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降り積もる

手を伸ばせばふんわりと消えるそれがとても綺麗で、まるで彼のようだと思った。





「…日野」

聞き間違えることのない落ち着いた声が鼓膜を打ち、香穂子は顔を綻ばせ振り向いた。

「月森くん!普通科までどうしたの?」

気をつけていても緩む顔はどうしようもなく、心はまるで弾みをつけたボールのように勢いよく跳ね上がり香穂子の頬を淡く染めた。

「いや、今日は時間もあるし君が良ければだが…君の練習を見ることができるな、と」
「ほんとっ!!」

最近の月森は、自らの留学の準備で忙しいながらも香穂子の練習に付き合ってくれていた。
一人でも練習できるのだけれど全てを独学で行っている香穂子にとって、学校でもトップクラスの実力を持つ月森が練習に付いてくれることはとても有り難く、自分の中で色付き始めた恋心に気づいてからは何にも代えられない大切な時間になっていた。
それに月森の留学まで、もうあまり時間もない。

「あ!この間出来なくて月森くんに教えて貰ったところ、ちゃんと練習して出来るようになったよ!」
「……あのくらい出来て当然だ」

限りある昼休みの間、まだ月森と離れたくなくて話題を探し会話を振る香穂子に、素っ気ないながら月森も返事を返してくれる。
少し前ならば、『くだらない』と一蹴して去っていったであろうことを考えれば少しは仲良くなれたのかもしれない。

「…あはは」

月森の厳しい返答に苦笑いを浮かべながらも、やっぱり心は素直に喜びを訴えて香穂子の鼓動を高鳴らせる。

(…………あ、れ…)

何時もより激しく胸を打つ鼓動が、全身を貫くように香穂子の体全体に響いている。
目の前の普段通り 端正でそれゆえに凄みのある仏頂面の月森の姿が滲みだし、香穂子は慌てて顔を伏せた。
何故だか急に、つんと胸の奥が痛んだと思えば込み上げるわけのわからない激情。
───どうしよう。


「……………日野?」

香穂子の異変に気が付いた月森が声を掛けるが、今にも決壊しそうな瞳を見せることも出来ず かといって声を出せば震えてしまいそうで。
スカートを握りしめた手に不自然に力がこもる。

「おい、どうした?」

少し動揺したような月森の手が香穂子の肩に置かれ、柔らかく揺する。
このままではまずい、と咄嗟に月森の向こう側 視線を向けた窓の先にひらひらと降り始めたそれを見て、香穂子はすがるように窓に張り付いた。

「あ!雪だよ月森くん!」

あまりにもわざとらしいと自分でもわかっていたけれど、無理矢理に明るく話を続ける。

「もうそんな季節なんだねー!凄く綺麗!積もるかなぁ?」
「……このくらいだったら積もらないだろうな」


少し間を開けて聞こえた溜め息の後、月森が返す。
きっと香穂子の異変に気がついているだろうに何も言わないその優しさに、また潤み始めた瞳を隠すように空を仰ぐ。
真っ白な空から踊るように降る雪は、とても幻想的で昔から本当に好きだった。
子供の頃はその見た目から美味しいのかと思い口を開け走り回ったりもした。
流石に今はそんなことはしないけれど、不意にその時の気持ちを思い返し窓を開ける。

「…風邪をひくぞ」
「大丈夫だよ」

意外にも世話焼きなのか、月森の忠告を耳に入れながらも窓を開け放つ。
思いの外冷たい空気が肌を打ったけれどめけずに、慎重に手を伸ばす。

(…あっ)

ふわりと一粒確かに香穂子の掌に落ちた雪は、次の瞬間には消えてしまった。

「…あーあ」

ぽつり呟いた吐息は白く空気に溶けて。
触れたら消えてしまう雪はまるで月森のようだと苦く思った。

──冷たくて綺麗で、憧れて。
だけど絶対手に入らなくて。



突如、カタリと鳴った窓枠に俯けていた視線を上げれば。


「つ、月森くん!?」

香穂子のすぐ隣で月森も同じように手を伸ばしていた。

「人肌では溶けてしまうから。…ほら」

香穂子の前に差し出された月森の腕。
白い制服にそれは少し分かりにくかったけれど確かに小さな結晶が原型を留めたまま付着していた。

「………………綺麗」
「これが見たかったのか?」

惚けたように見つめる香穂子にかかる呆れを含んだ月森の声。

「…うん!」
「…君は子供のようだな」

相変わらず物言いは素っ気なかったけれど、その瞳は酷く優しく細められていて。
また一つ、とくんと香穂子の胸が鳴った。
窓からささやかに侵入した冷たい風が、見つめ合う二人の髪を揺らす。

「 そろそろ窓を閉めよう」
「 そうだね」

どちらともなく視線を外し、月森が不自然に香穂子に背を向ける。
香穂子もまた窓を閉め、そのままそっと熱くなった頬を冷やすように随分冷えた窓にすり付けた。
瞳を閉じて心を落ち着かせれば、締め付けるように切なく痛んでいた胸が、今じんわりと暖かい。

(…やっぱり、雪みたい)

冷たくて綺麗で、憧れて。絶対に手に入らないと思っていたけれど。
消えた後に残るじんわりと胸に染み入る暖かさは、確かにここにあった証拠。


しんしんと降り積もる雪が校庭をうっすらと染めていく。
優しい気持ちのまま、香穂子はそっと瞳を閉じた。
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