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当文芸部では年7回、部内誌を発行して作品を見せ合い、合評をしています。また、課題図書を設けて議論を交わす読書会や、他大学さんとの交流行事、合宿や学祭などのイベントもあります。 どうぞゆっくり文芸部の日常の断片をご覧下さい。
こんばんは。部長の13です。
こんばんは。13です。
当文芸部では、部内から作品を募り、その中から部員たちの投票で選んだ作品を関学新聞に掲載させていただいております。
そこで、掲載終了した作品及び掲載候補を公開することにしました。
今回の作品は、2011年6月の関学新聞の掲載候補となった短編作品です。
『街路と記憶をめぐる考察』 作・ヨア
電車から吐きだされる。そこから生まれて改札のあたりで渦巻き、さらに遠くにまで伸びている雑踏。その間隙を縫うように私は進む。電灯に惹かれて飛ぶ蛾のようだ。改札を越え建物の外に出て、夕方のオレンジ色の空の下、派手なファッションビルと喧噪の合間でそんなことを考える。事実、私は頭の中にある光景を求めてふらふらとこの街に来ているのだった。この前一瞬だけ見た、都会の隙間の空気を纏った場所にある喫茶店。その憂いを含んだ佇まいを思い出すと、無性に気になって堪らなくなる。ごちゃごちゃとした雑居ビルの並びを歩きながら尚も考える。その喫茶店に限った事ではない。例えば電車の窓から見えた河原と橋だとか、いつもと違う道を通った時に見た全く知らない住宅街とかだってそうだ。それらが断片的な記憶であればある程、ふとした拍子に思い出しやすくて良い。ほんの短い間ずつ、追憶を重ねるごとに、その光景がありありと眼前に迫ってきて、ついにはそれを求めて彷徨い出るまでになる。
記憶にはきっと、麻薬みたいな効果があるんだろう。一度味わった新鮮な感動を飴のように転がして舐めるごとに、甘美さを増していく。いつしかその飴の味に慣れると、無くなると無性に淋しくなって、口いっぱいにその飴を頬張りたくなる。自分でその記憶から自分を逃れられなくしているのだ。
有名な雑貨屋の横を通り過ぎれば、通りの向こうには妙に西洋風の豪奢な造りをしたアパートが見える。少し前に観た古い映画のワンシーンに似ていて、その窓を少し開けて、帽子を被った金髪の娼婦が手招きでもしていそうだ。その官能的な連想から、チラリズム、という言葉が不意に浮かぶ。それはすとん、と先程の考えに似つかわしい表現として腑に落ちた。私はその言葉が気に入って、信号待ちの間に脳内でくるくると弄ぶ。風景のチラリズム、なんて言葉を編み出す。何度も再生される理由はそれか。散々振り回されている奴の尻尾を掴んだような小気味よさを感じて満足した。
前を見ると、高架が目に入る。高架から長く伸びる横断歩道がある、と思った瞬間、もう何度となく脳内で再生した、もうあの時の気持ちでは行ける筈もない、あまりに似た場所の記憶が、まるでフラッシュバックのように襲ってきた。
昼間の日差しが漏れた横断歩道を歩けばその向こうには近代的でぴかぴかした建物、青色の看板で有名な本屋があって、そのつきあたりまでまっすぐ歩けば新品、中古問わず扱う漫画屋に、球体関節人形の洋服を扱う店がある。日の差し込む明るい匂いと眩しさ。信号が青に変わる。脳内はその記憶にすっかり支配されて、妙な高揚感と、祈りにも似た思いで踏み出す。さらに先に行けば有名なビルがある。まるでその横断歩道なのだ。頼むからそうであってくれ。
視線を上げた先にあったのは、夕日に照らされた、さっきと同じ胡散臭い西洋風のアパートである。そこから歩けば個性的な雑貨屋が連なっていて、現代アート贔屓の画廊があって、あのカフェがある。当たり前だ。何を期待したのか。完全に操られていただけの自分。そこから解放された私は、阿呆みたいに半開きになった口から、ただただ空に向かって、自嘲めいた、乾いた笑い声をあげた。
こんばんは。13です。
こんばんは。13です。
こんばんは。13です。
本日は神戸大学の文芸研究会さんにお越しいただいて合同読書会を行いました。
課題図書は創元推理文庫「空飛ぶ馬」。北村薫のデビュー作ですね。
ミステリー作品の初の読書会という良い機会を得て、自由で活発な議論を行うことができました。
男性による女性視点、作中でのジョークなど、様々な着目点で語り合えました。
昼食会、夕食会でも、にぎやかに交流を深められたように思います。
皆様お疲れ様でした。そして神大文芸研究会さん、これからもよろしくお願いします。
地 域 | 兵庫県 |