真っ白な空間の中で。
何度も、何度も。ただひたすらに、名前を呼ばれる。苦し気に、いとおしそうに呼ばれる、自分の名前。

「優姫」
「なに?」
「優姫」
「どうしたの?」
「優姫」
「ん?」
「優姫」
「なあに?」
「優姫……!」
「……ん、零」

目の前の銀髪の青年は、ただひたすらに優姫の名前を呼び続けた。
手を差し伸ばすこともせず、今にも泣いてしまいそうな張り詰めた表情で。ただ唇だけを必死に動かし、此方を見つめている。
いっそ泣いてくれればいいのに、と優姫は思う。幼い頃から零は一度だって、優姫の前で泣くことはなかった。どんなに辛くても、生きることに絶望しても、絶対に。涙を流すことはなかった。
泣いてくれれば、いいのに。思いも悲しみも憎しみも全て、吐き出してくれれば受け止めてみせるのに。
そう何度も思ったけれど、結局未だに一度もそんな零を見たことなどない。


「優姫」
「…どうしたの?」

何度繰り返したのかわからないやり取り。さっきから何度もこの調子だ。
きっと、これは夢なのだと思う。その証拠に、今の優姫の髪は短く、着ているものも懐かしい、あの学園の制服だった。


「優姫」
「ん、聞こえてるよ」
「優姫」
「ん、零」

先ほどから飽きることなく、零は優姫の名を呼ぶ。呼び続けている。
何度も、何度も。縋るように、求めるように。来て欲しいとねだるように。

「優姫」
「ん、」

幾度となく繰り返される呼び掛けに答えるように、優姫は零の胸に寄り添った。胸に頬を擦り寄せれば、零の腕が呼応するように動き優しく優姫の体を抱き締める。夢だけれど、触れた体は記憶の通り、暖かかった。

夢ならば、このまま覚めなければいいのに。
優姫は零の腕の中、悲しげに目を細め笑う。
こんなに名前を呼ばれて。こんなに優しく抱き締められて。零には自分が必要なのだ、と幾度となく求められる。それは、なんて素敵な夢なのか。
夢は願望の現れというけれど、ならばこれは優姫の生み出した願いの欠片。縋りついているのは、紛れもなく自分のほうなのだから。




どれほどそうしていたのか。零の抱き締める腕の力が緩み優姫が顔を上げると、こつんと額がぶつかる。
さらさら、と零の長めの前髪が優姫の頬を擽った。
懐かしい匂いを感じながら、優姫は少し伸びをする。意図を察してくれたのか、零が少し背を屈め難なく唇に触れることが出来た。

軽い音と共に離れる唇。零は何も言わない。だから。

「もう一回」
ねだるように首に腕を回せば、降りてくる優しい口付け。
「もう一回」
「もう一回」
何度も、何度も。
「もっと」
「沢山、」
「零、お願い」
「もっと……」

ねだればねだるだけ、与えられる口付け。浅く、時には深く。優姫の願う通りに。

「ねぇ、零。私のこと、好き……?」
「ああ、好きだ」


間髪入れずに返って来た答えは、確かに零の声だけれど。それは優姫が望む答えだけれど。

「……零は、きっと、そんなこと言わない」

ポロリと、優姫の瞳から涙が零れ落ちた。
優しい、優しすぎる夢。だからこそ、悲しすぎる、夢。
本当にどうしようもない、現実逃避だとわかってはいるけれど。
それでもまだ、厳しすぎる現実から逃げ続ける、楽園の夢を。
どうか。