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春風

*土千



真上には、どこまでも青い空が広がっている。
季節はもう春を迎えようとしていた。
けれど暖かな陽気とは裏腹に、時折吹き荒ぶ風はまだ冬の余韻を残している。

その中でいつものようにちょこまかと、何がそんなに楽しいのか、にこにこと笑顔で庭先を掃いている少女。
風はまだ、切れるように冷たい。
全く、と土方は溜め息を着いた。
体を壊したらどうする。
庭先を見下ろす縁側から、その小さな背に声を掛けようとしたその時。
ざわざわと、葉が鳴った。
続いて全身を襲う冷たい強風に、鬼の副長も思わず顔をしかめる。
所謂『春一番』と言われる強風が、屯所を盛大に吹き抜けた。


ひりひりと、風が駆け抜けた肌が痛む。
あいつは大丈夫か、と声を掛けようとして、けれど土方の喉から言葉が漏れることはなかった。

春独特の、包み込むような柔らかな陽光と輝かしい新緑の中で。
風に思い切り弄ばれた髪を指先で整えているのは、土方のよく知る少女ではなくもう立派な一人の『女』だった。
何がそう思わせるのかは、よくわからない。
瞳か仕草か、雰囲気か。
子供だ子供だ、と思い込んでいた少女はもう『女』になってしまったのだと。
この時土方は唐突に理解した。
理解せざるを得なかった。
それほどの変化が、目の前の彼女にはあった。

「あ、土方さん」
何かご用ですか、と嬉しそうに千鶴がひとつに結った髪を揺らし駆けて来る。
「ああ、いや…」
にこりと微笑む少女の笑顔に、土方は曖昧に苦笑を溢した。
それは、もしかしたら自嘲だったのかもしれない。
きょとんと首を傾げた千鶴の頭をぽんぽんと軽く叩く。
「……今日は風が冷えるからな。お前の淹れる茶を飲みたくなった」
そう言えば、はい、とほんのり頬を染めて千鶴は笑った。
眩いその表情に、土方は目を細める。
「でしたら、今すぐお茶を淹れて参りますね!土方さんはお部屋で待っていてください」
律儀にぺこりと頭を下げ、少女は駆けていく。


「ったく。どうしたもんかな……」
土方の小さな独り言は、風に流されて瞬く間に消えた。

少女は恋をすると女に変わるのだと、以前島原で聞いたことがある。
男が思っているよりあっという間の出来事。
恋を知ることで蕾となり、愛を得ることで艶やかに咲くのだと、あの時は酒のつまみ程度に聞き流していた戯言が真実味を持って胸に迫る。
殊更満更でもない自分に、呆れを通り越して笑いすら込み上げた。


さらさらと、先程よりも柔らかな風が土方の頬を撫でてゆく。
出会いと別れを引き連れて、新たな風が人を、組織を、世界を、変えようとしている。

見上げた空は、やはりどこまでも青。
春がもう、すぐそこまで迫っていた。
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