座り込んだ真っ黒な俺は、笑う。

「…とりあえず立てシャルル。いい加減帰ってボスに報告しないと厄介な迎えが来る」
「えーやだ。めんどくせぇ」
「何がだ。…お前知ってるか、スーツのクリーニング代。馬鹿にならないんだぞ」

 いつもいつも誰が出してると思ってるんだよ。
 そう言いながら、あいつは俺を乱暴に立たせて濡れた俺の顔を拭う。

 俺はへらりと笑った。

「アル。アルベルーノ。それ無駄。すぐ濡れるんだから」
「…それを言うか」

 頬をぐっと引っ張られて呻く。俺も仕返しにアルの顔に手を伸ばした。

 …血が、残ってる。いや…これは傷なのか。

「ここどうしたの」
「ああ、少し弾が掠ったかな。…止めろ押すな流石に痛い」
「……じゃあ」

 顔を寄せて舌を出す。すぐに雨の味が広がる。
 そのままべろりとアルの頬にある傷を舐めた。

「これでいい?」
「…ふ、今日はお前からか」

 強く首筋を掴まれて引き寄せられる。
 髪に潜り込む手。唇を割る意外に熱い舌。

 喉を噛まれて上向く。雨が喘いだ口に入り込む。路地裏から見える、淀んで切り取られた俺たちみたいな真っ黒い空。

 くぐもった声が俺の意識をこっちに引き戻す。

「シャルル」
「…ん、」
「俺の目が晴れてるうちは、あっちに行くな」

 あの空のように、光を無くして濁って…淀んでしまったなら。
 そうなったらお前は、俺から離れて。

「……もしそうなっても、俺はどこにも行かないよ」
「…本当か?お前はすぐ嘘をつくからな」

 自虐的に笑うアルの背中を抱いて、ゆっくり撫でる。俺よりも背が高いアルの背中は、やっぱり俺よりも広いくせに小さく感じる。

「これだけは、嘘じゃないよ」

 この国で俺が見つけた冷たい太陽。俺だけの救いの光。

 離すものか、絶対に。

「だから、あんただけは雨になるな。晴れたままでいて」
「…ああ」

 スーツのクリーニング代がどうだと言ったのは誰の口だったか。狂った行為は雨空の下で続く。
 カラスの羽は、濡れた時に本当の美しさを発露させる。
 勿論、俺たちの命然り…だ。



さあ、明日の空は雨に濡れているだろうか。
 
 
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