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とある晴れた日に@




冬にしては暖かい、昼間の休日の街角を一人歩く。欲しかった楽譜も買うことが出来たし、本屋にも先程寄った。
後は家路を急ぐのみだと歩調を早めようとしたその時。少し後方から、『月森くん?』と躊躇いがちに声を掛けられ反射的に振り返ったものの、そこに立つ人物を見て月森は目を瞬かせた。


「やっぱり!月森くんだ!」
嬉しそうに胸の前で手を合わたその女性は、絶えず笑顔を浮かべている。
膝丈の上品なワンピースに身を包み、くるくるとした髪を高い位置で結い上げて。薄いピンク色のワンピースに、防寒対策なのだろう白いふわふわとしたものが開いた首もとを覆っていた。そのコントラストと、髪に飾られた花飾りがとても華やかだ。

そんな洗練された雰囲気とは対照的に、どこまでも無邪気な笑顔を浮かべながら女性が近寄ってくる。空気と共に、ふわりと甘く優しい匂いが月森の鼻腔をくすぐった。
前髪から覗くぱちりとした瞳、ほんのりと色づく頬に、きらり輝く唇。


まさか。いや。
そんなわけない。

高速で急回転する頭とは裏腹に、手も足も全く動かない。脳が全ての機能を目の前の情報処理に費やしているのだろうかと思うほどぼんやりとした意識の中、月森は近づいてくる女性をただただ呆然と見つめた。


「…月森くん?」
何も反応を示さない月森に、目の前の女性が小首を傾げる。そのあまりに見覚えのある仕草はやはり彼女のもので、そこでようやっと月森は固く引き結んでいた口を開いた。
「………いや。 大丈夫だ、すまない。…こんな所で、君に会うとは思わなかったから」
「そういえば、こんな風に街でバッタリ会うのは初めてだよね!」
そう言って彼女、日野香穂子はにっこりと笑った。






「あ!暇だったら、お茶でもしない?この近くに美味しい喫茶店があるんだ!」
月森の返答より先に、こっちこっち、と香穂子は歩き出す。半ば引きずられるようについて行きながらも、ちらりと横目で伺った香穂子の表情がこの上なく楽しそうだったから まあいいかなんて思ってしまう自分が酷く気恥ずかしい。
彼女に恋をしているとようやく自覚はしたけれど、未だこの気恥ずかしさには慣れることは出来そうにない。

香穂子が動く度にゆらゆらと揺れるハート型のイヤリングを、ついじっと見つめていたことに気づいて月森はぷいと目線を逸らす。そんな月森を見て、少しだけしゅんと肩を落とした香穂子の様子に月森が気づくことはなかった。
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シアワセ




昼休み。
教室前の廊下は、皆が思い思いに行動するため大変混雑している。
がやがやと騒がしい中たまたま教室から顔を覗かせた香穂子は、普通科特有の黒い制服の中、ぽつりと目立つ白い制服を見つけ目をこらした。
すらりと伸びた背筋、色素の薄い髪、端正な顔立ち。

本人は無自覚なのだろうがどこにいても目立つ凛とした存在感。

「月森くんっ!?」

思わず声を掛ければ月森が驚いたように香穂子を見つめ立ち尽くす。
どこか気まずそうに目を泳がせる月森を疑問に思いながらも、香穂子は月森の側へ駆け寄った。

「珍しいね!月森くんが普通科に来るなんて」
「……ああ、まあ…」
「何か用事?」
「……まあ……」
「誰か探してるなら、私が呼んでこようか?」
「…い、いや…」
「…………月森くん?」
「…………………」

困ったように黙りこんでしまった月森に、香穂子もまたどう対応すればいいかわからない。
先刻は、気が付けば月森に声をかけてしまっていたけれど、もしかして凄く迷惑なことをしてしまったのだろうか?
考えだすと、自分が酷く悪いことをしたような気分になって、居たたまれなくなる。

「えっと…、なんか引き留めちゃってごめんね!じゃあっ…」
「…あっ!」

ははは、と力なく笑いながら背を向けようとした香穂子の腕を咄嗟に月森が引き留める。

「……へ?」

思いの外、強い力に驚きつつも月森を見やれば。

(つ、月森くん?)

そこにあるのはいつものポーカーフェイスではなくて。
普段より心なしか赤く染まった目元と、心の内の迷いをそのまま宿したかのような瞳。

「…気がついたら、その。…普通科まで、来ていたんだ…。」
「うん?」
「…いや、だから。その…」
「……?」

月森の言わんとしていることがわからなくて、香穂子は首を傾げる。
月森は何かと格闘するように、何度も言葉につまりながらも、何かを言おうとしているようだ。
短い沈黙の後、意を決したようにふーっと、一つ大きく息を吐くとしっかりと香穂子の顔を見据え、月森は重い口を開いた。

「…会いたくて、君に。気がついたら、ここまで来ていた。」

(会いたくて、って)
それは、つまり。

「……っ!!」

月森の言葉を理解するのに数秒費やして。
そして訳がわからなくなって。
体の芯が燃えるように熱くなって、香穂子は少しでも熱を逃がそうと、赤く染まっているだろう頬を両手で包み込んだ。
呆然と月森を見れば、今まで見たことのない顔をして香穂子の表情を伺っている。

恥ずかしい。
恥ずかしい。
恥ずかしい。
その衝動のまま、香穂子は思わず顔を俯けた。

(何か言わなくちゃ…)

そう思うけれど、喉はからからで心臓はバクバクで声にならない。
ただ時の流れが驚くほど遅く感じられる刹那。

(…何か…)
伝えなくては、と香穂子は両手を伸ばす。
赤くなった顔は上げられず、けれどしっかりと月森のジャケットの裾を握り締めた。
言葉にならない心を伝えるように、ぎゅっと握る。



「………初めて、なんだ。こんな気持ちは…」

力の込められた華奢な指先に、月森の大きな手が重なる。
力の入りすぎて白くなった指先を、そっとほどきながら月森は小さな声で囁いた。
耳に直接かかる吐息の甘さにクラクラしながら、香穂子はゆっくりと頭を上げる。

「この気持ちを、恋、と呼ぶのだろうか…?」

至近距離で重なる視線。
ほどかれた指先は、今は月森の硬質な指先と絡まっている。
一言一言、まるで確認するようにゆっくりと紡がれる言葉は、それ故に真摯的で。

「……私も、初めて、…なの。」
―こんなきもち。

なんとか絞り出せた言葉は少し掠れ気味で、けれど月森には十分に伝わる距離。

「…そうか」

ぽつり一言呟いて、あまりに優しく月森が笑うから。
どうしようもなく、切なくて、愛しくて
……たまらなくて。

「…だいすき」

そっと目の前の広い胸に体を預ける。
一瞬、月森が息を飲んだ気配がして、おずおずと背に回される腕。

「…君が、好きだ」

鼓膜に直接響くような声に、また心臓がけたたましく騒ぎだして。
香穂子はより強く、しがみつくように月森の胸に頬をすりよせた。
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帰り道




肩で切り揃えられた漆黒の髪が、優姫の動きに合わせて、さらさら踊るように舞う。

「ほら、零!早くしなくちゃ日が暮れちゃうよー」

零よりも数歩先を歩いていた優姫が、くるりと振り返り大きく手を振る。
バレないようにそっと溜め息をついた零の手の中で、カサリと買い物袋が音をたてた。



先程まで赤く色づいていた空にも、ぽつりぽつりと輝く星たちが姿を見せ始めていた。
晩御飯の買い出しを頼まれて、理事長宅を出たのが午後4時。
通常ならば一時間程で終わるはずだった買い物が予想以上に長引いた原因は、目の前を満足気に行く一人の少女。

買い出しの後、半端に残ったおつりで優姫がどーしても食べたいと駄々をこねた、杏仁★チョコクリームドーナツパフェスペシャル。
その名前だけで零の背筋には戦慄が走ったのだけど、実物は 想像以上だった。
これほど凶悪な食べ物を今まで見たことなんてない。
しかもそんなものを、あろうことか零にまで食べさせようとするのだから、あの時は酷く恐ろしかった。



「あのパフェ、ホントに美味しかったよね♪」

夕焼けに伸びる2つの影。
足取り軽く、食欲を満たされたからか鼻歌を歌いながら優姫が笑う。

「…甘過ぎだろ、あれ」
「甘いからパフェなんだよ!!」

拳を握り締め、良く解らない理屈を言いながら此方を睨み付ける優姫に、全く迫力などないのだけど。

「…はいはい」

こんなことで言い合うのもくだらなくて、零はずり落ちそうになった両手の買い物袋を握り直した。

「…重い?」

その仕草を目に止めた優姫が不安げな視線を零に送る。
寄り道をさせたうえ、零に半ば無理矢理パフェを食べさせた罪悪感でもあるのだろうか、心なしかしょんぼりしているように見える。
「…別に」

素っ気なく言った言葉。
本当は少しだけ指が痛いのだけれど、そんなことを言えば優姫のことだ。
自分が持つと言って聞かなくなるだろう。
それに、これ以上のペースダウンは望ましくない。


「お前はもっと大きく手を振って歩け」
「…なんで?」
「カロリー消費しないと…豚になるぞ」

「……、!!」

きょとんとしていた優姫の瞳がきりっと引き締められたかと思うと、みるみるつり上がっていく。

「零のぉ……馬鹿ーっ!!」

怒声と共に飛んでくる正拳突きを何とかギリギリのところで交わすと、恨めしそうに此方を見上げる優姫の瞳と重なった。

「ふんだっ!心配して損しちゃった!!もう零なんか知らないんだからねっ!」

肩を大きく上下させ、分かりやすい程に体全体を使って怒りを表現している。
馬鹿だな、と思いつつ少しだけ羨ましい。
こんなにも素直に喜怒哀楽を表現できたなら、どんなにいいだろう。

「お前に心配されたらもう終わりだ」

ふっとわざとらしく鼻で笑いながら、続ける言葉。
―本心ではない。
どうしようもなく零れる軽口。
どうやら自分は思っていた以上に素直ではないらしい。


「なにおーっ!!」

もう一度振りかぶった優姫の一撃を、これまた寸での所で交わし、あっさりと優姫を追い越して歩調を早める。

「ちょっと零!!待ってよー!!」

先刻まであんなに顔をしかめていたというのに、今ではもう置いてきぼりの子供のように不安な顔をして追いかけてくるから。

(…ばーか)

緩む頬はどうしようもなく俯いて隠すように笑う。
そんな零の後ろ、追い付いたのだろう優姫が零の上着の袖を掴むから、歩調をゆっくりと落としてやる。

「…早く帰るぞ」
「…はーい」


端から見ればこの関係は一体何なのだろう。
仲の良い兄妹か、それとも恋人同士なのだろうか。

どちらにしても優姫が側にいてくれるのであれば何でもいい。

 続く沈黙。
けれどけして不快ではなく、逆に優しく暖かいような、そんなむず痒い感覚。
それを振り切るように零は空を見上げた。

(俺は、これ以上なんて…望まない)

―きっとこんなに居心地の良い場所なんて他に知らないから。


少しだけ後方を振り返れば大人しく後をついてくる優姫の頭がすぐ真下に見える。
何気なく、いつの間にか染み付いてしまっていた癖で、小さな頭を撫でそうになるけれど、生憎今は両手が塞がっていた。

(…仕方ないな)

帰って荷物を下ろしたらめちゃくちゃに髪を乱してやろう、とこっそり胸の中で企んで。
零はまた少しだけ歩調を早めた。

家はもう、すぐそこ。
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