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鬼にもなれば仏にもなる




月明かりが差し込む部屋の中、千鶴は敷かれた布団の上で膝を抱え身を縮こませる。
どうして、どうして父様。何故あんな物を作ってしまったの。
心の中で何度も繰り返すその問いに答えなど返ってくる筈もなく。
堂々巡りの問い掛けだけが、千鶴の頭を支配する。


人を鬼に作り替えてしまう妙薬、変若水。そして新政府軍に存在する大勢の羅刹隊を産み出したのは、千鶴の父、綱道だった。
裏切られたと思うのは、何だかかんだとありながらも心の奥底ではまさか父がそんなことをするはずがないと信じていたからだろうか。
しかし、今その淡い期待も打ち砕かれた。

千鶴を守り支えてくれた新撰組の力になりたいと千鶴は思う。
けれどその新撰組の進む道を阻むのは、最愛の自分の父親なのだという事実が千鶴の心を深く抉る。


信じられない。信じたくない。
けれど、それが、事実。

先程からじわりじわりと浮かんでいた涙がついに溢れ、ぼろぼろと熱い滴が頬を伝う。
漏れそうになる嗚咽を堪えるため強く唇を引き結んだ。より膝を抱え込み、強く強く頭を膝に埋める。


泣いたって何も変わらないのに。泣くな、馬鹿。


そう自分を叱咤するけれど、涙も嗚咽も止まってはくれない。
自分の非力さと皆への申し訳なさ、父親への怒りと愛しさ、それらの感情がごちゃごちゃになって波のように心に押し寄せた。
ごめんなさい。ごめんなさい。
誰に言うでもなく、心の中で何度も繰り返す。
時折引き結ばれた唇から漏れる、小さな嗚咽混じりの吐息だけが千鶴の聴覚に響いた。


ぎしり。
細やかな夜風が葉を揺らす音と千鶴の嗚咽に混じって、小さな踏み鳴らす音が鼓膜に届く。
その音は段々と大きくなり、千鶴の部屋の前で止まった。
一拍置いて、千鶴、と名を呼ぶ声がする。
無骨で厳しくて、それでいて深みのある声。

「土方さん……?」
「……入るぞ」

言うやいなや、ガラリと障子戸が開かれ月明かりに照らされた土方の姿が目に映る。
一瞬、その端正な顔立ちに瞳を奪われ、けれど今の自分の悲惨な顔を思いだし慌てて姿勢を正して顔を伏せた。

「な、何か御用でしょうか?」

上擦る声を誤魔化し、平静を装いつつ声を紡ぐ。
落とした目線の先、無意識にぎゅっと寝間着を握り締めた自分の両手が見えた。
続く沈黙。顔を伏せていても感じる、土方の鋭い視線に益々頭が下がる。

「……ったく」

先にその沈黙を破ったのは、土方の投げやりなようで柔らかな含みを持つ呟きだった。
土方は布団の上できちっと正座する千鶴の前に腰を下ろすと、右手を伸ばし千鶴の顎を捉える。
くいと持ち上げるその力に抗える筈もなく、あっけなく土方の前に千鶴の涙の残る顔が晒された。

「あ、あの」

何か言わねばと思うけれど、結局何も言えずに押し黙る。
間近で見る土方は不機嫌な顔をしていたけれど、すぐに困ったような顔で苦笑を浮かべた。

「餓鬼がこんな時間に、一人で泣いてんじゃねーよ」

そう言って、千鶴の瞳に残る涙を指の腹で拭う。
ぞんざいな口調とは裏腹に、その手つきはどこまでも優しい。

「泣いてたって何も変わらねぇだろうが。………お前は何の責任を感じる必要もねぇ。だからもう泣くな」

そう言って、大きな手が千鶴の頭をぽんぽんと叩く。もう何もかも土方にはお見通しのようだ。
いつもの鬼副長のものではない優しい眼差しが千鶴を見つめる。
引いた筈の涙がまたじわりと目尻に滲むと、土方は再度困ったように笑った。

「まあ、どうしても泣きたい時には美味い茶持って俺のとこに来い。愚痴くらいは聞いてやるよ」

はい、と言おうとした千鶴の口から漏れたのは意味もない嗚咽ばかりで、せっかく土方に拭ってもらった頬がまた涙で濡れていく。
あやすように背を撫でる大きな手が嬉しくて、千鶴はそっと土方の胸に寄り添った。

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