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なくしたもの

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こんばんは、お久しぶりです。
先日、友達と会いました。独身の友達でとても綺麗だった。

ヒールを履いて、にあった可愛い服を着て、髪の毛を巻いていて。耳にはピアス、ネックレス、腕には彼氏からもらったらしい時計。いい香りの香水。全てに包まれた彼女は私の何倍も可愛かった。

私がなくしたものを彼女は全部持っていて。

私はヒールでもない靴で、デニムを履いて、ピアスもネックレスも、腕時計もしてない。子供に引っ張られるから、時計は子供を傷つけてしまいかねないから、ヒールでは抱っこして歩きにくいから。長い髪も、邪魔になるから。

私が独身の時に持っていたものはものすごく尊いもので。それは確実に時間と共に、ライフステージの変化と共に移り変わっていくもので。理解はしている。でも
ただ、たぶん、変わらずずっと身につけていくと思っていた可愛さを捨てていた自分に気がついて。

それでも、腕の中で私に笑いかける子を見るだけで他に何もいらなくなるくらい、そんな美しいものを私は手に入れてしまって。こんなに尊くて美しいものを手に入れて、その上私の服をしっかり掴んで離さないその子を見て、私がなくしたものはこの子に比べれば何ともないものだったんだと思えた。

友達はすごく可愛かった。
ただ、私の腕の中の子は形容し難い美しさだった。この子のために無くしたと思うと、何も惜しくないと思うかな気持ちをくれて、ありがとう、と思いました。
そんなはなし。


生きる



こんばんは。
すっかり秋めいてきました。カラッと晴れて気持ちがよいです。

何だか最近、健康について考える日々。何がどう、なんてことはないんですが、長生きせねばな。と思うようになりました。

結婚するまではいつ死んでもいいと思いながら生きていました。私が死んだところで身近な人は悲しむだろうけど、それでも世界は続いて回っていくのだからと。

結婚してからは、私が死んだらきっと彼はものすごく悲しむだろうなと思うようになった。たぶん、食事も喉を通らなくなるほど彼は憔悴してしまうのではないかと。そんなことを思うと、簡単に明日死んでもいいや、なんてことは自然と考えなくなっていました。

出産してからは、何としてでも生きねばと思うようになった。この子が成人するまでは、どんなことがあっても生にしがみつき、この子に降りかかる全ての不幸や悲しみを受け止め、そして旅立つ日までそばにいたいと。そう思えば思うほど、死んでもいいや、なんて言葉は考えることもなくなり、生きねばとばかり思うようになりました。

人とは不思議なもので、若い頃は護るべきものってなんだよ?と思っていた私が。こんなに愛しい人たちに囲まれ、生きねばと日々を改め、誰かのために生きていきたいとすら願う。この気持ちはDNAにインプットされたものなのか。そんな不思議なことを考えます。

生きる意味ってこんなふうに見つけていく。
不思議と、生きる意味ができる。

ここ数年の私は、本当に生きやすくなったと感じるばかりです。人のために生きることがどれほど尊いのかそれを説く自信はないけれど、それがどれほど醜く美しいことなのかと実感することはできる。

不思議です。
明日も朝が来るようにと、そう願うようになったのよと10年前の自分に教えてあげたい。あなたの妬んだ朝は、こんなにも幸せな音を鳴らすのだと。

幸福の音は毎朝鳴る。
小さくて煩わしく、それでも愛しい音が鳴る。

そんな話でした。

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