0170

なつまるです。
今日は奇妙な話をしたい。
(願望どまりなやつだ)

「自然淘汰」という言葉があります。
「天の采配で間引かれて死にたい」、とかいった事を折に触れて思う(私のような)人間が好きな言葉です。

自然のままでいれば、劣る者はやがて生きていけなくなる。自然の摂理で死ぬ。

まぁ現在の人類は不自然だらけで生きているので、少なくとも自然淘汰は起きていないように見えます。
大半の人は自然でない状態、例えば部屋が暗くなってきたら灯りをつけて、テレビ見たりスマホでメッセージを送りあったり、晩ごはんの後は薬を飲んだり……そうやっていいことも悪いことも抱え、たまに文句言いながら生きてます。

あ、今更ですがことのついでに。
最近なんだか死にたい系の話ばっかりしますけれど、別に病状が特別悪化したとか、そういう訳ではありません。
(ただし特別に改善もされていない)
作業時間が短縮され、在宅時間がどんと増え、さすがの私もとうとう暇を実感しはじめたのです。

んで、
「なにもしないよりはいいかなー」
と、今までより言葉を選ばずブログを書いてみたら、内容も精査されなくなってきたという。

今までのフィルター何だったの!?!?
(それでも始めから今までなんだかんだ読者さんが存在するのはありがたい事です)
(でも私は「私の文章だから」と理由をつけて読めるけど、そうでない人はこんなん読んでいられるのかな、という安定の卑屈な自己評価)

もう自然淘汰関係なくなってきてますが、話を戻すにも大変そうだし頭痛いので(笑)、またいつか話します。
障害者という事で生きていると、どうしても劣る自分についてとか、関連して優生主義的な事や植松君(←そう呼んでる)の起こした殺人事件についてとか、考える時もあるのです。主に暇した時に。

「間引かれて死にたい」
と言いつつ、天はそんな理由で死なせてくれないのも承知しています。
ついでに言うと、こういう時に出てきやすい「神様」的な存在はいると思っています。いると思っていた方が楽しいというか、考え事に便利というか。

……うーん、でもあんまりこういう事言わないでいた方がいいのかな。

まぁいいか。
なんだか思考や思索も好きなつもりでいましたが、最近自分の限界を感じています。

今日の所はそろそろやめにして、ほうじ茶ラテでもいただきます。まだ牛乳はあったかなー。

それでは、またいつか。

0169

なつまるです。
名字変わりてぇなぁ〜〜。
(※また唐突)

でも、私が思いついた事って大概現実逃避なので(個人的統計)、これで本当に恋人が出来そうになるとか、関係の進展を実感するとか、彼の名字になりそうな場面とか、そういう現実のいちいちにも私は逃げていくんでしょうね。
人生ここまで来ても何にも起きないのは、きっとそのせいだ〜〜〜。

でも最近では、そうやって何にも起きないで、周りにぶちぶち言ったり言われたり……のままで死んでしまってもまぁいいか、などと思いはじめました。
まぁいいかというか、そのぐらいがいい。中途半端にナニかあるのが一番良くない。

(……あれ?なんか結局死にたい系の話になってないか?)

でも最近、がんばってブログを書いた甲斐あってか、よく拍手がもらえます。
長い文章なのに、読んでいただいてありがとうございます。なんだかんだ言って更新は続けたいので、また読んでください。

という訳で、今回はここまで。
時間があるときにまた来ます。

0168

なつまるです。
「死にたい」でブログ検索かけたら、件数が多すぎて思わず笑っちゃいました。
更にそういう話題トピックも発見して、また苦笑いしてしまったり。

そうか、皆そんなに死にたい気持ちになるんだなぁ…(しみじみ)。

死にたいと思うのは、悪いばかりではありません。
こう言って自分を正当化する側面もありますが(笑)、例えば私が「死にたい」と言う時、その言葉は実際に死を迎えてしまいたいという意味ではなく、それだけでなくいろんなものを含んでいます。
(そして読者の皆さんの中にも、同志がいるのではと思います。ここではあまり追求しません、出来ませんが)

しかしながら
「死にたい!」
と周りに言って本当に死んでしまう人もいるらしいので、
「お前そんなん言ってても、どうせ死なないくせに!」
とか、
「はいはい、そんなに死にたきゃさっさとそうしなさいよー」
という態度もよくない、というのが一般論です。

むしろリアルで打ち明けられた場合には、慎重に慎重を重ねた脳内協議の末、追いつめられてやむにやまれず……みたいな感じの告白だと思うので、突き放さない方がいいとすら言えます。
でも答えは人それぞれ、もっと言えば両者がどんな関係を築いてきたかにもよる、つまり正解がない系の問いです。
これ以上、私に語れる事はありません。

なのでここからは、私自身「死にたい気持ち」をどうしているかという話です。
私は実際死なない派、かつ、図星つかれるとヤケになる派なので、うっかり「死にたい」とかこぼしたら、周りの反応で心が折れる未来しか見えない。
なので、死にたい気持ちになった時でも、あまり堂々と表明していないつもりです。つもりです…。

実際に死ぬかはさて置き、死にたいと思ったその気持ち自体に嘘はないので、
「死にたい」
と、言葉にしても嘘ではないのですが、
「んな事言って、どうせ死なないくせに」
という反応をされるのも当然で、正論とも言える。

だけどそう返された時、
・正論言われてムカつく
・気持ちをわかってもらえずムカつく
・以上を予測していながら、つい人に言ってしまった自分にムカつく
という具合に、とにかく腹がたちます。言わなきゃ良かったと思います。

――とまぁ脳内会議はこんな感じです。
なんですが、辛い気持ちは保持するのも辛いので、やる事としては「一旦眠ってしまえ!」というパターンが多いと思います(笑)。

その点、ブログは気持ちのやり場としては建設的に見えます。少なくとも寝るよりは(笑)。
ブログなら、特にひとりごとと銘打っていれば、誰かとのやり取りでは生まれるおそれもある、誤解や無理解みたいな所は気にしなくていいかもしれません。

そりゃあ、ブログにも読者がいるので、できれば皆さんの気持ちを考えて発言したいものですが、
「私は死にたい気持ちになった」
という発信にも、それはそれで意味があります。

というか、意味があるという事にしてください。
こっそり書いたにしても、閻魔帳やらひみつノートではなく、ブログに書いた意味。それを偶然でも暇つぶしでもなんでも、見つけた人がいる意味。
(どうでもいいけど閻魔帳って表現は通じるの?)

そういう…こう…なんて言うのか…偶然や気まぐれが重なりつつ、人の気持ちのいろいろが見られる(気がする)のを、ブログ巡りの楽しみとする方もいるのでは。
少なくとも、私はそういう所があります。
一番の理由は暇つぶしですが、たまにハッとする表現に出会ったり、信じがたい現実に心がピリッとしたり。

私の死にたい気持ちの根っこは、なんとなくずっとこのままのような気がします。
大きな心境の変化があればわかりませんが、ここの根の部分まで消えてしまうような超絶変化を迎えたら、その先にいるのはそれはもう私でないとすら思います。

(あれ?でも死にたい私が消えて、代わって特に死にたくない私が登場するなら、それはいいことなのでは…?)
(だけど死にたくない私ってなんか嘘っぽいな。変化してそうなるなら嘘じゃないのかな?いや、そもそも現状の私は嘘っぽくない私で合ってるのか?)
(全体的に…こう…真実味のある人間ではないという自覚が…うーん……。)


――と、死にたい気持ちから延々考えてみました。
結論らしきものはなんにもありませんが、これ以上文字にするのも忍びない、というかどんどん長くなる!!
考察の機会は前からありましたが、相手は大概ノートとかでブログにあげるのは初めて、いや、本当にそうだったかな??(笑)

……とか言ってまたループしそうなので、強引に終わります。
最後までお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。


なすなつまる 拝

0167

なつまるです。
いきなりですが死にたい。

この手の話をして、改めて人心キャッチが出来るとも思いませんが、
(程度の差はあっても、こんなの世の中にはありふれた感情だろうし)
それでもこうして、わざわざブログに上げたい気持ちになる事が、私にもあるんだなぁ。

あ、でも病んでこの方身体がきれいなのが自慢なので(しょうもない)、今回もなんにもしません。

またそのうち現れます。
おやすみなさい、かもしれません。

0166

なつまるです。
バスの運転手さんありがとう。

……という着地点をめざして、今日の話を始めます。オチありき(笑)
(※成立するのか?)

さて。
私の仕事場はいわゆるB型作業所ですが、「仕事場」というのは言いやすさ優先の便宜です。
実情は、福祉サービスの受給。スタッフの皆さんの支援を受けながら、お仕事なり作業なりをこなして、日常を送っている状態です。

つまり、
・私たちの仕事が成立するのは、支援あっての事である
・でも仕事内容どうこうより、基本的には福祉サービスである
・その主な目的は、障害者の就労継続支援である

……という訳で。
つまり何が言いたいかって、作業所は休んでないです。
むしろ、施設が閉まるとしたら誰かがコロナにやられた時です。仮に休みたくても、そんな事態望めるか。

だけど、受託作業は減りました。
(主に製造業さんからの仕事だったので…)
やる事が皆無な訳ではないので、なかなかその減少を実感しづらいのが…心情的にはやや助かる処です。
仕事に向かう気持ちというか、そういう意味で。
でも収入(工賃)にドカンと影響が出たりすれば、嫌でもモチベーションに直結しちゃうかなぁ(´・ω・`)

それにしても思うのは、一般の社会人の皆さんの事。
医療の現場は……ええ、もはや別次元だろうという所で想像を止めてます。自分の通院が来週なので、無事に済ます事を考える。
あと回っているのは、パッと思いつくのがスーパーマーケットとか。サービス業は皆そうでしょうか…。
福祉関係も、きっといつもより気をつける事が増えて大変なのでは、と思っています。
私は利用者の立場なので、毎日の検温と外出(主に仕事場、たまに買い物)に気を配るくらいですが。

その仕事場から帰るのに、今はまだ巡回バスを使っています。
公共交通機関はなるべく使わずに、とも言われているのですが……自力で帰りたい気持ちと、いつもあまりにも誰も乗っていないのとで(笑)、今日も悩みながら乗ってしまいました。
がらがらのバスを、それでもきちんと路線通りに走らせる運転手さんの、心境やいかに……。
私はなんだかさみしい(´・ω・`)
(※でも乗っているだけ)

……という訳で。
はたらく皆さんの仕事で、私たちの日々が成り立ってるんだ!!
という、当たり前でふつうの事実がなんとも身にしみる昨今です。

今日も運転手さんありがとう。
みんなみんな、ありがとう。
(※無事着地※)


……あ、読者の皆さんも、ここまでお疲れ様でした。
また長く話し込んでしまって、どうもすみません…まぁいつもの事か…(笑)。
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