こんにちは。13です。
当文芸部では、部内から作品を募り、その中から部員たちの投票で選んだ作品を関学新聞に掲載させていただいております。
そこで、掲載終了した作品及び掲載候補を公開することにしました。
今回の作品は、2011年9月の関学新聞に掲載された短編作品です
『ご機嫌かい、シェルター?』 作・旅田 暇
大人になってそこそこお金を貯めた後、僕は自宅の地下にシェルターを作った。逃れられない死……例えば核爆弾や化学兵器と言ったようなものに備えることを目的とした、強迫観念の産物だ。
しかし案の定とでも言うべきか、シェルターを使うべき機会は今日、つい先ほどまで訪れなかった。僕はそこそこ平和な国に暮し、一度も戦争やテロを体験することがなかったからだ。
作られたシェルターにしてみればたまったものではなかっただろう。それが僕にとっての平和であったとはいえ、自分自身の機能や目的が果たされることはまるで無かったわけなのだから。だから僕は、せめてもの慰めにと、週に一度は地下に降りてシェルター内で眠ることにした。そこで眠ると毎夜奇妙な夢を見る。夢の中で僕はシェルターに問いかけているのだ。「ご機嫌かい、シェルター?」まるで恋人に囁くかのようにゆっくりと。彼女は答えてくれない。目覚めても、シェルター内はしんとしている。彼女は常に不機嫌だった。
活躍する機会は今夜、急な形で訪れた。テレビが速報としてこんなニュースを流したのだ。「明日、宇宙の彼方から巨大なミサイルが飛来し、地球を粉砕します。科学的な結論では、この災厄を逃れる術はありません」アナウンサーは何日も前から知っていたような口ぶりでそう言った。報道管制でもかかっていたのだろう。そして彼は最後に、無神論の蔓延るこの国には似つかわしくないことを言った。「祈りましょう。せめて、死んだ後に素晴らしい場所へ行けることを」
そういうわけで僕は今日、シェルターで眠る。初めてこいつの本領発揮というわけだ。しかし、皮肉なことに今回の災害は家庭用の小型シェルターごときで耐えられるものではない。いや、どんなに素晴らしい防御設備だって、宇宙産のミサイルには敵うまい。人間の作品なんてそんなものだ。シェルターだって。だからこそ愛着も湧く。
シェルターの蓋を閉じて、喧しい地上と袂を分かつ。床に寝そべって、天井をじっと見つめる。不意に子供のころを思い出した。ひどく幼いころはまだ、死を怖れていなかった。遥か下に滝壺を臨む場所で、石飛びをして遊んだりもしたものだ。
十歳になったころ、ベッドに横たわって夜の闇を見つめている時、不意に死が怖くなった。自分自身の考えや思いが消失するということが想像できなかった。その夜は泣きに泣いた。
しかし今、実際の死に直面すると、さほどの恐怖は感じない。死んだ後に素晴らしい場所なんて無いということも知っているのに。どう足掻いても無駄だからだろうか? それもある。しかしそれ以上に、自分が死を怖れるほど尊大な存在でないと気付いたのだ。子供のころはそうじゃなかった。まだ、自分の可能性を信じていた。自分には役目があると思っていた。しかし、たかが八十年の寿命では何も出来やしない。誰だってそうさ。しかし、僕にとっては、僕自身は尚更だ。
僕は初めて現実で彼女に囁く。「ご機嫌かい、シェルター?」僕はご機嫌だ。色々気付いて、諦めもついたから。
さて、君はどうだろう? 最初で最後の役割に、満足できるだろうか?