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独占



「月森くん!」

練習室に入ろうとドアノブに手を掛けた瞬間、後方から掛けられた声に月森は振り返った。

「…日野」
「月森くんも今から練習?」

にこり笑って日野が言う。
その手には月森と同じくヴァイオリンケースがしっかりと握られていた。


「君も練習か?」
「うん、って言っても今日は練習室取れなくてさ。天気も良いし、屋上にでも行こうかなーって!」


──確かに今日の空はカラリと晴れ上がっているし、冬にしては暖かく、ヴァイオリンを外で弾くのもいいだろう。
そうか、と言いかけて、けれど月森の口から溢れたのは自分でも意外な言葉だった。

「………その、君が良ければ…一緒に練習しないか?練習室は俺が予約しているから」

「えっ!いいの!?」
「ああ、問題ない」

何を言っているんだと思いつつも、口は勝手に言葉を紡いでゆく。

「やったあ!ありがとう、月森くん」

瞳を輝かせ身を乗り出して喜ぶ日野を見れば、急速に心拍数が上がっていく。
惚けたように日野を見つめ続けていた自分に気づいて、月森は慌てて視線を外すと練習室の扉を開いた。




ガチャリと扉が閉じて、今まで聞こえていた様々な音が聞こえなくなる。
防音室なのだから当たり前で、今までだって日野と練習することだってあったのに今日はどうにも落ち着かない。

冷静を装いつつヴァイオリンを取り出せば、カラカラと軽い音がして。
月森は反射的に視線をそちらに向けて──

「………………日野……」
「なに?月森くん」

日野は相変わらずにこにこと笑っている。
その手は、窓枠に添えられており、開かれた窓からは爽やかな風がさらりと吹き込んでいた。

「ほら、風が気持ち良いでしょう?」
「……そうだな」

柔らかな風が髪を揺らし、けれど決して不快ではない。


──いつだって。
こんな風に日野に驚かされる。
月森の知らなかった感情を 感動を与えてくれる大切な人。


「あ、そうだ!今日練習室を使わせてくれたお礼、しなくちゃね!何がいいかな?」

日野がくるりと振り返って無邪気に笑う。

「いや、別に気にすることはない」
「だーめ!ね、何がいい?何でもいいよ」


どうやら引く気はないらしい日野を前に、少しだけ思案して。

「…では一曲、何か弾いてくれないか?」
「ええぇっ!?わ、私なんかが弾いてもお礼になんてならないよっ!」

先程までの勢いはどこへやら。
日野は顔を真っ青にしてブンブンと首を振り否定する。



「…君が何でも良いと言ったのだろう」
「うっ!」
「それに……俺は、君のヴァイオリンが聞きたいんだ」
「……下手でも…?」
「下手なのは知っている」
「!……月森くん、時々ぐさっとくること言うよね…」

はあ、とため息をつきながら日野がヴァイオリンをケースから取りだし始める。

「…聞いた後に、聞かなければ良かった、とか言わないでね」
「言う訳ないだろう」

そう言えば、少しだけ日野の顔が赤く染まったような気がした。

「じ、じゃあ行くよ!」

ヴァイオリンを構えた日野が弓を握る手に力を込めた瞬間。
月森は、彼女の名を呼ぶことでその動作を無理矢理に止める。


「…月森くん…?」

日野が不安げな顔で月森を伺い見る。
その視線を背に感じながら月森はすたすたと窓際へ歩を進めると、先程日野によって開かれたばかりの扉をガラリと閉めた。
眉を顰めている日野が何だか面白く、月森はくすりと笑う。


「…俺へのお礼なら俺だけが聞こえればいい」

みるみる日野の顔が赤くなり、どこかしどろもどろになっている。

一つ大きな息を吸い、日野が奏で始めた曲は『アヴェ・マリア』
辿々しく、けれど柔らかな音色を聞きながら、月森はずっと日野を見つめ続けた。
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いつか、また

己で決めた道のはずなのに、今こんなにも迷っている。


──香穂子を残し旅立っても良いのか。


正解なんてあるはずもなく、考え続けた所で答えなど出ないのに。

それでも。
それでもみっともなく考え続ける。
嘆いて、嘆いて、立ち止まる。


燻り続ける罪悪感を少しでも払拭しようとしているのだろうか。
沸き上がる寂寥に押し流されそうになっているのだろうか。




「月森くん」

「月森くん」


「大丈夫だよ、月森くん」

香穂子は言う。
大丈夫だと何度も何度も、まるで言い聞かせるように。
瞳に涙を一杯に溜めて、けれど懸命に笑って言う。




「大好きだよ」

「月森くん、大好き」


「大好き」

しなやかでたおやかで。
決して強くはないけれど、決して逃げることのない彼女。


いつか彼女の前に堂々と立てる人間になれるだろうか?
──いや、ならなければならない。

だって、こんなにも彼女を愛しているのだから。


これは一つの切っ掛けだ。
彼女と、音楽と。
正面から向き合うための。





「香穂子、俺はウィーンに行く」


「うん」


「いつかまた、君と出会いたい」


「うん、私も」



そして俺はまた、歩き始める。
もう一度彼女と出会うために。
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ぐらぐら

*「ふらふら」の零視点




「あ、ぜろ〜」
「………………お前、」
「へ?」

どこか焦点の合わない瞳。
いつにも増して真っ赤に染まった頬は、明らかにいつもの優姫ではない。

「顔赤いぞ」

そのままピタリと額を近づければ、優姫が「えへへ〜」とだらしなく笑う。
近づいた瞬間、一瞬香った妙な香り。

(………酒、くさい)

まさか、と思い近くに合ったサイドテーブルに目を遣れば、明らかについ先程開けられたばかりと思われる瓶が一つあった。
なみなみと入っていたはずのオレンジ色の液体は、もう半分近く減っている。

─オレンジカクテル。
見た目はジュースに近いけれどれっきとしたお酒である。
甘く飲みやすいけれど意外にアルコール度数は高く、つい飲みすぎて気がつけばフラフラになっていることも多い。

(……まさか漫画じゃあるまいし、こんなお約束なことするか、普通…)

しかし目の前に大真面目でそんなことをする奴がいる訳で。
はあ、と溜め息をつけば目の前でニコニコと笑っていた優姫が、突然、飛び付いて来た。

「おい!」

突然の重みに、後方に倒れ込みそうになるのを堪えながら声を荒げるけれど、優姫は全く聞いていない。
それどころか  まるで犬か猫のように  すりすりと胸に頬を擦り付けてくる。

──優姫に抱きつかれるのは決して初めてではない。
けれど、ここまでぐりぐりと密着されることは流石に初めてで。
しなやかなで柔らかな肢体に、どうしても体は固まってしまう。

「うふふー」

それでも優姫は嬉しそうに笑うから。
零は癖になった仕草で優姫の頭を撫でる。

「もっと〜」
「…はいはい」

いつもより格段に幼い言葉遣いが愛らしく、らしくはないと思いつつも優姫の頭を何度も撫でる。

(…撫でやすい頭だなコイツ)

心中で笑っていると、段々と優姫の体重が零に預けられている気がして。
そういえば酔っ払いだったな、と今更ながらに思い出し、零は取り敢えず優姫をソファーへ座らせた。
相変わらず優姫は零から離れようとしない。
「水を持ってくる」と言っても「嫌だ」の一点張りで、仕方なく零も隣に腰を下ろした。

「ぜろ〜」
「…」
「ぜろ〜」
「………………なんだ」
「えへへ〜」


──会話にならない。
けれどにへらと緩みきった笑顔の優姫を見ると、不思議と怒りは沸いてこず。
どちらかといえば胸がじんわりと温かくなって、零の頬も緩みそうになる。

「ばーか」

何だか悔しくて優姫の柔らかな頬を指でつつく。
真っ赤に染まった頬はまるで林檎のようだと思った。

「……あほ面」

いつもならば怒り出すはずの優姫も、うとうとしてきたらしく船を漕いでいる。


零の胸に頬を寄せ、小さな手で零の背を抱いて。
まるで、心の底から零を必要としているみたいに。

「……どうして……」
───俺なんか。

優姫はついに眠ってしまったらしく、規則正しい寝息が零の耳に届く。


側にいてもいいのだろうか?
こんな自分でも、優姫が望んでくれるなら、一緒にいていいのだろうか?


零は優姫を起こしてしまわぬよう体をずらす。
こんな所で眠れば確実に風邪をひくだろう。

小さな手を外そうとして、けれどその手は離れない。
頑なに、拒むように。
更に優姫は零にしがみつくと、安堵したように微笑んだ。


「………ほんと、馬鹿だよお前」

ぼそり呟いて、零は諦めて優姫を抱き寄せた。
これならば少しはましだろう。
二人風邪を引けばお互い様だ。


真っ赤な頬に一つ口づけを落として。
零もまた優姫の隣、眠りについた。



その後、帰宅した理事長が泣き叫びながら二人を叩き起こすのだけれど、それはまた別のお話。
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Rainy day




びゅーと音を立て横殴りの強風が吹き、香穂子は「ひゃあ」と肩を竦めた。
コートも着ているしマフラーも巻いているものの、寒いものは寒い。

「…凄い風だったな、大丈夫か?」

隣を歩く月森も寒さに眉を顰めながら、奇声を上げた香穂子に視線を送る。

「あ、うん!ごめんね、変な声出しちゃって…」
「別に気にしていないが…それにしても今日は寒いな」
「本当にね…」

空を仰げば分厚い雲が星空を覆い、どんよりとした陰鬱な空気を醸し出している。
冷たさと、どこか湿った空気が辺りに立ち込め、今にも雨が降りだしそうだ。

「…雨が降るかもしれないな、早く帰ろう」

香穂子と同じことを思ったらしい月森がそう言って。

「そうだね」

香穂子も同調すると、自然と二人歩調を早めた。
生憎、今日は天気予報を見ておらず香穂子は傘を持って来てはいない。
─そう言えば、今朝慌てて玄関を飛び出した際に後方から母が何か言っていた気がするが、このことだったのだろうか?
まあ気にした所で今更か、と何気無く思考していた香穂子の頬に、一滴の冷たい雫。

「………雨?」
「…降りだしたようだな」

参ったな、と月森がぼそり呟いた。
どうやら月森も傘を持ってきていないらしい。
ふと立ち止まった二人を尻目に、雨はボタボタと降り注ぐ。
大したことがなければ、このまま走り抜ければいいかと考えていたのだけれど雨は次第に勢いを増していく。

ヴァイオリンを濡らす訳にはいかない。
香穂子は自らのヴァイオリンにちらりと視線を向ける。
ケースに滴が付着しており、一刻も早くこの場所から避難させなければならない。
どうしよう、と辺りをキョロキョロと見回す香穂子の腕を、唐突に、月森が掴んだ。

「こっちだ」

そう言って月森は香穂子を近くの喫茶店の軒下へ誘導する。
いつの間にか手を繋ぐような形になり、それに気づいた瞬間、香穂子の頬に朱が走った。

(手!手!手ーーっ!)

寒さで感覚のなくなりかけた指先に、月森の熱が直に伝わる。
心臓がけたたましく鳴り出して、どうにかなってしまいそうで。

(う、うぅーー……)

香穂子は赤くなった顔を隠すように俯いて、月森に引かれるままに歩を進める。

狭い軒下に身を寄せ合うように二人、入り込んで、そこで月森の手が香穂子から離れた。

「…ヴァイオリンは?大丈夫か?」
「…あっ!う、うん!」

離れた手を残念に思いながらも、香穂子は頷く。

(残念って…なんで?)
最近、香穂子は自分のことが良くわからなくなる。
─月森といる時間は凄く楽しい。
別に今までが楽しくなかった訳ではないけれど、今までとは何か違う感じがするのだ。
胸の奥がきゅんと痛くなったり、たった一言に喜んだり悲しんだり、忙しない。



「そうか…良かった」

(…ほら、また)
月森が笑っただけで、胸がぎゅーっと締め付けられる。
志水くんの笑顔を見て顔が赤くなることがあるけれど、こんな風に胸が痛くなることはないのに。

「どうかしたか?日野」
「う、ううん!何でもない…」
「………そうか?」

月森は少し訝しげに眉を顰めたけれど、それ以上は何も言わず、ただただ空を眺めているようだった。

雨音だけが響く。

隣を伺えば、月森の端正な横顔。
髪が多少濡れているためか、いつも見ている月森とは違う人のようで。
またそれが香穂子を落ち着かなくさせる。

「……………」

続く沈黙。
濡れた髪からか、自分のものではない香りが漂い、充満する。
雨特有の、嫌に熱っぽい空気が香穂子の体温を上げていく。
それと共に心拍数も上昇しているようだった。

(…どうしちゃったんだろう、私…)

香穂子は更に顔を俯ける。

(………手、繋ぎたい、)

顔はこれ以上ないほど真っ赤に染まっているけれど。

そっと。
そっと。
香穂子は指先を直ぐ近くにある月森の指先に伸ばし、絡める。
暖かな体温に触れた瞬間、隣でぴくりと月森が反応するのがわかる。

─離されてしまうだろうか?

同じくびくりと反応し指先を引こうとした香穂子の指を──月森がそっと握った。
まるで壊れ物を扱うように優しく。
触れて、離れて。
きゅっと握りしめる。


(…どうしよ……)

(顔…上げられないよ…)


視線の先、雨で濡れたコンクリートの地面を様々な足が通りすぎていく。
目の前の景色が妙に遠く、ぼやけて感じる変な感覚。
耳には雨音しか聞こえず、月森と二人、まるで切り離された世界にいるかのような。
そんな錯覚すら覚えてしまう。

(……あつい よ)

香穂子は熱に浮かされたように、隣の月森に体重を預け寄りかかった。
─どくんどくん、と心音を感じるけれど、近すぎてそれがどちらのものかもわからない。

きゅっ、と。
再度指先を強く握りしめられて、香穂子はようやく顔を上げた。
ふと寄りかかっていた体を離せば、月森が此方に体を向けたのがわかる。
ふらふらと視線を向ければ、同じくどこか浮かされたような月森の瞳とぶつかって。
引き寄せられるように、二人の顔が近づく。

言葉はなく。
ただ、雨音だけが響くその場所で。


二人は初めてのキスをした。
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ふらふら



ほわほわとする意識の中、優姫は徐に重い瞼を開く。
目の前の景色はいつもと同じリビングのはずなのに、何だかぐるぐるして落ち着かない。

(…あれぇ?)

──私、どうしちゃったんだろう?
優姫はこうなった経緯を纏まらない意識の中で考え始めた。


(そう。確か、学校の後、理事長の居住スペースに帰ってきて)

(それから…机の上のジュースを飲んで…)

そこまで考えて、優姫の思考がまたとろりと霧散していく。
何だか一つのことを考えていられない。

(…ほわほわする…)

優姫が何とかソファーから立ち上がった時、後方からガチャリと音がして、誰かがやって来たことを伝える。
ふらふらと振り返れば、そこにいたのは今しがた帰宅した零の姿だった。

「あ、ぜろ〜」
「………………お前、」
「へ?」

優姫の姿を目に留めると、零は怪訝な顔でズカズカと近づいてきた。

「顔、赤いぞ」

そう言って、優姫の額に己の額をぴたりとくっつける。
目の前いっぱいに零の顔が広がり、何だか優姫は嬉しくなって。
にこにこと笑顔がとめられない。

「……お前、酒臭くないか!?」

ぎょっと零が目を丸くして、けれど優姫にはもう何もかもどうでも良かった。

「えへへ〜」

浮わついた心のままで、目の前の零の胸の中に飛び込んでみる。

「おい!」

あまり聞いたことのない零の焦った声が聞こえてきて、それが酷く優姫を楽しくさせる。
もっと知らない零を見てみたくて、優姫はぎゅうと零にしがみついた。

「こら、優姫…!」

零が慌てて優姫の肩に両手を置くけれど、どうやら無理矢理引き剥がす気はないらしい。
暫くして──はあ、と盛大な溜め息が聞こえてきたと思えば、頭を優しく撫でる感覚。
零が撫でてくれているのだと分かると、凄く幸せな気持ちになって。

「…もっと〜」

催促すれば、「…はいはい」と呆れ声とともに、何度も大きな手が頭を包む。


(嬉しいな、零がこんなに近くにいる…)

幼い頃は、こんな風に抱きつくことだって簡単なことだったのに。
流石に高校生にもなると、恋人同士でもない限り、こんなに近くで人肌を感じる機会はない。

(…あったかいな〜)

優姫はすりすりと零の胸に頭を擦り寄せる。
体にはもうあまり力が入らなくて、体重の殆どを零に預けている状態だった。

「…寝るなよ」
「はーい」

ふふふ〜と笑う優姫を零がそっとソファーに座らせる。

「ほら、水持って来てやるから…」

そう言って立ち上がりかけた零の服の袖を、優姫はぎゅっと握りしめた。
すこしでも離れていく体温が恋しくて堪らない。

「…行っちゃ、やだ」

まだしがみついて甘えていたくて。
優姫はよく回らない口を必死に動かしながら、零を見つめ懇願する。

「………………わかったから」

そう言って隣に座り直した零の体に、再度腕を回し抱きついて。

「うふふー」


優姫は今日一番の笑みを浮かべるのだった。
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