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Rainy day




びゅーと音を立て横殴りの強風が吹き、香穂子は「ひゃあ」と肩を竦めた。
コートも着ているしマフラーも巻いているものの、寒いものは寒い。

「…凄い風だったな、大丈夫か?」

隣を歩く月森も寒さに眉を顰めながら、奇声を上げた香穂子に視線を送る。

「あ、うん!ごめんね、変な声出しちゃって…」
「別に気にしていないが…それにしても今日は寒いな」
「本当にね…」

空を仰げば分厚い雲が星空を覆い、どんよりとした陰鬱な空気を醸し出している。
冷たさと、どこか湿った空気が辺りに立ち込め、今にも雨が降りだしそうだ。

「…雨が降るかもしれないな、早く帰ろう」

香穂子と同じことを思ったらしい月森がそう言って。

「そうだね」

香穂子も同調すると、自然と二人歩調を早めた。
生憎、今日は天気予報を見ておらず香穂子は傘を持って来てはいない。
─そう言えば、今朝慌てて玄関を飛び出した際に後方から母が何か言っていた気がするが、このことだったのだろうか?
まあ気にした所で今更か、と何気無く思考していた香穂子の頬に、一滴の冷たい雫。

「………雨?」
「…降りだしたようだな」

参ったな、と月森がぼそり呟いた。
どうやら月森も傘を持ってきていないらしい。
ふと立ち止まった二人を尻目に、雨はボタボタと降り注ぐ。
大したことがなければ、このまま走り抜ければいいかと考えていたのだけれど雨は次第に勢いを増していく。

ヴァイオリンを濡らす訳にはいかない。
香穂子は自らのヴァイオリンにちらりと視線を向ける。
ケースに滴が付着しており、一刻も早くこの場所から避難させなければならない。
どうしよう、と辺りをキョロキョロと見回す香穂子の腕を、唐突に、月森が掴んだ。

「こっちだ」

そう言って月森は香穂子を近くの喫茶店の軒下へ誘導する。
いつの間にか手を繋ぐような形になり、それに気づいた瞬間、香穂子の頬に朱が走った。

(手!手!手ーーっ!)

寒さで感覚のなくなりかけた指先に、月森の熱が直に伝わる。
心臓がけたたましく鳴り出して、どうにかなってしまいそうで。

(う、うぅーー……)

香穂子は赤くなった顔を隠すように俯いて、月森に引かれるままに歩を進める。

狭い軒下に身を寄せ合うように二人、入り込んで、そこで月森の手が香穂子から離れた。

「…ヴァイオリンは?大丈夫か?」
「…あっ!う、うん!」

離れた手を残念に思いながらも、香穂子は頷く。

(残念って…なんで?)
最近、香穂子は自分のことが良くわからなくなる。
─月森といる時間は凄く楽しい。
別に今までが楽しくなかった訳ではないけれど、今までとは何か違う感じがするのだ。
胸の奥がきゅんと痛くなったり、たった一言に喜んだり悲しんだり、忙しない。



「そうか…良かった」

(…ほら、また)
月森が笑っただけで、胸がぎゅーっと締め付けられる。
志水くんの笑顔を見て顔が赤くなることがあるけれど、こんな風に胸が痛くなることはないのに。

「どうかしたか?日野」
「う、ううん!何でもない…」
「………そうか?」

月森は少し訝しげに眉を顰めたけれど、それ以上は何も言わず、ただただ空を眺めているようだった。

雨音だけが響く。

隣を伺えば、月森の端正な横顔。
髪が多少濡れているためか、いつも見ている月森とは違う人のようで。
またそれが香穂子を落ち着かなくさせる。

「……………」

続く沈黙。
濡れた髪からか、自分のものではない香りが漂い、充満する。
雨特有の、嫌に熱っぽい空気が香穂子の体温を上げていく。
それと共に心拍数も上昇しているようだった。

(…どうしちゃったんだろう、私…)

香穂子は更に顔を俯ける。

(………手、繋ぎたい、)

顔はこれ以上ないほど真っ赤に染まっているけれど。

そっと。
そっと。
香穂子は指先を直ぐ近くにある月森の指先に伸ばし、絡める。
暖かな体温に触れた瞬間、隣でぴくりと月森が反応するのがわかる。

─離されてしまうだろうか?

同じくびくりと反応し指先を引こうとした香穂子の指を──月森がそっと握った。
まるで壊れ物を扱うように優しく。
触れて、離れて。
きゅっと握りしめる。


(…どうしよ……)

(顔…上げられないよ…)


視線の先、雨で濡れたコンクリートの地面を様々な足が通りすぎていく。
目の前の景色が妙に遠く、ぼやけて感じる変な感覚。
耳には雨音しか聞こえず、月森と二人、まるで切り離された世界にいるかのような。
そんな錯覚すら覚えてしまう。

(……あつい よ)

香穂子は熱に浮かされたように、隣の月森に体重を預け寄りかかった。
─どくんどくん、と心音を感じるけれど、近すぎてそれがどちらのものかもわからない。

きゅっ、と。
再度指先を強く握りしめられて、香穂子はようやく顔を上げた。
ふと寄りかかっていた体を離せば、月森が此方に体を向けたのがわかる。
ふらふらと視線を向ければ、同じくどこか浮かされたような月森の瞳とぶつかって。
引き寄せられるように、二人の顔が近づく。

言葉はなく。
ただ、雨音だけが響くその場所で。


二人は初めてのキスをした。
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