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読書人大賞推薦文

部内活動「十二月読書会」

こんにちは。新年明けましておめでとうございます。副部長の中石です。


と挨拶した手前いきなり昨年の話しになり恐縮ですが、2011年の暮れに当関学文芸部内にて、「十二月読書会」と呼ばれる活動が行われました。



この読書会というのは、月ごとに関学文芸部内で無作為に「課題図書」として選出された出版作品(小説)を読み、それを踏まえた上でその解釈や技法論に関しての議論を交わすイベントで、およそ一ヶ月〜二ヶ月に一度ほどのペースで行われています。



部内で「十二月課題図書」として選出されたのは、三浦綾子氏の長編『塩狩峠』(新潮文庫)でした。


この話は、まだ日本にキリスト教に対する差別意識が根強かった近代において、この異教との関係に懊悩しながらも、最期には大勢の人を救うために聖書の言葉に殉じたひとりの男性を描いた作品です。この主人公には実際にモデルとなった人物が存在し、彼もまた北海道の塩狩峠で殉職しています。


長編ではありますが、「正しく生きるとはどういう事か」という苦悩のテーマが一貫しており、読みやすいとの意見が部員内にも多数ありました。が、その一方で、後半以降の主人公の心境の一転を掴みかねるといった声が事前に聞かれ、これに関する議論が読書会を始まる前から活発になされていました。



いざ読書会が始まりますと、参加者の皆さんに挙げて頂いた「初読後の感想」では、「序盤はとっつきやすかった」「各節ごとに設けられたタイトルへのクローズアップが面白い」といった意見がありつつも、やはり「後半の主人公の急に目覚めたかのような変化への違和感」や「死の問題への掘り下げの不足感」「死ぬことによる美化」といった意見も現れ、その中で「これは一人の聖人の話である」との言葉も出ました。


また、昨月の十一月に読書会で議論された遠藤周作「白い人・黄色い人」(同じくキリスト教を扱った短編)と比較して、その読みやすさが着目される事もありました。



これらのキーワードを元に議論がスタートしましたが、まず「作者がキリスト教という物をニュートラルに書かずに肯定しすぎている感」を認めながらも、198ページに記述のある「小説家からもらった作中作」を軸に、「最初に主人公が作中作を読んで抱いた感想が、『塩狩峠』に違和感を覚える部員達の意見の多くに当てはまる事」、「作中作は“主人公の犠牲死”を書いた直後に終わっているが、『塩狩峠』では主人公の犠牲の後に残された人々についての言及が存在する事」などが挙げられ、「あくまでも一人の聖人の話であり、主人公への共感や感情移入が絶対的に重要な小説ではないのでは」との意見が出てきました。「それに関するひとつの回答が、439ページのラストから続く一連の言葉に見られる」とも。



「キリスト教への差別や抵抗感」に関しては、日本に根付く「仏教」との対比(聖書の言葉の実践と八正道との対比)、また「死ねば穢れが取れる」という古来よりあった価値観が最期の犠牲死を周囲により誇張させたといった発言が出る傍ら、確かに『死ねば多くの実を結ぶ』をテーマにしてはいても、「どの道列車事故では主人公が救わなくともみんな死んでおり、これでも美化はされただろうが、敢えて“自己犠牲を選んだ”事の意味」という、死ぬことの方法論を見つめる動きもありました。


この作品では主人公以外でも、たくさんの登場人物が交錯し、よりドラマ性を盛り上げています。主人公の英雄譚に留まらずに、最終的に「多くの果を結ぶ」周囲のキャラクターにも考えを広げると、より読解に深みが増すのかもしれません。



また、作者あとがきでも触れられ、一部部員も口に出した『自殺説』に関しても、「キリスト教では自殺を禁忌としている為に、主人公の死の影響を肯定的に書いたこれは、自殺ではない」との反論も根強かったです。



また部員の中でも意見が別れた主人公の後半の行動に関しては、キリスト教徒である一年生の一人が「共感できる」と発言しており、元々初出典がプロテスタントの方々に宛てて書かれたものである事も踏まえて、三浦綾子の目論見は達成されているとの見方もありました。また彼によると、主人公の入信前後の急激な方針転換もあながち非現実的ではなく、宗教と出会う事は頭で考える事ではなく、突き動かされるものだといった意見も出てきていました。


ただ、これが新潮文庫というより広いステージで尚読み継がれているという点にも着目できましょう。キリスト教という枠組みに捕らわれて読み込まずとも、「人生に対するひとつの教科書のかたち」としての側面も持ち合わせているのかもしれません。



最後に作者自身についてですが、彼女がキリスト教に入信した経緯は、十年以上に及ぶ肺結核と脊椎カリエスの闘病生活に端を発しているようです。彼女は自らすすんでキリスト教の信徒になっており、その経歴が「作者がキリスト教を肯定しすぎている感」に繋がっているとの意見もありました。ここが先月の(幼児洗礼を受けさせられた)遠藤周作との大きな動機の違い、作品の性質の違いに繋がっているのではないかといった意見も出ました。また、遠藤が司祭を絶対化するカトリック教徒であるのに対して、三浦は自分達それぞれが翻訳した聖書や信仰を持つプロテスタント教徒であることも、その違いを際立たせる材料なのでは、といった実に面白い意見も飛び出る事になりました。



残念ながら時間の関係上で読書会はここで終わってしまったのですが、会後のそれぞれの感想からは、議論の時間を通して、イメージが最初に抱いていたものから変わったといった声も聞かれ、部員達にとって有意義な結果を生むことが出来たと思います。


また読書会以外でも、いつでも部室に集まった人でそれぞれの解釈を被せ合い、議論の続きをより深めることもできましょう。それが文芸部の利点のひとつでもあります。



次に開催される読書会は2月を予定しています。


課題図書に関してはまだ未定ですが、今回参加していた方も、都合が合わなかった方も、是非次回のご参加をお待ちしております。


それでは、長文失礼致しました。部内活動報告でした。

読書人大賞2011

いよいよ本年度読書人大賞推薦文の部内〆切も近づいて参りました。
というわけで、昨年度提出された推薦文を公開することにしました。一つ前の記事でも公開しているので、良ければ読んでみてください。部員の皆さんは書く際の参考にしてみても良いと思います。

推薦図書:「これからの『正義』の話をしよう」マイケル・サンデル 早川書房


 正義という言葉を聞いてどんなものをあなたは想像しますか?

 上手く想像できないかもしれないですし、「他人を助けること」などとぼんやりイメージをするかもしれません。もしくはまったく別のことを想像しているかもしれません。正義というものは抽象的で、考えても上手くまとまらず、雲を掴むような印象を抱く人が多いと思います。

『これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学』というこの本は、政治哲学を専門とするマイケル・サンデルがハーバード大学で行った「正義」という講義をまとめたもので、様々な具体例を挙げて、抽象的な正義という事柄について考えていきます。その具体例は多くが実際にあったことで、現代において正義ということを考える重要性はますます比重を増しています。

正義について、幸福最大化、自由の尊重、美徳の促進という三つの理念を中心にして彼は論を進めます。一つ目の理念は、快楽や幸福を最大化するように行動することが正しい行為だとする功利主義。二つ目はまず成人の自発的選択を尊重するという自由意志論者。そして差別などによる社会的、経済的による不利を是正し、自由な選択を許せるようにするという公正派の二つがあります。そして三つ目は善良な生活や道徳的なものと正義は深い関係があるという美徳論について紹介していきます。

これらの三つの理念を個別に詳しく説明していく過程でベンサム、ミル、リバタリアニズム、カント、ロールズ、アファーマティブ・アクションなどの馴染みがない人名や用語も出てきます。しかし彼らの主張や用語についても知識のない人にも分かりやすいように説明されています。

 例えば幸福最大化ということで、ベンサムの功利主義という考え方を取り上げて紹介する際には、功利主義の説明に触れる前にまず具体例を挙げています。漂流していた四人の船乗りが生き残るために一人を殺してその肉を食べたことで裁判にかけられたという1884年のイギリスで実際に起きた事例を挙げた上で、正しい行為とは快楽や幸福を生む全てのものを最大化することだというベンサムの功利主義を説明します。

この本の魅力は、マイケル・サンデルが彼なりにまとめた上で三つの考え方を紹介するのを読み、この本を読むあなたが正義について考えることができるという部分です。彼が紹介した多種多様な考え方に触れて、「私もそう思う」「んー、これちょっと違うんじゃない?」と彼が紹介する考えに同意したり疑問を抱きながら読むことで、あなたは実際に彼の講義を受けているような気がしてきます。

そして最後の章で、マイケル・サンデルは三つの考え方のうち、彼が支持する考え方と、それ以外を支持しない理由について述べています。言わば、これが講義のまとめの部分となるのですが、この部分を読んで納得するか、しないかはあなた次第です。

全てを読み終わった後に、再度冒頭の問いを自分に投げかけてみてください。雲を掴むようだった正義の形がうっすらと見えてくるはずです。

あなたもマイケル・サンデルの講義を受けてみませんか?

いざ起て読書人よ

あけましておめでとうございます。昨年も大変お世話になりました。今年もどうぞ当ブログを、そしてまた関学文芸部をよろしくお願いします。

さて、いよいよ本年度読書人大賞推薦文の部内〆切も近づいて参りました。
というわけで、昨年度提出された推薦文を公開することにしました。部員の皆さんは書く際の参考にしてみても良いと思います。

推薦図書:「これからの『正義』の話をしよう」マイケル・サンデル 早川書房

タイトル「いざ起て読書人よ」

 哲学は全ての学問の基礎である。哲学なくして万学は成り立たず、万学に派生せぬ哲学は屋根と床を作らぬ家に等しい。しかしながら現代日本では哲学は万学と並べて扱われている。これが従来の「哲学って面白いけど何の役に立つの?」という不当な評価の原因である。マイケル・サンデル氏の功績は、まさしくこの哲学と「現実」との乖離を分かりやすく埋めてみせたところにある――などという書評は、諸氏にはいわゆる耳タコであろう。

この本は氏の哲学の紹介書であり(断じて普遍的な話ではない)、彼に直接師事できない多くの人間がその思想に触れる手助けをしてくれる、非常に有難い作品である。彼の講義は『ハーバード白熱教室』の名を冠した番組で、或いは動画サイトを通じて配信されている。通信手段が進化した現在、このようにより実際の講義に近い形での情報伝達の手段はいくらでもある。にもかかわらず改めて文章に起こした書籍という形での展開は、またそれが人気を博している事実は将来のメディアを考える上で興味深い。電子書籍の隆盛や文学作品とはどうあるべきかという話題が世間を賑わせた昨年の情勢に一石を投じたように思う。その点でも、この「書籍」は注目に値する。

もっとも、諸氏にこの本を推薦するのは、正確には「読んで」欲しいからではない。先に述べた通り、この本はマイケル・サンデル氏の哲学の紹介書である。長く教鞭を執ってきた氏の主張は、意地悪い言い方をすればそれはそれは巧みに人心に入り込むであろう。しかしながら、誰かの主張を鵜呑みにするのでは、結局のところ話を「した」ことにはならない。多少驕った言い様かもしれないが、我々は「読書人」としてここに集っている。ならばただ本を読み共感を拾うのは終いにしよう。舐めるようにとっくりと読み、「Wait a mimutes!」と叫ぶ、そんな読書の足掛かりとしてこの本を手に取ってみてはどうだろう。

長くは述べるまい。批判も賛同も、作品を読んだ者にのみ与えられる特権である。

さらば若者、この本を読んだ後は――いやいっそ全て読まぬ内でも、書を閉じ町へ出よう。

これからの正義の話を「しよう」。

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