「あ!」

 練習後の帰り道。
 隣を歩いていた香穂子が、嬉々とした声を上げてある店の前で立ち止まった。
釣られ月森もまた立ち止まり、香穂子の視線の先を追う。
きらびやかなショーケースの中には、色とりどりの洋菓子が並んでいた。

「そっか〜!もうすぐハロウィンだもんね。このケーキ凄く可愛い!」

 そう言って香穂子が指差す先には、かぼちゃで作られたモンブランが誇らしげにショーケースの一角を占拠していた。
その隣には、愛らしい幽霊型のクッキーが寄り添うように置かれており、いかにも女性が好きそうな可愛らしい雰囲気がそこにはあった。
その証拠に、ショーケースの前には香穂子の他にも数人の若い女性がおり、皆一様にきらきらとした瞳で商品を眺めている。

「ねえ、月森くん?」
「…………なんだ」

探るような声音。
下からちらりと向けられる香穂子の視線。
正直、嫌な予感しかしない。

「ちょっとだけ、ちょっとだけ寄り道しない?月森くんの分は私が奢るからさ。ね、お願い!この通り!」
「……日野」

ぱん、と音を立てて胸の前で手を合わせると、香穂子は月森に頭を下げる。
案の定の提案に、月森はやや大袈裟に溜め息をついた。
が、そんな月森の態度にめげることなく、眉を下げた笑顔のまま香穂子は一歩も引く様子はない。

「駄目、かな……?」

先程とは打って変わって悲しそうにそう言われれば、月森とて無慈悲に駄目だと言い切ることも出来ず。
結局は月森が折れ、少しだけだからな…と疲れを滲ませた声で言う。

「やったー!本当はここのケーキ、ずっと気になってたんだけど流石に一人じゃ入りずらくて。ありがとう、月森くん!」
「……全く。あまり長居はしないからな。あと、俺はいらないから君だけ食べるといい」
「え!月森くん、食べないの?」
「いや、俺は甘いものはそう得意ではないから」


そう言えば、だったらしょうがないね、と香穂子が申し訳なさそうな顔をする。
けれどすぐに、ここは紅茶も美味しいらしいよ!と満面の笑みを浮かべ笑った。



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 ショーケースで販売だけをしているのかと思いきや、その裏手には小さな入り口があり、その中で買った商品を食べることが出来るらしい。
こぢんまりとした店内は、広くはないが、居心地良く感じられた。
一度友人たちと寄ったことがあるらしい香穂子の後に続き、奥の窓際の席に腰を下ろす。

 表で注文していた香穂子のモンブランがテーブルに届くのと入れ替わりに、月森用のダージリンを香穂子が注文した。
彼女曰く、ここの紅茶の中で一番のオススメらしい。

 店内に入ってから、ずっとにこにこと機嫌良さそうにしていた香穂子だったが、念願のモンブランを前にしてより一層瞳をきらきらと輝かせている。
いただきます、と手を合わせ一口頬張ると、幸せそうに瞳を蕩けさせる。

「ん〜、美味しーい!!」

香穂子らしい分かりやすい表情の変化に、月森の頬も自然と緩む。
寄り道などめんどくさくもあったが、こんなちっぽけなことでこれだけ幸せそうな顔をされると、まあたまには寄り道もいいのかもしれない、と思ってしまう。


 二人で放課後練習をするようになってから、彼女とこうして練習以外の時間を共にすることが増えた。
お互いそれなりに気を許せる仲になったということなのか、香穂子もこうして月森を用事に付き合わせるようになった。
以前ならば、無言で月森が一睨みすれば諦めていた彼女も、もう慣れたらしくその程度では屈しない。
月森もまた、彼女をコンサートに誘うようになったし、嫌な顔をしながらも彼女の用事に付き合う頻度が増えている。
特に最近は、完全に彼女のペースだ。
けれど、それを心底嫌がっている訳でもなく、結局はまあいいか、と受け入れてしまう自分の変化が不思議でもある。


「あ、そうだ!月森くんも一口食べて見る?すっごく美味しいんだよ!」
「いや、俺は……」

「はい」

 突然の提案に戸惑う月森を他所に、香穂子は嬉しそうにケーキを一口分乗せたフォークを月森に差し出した。
躊躇いのない笑顔を浮かべる彼女は、この行動が第三者から見ればどう見えるか、など全く気にしていないようだ。
そう言えば、つい最近同じようなことがあったと思い出す。
あの時はケーキではなくたこ焼きで側には土浦と加地がいたし、冷静な土浦の突っ込みにより、事なきを得たのだけれど。

 そのまま月森は三秒程固まって、けれど結局は香穂子の邪気のない笑顔に負けて、控え目に口を開いた。
あーん、と香穂子がフォークを月森の口に運ぶ。
言い様のない気恥ずかしさを感じつつも、意識している様子のない彼女の手前、自分だけ動揺するのも何だか悔しい。
赤くなった頬を誤魔化すように、顔は自然と不機嫌を装う。
どう?とにっこり笑う香穂子から視線を逸らしつつ、ただ一言、甘すぎる、と答えた。



 どこか居心地の悪い思いをしている月森を救うように、丁度良いタイミングで店員が紅茶を持ちやって来る。

「お待たせ致しました。ダージリンでございます」

「ありがとうございます」
礼と共に受け取って、早速一口含むと口の中の甘さがすっと喉奥に流され消えた。
ほっ、と一息ついた月森の前で、香穂子は嬉しそうに店員の女性に話し掛ける。

「このケーキ、とっても美味しいです!」
「まあ、ありがとうございます。」

にこりと穏やかに笑った女性は、そっとポケットから何かを取りだし、香穂子の掌に乗せる。

「え、これ…?」

 可愛らしくラッピングされた袋の中には、表にあった幽霊のクッキーが数枚と、ハート型のクッキーが二枚入っている。
注文した覚えのない商品に香穂子が不思議そうに首を傾げると、女性は茶目っ気たっぷりの笑顔を浮かべた。

「この時期だけ、ご来店下さったお客様に無料でお渡ししているんです。仲良しの可愛らしいカップルには、ハートをおまけ、ね」

女性の『カップル』という単語に、香穂子の顔が真っ赤に染まる。

「カップルなんてそんなっ!!」

 慌てて否定する香穂子と頬を染め眉間に皺を寄せた月森を交互に見遣り、女性は微笑ましげに瞳を細め、失礼しますと去っていく。

 残された二人の間には、案の定、気まずい空気が横たわる。
目の前の香穂子といえば、あれほど美味しい美味しいと言っていたモンブランに手をつけることなく、真っ赤な顔で俯いてしまっていた。
ようやく先程の自分の失態に気がついたらしい。
動揺を隠せずにいる香穂子のその表情に、月森の溜飲が少しだけ下がる。


「か、か、帰ろっか!月森くん」
「ああ」

上擦った声で席を立つ香穂子に続いて、月森も席を立つ。
夕日より赤い顔をした香穂子見て、胸になんとも言えない気持ちが広がった。


気恥ずかしいし、居心地の悪さを感じたりもするけれど。

今の月森は、既にもう、こんな時間も嫌いではない。