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部内活動「四月新入生歓迎読書会」

どうも、こんにちは。副部長の中石です。お待たせしてしまって申し訳ありません。

2012年四月に関学文芸部内にて行われたいわゆる「新歓読書会」活動の報告になります。


今回課題図書となったのは芥川龍之介の短編『羅生門』でした。今回は新入生が初参加する読書会であり、課題も中学高校までの間に慣れ親しんだ、至極有名な物をとの基準から選出いたしました。今では青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/127_15260.html )からでも全文を読むことが出来ます。


その読書会ですが、初読後の感想は「昔は老婆の因果応報譚として読んでいたが、今だからこそそれ以上の見方がある気が」あるいは「全体的に出てくる動物に注目していた」といった意見、「勇気を取り巻く下人の心情の変化」、「教科書に載るほど語り継がれるに足る作品なのはなぜか」を問題提起していく部員や、高校時代に「羅生門のその後」に思いを馳せた事のある部員、『今昔物語』の関連を挙げる部員、そして羅生門を授業で取り上げた際にほぼ注目される一つの視点「境界線論から羅生門を読み解く」ことも言及が及びました。

この境界線論とは、羅生門の本文中に何層にも埋め込まれている『境目』の構造に着目することで、例えば作中の時代は「平安時代の末期」という『時代の境目』であったり、羅生門は『洛中と洛外の境目』にあったり、下人は「にきび」を持つ『大人と子供の境目』であったり、時間も夕暮れ時『昼夜の境目』であったりと、実は「中間的、ニュートラルな状態」が舞台設定としていくつも重なっていることが見えてきます。

この吊り合った天秤の上で絶えず揺れる下人が、最後にはどちらに転ぶかというのも、作品の肝となっているように思われます。


さて、そのような状態で議論がスタートしましたが、まず初めに「下人」や「老婆」といった単語、こういった貧しい人は多い中でこの人々を題材にした事に対する意味付けにクローズアップしていく提起もありました。それは今昔物語の元ネタによるとする意見もある中で、しかしそれ以上に「生についての深い問題に直面するための下人」「困窮の末に見ることで成立する生の問題」といった意見も出ており、生きると言う事が全面に滲んでいることを感じる部員もいました。

その上で「下人の最後」というものを意識する部員は多く、「下人は羅生門を降りた後どうなったのか」といった事を推論する向きもありましたが、一方で「下人の行方は、誰も知らない」という本文を読み取り、「下人がこの先どうなったのかは誰も知らない(=誰も知ったことではない)」という解釈を成り立たせる部員もいました。あるいは、それを読者に対する問いかけと見る方もいました。元々この小説にはその後にも二三節の文章が続いていたものを、芥川が発表する前に削ったというエピソードも飛び出し、この後に推論を足すのもやや蛇足なのではとの主張もありました。


また、ここまでの読書会の中で下人の行動の揺れ動きと是非について『善と悪』というように表現する方が多かったのですが、本文中ではどちらのエッセンスも「勇気」と称されており、「生きるために何でもする」というのも一つの勇気であると言えます。そこで一概に『善悪二元論』というよりはむしろ『生死二元論』として展開するべきか、といった意見もありました。荒廃した社会からさらに外れた人々の善悪に果たして社会的意味があるのかという視点もありました。


次に、カラスが冒頭で飛び回っているなど、作品の表面的な絵や構図に話が及び、昆虫や動物の類が頻繁に登場し、視点が揺れ動くのはどういったことかという話になりました。が、その中でこれは映画の黎明期だった当時を踏まえて、「カメラの視点で物を見る」のを文章として実践したのではないかという言葉が出てきました。

そしてこの作品は「下人にとっての分水嶺を象徴的に書いている」という言葉も出てきました。「にきびをいじる」という下人の行動にも無意識的に出てきているわけですが、最終的な結論が出るまでに二転三転した結果、結局生きていくには理想論のままではいられないという『大人になる通過儀礼』として捉え、まただからこそ「高校の教科書に載っているんだ」という非常に興味深い意見も飛び出してきました。またこの時いじっていたにきびは「右側」にあり、世界的に見ても「右側」は「正しい」に通ずる言葉であることが多い(英語のrightなど)こともあり、それを気にしながら老婆の話を聞く下人という構図も面白いといった発言がありました。

「旅の者」であるという嘘、羅生門の老婆が「得体の知れなかったもの」から「小悪党」に変わってしまうことで、相対的に正義もまた小さくなっていき、肩透かしのような形になっていったこと。聖柄の太刀を握り、正義に浸っている未成熟な下人は、ある種大人として成熟した老婆に背中を押される形で「生きること」を選択したと見ることもできます。

そして、「羅」という言葉には「取り囲む」という意味が内包されている(身近な所では網羅など)ことを踏まえた上で、「生を取り巻く門」として題名が『羅生門』と銘打たれたのではないかとする、これまた面白い議論になっていきました。


このあたりで読書会は終了の時間を迎えたのですが、今回は入ってきたばかりの新入生の方からも多くの発言を頂き、また読書会へ初めて本格参加し、活躍した部員などの姿も見られ、全体的にも良い雰囲気の読書会になったと思います。


次回の読書会ですが、なんとこの記事の更新日です。つまりこれから五月の読書会が行われます。更新が遅くなってしまい大変申し訳ありませんでしたが、本日の五月の読書会に関してもこのブログで必ず活動報告させていただきますので、何卒よろしくお願いいたします。


それでは、長文失礼致しました。部内活動報告でした。

【部員向け】wordファイルのPDF変換手順

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