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変わらないもの

*王国パロ



それはふとした時に触れ合う指であったり、時たまに浮かぶ微笑であったり。
形こそ様々だけれど、どれも香穂子の心を捕らえて離さない。

蓮と香穂子はいわゆる世間一般でいう幼馴染みというものに該当する。だだ少し普通と違うのは、香穂子は一国の姫であり、蓮は公爵家の嫡男である、ということだけである。
そう、それだけなのに。


「…はぁ」
香穂子は今日何度目かの溜め息をついた。
広い自室に吸い込まれていく吐息を切なく思いながら、規格外に大きなベッドの上に身を沈める。
丁寧に整えられたふかふかのシーツに沈み込みながら、心も深く落ちていくようだ。


「…どうかなされたのですか?」

窓際から気遣わしげな声がかけられ、香穂子はガバリと身体を起こす。大きな窓を懸命に磨いていた冬海に香穂子は淡い微笑を浮かべ言う。

「…ごめんなさい。何でもないの」

一生懸命香穂子の身の回りの世話をしてくれている冬海に悪いと思い、香穂子はベッドから身を起こす。
動きにくいドレスの裾をつまみながら、冬海の側に歩み寄るとその隣に並んだ。

「ね、私もやってみていい?」
「だ、駄目です!香穂子様に、そっそんなことをさせるわけにはっ…!!」
「大丈夫よ。私、その辺のお姫様とは違うもの!」

自分でもよくわからない理屈を言いながら冬海の側にある布を手に取り掃除を始めれば、「…あ、香穂子様…!」と暫くオロオロしていた冬海だったが、止める気のない香穂子に諦めを覚えたのか、渋々自分の仕事を再開し始めた。

窓の外ではピピピと小鳥が囀ずり、室内にはキュッキュッと摩擦音が響く。
城内の誰かがヴァイオリンを奏でているのだろう、優しい音色が耳に届いて、香穂子は思わず手を止め聞き入った。
―蓮、じゃない、か。


「この音色…王崎さんでしょうか?」

同じように手を止め、耳を澄ましながら冬海が言う。

「うん。相変わらず温かな音色ね」

香穂子が笑って冬海も淡く微笑み返した。包み込まれるような王崎の音色に、香穂子はそっと口を開く。

「ねぇ、冬海ちゃんは『恋』をしたことある?」
「…え!?…こ、恋ですか?」
「うん、そう」
「…どうなのでしょう…私、そのようなことには疎くて……。も、申し訳ありません…」
「あ、ごめんね!!気にしないで!ねっ!」

申し訳なさそうに頭をもたげる冬海に、香穂子はぶんぶんと首を振り否定する。


「……私ね、今、恋をしているの」

突然の香穂子の告白に冬海が目を丸くする。

「そ、そうなのですか!?」
「うん。とっても素敵な人なのよ!」
「それは一度お会いしてみたいです!」

実は冬海は何度も会ったことがあるのだけれど、香穂子はあえて言わないことにした。
 いや、言えないのだ。
互いの家柄のこともあり、この恋心を公にすることは出来ない。
しかし、この胸に秘め続けた想いを誰かに打ち明けたいのも事実で。
香穂子は躊躇いながらも言葉を繋ぐ。


「……私は彼を異性として好きなのだけど、彼はきっと、私のことなんて妹程度にしか思っていないでしょうね」
「…香穂子さま……」

瞳を伏せた香穂子を、冬海が心配そうに見つめる。




ふと思い返せば、どんな時も蓮が好きだった。
恋の始まりも見えないほど、幼い頃から蓮しか見えていなかった。
それは近くに同じ年頃の男の子がいなかったからかもしれないけれど、でも蓮だったからこそここまで恋心を育んでこれたのだろう、と思う。
素敵なヴァイオリン、そしてそれ以上に魅力溢れる彼の人柄。



「…それでも………それでも香穂子さまは、その方のこと お好き、なのですよね?」

躊躇いがちに冬海が尋ね、香穂子は一瞬目を大きく見開く。
―そのとおり、だった。

「うん。そうね」
自然と頬が緩み笑みが浮かぶ。

冬海は大人しく少し抜けている所もあるが、その実とても聡い少女である。
彼女に話して良かった、と香穂子は思った。


「人の気持ちは変わるもの、というし。いつかあの人も、私のことを一人の異性として見てくれるといいのだけれど、ね」
「ええ!香穂子さまなら大丈夫です!わ、私、応援しています!!」

冬海が胸の前で両手を握り締め意気込むように身を乗り出す。
香穂子も同じように両手を握り締めると、冬海と二人微笑みあった。






『人の気持ちはいつか変わる』
それは希望であって、絶望でもある。
 自分のこの心も変わる時がくるのだろうか?
国のため。民のため、と蓮を諦めなければならない時が。

 いや、絶対に諦めない。
何の根拠もないけれど、この恋心は変わらないと信じたい。
一生、それこそ死ぬ直前まで。

香穂子は願う。
愛を成就出来ずとも、この心だけは守り続けたい、と。
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抱き締めてのサイン

いつもの帰り道。

去っていく背中が寂しくて、悲しくて。
思わず手を伸ばした。
白い制服の袖をぎゅっと掴む。


「……日、野?」

唖然とした月森の声が耳に届いたけれど、この手を離したくなかった。
その背に額を摺り寄せれば、ふわりと清潔な優しい香り。


「…全く、君は」

くるり振り返り、月森は困ったように笑う。


「………おいで」

広げられた両腕。
その胸に思い切り顔を埋める。
背に回した腕と同じ強さで抱かれる腕が嬉しい。



大丈夫。
大丈夫。
まだ大丈夫。

まだ時間はある。
まだ彼はここにいる。



「……大好きだよ」

「俺も、君がとても…とても好きだよ」




「抱き締めて」のサイン
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変わりゆくもの

*王国パロ



 大きな窓から、柔らかな日差しが降り注ぎ、蓮と香穂子を包み込む。
蓮が一曲弾き終わり弓を下ろすと、静寂が辺りを包み込んだ。
 いつもなら「ブラボー」だとか「流石ね蓮!」と、瞳を輝かせ拍手をくれる香穂子が何も言わず 平静を装ってヴァイオリンの手入れをしている蓮を、頬杖をつきじっと見つめてるものだから。

「…な、なんだろうか?」


 思わず漏れた声は、我ながら動揺が滲み出ていて情けない。
 しかし香穂子に蓮の動揺は少しも伝わらなかったらしく、うーん、と少し悩むような素振りを見せると、すぐにいつもの輝くような笑顔に戻り話し出した。

「あのね、ずっと思ってたんだけど」
「………?」
「蓮の音って、なんか、こう。不思議、だよね」
「……不思議、とは?」

 香穂子の言いたいことが今一つ分からず、蓮は訝しげに眉をひそめる。

「ほら、蓮はよくパーティーで演奏を頼まれるでしょう?」
「…まあ」
「いつも凄く上手だけど、今日みたいに二人だけの時に聞く音色は、何て言うか…すっごく素敵に聞こえるの!」


 不思議でしょ?と首を傾げながらも楽しげに話す香穂子から、蓮は思わず目を逸らした。
 自分でも気づかぬうちに、音色は言葉より雄弁に彼女への気持ちを歌っていたらしい。
 広いパーティーホールで貴婦人や名のある演奏家に聞かせるよりも、狭い室内で(といっても普通の部屋に比べれば十分広いのだが)まだ音楽の知識も乏しいたった一人の観客に聞かせるヴァイオリンの方が音色が弾んでいるなんて。
 自分のことながら、全く素直過ぎて困る。

 音楽というのは実はとてもわかりやすい。弾き手の感情次第で、同じ曲であっても全く異なるものになったりする。だからだろう、自分の気持ちはだだ漏れなのだ。
 蓮の音色はいつだって、どんな場所でも香穂子に向かっているのだから。


 今しがた一曲弾き終えたばかりのため余計気恥ずかしく、蓮は手で口を覆った。顔が赤くなっているのが自分でも分かる。その証拠に耳が妙に熱を持ち、熱い。

「蓮?どうしたの?」
「い、いや…」

―ああ、落ち着け。
 そう言い聞かせてみるものの、一度高ぶった熱はなかなか冷めそうにない。
 どうしたものか、と思案しながら香穂子を見れば、何もわかっていない様子の彼女がもどかしく。無意識の内にふいと顔を背ける。


「…君といる時間は特別だから仕方ないだろう」

 何かに突き動かされるようにポロリ、本音が転がり出て、蓮は慌てて口をつぐんだ。
 しかしもう遅い。

―自分は何を言っている?
羞恥と妙な高揚感のせいで意識がふわふわと落ち着かず、一瞬前に自分が何を口走ったかも曖昧だ。
ただただ、胸の鼓動だけが彼女への想いを叫ぶように鳴り響いている。

「…あ、いや…」
 今日の自分は一体どうしてしまったのだろうか。
先程から何度も口ごもる自分を情けなく思いながらも振り返れば。

「………………え…?」

 感情の揺れをそのまま表したような、か細い声と共に、香穂子が真っ赤な顔をして立っていて蓮もまた言葉を失った。



 彼女はいつまでも子供なのだ、と勝手に蓮は思っていた。そこが彼女の美徳であり、自分は変わらない彼女をもどかしく思いながらも、居心地の良さに安心しているのだ、と。
ましてや一国の姫として、周囲から沢山の愛をその身に受け生きてきた彼女には、『特別な人』だとか『恋愛』だとか、そういう曖昧な感情はまだ芽吹いていないに違いない、とか。
 今にして思えば、自分はどれだけ彼女のことを甘くみていたのか。いや、それは自分の密かな願望だったのかもしれない。

―変わりたくない、という幼い願い。
こうして二人で何気なく話して、過ごして。他愛ない話に微笑みを交わせるそんな時間を失いたくなかった。
 けれど。
当たり前に香穂子だって成長している。蓮が誰かを特別に想う感情を知ったように、香穂子だって成長しているのだ。
 身体以上にその心も。



 真っ赤な顔を隠すように香穂子が俯き、どこか気まずい空気が二人を包む。先にその空気を破ったのは、居たたまれなくなった蓮だった。

「……す、すまない」

一言何とか絞り出すと、手短かにあったヴァイオリンを掴み廊下へと続く扉を開く。

「…あ、うん…」

 扉を閉める直前、耳に届いた微かな声は酷く甘い響きを帯びていて。
 変わっていく予感を蓮は否応なく自覚せねばならなかった。
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「大丈夫?蓮くん」

放課後の練習中、ふいに香穂子に顔を覗きこまれ月森は戸惑った。

「…何がだ?」
「うーん…何となく?いつもより音が悲しそうだったから…」

そう言って香穂子は苦笑する。

「…そうだろうか?」

自分でも気づかなかった指摘に月森は目を瞬かせる。

「あ、大丈夫ならいいんだ!私の勘違いだったかも…」

そう言って香穂子は慌てて否定する。
しかし改めて胸に手を当ててみれば、月森にも少しだけ思い当たる節がある。

昼休みのことだ。
自分のことを快く思わない人間がいることは昔から知っていて。
だから、今日のように変な文句をつけられることなんて珍しいことではない。
だから気にしていないつもりだったが、先ほどの演奏にその苛立ちが混じってしまったらしい。


自分でも気づかなかった些細な変化。
それに気づいてくれる人がいる、というのはとても幸せなことだと思う。


「いや、…勘違いじゃない」
「やっぱり…何かあった?」
「…大したことじゃないから、大丈夫だ」

気遣わしげに尋ねる香穂子に笑いかけながら、月森は答える。
ただただ、その優しさが嬉しくて愛しくて。

「君のお陰で楽になった。…ありがとう」
「…どういたしまして」

えへへ、と香穂子が笑って、つられて月森も表情を緩めた。




音楽室、屋上、廊下、毎日通る通学路。
何気ない日々の中で、香穂子は月森の心の片隅に種を蒔いている。


ゆっくりと時間をかけて育っていくそれは、段々と大きくなって。

香穂子の笑顔を糧にして、大輪の花を咲かせたら。

ほら、愛が芽生えるよ。
今、ここにこの場所に。





(気づいたら、花畑)
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とある晴れた日にA


「…しかし…」
「…ふぇ?」


友達と先日見つけたお洒落な喫茶店。月森を半ば引っ張りこみながら早速注文した苺タルトを頬張ること二口目、エスプレッソに一口だけ口をつけた月森が香穂子に尋ねる。
「…今日は、何かあったのか?」
「どうして?」
「いや…、普段の君とは雰囲気が違うようだったから」

確かに普段の香穂子ならこんなに華やかな私服は着ないだろう。メイクだってこんなにバッチリ決めたことなんて初めてだ。

「今日はお姉ちゃんと買い物に来てたの」
「…そうだったのか」
「うん。でも会社のお友達から電話がきて、先に帰っちゃった」
「それは…残念だったな」

姉がいる、と知らなかったらしい月森が少し驚いた顔をしてエスプレッソに再度口をつける。先程からタルトを口に運ぶため世話しなく動かしていた手を休ませながら、香穂子は月森の端正な顔に視線を送った。


『残念だったな』と月森は言った。確かに姉が先に帰ってしまった時は残念に思ったけれど、その後すぐに月森の姿を見つけ思わず声をかけてしまった。
自分でも現金だと思う。その姿を目に留めた瞬間、姉にショッピングに誘われた時よりも嬉しかったのだから。

***************

「さあ、香穂子!今日はお洒落するわよ!」
「えっ!ちょ、お姉ちゃん!?」

遡ること数時間。日野家は朝から騒がしかった。
一週間ほど前から約束していた姉とのショッピング。臨時のボーナスが入ったから欲しいものを買ってあげると言われ、香穂子は密かに楽しみにしていたのだけれど。

「あのねぇ!好きな男の子にどこで会うかなんてわからないのよ?」
「で、でも…」
「大丈夫よ香穂子!!お姉ちゃんがとびきり可愛くしてあげるから!」

そう言って笑う姉に、こうなったら敵わないことは身を持って知っている。
ポロリと口が滑って、『好きな人が出来た』と話してしまったことを後悔するが、もう遅い。
「ほらほら、香穂子〜」
今まで浮いた話のなかった妹の変化が嬉しいのか、服もメイクも髪型までも全てを完璧にプロデュースして満足げに姉は笑った。


************


「……何か?」
「あ、ううん!その…やっぱり似合わないよね?私にこんな格好…」

自然と、早口でしりすぼみになる香穂子の言葉。目の前の月森といえばいつもと変わらぬ表情だから不安になる。

『綺麗だ』とか、『可愛いな』とか。そんな具体的な言葉が欲しかった訳ではないし、言われてもどうしたらいいのかわからないほど、きっと自分は混乱する。
でも期待していたことも事実で。
大人っぽいメイクもお洒落な服も最初は凄く気恥ずかしかったけれど、ショッピングの途中、何気なく覗きこんだショーウィンドウに映る自分の姿を月森に 好きな人に見て欲しいなと思った。だから本当に見つけてしまった時は、反射的に声をかけてしまったのだ。
他の誰でもなく、月森に誉めてもらいたくて。



「…いいんじゃないか?」
香穂子にとっては永遠に思えた長い沈黙の末、ぽつりと月森が呟いた。自然と香穂子の瞳が月森を捉える。月森も真っ直ぐ香穂子を見つめていた。

「いや、俺にはあまり女性の服装のことはわからないが……似合っている、と思う」

数秒遅れてやっと意味を理解して、頭で噛み締めているうちにだんだんと動悸が激しくなる。胸の奥がきゅっと痛んで、香穂子は思わず胸元を握りしめた。

「あ…ありがとう」
真っ赤に染まる顔を俯いて隠しながら、掠れそうな声で言葉を絞り出す。
ありがとうお姉ちゃん、と心の中でだけ呟くと、香穂子はそっと顔を上げ月森を伺い見る。案の定、目があって恥ずかしさは最高潮。それでも香穂子はにっこり笑った。
月森もまた淡く微笑み返し、暫し見つめ合う。言葉はないけれど、何より素晴らしい優しい時間。
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