「きっと、新しい毎日が待ってるよね…?」
いちごの囁くような声に合わせて、まるで互いの存在を繋ぎ止めるように絡ませ合っていたその指を、樫野が更に強く握り締める。
言葉はない。けれど痛いほど伝わるその想い。
ぴったりと隙間なく繋がれた掌だけが、今の二人の関係の全てだった。
【ほっとちょこれーと】
繋いだ手はそのままに、いちごはちらりと斜め上にある彼の顔を伺った。端正な顔はいつもと変わず、その瞳はただただ凪いだ川を見つめている。
続く沈黙に何か言わなければと思うけれど、もごもごと口を動かしてみても良い言葉は浮かんでこず、結局また口を閉じてしまう。
そうしてまた樫野へ視線を送ってみるものの、気づいていて気づかないフリをしているのか、はたまた本当に気づいていないのか、 樫野は前を向いたままこちらを見ようとはしなかった。
さらりと穏やかに吹き抜ける風が、樫野といちごの髪を揺らす。
ひやりとした柔らかな風が繋がれた掌を掠める度にその温もりを殊更に強調してはいちごの体温を上昇させる。
どくん、どくん、と脈打つ心臓は段々と早さを増してゆくけれど、不思議とそれを心地好いと感じている自分もいるのだから、益々どうすれば良いのかわからなかった。
それからほどなくして「……帰るか」とポツリ樫野が言った。
うん、と頷いたけれど、樫野と明日から会えなくなるのだ、と思ったらいちごの足は少しだけ重くなる。
たった一週間。されど一週間。
一緒にいることがいつの間にか当たり前となった今、ほんの少しの別れだって心細い。
時折、胸をきゅっと締め付けるように痛むこの気持ちを恋と形容していいものなのか。
それすらまだ自分には良くわからないけれど。
少しでも長くこの時間が続けばいい、と心なしか普段よりも遅れるいちごの歩調に、何も言わず樫野は合わせる。
静かな帰り道。
頑なに繋がれた手は、どちらからも外されることなく未だに絡んだままだった。
(…は、恥ずかしいよ〜)
このような甘やかな雰囲気に勿論慣れているはずもなくて、いちごは無意識にキョロキョロと辺りに視線をさ迷わせる。
けれどその度に街行く人々と視線を合わせては、彼らがどこかにんまりと微笑んでいるような気がして、いちごは思わず顔を伏せた。
二年前よりも大分伸びた髪がさらりと顔に落ち、いちごの赤く色づいた頬をそっと隠す。それが今はとても有難かった。
きっと自意識過剰なのだと思う。
こんなに多くの人が行き交う大通りで、自分たち二人のことなど誰も気に止めていないだろう。
そうわかっていても、込み上げてくる羞恥心はどうにも収まりそうになかった。
(……か、樫野は恥ずかしくないのかな…?)
そう思いちらりと伺ってはみるものの、やはりいちごからは樫野の後頭部しか見えずその表情までは読み取れない。
スイーツ王子と呼ばれているだけに、樫野は女の子に非常にモテる。女の子と手を繋いで歩く、だなんてもしかしたら樫野にとっては大したことではないのかもしれない。
そう考えると胸の奥がちくりと痛んで、いちごは樫野の手を少し強い力で握り締めた。
一瞬の後、あ、いけないと反射的に手を離そうとしたいちごの手を、けれど樫野は離さずに、先程いちごがしたようにぎゅうと力強く握り締める。
たったそれだけのことなのに、胸の奥がきゅっと痛んで感じたことのない幸福感がいちごの胸を痺れさせる。
(樫野は本当にチョコレートみたい……)
熱にうかされたようにぼんやりする思考の中でいちごは思う。
甘くて、時にほろ苦くて、こんなにも女の子を夢中に 幸せにさせてしまう存在。
「ずるいよね、樫野は」
「…何がだよ?」
そう言ってどこか機嫌悪そうに振り返った樫野の顔が、暗闇でも分かるくらいに赤く染まっていたから。
「何でもない」
いちごもまた赤く色づいた頬を隠さずに、にっこりと樫野に笑いかけた。