こんばんは。
すっかり秋めいてきました。カラッと晴れて気持ちがよいです。

何だか最近、健康について考える日々。何がどう、なんてことはないんですが、長生きせねばな。と思うようになりました。

結婚するまではいつ死んでもいいと思いながら生きていました。私が死んだところで身近な人は悲しむだろうけど、それでも世界は続いて回っていくのだからと。

結婚してからは、私が死んだらきっと彼はものすごく悲しむだろうなと思うようになった。たぶん、食事も喉を通らなくなるほど彼は憔悴してしまうのではないかと。そんなことを思うと、簡単に明日死んでもいいや、なんてことは自然と考えなくなっていました。

出産してからは、何としてでも生きねばと思うようになった。この子が成人するまでは、どんなことがあっても生にしがみつき、この子に降りかかる全ての不幸や悲しみを受け止め、そして旅立つ日までそばにいたいと。そう思えば思うほど、死んでもいいや、なんて言葉は考えることもなくなり、生きねばとばかり思うようになりました。

人とは不思議なもので、若い頃は護るべきものってなんだよ?と思っていた私が。こんなに愛しい人たちに囲まれ、生きねばと日々を改め、誰かのために生きていきたいとすら願う。この気持ちはDNAにインプットされたものなのか。そんな不思議なことを考えます。

生きる意味ってこんなふうに見つけていく。
不思議と、生きる意味ができる。

ここ数年の私は、本当に生きやすくなったと感じるばかりです。人のために生きることがどれほど尊いのかそれを説く自信はないけれど、それがどれほど醜く美しいことなのかと実感することはできる。

不思議です。
明日も朝が来るようにと、そう願うようになったのよと10年前の自分に教えてあげたい。あなたの妬んだ朝は、こんなにも幸せな音を鳴らすのだと。

幸福の音は毎朝鳴る。
小さくて煩わしく、それでも愛しい音が鳴る。

そんな話でした。